#1.異世界行きませんか!?
※この小説は以前投稿した『異世界人の英雄殿』を序盤のプロット部分として三人称視点で書きなおしたリメイク作品です。
この為、ストーリーやセリフなどに被る部分もございますのでご了承ください。
アスファルト地面のありきたりな通学路。
とぼとぼと歩くブレザーの少年が一人。
「あーあ、またやっちまったよ……」
彼の名はカオル。しがない学生さんである。
16歳にもなって、悪戯を怒られた子供のようにしょんぼりとしていた。
原因はといえば、彼の手の内に丸まっている紙切れにあった。
歩きながらに何度も見直していたが、またも、折りたたまれたそれを広げ直す。
「頑張って全部埋めたのになあ。国語や歴史なら割とこれでイケるのに」
ぶちぶちと愚痴るその視線の先には、バッテンばかりの答案用紙。
外国語の点数、ゼロ点。見事なまでに赤かった。
彼なりに頑張って全部埋めたのだが、この辺り外国語は報われないのだ。
カオルは常々「外国語教師には人情味ってもんが足りてないんじゃないのか?」と思っていた。
「また怒られるかなあ……」
別に、彼が0点を取ったのは今回に始まった事ではない。
定期的に行われる中小テストでは毎度のように酷い点数だし、特に苦手な言語関係は期末テストで0点も珍しくない。
当然、その都度親には怒られる。
怒っている最中の親の顔が想像に容易いだけ、カオルには辛いものがあった。
今日び、全然親に構われてない同世代の子なんかも珍しくないわけで、そういった人を見るたびに「俺はまだマシなんだろうけどなあ」と諦めをつけてはいたものの。
だからといって怒られていいという訳でもなく、帰るのが憂鬱だったのだ。
そんな憂鬱な気分のまま、細めの道に差し掛かる。
ここを過ぎればもう自宅は眼と鼻の先である。
(怒られるのはヤだけど……まあ、仕方ないよなあ)
ため息まじりに腹を括り、俯きながらに道を曲がって少し。
そんな時だった。
《ゴウン――》
不意に、後ろから重い振動音が道路に響く。
「なっ――」
カオルが振り向いた先には、道幅ギリギリのサイズのワンボックスカーが速度も落とさず走ってきていた。
彼に気付いて止まる様子などない。
一方通行などお構いなしの逆走、しかも、ドライバーの若い女はナビか何かを見ているのか、視線を下のほうに向けて笑っていた。
(ああ、これ、死んだわ――)
最初の一秒で逃げの判断が出来なかったカオルは、次の瞬間、諦めを選択していた。
逃げたところで間に合わない。無駄だと思ったのだ。
それから「意外とあっさりとした人生だったなあ」と、変な達観のようなモノが後についてきて、涙すら流す気が起きなかった。
実際問題、車はもう眼と鼻の先まで来ていた。
今更ブレーキがかかったところで助からないのは、流石に0点量産・追試常連のカオルでも理解できていた。
一歩二歩離れようとしたところでこの速度の車からは逃れられない。
終わった。終わってしまったのだ。さようならである。
(ああ、でも、ちょっとだけ未練だけど、一瞬で死ねるならこれでもいいか――)
最期を悟ってちょっと泣きが入ってきたが、それでも「痛みとかを感じる間も無く死ねるならまだ幸せだろう」という考えが、死への恐怖を幾分、和らげてくれていた。
彼は彼なりに知っていたのだ。
『世の中には、苦しみながら、辛い思いをしながら死ぬ人も沢山いるのだ』と。
そんな思いをするくらいなら、ぽっくり逝ってしまった方がずっといいに違いないと、カオルはそう受け入れることにした。
『――生きたくはないの?』
そんな、諦めの境地に至ろうとしていたところで、腹を括ってしまったカオルの頭に、奇妙な声が響いていた。
それが何なのか理解するより先に、カオルの前に、今度は物理的に奇妙な状況が起きていた。
「……あれ? 止まった?」
車が、カオルに激突する寸前で止まっていた。
もう触れる直前。「あんな状態で止まるはずは無い」と思っていたカオルだったが、奇跡的にブレーキが間に合ったのか。
(――まさか。でも、止まってる)
それなら自分が動けば間違いないな、と、身体を動かそうとするが――何故だか、身体は動かなかった。
指の一本も動かなかったのである。
どうして、と、疑問が浮かんだのと、変に眩い光が視界の端から溢れたのは、ほぼ同時だった。
『ねえ貴方。まだ死にたくないのではないですか?』
「うわっ――」
また声が響く。やがて、だんだんと光が強くなっていく。
動かない車に注意が向いていた所為か、強くなってきた光に目をやられ、一瞬、白やんでしまう。
眩しい。とても眩しい、はずだというのに。
カオルは、何故だか眼を閉じる事も逸らす事も出来ず。涙ぐみながら、その一点を見つめ続けていた。
『カオル。貴方に機会を選ぶチャンスをあげましょう』
そうして段々と収束していく光。
声の元。光の先に立っていたのは、長い茶髪、白い衣に身を包んだ、なんとも神秘的な――
「……あれ?」
――いや、あまり神秘的ではない、なんとも言えない顔立ちのおばさんが立っていた。
神々しさとかは特にない。
強いて言うなら左目が長めの前髪で隠れてるのだけがカオルには不思議だったが、わざわざ口に出すほどのものでもなかった。
そんなだったから、カオルもそんなにすごい人のようには思えず、気が抜けてしまう。
「おばさん、誰だ?」
「おばっ――」
折角のシリアスな登場だというのに、カオルのおばさん呼ばわりに固まってしまう。
(まだおばさん呼ばわりはダメな歳の人だったのかな? 悪い事したなあ)
「――こほん。私は女神様です。おばさんなんて呼ぶものじゃありません」
「女神様だったのか。それはすまなかったぜ」
カオルは内心「どこが女神様なんだ」とか「死神かと思ったぜ」とか考えてしまってもいたが、それは黙っていた。
だが同時に「この顔で女神様はないよなあ」と、どこか幻想が壊れていくのも感じてしまい、やるせない気分になる。
商店街のおばちゃんとでも名乗られた方がよほど自然であった。
「カオル。貴方は今、自分が置かれている状況が理解できていますか?」
話を切り替えたいらしい自称女神は、今一納得がいかない様子のカオルに問いかける。
「マジで事故死する一秒前」
「はい、大体合ってますね」
ぱちん、と、手を叩いてにこやかあに笑う。
これだけで、カオルの中では『うさんくさそうなおばさん』から『ちょっと上品そうなうさんくさいおばさん』に印象が変わっていた。
「今は時間を止めているだけです。元に戻せばもれなく貴方はこの車に轢かれて死にますわ」
そしてサラッと哀しい事実を説明してくれていた。
別に助かった訳でもないのだ。死ぬこと前提という酷い話である。
ただまあ、死ぬこと自体はカオルも割と受け入れられていたので、そんなには気にしないのだが。
「女神様は、俺を助ける為にきてくれたのか?」
それならいいなあ程度のつもりで聞いてみたりもする。
別にこの目の前のおばさんが女神かどうかなどカオル的にはどうでもいいのだが、流石に目の前で止まるはずの無い車が止まっていて、自分が動けないのを見せられては『ちょーじょーてきな何か』が起きたんだと信じるほかなかったのもある。
もしかしたら本当に女神様かもしれない。変に疑うメリットもなかった。
なので、カオルはこの女性を女神様なのだと信じることにした。
ただ「もしかしたら助けてくれるかも」なんて儚い期待は、次の瞬間には砕かれていたのだが。
何せこの女神様。とても残念そうな顔で「いいえ」と首を横に振っていたのだ。
(なんだよ違うのかよ。がっかりだよ……)
カオルの絶望もひとしきりであった。