#23.一人だけ居残ってしまった男
翌日早朝の事。
先日の賑わいとは打って変わって元の静かな港に戻ったニーニャ港であったが、いくつかの問題が発生していた。
『いやあ、他の者が感動的な再会の後に浄化されていったのを見て、てっきり私もそのまま天に召されるモノと思ったのですが……まさか私一人残ってしまうとは』
一つは、『彼』の存在であった。
船幽霊の指揮を執っていた旧海軍提督アルメリスは、部下達が妻子の霊と共に浄化されたにも拘わらず、一人この港に残っていたのだ。
これには本人も驚きらしく、「まさかこんな展開が待っていたとは」と笑うばかりであった。
出迎えた側の姫君らもニーニャの住民も、地縛霊が如く残ってしまったこの提督の存在には苦笑いを浮かべるばかりで、「どうしたらいいのこれ」という困惑ばかりが港に広がっていた。
「提督さんがいるのはまあ、良いんだけどさ……問題は、このデカブツだよなあ」
港に起きた異変を察知して急いで顔を見せたカオルは、やはりこれも苦笑いのまま、港に停泊したままのボロ船を見やる。
そう、クイーン・パメラである。
入港した時こそ元の美しい姿を見せていたこの船はしかし、今では魔法が解けたが如く、本来のボロボロの状態に戻ってしまっていた。
見るも無残な、浮いている事そのものが奇跡のような大破船である。
『うむ……かつてのニーニャならば、このくらいの破損でも時間次第で修復が可能であったが……聞けば、今ではニーニャの造船所はそれほど設備が整備されていないようですなあ。困ったもので』
「それもそうなんだけどさ、単純に動かないってのも問題だよなあ」
当然と言えば当然なのだが、クイーン・パメラはその性能のほぼ全てを失逸していた。
そもそもの操舵系統からして今まで動いていたのが奇跡と言えるくらいで、キールからマストからあらゆる部位が損壊していたのだ。
船幽霊として存在していた時はまだそれでも動けていたのだが、港に到着し、本懐を果たした時点で元の姿に戻ったのではないか、というのが提督の推測するところであった。
『そもそも、我らが死んでいた事すら今まで気づいていなかった有様ですからな。いやはや、まさかニーニャを発ってから戻ってくるまでに、50年近くも経過していたとは』
「ほんと、長い航海だよなあ……50年だもんなあ」
つくづく、長すぎた航海であった。
彼らが海を漂っている間に、戦争は終わり、時代までもが変わったのだ。
幼少時、彼らを見送ったアリサ婦人やトーマスが、今や老人として辛うじて生き残っている程度で。
彼らの見知った多くの者は、既に土の下で眠っているのだから。
それを想い、カオルも「時間の流れって残酷だぜ」と、しんみりとした気分にもなっていたのだが。
提督は、そんな悲しみの素振り一つ見せず、同じように港に停泊する最新鋭の王国艦隊を見ながら、ほぅ、と、感嘆の溜息をついていた。
『既に風を読み風を扱う戦列帆船の時代は終わりを迎え、今は魔導技術が船を動かす鉄鋼戦艦の時代とは。いや、戦時中も兵器の進歩は早いものと思っていたが、まさか魔法の力で船を動かす時代が来るとは夢にも思っていませんでしたな』
「ああ、俺もそれはすごいと思うよ。風に逆らって動けるんだろ? どんな理屈なのか解んないけどさ」
『ニーニャで積み上げられた造船技術が基礎となって、こうして時代の先端を行く技術が開発されていくのですな。感慨深いものです』
伸びたままになっていたあごひげを手で弄りながら、提督はまた、感嘆の吐息を漏らす。
そうかと思えば、港で町長らと共にボロ船を見つめながら途方に暮れている姫君を遠目に見て、三角帽をちょいちょい弄っていた。
『私はあの方を見た時に、てっきり「私の居ぬ間に陛下に姫君がお生まれになったのか」と思ったのだが……まさかお孫君にあらせられたとは。いや、顔だちもパメラ様にそっくりだったので、最初は言われても解らなかったくらいです』
「提督さんにとっては今の王様が王子様だった頃しか知らないんだもんな」
『うむ。このような状態となってはもはやお目通りする事も叶うまいが、まだ幼少だったマークス殿下が王となり、その姫君に出迎えられる……中々に感慨深い話ですよ』
「俺としては、王様に話す土産話が一つできたから、助かるっちゃ助かるんだけどな」
カオルにとっても、この手の問題というのはただ厄介なだけでなく、王様と会った時に話せるネタにもなるので、ありがたくもあったのだ。
特に今回のように、誰かが損をした訳ではなく、比較的穏やかに解決された問題なんかは、食事中にしても誰の機嫌を悪くするでもないものなので、カオルとしても好ましかった。
『殿下は……いや、今はあの方が陛下か。陛下は、お生まれになってすぐ、様々な大人の思惑の中育っておられたので……カオル殿のような純朴な方が友人となってくださるのは、私としても嬉しい限りです』
「俺にとっても王様が友達っていうのはちょっとした自慢になるからね。今回だって、俺一人じゃ多分、解決する事は難しかっただろうし」
友達って言うには年が離れすぎてるけど、と、最後に笑いどころを残し、カオルは提督と一緒に姫君を見る。
色々困惑はあったようだが、何やらいろいろ話していて、まとまったらしい。
姫君の隣に立つ町長もしきりに頷いているのが印象深かった。
「ほんと、お姫様が通りかかってくれてよかったぜ」
『ステラ殿下には感謝しても足りぬほどだ……だが、それを連れてこれたカオル殿、貴方の機転と手腕が、我々と、待ち続けていた妻子を救ってくださったのです』
「……そう言われると照れちゃうな」
この一件、解決したのはほぼほぼ王家の威信とステラ王女のカリスマ性あってのものだとカオルは思っていたのだが、救われた当人にそのように言われ、背中がかゆくなるのを感じてしまっていた。
確かに、ちょっとくらいは自分も頑張ったという自信もあった。
姫君からの手紙を受け、名案を思いついた事。
それが結果として上手く行ったのが、自分の手柄と言えるかもしれないと、人に褒められぬでもそう思えればと、カオルは密かにそんな事を考えていたのだ。
それが認められたのが、殊の外嬉しい。恥ずかしい。照れくさい。
カオルという青年はまだ、手放しに称賛を受けられるほどには、自信に溢れていなかったともいえる。
だが、それが人をして『純朴な青年だ』という好印象を与えている事に、カオルはまだ気づいていなかった。
ほどなくして、町長と今後について話し合っていたステラ王女が、カオル達の前まで歩いてきた。
それまでずっと遠巻きに姫君を見ながらに提督の話を聞いていたのだが、こちらはこちらで見られていた事には気づいていたらしく、「御用だったのならお待たせしてしてしまったかもしれませんが」と、ちょっとした誤解を招いていた。
「いや、提督と二人で、ステラ様のお婆ちゃんについて話してたんだよ」
「パメラ様の事ですか? そういえば、昨日もアルメリス殿にパメラ様についてのお話を聞かされましたね」
『いやはや……仕草から何から似ているもので、つい、当時を知っていると……まあ、そんな訳で、用事があった訳ではないのですよ、姫様』
「そうでしたか……それならよかったのですが」
眉を下げながらも、用事があった訳ではないのがちゃんと伝わったらしく、微笑みを見せてくれる。
その様を見て、カオルも提督も「可愛い笑顔だ」とほっとしてしまう。
笑うと、そういう癒しを感じさせる姫君であった。
そしてその姫君は、港に泊まるボロ船を手で示しながら、説明を始める。
「今しがた町長と話し合ったのですが、こちらの『クイーン・パメラ』は一旦ニーニャの造船所預かりという形で、しばらくの間停泊させる事になりました」
『おお! それはありがたい……造船所に修復できるだけの施設がない以上、解体されて資材となるのが末かとも思っておりましたが……やはり、苦難を共に乗り越えた愛する船を失うのは、船乗りとしては心苦しくもあったのです』
「私の艦の艦隊員達も、アルメリス殿と同じような事を言っていましたので……それで、提案なのですが、アルメリス殿」
『は。提案、でありますか?』
「ええ、この船を、ニーニャの観光資源にするつもりはありませんか?」
「観光資源って……つまり、これを再利用して、観光客を呼び込む、とか?」
「ありていに言えば……現状、ニーニャの泊地では航行できるように修復するのは不可能に等しいという話ですので……とりあえずの案として、そのままの姿でも今のニーニャに貢献できるよう役立ててみる、というのが一つと――」
『一つ、という事は、他にも何か?』
ここまででもカオルと提督にとっては驚きの提案ではあったが。
姫君は小さくこくりと頷き、更に驚きの発言を続ける。
「こちらが大事なのですが、私は国王陛下に、ニーニャ港の再整備計画を提案してみようと思うのです」
『港の……再整備計画ですと?』
「ええ。私はこれからリリーマーレンに向かわなくてはなりませんが、通商船や旅客船など、ある程度の規模の船が停泊・補給・整備する事が可能な拠点が必要だと思うのです。ですが、我が国で近代化されている港は王都近くの軍港セレン、ラナニア国境沿いのミリアムなど、東国寄りの拠点しか存在しないのが現状ですので……」
「なるほど、東ばっかだから今度は西への拠点が欲しいんだな。上手く行けばまたニーニャに活気が戻るかも知れないな、それ」
『確かに……港が通行船の中継地点として整備されれば、それを通して商人や旅客も町に降りてくるようになる……私の知っていた頃のニーニャが、あのニーニャが甦る!』
「実際にそこまで発展するのにどの程度の年月がかかるかは解りませんが、私もニーニャの現状を見てもったいないように思えましたので……実際、私の艦隊が停泊するにあたってそれほど不便もありませんでしたし、近代化に力を入れれば大陸有数の港としての地位も取り戻せると思うのです」
元々のニーニャの地力が、そして地政学上の重要さがあってこその評価であった。
寂れた港町が、かつての栄華を取り戻せる可能性。
それ自体が、今まで存在もしていなかった奇跡のような話である。
実際カオルも途中から頷くくらいしかできなくなっていたし、提督も齢14の姫君の口からすらすらと語られる言葉の数々に、ただただ圧倒されるばかりであった。
「町長はこの提案に賛同してくれましたので、後は陛下がどのように判断を下すか、という事になりますが……実際に上手く行った場合、この港町にも相応にランドマークなり名物なりが必要になると思いますので……カオル様?」
「あっ、いや、うん……さっきの町長との話し合いでそれがまとまったんだろ? すごいなあって、驚いちまった」
なんとかついていけてはいたものの、基本言われたことに頷くばかりでぽかん、と口を開けていたカオルは、姫君に声を掛けられ頬を赤く染めてしまう。
解りやすく噛み砕いてはくれていたが、それでも明らかな知性の差がそこにはあったのだ。
カオルは、改めて自分の勉強不足を恥じた。そう、恥じるようになっていた。
「くすっ……私は自分ができるなりの事をしているだけですわ。それにしたって、カオル様が呼んでくださったから気づけたことですもの。それに、アルメリス殿のおかげもあってニーニャに名物ができる訳です」
『それが先ほどの提案だった訳ですな。クイーン・パメラを、観光資源として有効活用する、という』
「その通りですわ。現代には戦時中の船が残っている事は珍しいようですし、少なからずそういったものは学術的な興味を惹かれた者が見に来るのです」
使えなくなった元船幽霊のおんぼろ船が、今度は観光資源としてニーニャに貢献できるかもしれない。
それは、姫君なりに提督の船への愛着やニーニャへの想いを汲み取った上での、最大限の配慮であった。
このままただ停泊し続けるにしても、ニーニャにとっては負担になるだけ。
嵐などがくればそのまま沈没してしまう事すらあり得るのだから、船の大事とニーニャの負担軽減を考えればこれ以上ない策と言えた。
その上で、ニーニャが再開発された暁にはランドマークとしての地位も得られるのだ。
提督としても、これ以上ないほどの提案であった。
『格別の取り計らい、感謝いたします姫様。私は、今まで生きていて、これほどありがたいと思った事はありません。カオル殿も、ありがとうございます』
改めて、キリリとした表情で海軍式の敬礼を行う提督。
カオルは照れくさそうにしていたが、姫君は「いいえ」と、小さく首を横に振り、微笑みを以て返す。
「アルメリス殿は、多くの兵をこの地へと連れ帰ったのです。貴方は、貴方がたは紛れもなくこの国の英雄ですわ。とても誇らしく思います」
『……姫様。姫様にそのようにお言葉を戴けること。光栄に思います』
姫君の言葉に、姿勢はそのまま、引き締めていた頬を緩めながら、提督は笑った。
その姿こそ実体のない、時としてノイズが混じる虚しき存在ではあったが。
アルメリス提督は、確かにここに居たのだ。
『時に姫様。先ほどリリーマーレンの名を聞きましたが、現状、我が国は周辺国とはどのような関係なのでしょうか?』
「んん……現状、ほぼ全ての国家は平和主義を第一に、融和的な政策を取っているようですが……我が国も、かねてよりの友好国だったリリーマーレンとは同じように友好国・同盟国として関係を築いていますね」
提督の問いに、一瞬だけカオルの顔を見て、また提督の方を向いてすらすらと答える姫君。
意味深な態度に、カオルも「うん?」とちょっと不思議な気持ちになったが、何か問えるような流れでもなく、そのまま流される。
『ラナニアとは、どのように?』
「ラナニアとは、戦時中に『一切交戦していなかった』事から、現状では一応友好国として交易を重ねてはいますが……こちらはラナニア国内の内政問題もあって、不安定化しつつありますね」
『不安定化……ですがそうですか、一応、ラナニアとは友好的な関係なのですね』
「少なくとも私が物心ついた時には既にそのような関係になっていましたから……弟のアレクも、あちらのリーナ姫には何度か遊んでもらったことがありますし」
好い方でしたわ、と、その頃の事を思い出しながらに語る。
平和な時代に生まれた姫君にとって、かつて険悪な関係にあった隣国は、ある程度の好感を以て語れる程度の友好国となっていたのだ。
提督もそれを見て「ふむ」と、考えるように顎に手を置く。
「……? 提督さん? どうかしたのかい?」
『ああいや、なんでもありませんよカオル殿。いや、かつてあのあたりの海域で、私の艦隊は大風に遭いましてね。情けないことながら、それが元で壊滅したモノで。ラナニアと聞くとつい』
「そうだったのですか……今この場には呼べませんが、もしアルメリス殿が永くニーニャに滞在できるようでしたら、宮廷学者にも戦時中のお話を聞かせていただけると助かりますわ。当時の貴重なお話ですので……」
『ははは、死して尚お国に役立てるのなら、喜んで』
提督は、真実を伏せる事にした。
自分達の艦隊を壊滅させたのは紛れもなくラナニアの艦隊だったが、今それを蒸し返したとて、友好国として関わりを持った隣国と険悪になるだけなのだから。
当時こそ、ラナニアの脅威を国に伝えねばと思っていた提督は、しかし今の平和を見て「それはすべきではないな」と、胸の内にしまっておくことを選択した。
(……すまんな皆。国の繁栄の為、平和の為、恨み言は忘れてやってくれ)
遥かな激戦海域を見据え。
提督は一人、海に散っていった部下達を想う。
かつては険悪な、そして自分達の命を奪った仇敵ではあるが。
それは今はもう、忘れてくれと、飲み込んで欲しいと、そう願ったのだ。
こうして、ニーニャの町にクイーン・パメラという名のランドマークと提督という名の亡霊が滞在する事になり、その噂はステラ王女の策により、瞬く間に国中に広まっていった。