#21.王族の威光
翌日早朝。
暗い内から港を訪れたカオル達は、まず何より先にその光景に驚かされていた。
黒に満ちた沖合に浮かぶは、巨体ながら勇美なる魔導戦艦群。
ステラ王女座するエルセリア第二艦隊である。
まだ暗い中でありながら、艦からの灯りや灯台からの光に船影が浮かび上がり、えもいえぬ存在感を示していた。
早速小舟で乗り付けたカオルとサララは、その巨大戦艦の甲板で姫君らと対面していた。
まだ陽も昇らぬ早朝だというのに、甲板上には数多の水兵が整列して姫君の後ろに並び、カオル達の姿が見えるや、ズパ、と敬礼によって出迎える。
これにもカオルは驚かされたが、大切な場なので間抜けな顔は見せないように、と、出来る限り頬を引き締めて姫君の前に立つ。
「会えて嬉しいぜステラ様。いや、まさかこんな早く来るとは思わなかったけどな。でも、来てくれて助かった!」
「カオル様のお呼びですから。折角ですので、町の方達も驚かせたいと思いまして」
沢山の水兵の前である。
礼を尽くして出来る限りの敬語で、とも考えたが、変わらぬ笑顔で迎えてくれる姫君に、カオルはすぐに考えを改め、いつものように接する事にした。
姫君もたおやかに微笑み、ドレス端をちょこんとつまみながらに一言。
儀礼的なモノというよりは、親しみの方が強く感じられる口調であった。
「まさかステラ様と海で会えるなんて思いもしませんでしたが、来て見るものですねえ、海も」
「サララ様も……カルナスでのお別れからほんの少ししか経っていないのに、とんでもなく長い時間離れていたように感じていました。またお会いできてうれしいですわ」
「私もです。ありがとうございますね、ステラ様」
お姫様同士の再会も華やかで、互いに両の手を取り合い、にっこり微笑みあっていた。
こんな時はサララも猫かぶりではなく、素が感じられる、柔らかい笑顔である。
「兵隊さんも一緒だったとは手紙に書いてあったから知ってたけど……なんか、格好良くなっちまったな、兵隊さん」
「ははは……姫様がリリーマーレンに向かうという事で、陛下より護衛を命じられてな……しかし、海の上では私も何ができたものか。まるで旅行客のように海を眺めている事しかできなかったよ」
情けないものだ、と、苦笑いで帰す兵隊さん。
いでたちから何までカルナスに居た頃よりスラっとしていてあまり兵隊らしさは感じられなくなっていたが、姫君の隣に立つにはよく似合っていた。
ただ、傍から見ただけなら美貌の姫君とのロマンあふれるクルーズではあるが、真面目な彼にとってそれは、城兵隊長という重すぎる職務の中与えられた重要任務という認識の方が強く、とてもではないが姫君が望む様なロマンスどころではないのだ。
彼の真面目さを知るカオルも、「きっと必要以上に重く受け止めちゃってるんだろうなあ」と察し、同じように苦笑いで返した。
「早めに来てくれたおかげで、俺達の事情とか状況とかを説明する時間が長めにとれそうだ。急いできてくれて悪いけど、ステラ様達にも協力して欲しいことがあってさ」
再会を喜ぶのにはいささか時間が足りない感はあるが、カオルは本来の目的を先に切り出し、空気を切り替えた。
積もる話はあれど、今はまず、やらなければならない事があるのだ。
姫君もそれは解ってか、静かに頷き「それでは、奥の方へ」と、艦内へと促してくれた。
そうして艦内の一室、本来は船長を始め士官達が軍議を行う指揮所にて、事情の説明と、これから姫君らにしてほしい事のお願いを始めたカオル。
それほど長いものではなかったが、丁寧に、それでいて解りやすく伝えられるようカオルなりに工夫してのもので、姫君も聞きながらに何度も頷き、始終微笑みを湛えたままであった。
「――という事なんだけどさ。どうかな?」
一通り説明を終え、カオルは姫君の反応を窺う。
たまにカオルが噛んだ時だけサララがフォローする程度で、実質独擅場であった。
対するステラ王女も、カオルに返答を求められ、少しだけ考えるようにしたが。
「いいのではないでしょうか? 私もニーニャの民と戦で散った方々がそれで救われるなら、協力は厭いませんわ」
聡明な姫君の事、さほどの時間を要さずに決断を下していた。
そうかと決まるや、傍に控えていた船長が部下に何事か指示を下し、それを姫君がちら、とだけ見て「ご心配なく」と微笑んで見せた。
「それでは、艦隊は明けと共に入港しますわ。そのまま一日停泊して、町の方が怖がらないように防壁となりましょう」
「有り難いぜ。余所の国に行くつもりだったステラ様にこんな事を頼むのはどうかと思ったけどさ……町の人もそうだし、船幽霊の人の方も、なんとかしてやりたいんだ」
「カオル様の気持ちはよく解ります。それに、こういった事は本来なら国が率先して解決に乗り出すべき問題のはずですから……カオル様は気に病んだりなさらず、胸を張ってくださいませ。私、ニーニャに呼んでいただけて良かったと思っていますわ」
「そう言ってもらえると助かるよ」
カオルよりいくつも年下ではあるが、ステラ王女は民の事を優先して考えられる王族であった。
兵隊さんが絡まなければ誰からも尊敬される、王位継承権一位なりの人格者なのだ。
「それじゃ、俺達は一旦港に戻る事にするよ。ステラ様、また後で」
「はい。お気をつけて」
艦上にてニコニコと手を振りながらカオル達を見送るステラ王女。
カオルも一安心して、そのまま小舟でニーニャ港へと戻っていった。
そうして、カオル達の姿が見えなくなってすぐの事。
姫君は、その場に整列した船員らを見渡し、小さく息を吸い込んだ。
そのままでも綺麗に揃っていた船員らではあったが。
姫君が何事か言葉を発するのを察するや、誰からともなく頬に力を籠め、奥歯を強く噛み、後ろ手の拳を強く握り締めた。
「――聞いての通りです」
姫君は、そんな船員らの態度をよしとしながら、先ほどまでとは打って変わり、為政者として、また艦隊を取り仕切る司令塔としての声を発した。
傍に控えるイワゴオリも空気の違いを感じずにはいられない、そんな冷たさを含んだ声である。
「誰一人、誤って船幽霊に向け攻撃をしたりしないように。対処一つ間違えば、我が国の領土ニーニャが被害を被る事にも繋がります。総員、気を引き締め対処してください」
短いながら、それで十分なほどに要点を抑えたスピーチ。
静まり返った水兵らは、ビシリ、敬する。
「アイ、アイ、サー!!」
海軍式の敬礼と、天を衝く水兵らの声から、ニーニャの命運を分ける一日が始まった。
陽が昇り、船幽霊が現れるまでの間は、ニーニャはお祭り騒ぎのような賑わいに包まれていた。
特に港は町長の奔走もあってか、はるばる入港してきた姫君率いる艦隊を出迎える為、数多くの住民が、国旗やら姫君の似顔絵の描かれた絵旗やら歓迎を示す横断幕やら、様々なものを手にし集っている。
岸に当たる砕け波すら、まるで姫君を歓迎する賑わいかのような有様であった。
「いやあ、すげぇ賑わってるなあ。あれだけ静かだった町が、一夜にしてカルナスみたいになってるぜ」
「本当、お祭りみたい……うーん、流石というべきでしょうか」
しみじみ語るカオルに、サララも感心したように艦上の姫君を見つめる。
にこやかぁに、出迎えてきた住民らに手を振りながら、タラップが掛けられるのを待っているようだった。
そうして住民は、姫君に手を振られたことに気づき、熱狂するのだ。
「姫様ぁぁぁぁぁっ!!」
「姫っ、姫様がっ、ステラ様が俺の方を見たぞっ!」
「ああっ、なんてお美しいのかしら……綺麗だわ」
「エルセリア万歳っ! 国王陛下万歳っ! ステラ王女殿下っ、万々歳っ!!」
微妙にズレてはいたが、大変熱狂的な歓迎のされようである。
「ふぉぉぉぉぉぉぉっ!! ひ、め、さ、まぁぁぁぁぁっ!! ひめさまぁぁぁぁぁっ!! うぉぉぉぉぉぉっ!!! とーーーます、ですぞぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
……約一名、必要以上に元気な元老兵がいたが、ステラ王女はそちらの方は何もいないかのような張り付いた笑顔でスルーしていた。
「……いやー」
「なんとなく、関わりたくない感じですねー」
「そだな」
他の住民の痛々しい視線がトーマスに向けられる中、カオル達も気付かない振りをする事にした。
事なかれ主義はどこの世界にも存在するのだ。
「あっ、カオルさんっ、こちらにいらっしゃいましたか。お連れの方も」
「ああ、町長さん。すごい沢山人が集まったじゃん。大変だったんじゃないかい?」
そうしてしばし、祭り騒ぎとなっている港を眺めていたカオル達だったが、見慣れた中年男に話しかけられ、それが町長だと気づく。
疲労を感じさせる表情ではあったが、やりきったような男の顔をしていたのもあって「頑張ったんだなこの人」と、カオルは心の中で称えていた。
「いやまあ、確かに大変でしたがね……何分、人数の少ない町ですから、伝わる分には早く伝わったようで」
「旗とかも、町長さんが作らせたんです?」
「旗やなんかは元々町の皆が用意してたものだと思いますよ。何せ、姫様は我ら国民のアイドルですから……」
「国民のアイドルか……すげぇなあ、ステラ様」
国旗はともかく、姫君のイラスト付きの旗や横断幕まで住民が自発的に用意したとあっては、その人気の高さがうかがえるという物である。
てっきり町長の指示でそういう風に歓迎する事になってこうなっていたのかと思っていたカオルとサララだったが、そうでなくてこうなのだから、まさにアイドルという言葉に相応しい人気の高さだった。
「おおっ、姫様が降りてこられるぞっ!」
町長との会話もそこそこに、掛けられたタラップを通って、姫君が港へと降りてきた為、また港は熱狂に包まれた。
「おぉぉぉぉっ!! 姫様ぁっ、姫様ばんざーいっ!!」
「このニーニャに王族の方がいらっしゃるだなんて、何十年ぶりだろうねえ……長生きはするもんだよぉ」
「私達、すごい歴史的な場面に立ち会ってるんじゃ……」
「おひめさま~、ニーニャへようこそ!」
船幽霊の一件で冷めきっていたニーニャの民が、ここにきてようやく熱を取り戻せたというべきか。
カオルもサララも、しばし民の声に押され、何も言えず、聞こえぬようになっていた。
そうして、次に住民らの声援が止んだのは、姫君が手をかざし、小さく口を開いたからである。
姫君が何事か語ると思った民衆は、次第に歓声を止め、注視する。
「――我が愛しきニーニャの方々。厳寒にありながら暖かき温もりを感じる声援を、嬉しく思います」
ちょこんと、スカートをつまみんで小さくポーズを取りながらに、姫君はすまし顔でスピーチを続ける。
静まり返った民衆は、息をのんでその言葉を受け止めていた。
「我が王家の友人より、この町に危機が迫っていると聞き、急きょ駆けつけました。この港町ニーニャは、長らく我が国の海の要衝として栄えていた歴史ある町。そのニーニャの民が苦しんでいるという話を聞き、捨て置くことはできないと思ったのです」
「おお……姫様が、俺たちの町を……?」
「王族の方が、私達の事を忘れずにいてくれただなんて……」
「もう、この町は大丈夫なのか? 船幽霊が現れても、怯えずに暮らしていけるのか……?」
姫君の言葉に、集った住民らは感激する一方で、それまでの不安、恐怖から解放されるかもしれないという希望を感じ始めていた。
そういう、心の余裕がわずかばかり、甦ったのだ。
王族の言葉には、それだけの重みがあった。
齢14の姫君が、一国の英雄以上の影響力を行使する瞬間を、カオルは目の当たりにした。
(あれには勝てないよなあ)
こればかりはカオルが口だけでなんと言おうと容易には叶えられないもので、諦観すら抱いていた者達も、今一度、町の為に生きる事を考えられるようになっていったのだ。
それだけにカオルは、権力の重要さ、正しく行使された時の絶大な威力を理解し、同時に、何故悪党が権力に群がるのかも痛感させられていた。
「――皆さんに、私からお願いがあります!」
突如溢れ出た光明に、心を満たす希望に湧くニーニャの民を前に、姫君は今一度、声を大にして民衆を見渡す。
その言葉に、民は今一度静まり返り、姫君の『お願い』を聞き届けようと、皆傾注していた。
「私の友人によれば、今回ニーニャを騒がせている船幽霊は、戦争時代のかつて、この町に停泊し戦の中散っていった我が王国海軍の船であることが判明しました」
どのようなお願いか、と思った矢先、突然の事実を突きつけられ、民衆はまた、先ほどとは違った意味でざわめきだす。
困惑が支配する空気の重さ。
空気が変わった事に、姫君は気づきながらも、尚も言葉を続ける。
「彼らは、このニーニャに戻りたがっています! かつての、自分達を見送ってくれたニーニャに! 戦の時代の事は、私も生まれていなかった頃の事。どのような時代だったかは、その時を生きた者の言葉と、残された文献からしか知る事が出来ません。ですが、彼らは戻ろうとしているのです! この港に。この町に!」
重苦しくなっていた空気は、やがて、悲哀も込めたものと変わってゆく。
姫君の言葉一つ一つで、その場の空気が入れ替わり、そうして、人々の心の中にも、そういった空気が吸い込まれ、住民たちの表情も、悲痛なものへと変わっていた。
どこか、気づいてしまったかのような。
「私からのお願いは、一つだけです。『彼ら』を、私と一緒に出迎えてはくれないでしょうか? 『良く戻ってきてくれた』『おかえりなさい』と、一緒に出迎えて欲しいのです!」
姫君の願いは、一言たりとも余すことなく、住民らの心に吸い寄せられ、飲み込まれていった。
心に染み入り、そうして、聞かずにはいられぬ気持ちになり、一人、また一人、顔をあげていく。
だが、まだ誰も越えはあげなかった。
もう、喉元まで出かかっている。「解りました」と。「私も出迎えます」と、そう言いたいのに、言えない。
不安がまだあったのだ。
船幽霊は、自分たちに攻撃してくるかもしれない。
そればかりが、住民にとって払い難く恐ろしく、抗いがたいほどの不安であった。
だからこそ、姫君は胸を張り、そして後ろに控える水兵らに「前へ」と、目配せした。
ずらり、各戦艦の水兵らが一斉に港側へと並び立ち、手に持った曲がりナイフを高く掲げる。
陽に当たり、いくつもの光のラインが住民らの瞳に焼き付き、その勇壮さに、民は一時ばかり、恐怖を忘れた。
「貴方がたの不安は、私達が払拭しましょう! 砲撃が来るというなら、幾度でも我が艦隊がそれを受け止めましょう! ニーニャの民よ、今こそ貴方がたの勇気を見せるのです! そうして、『ニーニャは今もこんなに元気なのだ』と、彼らに見せ、安心させるのです! それこそが、彼らへの最高の手向けとなりましょう!」
姫君自身、持ち慣れぬであろう剣を傍に控えていたイワゴオリより渡され、それを高々と掲げていた。
刃はなくとも、美しく装飾された宝剣である。
王族と剣の組み合わせは、国威発揚の場においては絶大な効果を発揮する。
戦場における兵の鼓舞と同じことを、姫君はこの場面で行ったのだ。
「――あぁっ」
当然、住民はその威光を目の当たりにし、あがらぬ顔をあげずにはいられなかった。
自然、声が漏れる。吐息のように、やがてそれは、再び熱狂となった。
「俺、やります。姫様と一緒に、船幽霊を、出迎えます」
「私もっ」
「ああ、熱い。なんだか熱くなってきたぞ? 俺は風邪でもひいてるのか!?」
「俺も熱くて仕方ねぇ! だけど、こんなのは久しぶりで……姫様っ、やりましょう! 戦争時代の事なんて俺も知らねぇけど、この国の為に戦ってくれた人達なんだから、出迎えてやらなくちゃ!」
「あの時に見た水兵さん達が、帰ってくるというなら……出迎えてやらなくちゃねぇ」
ところどころ嗚咽も交え、涙も見え。
だが、集まった人々の中に、誰一人異論を叫ぶ者など居らず。
ただひたすらに、心から溢れ出た言葉を叫び、声をあげ、そして、懸命に手を振っていた。
愛すべきこの姫君に。
そして、自分達を守ってくれる、この屈強な水兵達に。
彼らは、決意したのだ。
自分達の為、盾となってくれる姫君と水兵の為。
国の為散っていった、かつての英霊の為。
そして何よりも、これからの自分たちの、その未来の為、戦う事を。
彼らの敵は、恐怖であった。
これに打ち克ち、明日を手に入れるのだと、民は、ここで待ち続ける事を選んだのだ。