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青川河川敷 遺体発見現場 1

 前田と平岩が応援要請のあった現場にたどり着くと、そこは既に大量のパトカーと警察官で溢れかえっていた。

 河川敷へと降りるには、一度坂を上がり、堤防を超えてから降りなければいけないのだが、坂の中腹あたりからパトカーがひしめきあって渋滞を起こしている。

 前田が助手席から目を凝らすと、坂の一番上に鑑識課の車両がちらりと見えて、それが坂の向こうへと消えていくのが見えた。

 コンコンと、助手席の窓がノックされた。叩いてきたのは前田と同じ青川警察署交通課の先輩警官だった。平岩が徐行していたパトカーを止めて窓を開く。

「すまないわね。二人とも。当直明けだっていうのに」

「いえ。ドザエモンがあがったとか」前田が尋ねる感じで言った。

「うん。それで早速だけど、平岩君、河川敷の人がいっぱいいる所に行ってくれる? そこで指示貰って。前田さんはあたしと一緒に規制線広げてくれないかな。もうブンヤ着ちゃってるから」

 前田が目を向けると、坂のすぐ下には、車の上に大きなアンテナを載せた中継車が見えた。車体の横には国営放送を表すアルファベットが書かれている。周りにカメラや器材を持った男がいて、早くも婦警と押し問答をしている。なるほど。奴らを近づけるべきではないなと、前田は察した。

「了解しました」

 パトカーから降りた前田は中に平岩を残して、河川敷下の混乱している道へ向かった。



「翼」パトカーを邪魔にならない位置に停めた平岩は、先輩警官の指示通り、人が固まっている所を探した。そして、見知った顔を見つけると声をかけた。

「ああ、平岩さん。お疲れ様です」

 同年代で派出所勤務の高橋翼巡査は遠くからでも目立つ。背が高くて線が細く、芸能人のように整った顔をしているので、自然と人目を引くのだ。笑顔から軽く覗いた歯がキラリと光ったように見えたのは、気のせいじゃないかもしれない。

「どうしてこんなに人集められてんの? おまえも管轄ちょっと外れてるよね」

 平岩が車を停めるため手こずっていた間にも、狭い河川敷に続々と車両が乗り入れられていた。重大な事件が起こると最初に駆けつける青川警察署の機動捜査隊員は当然のこと、刑事課や鑑識課、平岩たち交通課までは分かる。その後からも生活安全課や組織犯罪対策課の刑事までもが応援にやってきた。前のほうでスーツ姿の刑事と話をしている制服警官は、おそらく一番最初に現着した寺先交番の者だろう。

「見つかった水死体っていうのが、かなり厄介なんですよ。あそこの木の下あたりです。よく見てください」

 平岩は高橋が指さした方を見ると、数日続いた雨で増水した川の端に流木が引っかかっているのを見つけた。その木の先端で、白い足と尻がプカプカと浮かんでいた。上半身が流木の先端と絡まっており、今にも濁流に飲まれて流されてしまいそうだ。

「普段の川の水量は膝までだから、簡単に引き上げられますけどね。あの状態ですから。人数集めてロープ張って、急いで引き上げなきゃいけないんです」と、高橋は平岩に説明した。

 たしかにすぐ引き上げなきゃならない状態だと、平岩は思った。横着して流木ごと引っ張り上げたりすれば、その途中で遺体が木から外れてしまうかもしれない。そうなると濁流に乗って南の南港区までか、もしかしたらその先にある海まで一気に流されるかもしれない。

「あれ、マネキンってことにして、もう帰らないか?」

「それ、あっちの殺気立っている方々に提案したらどうですか?」高橋は機動隊員達を指差した。

「いや。聞かなかったことにしてくれ」

 いびられるのは前田巡査部長からだけで十分だ。

「今日はやたら尻に縁があるな」

「は? 尻?」

「いや。なんでもない。で、誰が川に入るんだ?」

 一月の増水した川に入るなんて、命にも関わるほど危険だ。俺だったら絶対に入りたくない。ただでさえ当直明けで疲れているというのにと、平岩は思った。

和田わださんが行くみたいですね。ほら、あそこ」

 高橋の指差す先に平岩は顔を向けた。そこには、救命胴衣を付けて体にロープを結んでいる、青川署一番の巨漢刑事、和田警部補の姿があった。

「ミングさんか。一番体重が重いし、あの人なら大丈夫そうだ」

 高橋が口を平岩の耳元に近づけ、小声で囁いてきた。

「あの、皆が和田さんのことをミングさんって呼んでるけど、何故ですか?」

「ああ、おまえ知らないもんな」平岩は得意げにほくそ笑んだ。「三年くらい前かな。柔道の大会で和田さんが優勝したことあってな。その時にあの人、興奮してゴリラのやるドラミングをやったんだよ。それ以来ミングさんって呼ばれるようになったんだ」

 平岩は録画されたVTRを見たが、かなり地味な判定勝ちだった。それでもミングさんは嬉しかったのだろう。雄たけびと共にドコドコドコと胸を叩き、すごい音が試合会場に鳴り響いた。

「へえ。でも本人は悪い気はしていないみたいですね」

「ああ。あの人ほんと人格者だからな」

 明るくて強く優しい。平岩の和田警部補に対する素直な人物評価だった。本来なら暴力団と向き合う組織犯罪対策課にいるべき武力の持ち主だが、普段の喋る雰囲気から人の良さが滲み出しているので、捜査対象からよく見下されてしまう。そのため、刑事部のマスコット的な立ち位置がずっと続いていた。

「よし。全員ロープ持て!」

 号令と共に、鑑識課以外の応援部隊全員が、ロープを手に取り濁流に浸かりながら川べりに立った。平岩と高橋も太ももから下を濡らしながら声をかけ合う。先頭の和田が溺死体のひっかかっている流木が流されてしまわないよう、上流から回り込むように川へ入っていくと、いきなり足を滑らせて頭を川に突っ込んだ。一瞬ロープが張り周囲も緊張したが、和田はすぐに立ち上がって体勢を立て直した。のっそりとアフリカ象のような足取りで濁流の中を歩き、無事に遺体へ近づくと腕を掴んだ。服が脱げてしまわないよう慎重に抱え上がると、危なげなく川岸まで戻ってきた。

 和田が岸まで辿りついた瞬間、全員が割れんばかりの拍手をした。



「ワゴンの中にタオルがあります! 体を冷やさないように! 着替えの必要な方は下着も用意してあります!」

 応援の女性警官が叫ぶ中、高橋と平岩は並んでブルーシートを持ち、遺体を囲んでいた。マスコミや一般人から遺体を見えなくするための処置だ。

「どうしたんですか? 平岩さん」下を向いて顔色の悪い平岩を見て、高橋は声をかけた。

「いや、俺、死体とかそういうの好きじゃないんだよ」

「まあ、好きな人は滅多にいないと思いますが」死体が好きな警察官のほうが、いたら逆に問題だと高橋は思った。

「俺、昔から霊感あってさ。死体とか、人が殺された場所とか、死んだ人間が直前まで身に着けていた服や乗り物とか、見たり触ったりしただけで憑かれちゃうんだよね。こう、体に電流が走ったかのようにビリビリッときてさ。動けなくなっちゃうんだよ」

「それは……」どうして警察官になったんです? と尋ねかけて、高橋は止めた。

 しかし、平岩は高橋の疑問を察したようだ。

「いや、こういった周りに人がたくさんいる時は、それが来ないんだけどね。人が少ないとまずいんだ。まあ今は平気かな。ちょっと気分が悪くなる程度で。事故処理とかも問題無いよ」そう言うと平岩は苦しげに笑顔を作った。

 高橋も愛想笑いを平岩に向けて「無理しないでくださいね」と声をかけておいた。

 そのまま立っていると、ブルーシートの奥にいる鑑識課の刑事達の話し声が聞こえてきた。高橋と平岩はなんとなく聞き耳をたてた。

「服はほとんど流されちまったな」

「三十から四十か。五十はいってないな」

「溺死かな。死後半日から二日ってとこか?」

「お、仏さんカツラだ」

「パンツまで脱げてんのに、カツラは取れなかったのか」

「最近のは吸着力すごいな」

「なんだよ。まるで昔のカツラは取れやすかったって知ってるかのようだな」

 カカカと中から下品な笑い声が聞こえてくる。

「ぶぅえっくし!」少し離れた位置に停めてあるワゴンの中から盛大なくしゃみが響いた。

「うるせぇぞミング!」

「今のはカツラに反応したな」

「嘘だろ。あいつの頭髪、タワシより硬いぞ」

 カメラのシャッター音と雑談の中に笑い声が混ざりながら、現場検証は続いている。

「なんか緊張感無いな」平岩が高橋に顔を向けてつぶやく。

「調べられること少なそうですしね」ブルーシートの中をちらりと覗いた高橋が、平岩に同意する。

 引き上げた遺体は細身の成人男性。年齢は三十歳から四十歳前後。所見では溺死に見える。上流から流されてきたらしく、身に着けていた衣服は上のシャツと靴下以外は全て流されたと推測される。まさか、この寒い季節に半裸に近い恰好で出歩いて川に落ちたりはしないだろう。一昨年には、河川敷でいじめられた高校生が、下着一枚で川に飛び込みをさせられて水死したという事件もあるが、今は年始の寒い季節だし、遺体は中年男性だ。可能性は低いはず。

「事件にしても事故にしても、現場ここじゃないだろうしな」

「ええ。もしかしたらS県から流れてきたのかも」

 この遺体が川の向こう岸に流れ着いていたならば、事件の管轄はT県になっていた。県境の事件はややこしくこじれることがよくある。

 平岩と高橋の足元に警察犬が来た。泥で濡れた足をクンクンと嗅いでいる。

「ああ、すみませんね」と訓練士が二人に謝罪して、リードを引っ張ると犬と共に離れていった。

 やがて、すぐ横に鑑識課のワゴン車がつけられた。運転席の窓が開く。

「君たち、ブルーシートをワゴン車に固定したら、代えの靴下あるから取り替えな。濡れてるだろ?」

「ありがとうございます」平岩と高橋の声が重なる。

「終わったら帰っていいから」

「はい」平岩と高橋は顔を見合わせて安堵した。足が冷え切った上に靴の中が泥だらけで気持ち悪かったが、ようやく解放される。

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