疫病の村
柔らかな日差しが差し、少し開けた窓から暖かな風が入り込んでカーテンを揺らした。
朝が、来たのだ。
朝食にはカリカリに焼いたベーコンの上に半熟の目玉焼きをふたつ乗せて。サラダには旬のレタスをたっぷりと。配色を意識して真っ赤に熟れたトマトも少々。
それから新鮮なミルク。甘い物が大好きな子供たちの為に角砂糖をミルクの入ったボトルの横に並べる。
「エディス、出来たよ!」
配膳を手伝っていた少女は、満足げに頷きながらエディスの袖を引いた。木製のテーブルに並べられた人数分の皿やグラスは、少し乱雑に置かれてはいるが、やり直す程でもない。
エディスは少女の頭を優しく撫でた。
「ありがとう、マリー。ついでに皆を起こしてきてくれるか?」
マリー、と呼ばれた少女は「はぁい」と返事をしながら子供たちが眠る部屋へと駆けて行った。元気すぎる彼女の起こし方は少しばかり不安だが、彼女のストッパー役はもう目を覚ましている頃だろう。後は彼に任せて、エディスは膳に目にやった。
膳には暖かい卵粥と、体に良い薬草を配合した茶を乗せている。それを手に取って廊下を進み、奥の部屋の扉で止まった。
「じじ様、起きてますか」
数回ノックした後、そう声を掛ければしばらくして「入りなさい」と小さな声が返ってきた。
「朝ごはん、食べられますか」
老人はベッドから起き上がっており、エディスを見て微笑んだ。
「ああ、食べようか。今日は調子が良い」
痩せてこそいるが、顔色は良い。言葉通り今日は元気そうだ。
膳を老人に手渡して、エディスは近くにあったパイプ椅子を引き寄せて座った。基本的にエディスは老人が食べ終えるまではいつもこの部屋にいる。
「今日ですね、都から人が来るの」
「人が…?」
はて、と言うように首を傾げる老人に、エディスも不思議そうな顔をした。
「じじ様が言ったんじゃないですか、疫病の事を都に知らせたら人を寄越してくれるって」
「……ああ!」
ぱっと老人の顔が明るくなり、そうだったそうだったと何度も頷く老人を見て、エディスはほっと胸を撫で下ろした。これで完全に忘れてしまったら困るのだ。
「しっかりして下さいよ」
「すまんな、どうも年らしい」
さて、この村で流行っている疫病とは実に不思議な物だった。
と言うのも、その疫病は成人ばかりが掛かっている。その疫病に掛かってしまうと一人で歩くのは困難になり、高温が続く。今のところ死者は出ていないが、なんとかしようにも原因が分からない。
村のほとんどの大人たちが倒れてしまい、村長であるじじ様、いや、バングルはついに都へと緊急要請を寄越したのだった。
「早く何とかしないと、お前も成人になってしまうからなぁ」
「そうですね、じじ様たちにも早く元気になって欲しいですし」
エディスは困ったように笑った。
彼らには早く動けるようになって貰わないと。心配なのもそうなのだが、大人たちが普段やっていた仕事がとうとうエディスたちだけでは手が回らなくなってきたのだ。
このままでは今年の収穫量は大変な事になるかもしれない。
それでもエディスはバングルに何も言えずにいた。心配事を増やして欲しくないからだ。
「エディス、もう下がりなさい。
お前もまだ朝食を食べていないだろう」
エディスが少し考え込んでいる間にバングルは卵粥を半分ほど食べきっていた。そして茶を全て飲み干すと、膳をエディスの方へ向けた。
「わしはもうよい。頭がぼんやりしてきたからな、少し眠るとしよう」
「あっ、分かりました」
膳を受け取り、立ち上がったエディスを見てバングルは申し訳なさそうに眉を寄せる。それから何か言いたそうにしていたが、やがて出てきた言葉はたった一言。
「子供たちの事は、任せたぞ」
「はい、任せて下さい」
自身の胸を押さえて、はっきりと答えるエディスにバングルは安心したようにベッドへ横になる。
エディスは部屋を出た後、深い溜め息を吐いた。話しすぎて体調が崩れてしまったのかもしれない。
明日からはあまり長居は出来ないな、と残念に思いながら自分も朝食を食べようと歩き出すと、向こうの方からマリーが走り寄ってきた。
「エディス!エディスエディスエディス!」
「え、な、どうした?」
アタックするようにエディスに飛びついてきたマリーを片手で何とか受け止めながら、理由を聞いてみようとしてみるが、マリーはエディス、エディス、と名を繰り返すばかりだった。
「こら、マリー!」
マリーの後ろからやってきたのはジャックだ。普段大人しいジャックでさえ走ってエディスの元へ寄った。
「エディス、来たよ!」
息をきらせてジャックがエディスに叫んだ。これも彼にしては珍しい。
「来た?」
「都の人が!」
顔を上げたマリーの顔はキラキラと輝いていて、表情から速く行こうと急かしてくる。
ああ、やっと!
ようやくバングルたちを疫病から救う事が出来るのだ!
エディスは歓喜の声を上げた。
「あ、あの!」
全速力で走って村の唯一の出入口に到着したエディスは、一人静かに佇んでいる青年を見つけた。青年はエディスの言葉に下を見ていたぱっと顔を上げ、彼の顔をまじまじと見つめた。
「都の方……ですよね?お待たせしてすみません。どうぞ中へ」
息を整えながら謝罪すると、青年は「ああ」と短く返事をした。
とりあえず自分たちの家に案内して、それから話を聞いてもらおう。エディスがそう決めてから、青年を横目で盗み見た。
青年はこの貧相な村では絶対に見かける事が出来ないであろう、高価そうな、黒で統一された服を着ていた。
黒、と言ってもシンプルなそれではなく所々に装飾が施されているなど、センスの良い作り。また、動きやすいように配慮されているのか、青年の動きは軽い。それから、なんと言っても裾の方の翼の模様がその存在感を主張していた。
「(ウィングス、か)」
ウィングス。7年前から可笑しくなった街を正常に戻す為に日々翻弄する団体、とエディスは聞いていた。しかし、外の暮らしには疎いこの村の住民では何も分からなかったのだが。
しかしそこまで考えて、エディスははたと気がついた。青年が先程から一言も話していないのだ。
「(まさか、知らない間に無礼を働いたとか?それで機嫌が悪くなってたり………。それとも、やっぱり待たせ過ぎたとか?)」
悪い方へ悪い方へと考えていくエディスの顔が真っ青になる。ここは何とか挽回しなければ。
「あ、あの、ここまで遠かったでしょう?疲れましたよね?今日はもう休みますか?」
「えっ、いやまだ朝じゃけん」
「え?」
「あ、いや、まだ朝だから、遠慮する」
不意に聞き慣れない言葉を聞き返せば、青年は慌てたように首を振った。
言い間違えたのだろうか、いまだ首を傾げるエディスに青年は気にするな、と声を掛けた。
良かった、良い人そうだ。
緊張感から解放され、安堵しているとつい先程飛び出したばかりの家が見えてきた。家の前ではマリーたちがそわそわとエディスたちの帰りを待っているようだ。
「あ、すみません、家に子供たちがいて……静かにさせますから」
「ああ、大丈夫、だ」
途切れ途切れに言葉を繋げる青年に、多少不安を覚えながらもエディスは青年を家の中に通した。
「で、早速なんですけど。俺の名前はエディス。村長のバングル・ハワードの養子です」
「俺はライナス。ライナス・ブラウン。まあ、よろしく」
コーヒーを差し出せば軽く頭を下げられる。やっぱり良い人だ。
「それで、文には疫病が流行ってるって聞いて来たん…だが。成人ばかりがかかってるってのは本当か?」
「はい、村の医者が言うには体には何の異常も無いらしくて…不思議で。原因も分からないし、皆は全然よくならないし…」
ふむ、と考え込む様子のライナスを見て、やはり難しいのかとエディスは不安に駆られた。彼が最後の望みなのだ。
「確か…近くは森に囲まれてるんだよな」
ライナスがコーヒーに角砂糖をみっつ入れ、スプーンでくるくるとかき混ぜながらそう問い掛けた。エディスもその問いかけを固定する。
「魔物が入って来ないように、簡単な結界は張ってありますよ」
「結界?そんな物はなかったぞ」
えっ、とライナスの顔を見れば、彼もコーヒーから目を離し、エディスの目を見つめた。
「仕事柄、そういうのよく見るんだけどな。ここでは何の結界も張ってない割に魔物の気配が無いからずっとおかしいと思ってたんだ」
「え、でも」
結界は年に一度、都から専門の物を呼んで毎年行っている。そう簡単に破れるものでもないはずだ。
それをライナスに伝えると、彼は少し考え込んだ後、静かに口を開いた。
「考えられるのは、その業者がヤブじゃ……ないのか、そうでないのか。もしくは、結界を破れるほど強い奴が近くに潜んでいるか、だ」
ごくり、とエディスは唾を飲み込んだ。もし後者ならそれは恐ろしい。いつ襲われるか分からないからだ。
「もしかしたら、今回の事と関係あるのかもな。エディス」
「はい!」
「森の中、案内してくれるか」