#20.策略る
「――という訳で、ステラ様から『明日朝までには到着出来ます』との言質をいただきましたわ」
「よくやってくれたベラドンナ! ああ、でもよかったぜ。本当にいてくれて」
「運が良かったですねえ。ティッセさんには後でお礼を言っておかないと」
ベラドンナがトーマスと一緒に戻ってきたのは、そう遅い時間ではなかった。
カオルらも姫君らがその海域にいるかどうかは賭けに近かったので、ベラドンナが戻り次第すぐに探しに回ってもらったのだが、これがうまく当たり、狙いが通った。
日暮れ前に帰還したベラドンナの報告で、見事姫君の協力を取り付ける事に成功したと聞き、カオル達は俄然やる気が湧き上がってきたのを感じていた。
「いやはや、城に戻った時は姫様に一目、と思ったものだが、まさかニーニャでお会いできるとはなあ」
こちらは一旦城に戻り、調べものをしていたトーマス。
どうやら姫君とは入違った形らしく、戻ってきてからその手紙と、近くに来ている事を知らされて驚くことになっていた。
戻ってすぐの時は「姫様に会いたかったのだがのう」と意気消沈していたが、姫君が来ると聞いた今、しょぼくれていた顔はどこへやら、元のかくしゃくとした意気軒高な老兵へと戻っていた。
「それはそうとしてカオル殿。城で調べてみたのだが……やはり、あの船は海軍所属の船であったわ」
「それじゃ、なんていう船なのかとか、そういうのも解ったのかい?」
「うむ……実際に見ての特徴とあわせて……あのサイズの船は、当時ニーニャに停泊していた艦隊の旗艦を務めていた『クイーン・パメラ』に他あるまい」
幸いにしてトーマス自身がその当時を覚えていたのもあり、船幽霊の正体も明かされつつあった。
また、様々な機運が高まりつつある。
俄かにそんな感触を得て、カオルの口元は自然、にやけていた。
「旗艦っていうのは……一番偉い人が乗ってる船だっけ?」
「然様。艦隊の中で最も重要な、提督が座する船でござる。故に艦隊の中で最も強力で、そして勇壮であったり、華やかでなくてはならぬ。クイーン・パメラもまた、当時はとても美しい船でござった」
今は見る影もないが、と、やや残念そうではありながら、過去を思い出し饒舌になるトーマス。
初対面では鬼をも思わせた寡黙な老兵であったが、今となっては全く違う印象であった。
「町の人達は……俺がもう一度説得するさ。なに、今度こそ大丈夫だ」
「その為のステラ様ですものね」
「そういうこったな」
サララと二人、視線を姫君からの手紙へと向ける。
この一通の手紙。このおかげで、全てが叶うかもしれないのだ。
それもまた、姫君が無事このニーニャに到着してくれることが前提ではあるが。
カオルはもう、それ自体は算段に入れてしまっていた。
あのお姫様が来ると言ったのだ。来ないはずがない、と。
行動を起こしたのは、その日の夜の内である。
多少迷惑になるのは承知の上で、カオルとサララは町長の家へと訪れた。
流石に夜更けなので町長も不審げな顔で、それでも門前払いにはせず「とりあえず中へ」と入れてくれたため、カオル達は安堵した。
「それで、お話というのは? 昼間も話しましたが、確たる安全の保証もなしに貴方がたに協力しろというのは――」
「ああ、それなんだけどさ、進展があったから伝えに来たんだ」
「進展……ですか?」
昼間と違って不機嫌そうな顔をしていた町長だったが、カオルは怖気づくことなく話を進めていく。
昼間は町長のペースだったが、今は違うのだ。
イニシアチブは、大体のところカオルが握っていると言えた。
「まずは、この手紙を見て欲しいんだ」
「手紙……? こんなものを私に見せて――うん!?」
まず、最初にステラ王女からの手紙を町長に見せる。
見た目はただの綺麗なレターセットだが、その送り主の名前を流し見て――町長は二度見した。
(よし……いけそうだな)
(掛かりましたね)
流石に自国の姫君の名前を見れば、町長くらいの立場の人間なら驚かずにはいられないはずだった。
そうして、確かめるように封蝋のマークを見る。
「これ、は……」
確信を持ったのか、冬にも拘らず頬に汗を流しながら、町長はカオル達の顔を見ていた。
その表情からは「何故君達がこんなものを」と、聞くにも恐ろしくて聞けない、といった心情をありありと二人に晒しだしていた。
「見ての通り、この国の王女殿下にあらせられるステラ様よりのお手紙です。これを貴方に見せたのは、カオル様が王家の友人である事を知ってもらうためです」
二人、顔を見合わせにっこりと笑い、まずはサララが説明を始める。
「そんな大事なことを、何故昼間の時に――」
「証拠になりそうなものもなかったもので。一応スレイプニルを貰ったりしたのですが、それを見たら信じてくれましたか?」
「いや……軍属だろうとは思うだろうが、それだけでは王家のご友人とは……」
「そうでしょうね」
少なくとも、この手紙が届くまでは、カオルの今までの功績や王家との交友関係などを利用しようにも、その確たる証拠が示せないままであった。
だからこそ、変に訝しがられるくらいならと何も言わずに説得に入っていたのだが、この手紙の存在で、まず状況が一変していた。
「……王家のご友人の言葉なら、我々も前向きに取らない訳にはいかないでしょうな」
町長にとっても、無暗に反対しても却って立場が悪くなるだけ、というのは解っているのか、汗を流しながらもその視線は手紙に釘付けになっていた。
不本意ではあっても、王家の威信は絶対であった。
「いや、別に、王様の友達だから言う事聞けって言ってる訳じゃないんだ」
このままでも恐らく町長は従っただろうが、それではただ無理矢理言う事を聞かせただけ。
権威をかざして無理矢理言う事を聞かせた、なんてことをすれば、今度は王家に対しての評判が悪くなるだろう、と、カオルもサララも解っていた。
なので、あくまでこれは話を聞いてもらうだけの小道具に過ぎなかった。
「その手紙を読んでもらえれば解ると思うんだが、そのステラ様が今、ニーニャ近くの海に居る。俺は別のツテを持ってて、ステラ様がニーニャに来るっていう話を聞いてるんだ。それも、明日、朝早くには来る」
「明日!? そ、そんな急にっ――」
「そうそう。すごく急な話なんだよな。どうする?」
「どうするって……お、王族の方がいらっしゃるのに出迎えも何もしないでは……」
「そういう事だよな。だから、教えてやりに来たんだよ。何も知らなかったら当日、いきなりお姫様の艦隊がここにくるんだぜ? 確かに急は急だろうけど、知らないよりは知ってた方がいいはずだろ?」
「あ、ああ、なるほど、それで――」
無理矢理従わせたりはしない。
だが、自発的に歓迎しに行きたくなるように仕向ける。
そういった事は企んでいた。
それでも、船幽霊怖さに出迎えたがらないかもしれない、とは思ったが。
それならそれで、お姫様にも一緒に船幽霊を出迎えてもらえないか頼み込むつもりだった。
ただ、そこまでしなくても済みそうなので、ひとまずカオルもサララもほっと一息である。
「とにかく、艦隊は明日の朝には港に来るっていう話だからさ」
「わ、解りました。とにかく、町の皆にこの話を伝えなくては――ああ、もっと早く解っていれば!」
話は通ったも同然。
町長はすぐにでも走り出しそうだったので、「とりあえず今夜はもう失礼するぜ」と、二人おいとまする事にした。
後の事は、彼に任せきりで大丈夫なはず、と、若干の楽観も交えながら。
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
宿に戻るや、すぐに翌日について話し合いが始まる。
トーマスもベラドンナも、既に当日の目的はある程度把握してはいたが、大切な詰めは、やはり町長の反応次第で細部に変更がある為、これを待つ他なかったのだ。
「おかえりなさいませ、お二人とも」
「うむ……して、カオル殿、事の首尾は如何か?」
「もちろん、成功だぜ!」
「おぉ!」
「これで条件は整いましたね……後は、ステラ様がたが約束通りに来ていただければ……」
当初の予定通り、町長が住民らを動かす事が確定したので、カオル達は港に人々が集まる前提で動く事ができそうだった。
少なくとも、お姫様が港に居る限り、民はお姫様を歓迎するべく港に集う。
後は、船幽霊が現れた時に住民が逃げ出さないよう、その場で上手く立ち回らなくてはならないのだが。
「これに関しては、ステラ様の協力が不可欠なんだよな。俺が直接お願いしてみるから、それ次第でも変わると思ってくれ」
「うむ! まあ、姫様に関しては心配要らぬだろうがな。お優しく聡明な姫様の事、民が困っていると聞けば即断してくださることだろう」
後の不確定要素は、姫君の艦隊がちゃんと要望通りの時刻までに到着してくれるかどうかのみ。
短い期間ではあったが、今回に関しては大分、カオルに有利に働いた面が多かった。
これというのも、今までカオルが築いてきた縁の力である。
「とりあえずそんな訳だから、今夜はもう早いうちに休んだ方がいいだろうな。皆、急な事だったけど、明日が正念場って奴だ。頑張ろうな!」
「お任せください、カオル様」
「カオル殿、事ここに来れば後は度胸の勝負よ。折れぬよう、最後まで気を張ろうぞ!」
「ふふっ、皆さんやる気に満ちてますねえ。心強いです」
三人が三人とも、カオルの言葉に自信ありげに笑っていた。
これが、カオルにとってとても心強い。
(いい仲間を持ったなあ)
つくづく、そんな事を思いながら、カオルも同じように笑って返していた。
そうして、とうとうニーニャの運命を決める、その前日の夜が終わった。