孤独な貘
この世界には貘という生き物がいます。人の夢を食べる架空の生き物として有名ですが、実際の彼らは人以外の夢も食べます。当然、それぞれに味の好みもあり、成熟した大人の夢を好む者もいれば若い個体の瑞々しい夢を好んで食べる者もいます。最近の研究では雌の夢ばかりを好む雄の貘も確認され、注目を集めましたね。
そんな彼らも睡眠を取り夢を見る訳ですが、貘の夢を食べる貘は存在するのでしょうか?
答えは、「いる」です。
現在、世界中で一体しか確認されていませんが、その個体は多くの生き物の夢を食べ彼らの平均寿命よりもはるかに長生きしながら、遂には自分自身の夢を食べて今なお生き続けているのです。
これから語る話は、世にも珍しい完全な自給自足生活を送っている生き物の観察日記であり、生き物の生存とは何かという問いに対する私の研究からの一つの解答なのです。
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私が彼を発見したとき、すでに彼は自分の夢を食べながら生きていました。通常、小さいながらも群れを作って生きる貘ですが、彼はたった一体で住処にいました。
彼は眠っていました。
私が観察を始めてからなんと丸一週間、眠り続けていたのです。
貘も生き物ですので食事や排泄が必要です。彼らの食事が他の生き物の夢であり、その排泄物として大地や海などに夢を見せる行為だということは今や定説となっていますね。
私が彼を調査した初期段階で分かったことは、彼は一匹の動物として夢を見て、自身も自然の一部と認識して夢を与えていたということです。まるで、大地から栄養を得てやがては大地に帰る植物のように、それよりもはるかに短いサイクルで世界と自分をつないでいたのです。
彼はいったいどんな夢を見ていたのでしょうか?
彼はいったいどんな味が好みなのでしょうか?
これはなかなか解答の難しい問いなのですが、乱暴に言ってしまえば彼の好みは「未知の味」でした。
夢とは、記憶の再生であるとか個体の想像する景色の投影であるとか多くの学説が唱えられていますが、それについては未だに確かな解答はありません。
しかし、彼の見る夢は実にバラエティに富んだものでした。それは彼の永い生涯、つまり豊富な食生活による賜物なのでしょう。それこそ、世界中すべての生き物が見る夢を網羅していたと言っても過言ではないでしょう。
そして彼は貪欲にも、より良い味を求めて自分なりに考えたのでしょう。
もっと刺激的に、もっと官能的に、もっと爽やかに、もっと甘く。
もっと「美味しい」夢を見たい、と考えたのでしょう。
そして彼は夢を食べているのです。まだ誰も見たことのない、世界中で彼しか生み出せない夢を。
それでも私が観察を始めた頃は、彼も時たま覚醒して他者の夢を食べていました。まだ味わったことがない夢があると考えたのでしょう。しかし、それすらも次第に行わなくなりました。
彼の覚醒の頻度は日毎に短くなっていきました。もはや、世界に自分の舌を満足させる夢は無いと考えました。
そして彼は夢を見続けています。現在10年の間自分の夢だけで生き続け、まだなお目覚める様子はありません。たった一人で暗い穴倉の中、誰とも交わらずに生きる彼は、しかしその生活に満足していました。
子孫を残すわけでもなく、他者の記憶に残るわけでもなく、ただ己だけで完結する世界で彼はひたすらに自分だけが満足するものを見続けているのです。
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これまで彼の生態について語りましたが、さて、ここで最初のテーマに戻ります。生き物の生存とは何か?
私の解答は、生き物の生存とは他者とつながることである、です。
彼を観察した結果として、私は彼を「生き物」として認めないという結論を出しました。あらゆる生命が何かしら与える世界への影響を、彼は何一つ為していないのです。
何者にも影響を与えない彼は、いずれ誰からも認識されなくなるでしょう。それは、とても怖いことでした。
永い永い時間をかけて、彼はとうとうその考えに至りました。
そして、彼は「私」になりました。
こうして孤独な貘の生態を世界に発信することで、彼は、私は誰かとつながりを求めることにしたのです。
どうかお願いです。この手記を読んだ誰か。ここに孤独な貘がいることを知ってください。記憶にとどめてください。
私を一人にしないでください。
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(『第1079回 世界動物学会』における一般投稿論文より一部抜粋)
(この論文に学術的価値は皆無だが、その後、多くの研究者が自身の論文をこぞって発表する事態が発生したという)
終わり
最後までお読みいただき、ありがとうございます。この物語は100%フィクションです。実在の人物、団体、作者自身とは一切関係ありません。