Ⅰ.暗闇の中の獣
クレア島・第三南都市
ここは、クレア島最南部に位置する都。特出した自慢や特徴などは無く、そこに住む人間はその日を過ごす為だけに生きている。そのせいで都市全体の活気も無くなっていき、人口は年々と減り続ける一方だ。かつては都市としての名に相応しい地だったのだが、今では生気の感じられぬ場所へと姿を変えていた。
第三南都市郊外・とある酒場
郊外にある村の一つであるジョルジュ。ここも、変わらぬ毎日を過ごすためだけに生きる人々の集まる村だ。
「なぁ、それってホントか?」
村1番の不良少年であるこの少年は疑った様子で煙草を灰皿にねじりながら男達を見る。この酒場は年齢を聞かれたり追い出されたりすることがないので、少年は暇なときはよく顔を出していた。
「あ?まぁ噂話だよ、ひっ」
「ぎゃはは!!こいつの言うことあんまあてになんねーぞ!」
「マスター!酒がなくなった!同じの一つくれんか」
またかよ、おっさん達はいつも酒を飲むとすぐ俺をからかう。そんな話ばっかりして俺の反応を見て楽しんでやがる。酒飲んでなくてもこの調子だけど。
しかし、少年はこの男達の話を聞くのを密かに楽しんでいた。男達の話は信じられないものばかりで、「この世界には人間の言葉を話す狼がいる」とか「妖精を操る種族がある」とか、この村で育った彼にとってそれが本当か嘘かも分からない。
チリンチリン
音とともに店のドアが開いた。酒を作っていたマスターがとっさに客に声をかける。
「らっしゃい!、今日はなんにしようか?」
しかし、男は手を突き出した。
「いや、今日は客じゃあないんだ。捜しものでね。ここじゃあないかと思ってな。」
と、そう言って周囲を見回す。視界には見知った男達が3人カウンターに座っているだけだ。男達はチラリとこちらを見たが、手を挙げて挨拶しただけであった。再びむこうを向いてゲラゲラ笑っている。
「ふう、ここでもなかったか。すまん、酒の邪魔をしてしまったな」
と背を向け、ドアへ向かって歩きだした。
「そうかい、また今度うちに飲みに来てくれよな!」
マスターの言葉に男は振り返り、
「あいよ。それはそうと、・・いつまで隠れてんだ?」
ドアノブに手をかけ、男は言った。隠れていた少年はチッと舌打ちして、諦めたように椅子の陰から出てきた。
「なんでばれたんだ?もう少し、おっさん達の話聞きたかったのによ」
「あっ!?いやがった!こんの馬鹿息子が!!」
と少年に向かってドスドスと歩きながら腕まくりをする。顔は鬼のように赤くなっている。
「ちくしょう!カマかけやがったなクソオヤジ!この!離しやがれ!」
「今日は大事な日だから家にいろって言っとっただろーが!!」
男は振りかぶった腕を少年の顔面めがけて振り下ろした。
「店内での争いごとは控えて下さいな・・、迷惑ごとは遠慮願いますよ」
マスターは、また始まったといった顔で冷静に2人を注意した。
「あ、あぁ。すまんすまん。つい、な。ほら!帰るぞ!」
男はまくった腕を下ろしながら言った。
「ちっ、はいはい。帰るっての。ちょ、自分で歩くから離せって!」
少年は言いながら親父の手を振りほどいたが、
「はい。は一回だろうが!このバカもんが!」
と、結局顔面に重い一撃をくらってしまった。
「いっってーな!悪かったからやめ・・て下さい」
父親は少年の謝罪を無視して少年を引っ張りながら外に出た。外には馬車を待たせているようだ。
「マスター、馬鹿息子が迷惑かけたな。また今度飲みに来るよ。そん時はサービス頼むな!」
男はそう言い残し一方的に扉を閉めた。
チリンチリン
マスターは大きなため息をついた後、先程作っていた酒のことを思い出し作業を再開するのであった。
第三南都市・リブーン山道
都市の北側にそびえ立つ山脈・リブーン。この山の頂上は第二南都市との境目にあたる。クレア島には合わせて4つの南都市があるが、政治的な動きをしているのは、主南都市と第二南都市だけだ。もちろん第三南都市には統率者と呼べる者はいない。
パカッパカッ
馬の足音が山道に鳴り響く。すでに太陽は落ち、辺りは暗くなっていた。
「はあ」
馬車の前の方に座って歩く馬の尻尾を弄りながら少年は溜め息をついた。それを見て男が口を開く。
「まったく、酒飲んでばっかで現実と向き合わない。あいつらには会うなと何度言ったらわかるんだ。そもそも、今日は家にいろと言っとっー」
「分かったよ。悪かったって。煙草買いに山の麓に降りたら、おっさん達に会って飯食いに行こうって誘われたんだ。たまたまなんだよ」
少年は親父の言葉を遮って弁解しようとしたが、理由になっていなかった。
「ふむう」
叱ることにさえ疲れたのか、男は何も言わず馬を急がせた。
リブーン山・洋館
リブーン山の麓と頂上の中間地点には立派な洋館がある。建物自体は相当前に造られたものだが、とてもそうは見えないくらい美しい。男はここに息子と2人で暮らしていた。
洋館の玄関前で男は馬車から降り、馬小屋へ馬を連れていき、餌箱に餌を入れてから戻ってきた。少年は馬車の上で空を見ながら一服していたが、親父が戻ってきたのを見て煙草を馬車の車輪にねじる。
「すこしは手伝わんか、馬鹿たれが」
「今日は星が見えねーな。・・で?大事なことって何だ?」
「玄関のドアを開ければわかる。だいぶ待たせちまったからな、退屈していただろう。もう寝ちまったかもしれんが」
・・何が?退屈している?人がいるのか?ペットでも飼ったのか?
少年はドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開けた。ところが、ドアの付近には何者もおらず、首を傾げて中に入った。中は明かりも灯されておらず、あまりにも静かだった。
「ーーーっ!?」
なんだこの匂いは?頭が痛くなる。何がこんな匂いを発している。
奥の方を見ると、影で何かが動いている。何か大きな布を被っているのか、それが獣か人間かも分からない。少年は玄関にあるランプに火を灯し、そいつを照らした。
「っ!?」
確かにそいつは黒っぽい布を被っていたが、明らかに人間ではない。布からはちらっと大きな毛の塊が見えた。少年はそれが尻尾であると気付き、歩みを止めた。
その黒い塊はこちらの存在に気付いていないのか、あっちこっちを歩き回っている。歩くたびに鎖が床を擦る音が聞こえる。鎖の先は首へと繋がっているのだろう。
するとそのとき。鎖が床の剥がれた板に引っかかり黒い塊は音をたてて倒れた。
「だ、大丈夫か?」
少年は思わず声に出してしまった。その声に塊はビクッとしたが、すぐに身体を起こし少年に近づいてきた。そして少年の前に立つと、匂いを嗅ぐように顔をそーっと近づけ布を取った。
少年は信じられない光景を目にすることになる。
・・なんだ?この生き物は。
そして、その生き物は口を開いた。
「あなた様が・・リヴァル様でいらっしゃいますか?」