彼とわたしとこの世界で
「今日からわたしがあなたの親で姉弟で恋人だから」
それはわたしが彼についた最初の嘘。いや、嘘とは言えないか。ほんとうになるように努力してきたんだし。
ここはわたしと彼の二人きりだけのパラダイス。
最初に出会ったのは彼が二歳の時だった。
一人ぼっちで外にいた彼を放っておけず、勢いこんでこの部屋に連れ込んだ。
クリッとしたおめめにモチッとした肌。ポヨーンとした表情でムニュッと指しゃぶり。よちよち歩いてパタッと転んでウエーンと泣いた。
ズキュゥゥゥーン! ってわたしのハートが撃ち抜かれちゃった。親が近くにいたかもしんないけど、彼しか目に入らなかった。可愛いから仕方ないよね。
まあ、そんなこんなでそれから十四年。ずっとこの部屋に彼を閉じ込め続けている。ついた嘘の数は覚えていない。
わたしが働いて彼の世話をする。彼はずっとこの部屋にいさえすればいい。それがわたしの幸せだし、彼もまた幸せだろう。
そう思っていた。
「ねえ?」
「うん?」
「この部屋の外はどうなっているの?」
またか。最近持ってきたビデオの影響か、彼に外の世界への興味がわいてしまったようだ。前はそんなこと言わなかったのに。じょーそーきょーいくのためとか、彼の退屈しのぎになるかと思ったが考え込むようになってしまった。
「何言ってんのよ。この部屋の外に世界なんか無いわ。余計なことを考えずにわたしに世話されてりゃいーの」
わたしはいつも通りに答える。嘘が半分、真実も半分。
陽の光を浴びていない彼の肌は真っ白で、運動不足のせいか線が細っそりとしている。外の世界だと軟弱と言われるような身体つき。見てるだけで心配でたまらない。彼を外に出したくないという思いがいっそう募る。て言うか、出したら死んじゃう。主にわたしのピュアなハートが、だけど。
「でも、姉さんは部屋の外に出ているよね? このビデオだって外から持ち込んだものだ。それから食事だって……」
ああ、もう。いつからこんな理屈っぽい子になったのかしら。拾った当初はあーんなにわたしの言うことを信じてくれたのに。呼び方だって『お姉さん』じゃなくて『おねぇいちゅわん』だったのに。
これもあれね。全部ビデオがいけないの。ほら二十世紀の誰かが言ってたじゃない。『映像は体臭を愚かにする』とかなんとか。そう、彼がこんなことを言いだしたのも、映像を見ると体から漂う臭いが変化して鼻がおかしくなって、その影響で変な脳内麻薬が分泌されて……って、アレなんか違う?
まあいいわ。とにかくビデオがいけないの。中身を確認しなかったわたしに責任はないの。絶対。
「だーかーらー、それはわたしの世界であって、あなたの世界じゃないの。前に言ったでしょ」
「でも僕と姉さんはこの部屋で世界を共有している」
「たまたま、この部屋で重なり合ってるの。素敵なことよね。わたしとあなたのための神様の粋な計らいよ」
「その神様ってやつも外の世界にいるんだよね?」
なんだか理屈っぽい子になったわね。これが思春期ってやつかしら。
まあ仕方ない。いつも通りにごまかそう。
「そんなに、わたしと別れたいの?」
泣きそうな顔を作る。あいにく涙は流せないけど。
彼はグッと言葉に詰まる。素直な反応だ。
「ここから出たらあなたとわたしは一緒にいられない。だって別々の世界になってしまうもの。そうしたらあなた一人で生きていける?」
うなだれる彼。
ホントに正直な子。どんなに疑問を感じても、決してこの部屋を出ていこうとはしない。わたしの教育がよろしかったおかげよね。
「ごめん。もう言わないよ」
よっしとにっこり笑って彼の頭を撫でようとした。幼いころからそうしてきたように。
でも届かない。いつの間にかわたしよりも背が伸びている。成長したなあ。
彼をしゃがませてようやく撫でた。よしよし。
「あーそだ、いつものお願いできる?」
そのまま、彼に向かって股を開く。ちょっと照れる。
彼がちっちゃい頃は自分でやっていたけど、物心がついた彼に頼むようになって久しい。なんせ自分じゃ穴がよく見えないのよね。
彼がわたしの股間に指を差し入れて位置を確認する。慣れたことゆえ淡々としたものだ。
そうして充電プラグを引っ張り出すと壁に置いてある充電器と接続した。
わたしの体内にエネルギーが満ちていく。こんなものを股間につけたのは設計者の趣味かしら。
最近、充電回数が頻繁になってきた。
食料と水の備蓄はともかく、わたし自身の燃料は尽きかけている。メンテナンスが滞っているためか記憶回路の故障もある。そろそろ彼に真実を教えなくちゃいけないのかしら。
わたしは嘘つきなメイドロボット。
あの大戦争が始まった時、近くにいた彼を助けるだけが精一杯だった。
この地下シェルターでたった一人生き残った彼を守り育てることがわたしの使命。
外の世界の荒廃ぶりは回線を通じて断片的に伝わってくる。
彼を外に出さない。出たいと思わせてはいけない。
絶望させたくはないから。