#6.久しぶりに現れたおばさん
ぼんやりと眠りに落ちたカオルは、奇妙な感覚に陥っていた。
どこかこう、夢の中にいるような、それでいて現実の感触を感じるような、そんな不思議な世界。
ふわふわと落ち着かないのに、どこかそれが心地よいような、そんな矛盾した場所に、カオルは立っていた。
腰にはあの、例の棒切れが何故か剣の鞘のように収められ。
カオルの前には、あの女神様が立っていた。
「……あれ? 女神様、死んだはずじゃねーの?」
いきなりであんまりなセリフだなあ、とは自分でも思いながらも、カオルはそう聞かずにはいられなかった。
なんかすごく感動的な散り際だったように感じたのだが、それが全部台無しにされた感がありありとしていたのだ。
「いえ、死にましたよ?」
そして女神様はあっさりとしていた。
ばっちり死んでいたらしい。素直にもほどがある。
「カオル、元気に村で過ごせているようで何よりです」
だが、死のうと生きようと女神様は女神様であった。
マイペースに話を進めていく。都合の悪い事なんて触れようともしない。これが大人である。
カオルも、「大人って汚いなあ」とは思いながらも、深くは気にせず対話する。
「最初の日はびっくりだったけどなー。川に映ったのが自分の顔だって気づくのに五分くらい掛かっちゃったよ」
しみじみ思い出しながら呟く。
今のカオルの顔は、かつての少年だったカオルのそれとは似ても似つかないものとなっていた。
不細工というほどではないながらも美形とはいいがたい少年じみたかつての彼と違い、今のカオルはやや精悍な顔だちの青年のソレとなっていたのだ。
髪の色も、黒から茶髪になっていたし、身体そのものも若干筋肉がマシマシになっていたりと、全体的にボリュームアップしている感があった。
まあ、カオル的には残念なことに、超絶美形というほどではなかったのだが。
兵隊さんが顔面偏差値85くらいだとしたら、カオルは自分では70くらいの数値が妥当だと考えていた。
「クスクス……まあ、今は慣れているようで何よりですわ。適応できずに即日帰還とかされたらどうしようかと思っていました」
女神様は楽しそうだったが、どこまでがこの人の考えている事なのかが解らず、カオル的には若干複雑な心境であった。
そうして、一言ぼそりと呟くのだ。
「ていうか、帰る方法覚えてないしな」
これに関しては、最近になってなんとなしにカオルがそうなのだと気づいたことではあったのだが。
カオルは、様々な事を忘れてしまっていた。
例えば、女神様と初めて会った時の会話の内容。これは半分近く覚えていない。
だから、与えられた『特典』とやらもいくらかは解らなくなっているし、そもそも自分が何を目的としてこの世界に来たのかも、かなりの部分曖昧になっている気がしたのだ。
帰る方法もその一つで、女神様がなんで死んだのかとか、なんでカオルを頼ったのかとかも忘れ去ってしまっていた。
「きっと、魂をこちらに移した際に、若干間に合わずに記憶を司る部分の一部が私と一緒に消滅してしまったのですね」
女神様はさらっととんでもない事を言っていた。
特別苦しそうでもなく、本当に何気なく語っていたのだ。
(いや、悪気がなかったのは解るんだけど……俺の記憶道連れに死ぬのはやめてほしかったなあ)
ため息混じりに女神様を見るが、不思議そうに首を傾げていた。
ただ、それもこの女神様らしさという風にも感じられたので、カオルは追及こそしなかったが。
「帰る方法、教えましょうか?」
じ、と自分を見つめていたのを何かと勘違いしたのか、女神様はそんな事を聞いてくる。
だが、カオルは首を横に振り「いいや」と、それを断った。
「いいよ。なんか、女神様元気そうだし。知りたくなったらその時に教えてくれ」
そこには何の確証もなかったが。なんとなく、女神様にはまた会える気がしたのだ。
だから、今は知らずにいることにした。
知ったところで、帰りたくなった時に本当に帰ってしまうのは、それはとても悲しい事だと思っていたから。
カオルはもう、この世界を大分、気に入ってしまっていた。
村での暮らしが、楽しかったのだ。
色んな人との交流が。忙しない日々が。求められる事そのものが、嬉しくて楽しくて、幸せだったのだ。
(まあ、それだけじゃないんだけどな……)
不便ではある。だが、悪くない世界だと感じていた。
不便なら不便なりに過ごせるし、たまに嬉しいハプニングと遭遇する事もあるのだ。
何せ、村長の家以外はどこも風呂なんてないので、みんな水浴びで済ませる。
一応時間帯によって男女区別はしているが、うっかり村の女の子が水浴びしているところに鉢合わせても、ほとんど丸見えでも「やあねぇもう」と、笑って済ませてくれる。
そんなおおらかさが、この世界にはあるのだ。
カオル的に、これが村で暮らしていて一番嬉しいハプニングだった。
こんな事、向こうの世界ではあり得ないだろうから、というのはさすがに女神様には言えないのは、カオルにも解っていたが。
「それに、今の俺は、たまにでも肉を食えてるしな。味付けは……まあ、塩とか酒とか、かなりシンプルだけどさ」
頑張って照り焼きソースめいたものが作れるくらいだが、そういったお高いモノにはまだ手が出ないので、安い材料で代用できないかと試行錯誤しているのだ。
元々料理なんかは頑張って卵焼きがいいところだった子が、今ではそれなりに肉の切り方も心得、なんと鶏の捌き方まで会得するに至っている。
これも食への渇望と村での日々の成せる業である。
「そうですか……それなりにこの世界をエンジョイできているようですね。よかった」
女神様は満足げに「うんうん」と、まるで我が子の話を聞くがごとく、慈愛に満ちた笑顔で頷いていた。
「他に、何か知りたいことはありませんか?」
ひとしきり頷いた後、女神様は更にカオルに問う。
問われてから、カオルは「んんと」と考えを巡らせるも、特にこれと言って何も浮かばず……と、「特に何もない」と言おうとして、腰にやった手にこつん、と、棒切れが当たったのを感じて急に思い出した。
「この棒切れの使い方教わっていいか?」
まともな武器が手に入るならその方がいいに決まっているのだが、もしそうならなかった場合、最悪はこの棒切れが唯一の武器になるかもしれないのだ。
今のうちに、この棒切れをくれた本人に使い方を聞くのも悪くないと、そう思い直したのだった。
「ああ、『エクスカリバー』の使い方ですね?」
見事に名前負けしていた。そして微妙に嘘をついていた。
(やっぱこの人、微妙に嘘つきだよなあ……俺のかーちゃんみたいだ)
苦笑いしながら、手を横に振って一言。
「エクスカリバーの模倣品だよな?」
「覚えてるじゃないですか……」
女神様はどこか哀しそうだった。
忘れたままならエクスカリバーで通せると思っていたのかもしれない。
とにかく、カオルは「それで通すのは無理があるだろ」と、内心更なるツッコミを入れてしまっていた。
「そんで、その『棒切れカリバー』の使い方はどうすればいいの?」
こちらの方が似合っている気がしたので、カオルの中では今日からこの棒切れは『棒切れカリバー』である。
だが、そんならしい名前をつけた途端、女神様は悲しそうに小刻みに顔を横に振る。
「そんな、ダメですよ……折角授けた武器にそんな変な名前――」
女神様は変な名前というが、少なくとも見た目にはぴったり見合った名前であった。
なので、カオルは無視する。押し切る。
「使い方は?」
こまごまと何か言おうとしていた女神様であったが、カオルに押し切られ「はぅ」と、消沈してしまう。
ちょっと可哀想に感じたカオルであったが、「そもそも女神様が見栄っ張りなのが悪いだけなんだ」と割り切り、黙って説明を待った。
「――棒の先端を前にして、相手に突き刺せば効果が発動しますわ」
何かを諦めたらしく、説明を始める女神様。
「ほうほう」
言われた通りにグリップらしき部分を手に持ち、先端を自分の正面――女神様へと向けた。
「わわ、私に向けないで下さい……とにかく、それだけで水平面半径100mほどが空間ごと灰燼に――」
「物騒すぎだろ!?」
洒落にならないにもほどがある効果範囲であった。
「もうちょっと弱くしてくれよ。俺まで巻き込まれるだろ? 加減とかできないの?」
流石にそのままでは不便すぎるとばかりに女神様を見つめるカオルであったが、女神様はどこか不服そうであった。
「カオルなら大丈夫ですよ。殺そうとしても死なないですし、どんな傷を受けても回復する私の加護を授けていますから」
「加護、なあ……」
どうやら呪いだと言った過去はなかったことになったらしい。
やはり女神様は嘘つきだった。
「ていうかそれ、別に棒切れのダメージ無効化してくれるとかじゃないんだよな? 使ったらもれなく俺も痛いんだよな?」
「ええまあ、延々死にかけ回復しての繰り返しで、大体5分~2時間くらいのたうち回る事になると思いますけど」
「拷問じゃねぇか!?」
こんな武器誰が使うんだ、と、カオルは思わずその場に棒切れを投げつけそうになって、なんとか踏みとどまる。
何せ、空間そのものをどうこうするとかいうアホみたいな武器なのである。迂闊な事は出来なかった。
「うーん、そんなに不満なんですか? 仕方ないですねえ、裏技的な他の使い方も教えてあげましょう。これ、特別サービスですよ?」
ものすごいもったいつけながらウィンクする女神様。
だが、残念ながらカオルはおばさんのウィンクにときめくような熟女好きでもなければ、そんな間の抜けたことをのたまうおばさん女神にイラつかずにいられる大人でもなかった。
(最初からそっちの方教えてくれればいいのに……何が裏技だよもう)
いっそこの人に投げつけてやろうか、と、馬鹿げたことを考えながら、女神様の言葉を待つカオル。
「棒を相手に投げつけてヒットすれば、投げつけた際の力加減次第でダメージがある程度調節できたりします。思い切り投げて当たれば大体相手は瀕死か致命傷くらいになるんじゃないでしょうか」
「それ、別にそこら辺の棒切れでも同じことにならねぇ?」
裏技でもなんでもないんじゃ、と、カオルは訝し気に見つめるのだが。
「そんな事ないですよ? その棒だからこそ狙えるクリティカルヒットです。超強いですよ」
超強いらしかった。カオルの中の不信感がマックスになりつつあった。
「でも、半径100m焼き尽くすとか、そういうのじゃないのか?」
「あはは、まさか。そんなことないですよー」
やあねえもう、と、一昨日同じようなセリフを聞いたのを思い出しながら、目の前の残念な女神様にため息を漏らしてしまう。
同じセリフでも、言う人がこうまで違うと受ける印象はこうまで違うのだ。
「まあ、いいけどさあ」
確かに、直接突き刺すよりは離れてる分だけ安全だろう、と、カオルはもう、無理矢理納得する形で諦めることにしていた。
「カオル。今のままでいてくださいね」
武器の扱い方の説明について、いろいろ思うところのあったカオルではあったが。
そんなカオルはよそに、女神様はどこか優しく微笑みを湛えながらカオルを見つめ、そう呟いた。
まるで我が子を見るかのように。
(ああ、やっぱこの人、かーちゃんみたいだよなあ)
自分の母親とは全く違う顔立ちなのに、何故か感じる安心感。
母性という言葉をよく知らないカオルにも、どことなくそういった感覚を覚えさせるその顔に、カオルは毒づくことができなくなっていた。
神々しくはないし、足もないし、全然美人でもなければカリスマ性もない。
だけれど、そんなものがどうでもよくなる雰囲気の良さが、落ち着く空気が、カオルにとっては何よりも代えがたく感じていたのだ。
「今のまま――人を助け、人の為動き。そして、自分自身の身につけていくのです」
「……あぁ」
「自信を。自分で頑張っていれば、それはいつか必ず、自分の自信となって身に付くはずです」
「俺も、ちょっとだけ解ってきた気がする」
それは、女神様の、女神様らしい微笑みであった。
青年として暮らしていたカオルにとっての、数少ない少年らしく振舞える、そんな女神様のとの語らいに、カオルは、ちょっとだけ神妙になるのだ。
「まだ、しっかりと実感できてる訳じゃないんだ。でも、女神様の言ってる事が、ちょっとずつ信じられるような、そんな気がしてきた」
カオルは、笑っていた。
少年らしいハツラツとした顔で。
力強い青年の顔ではなく、かつての少年の表情のまま、その笑顔を女神様に見せていたのだ。
「ありがとう」
女神様は、満足そうに何度も頷いていた。
まるで、テストで満点を取った時の自身の母ように感じられて、カオルは、その仕草が好きになっていた。
「信じてもらえるって、とても嬉しい事なんです。信頼されるのはこそばゆいかも知れません。だけれど、すごく心が救われるものなのです」
「あぁ」
カオルも、力強く頷き、ニカリと白い歯を見せる。
虫歯一つない、健康な歯茎であった。
「俺、頑張るよ。この世界で英雄になるって決めたんだ。見ててくれ。きっと女神様の願いも叶えてみせる」
もう、女神様が何を願って異世界に送ったのかもうっすらとしか覚えていないカオルではあったが。
それでも、女神様を安心させてやれるという、そんな自信があった。
いいや、やってみせると、心に強く誓っていたのだ。
彼にはもう、そういう強さが備わっていた。
英雄は、人を助けるものなのだと兵隊さんは教えてくれた。
なら、この女神様だって救ってみせると。安心させてみせると、彼は自分に誓って親指を立て、子供のように笑った。
最後に彼が見た女神様は、死に際の辛そうな泣き笑いではなく、心底安堵したような――救われたような顔だった。
まだ救ってもいないのに気が早いな、と、カオルはつい、笑いそうになってしまっていた。
そんな、夏の近づいてきたころの夢であった。




