第七話
そうして、テアはそのまま家にいることになった。
最初の数日は、ライナにとってひたすら落ち着かない時間だった。
食事のたび、テアは出されたものを不思議そうに眺めてから、一口食べて、ぱっと目を見開く。それから夢中になって食べ始める。その様子があまりにも素直で、マリアは毎回楽しそうに笑った。
「この子、見てて気持ちいいくらい食べるわねえ」
髪も、マリアに整えてもらうまでは好き放題に流れていた。けれど、櫛を通されるのも嫌がらず、ただおとなしく座っている。その姿が妙に人形めいていて、近所のおばさんには「まあ、お人形みたいに可愛い」と目を丸くされた。
テアは家の仕事にもじっと興味を示した。洗濯物が揺れるのを見上げたり、台所で煮込みの鍋をのぞき込んだり、パン生地が膨らむのを不思議そうに見つめたり。
そして気づけば、ライナの後ろをついて回っている。
ずっとべったりというわけではない。だが、いつの間にか少し後ろにいて、何かあればそっと袖や服の端を掴んでいるのだ。
「……なんでそんな自然にいるんだよ」
思わず呟くと、テアはきょとんとしてライナを見るだけだった。
町へ出れば、なおさらだった。
銀髪の綺麗な少女はそれだけで目立つし、しかも無垢なまなざしで静かにそこにいるものだから、町の人たちは驚くより先に好意を向けた。
「テアちゃん、おつかい?」
「こんにちは、テアちゃん」
「まあまあ、ほんとに可愛い子ねえ」
そうして気づけば、自然と「テアちゃん」と呼ばれるようになっていた。
ライナだけが、その馴染み方に戸惑っていた。
「なんでこんなすぐ馴染んでるんだ……」
ぼそりとこぼすと、マリアは可笑しそうに笑う。
「可愛いんだもの。そりゃ好かれるわよ」
それを言われると、なんだか反論しにくかった。
そしてライナ自身も、最初ほど身構えなくなっていることに気づき始めていた。戸惑いはまだある。わからないことだらけだ。けれど、テアがそこにいることが、少しずつ日常になりつつあった。
◇
数日後、買い物に出た時だった。
マリアに付き合わされる形で、ライナとテアも一緒に市場へ来ていた。行き交う人の声、並んだ品物、呼び込みの声。賑やかな市場の空気の中で、テアは相変わらず静かだったが、その目だけはいろいろなものを映していた。
ふと、露店の端に置かれた古びた鞄や小物の山の前で、テアが足を止める。
その視線の先にあったのは、ライナが学院で使っていた革の手帳入れに似た品だった。持ち主が手放したのか、型落ちなのか、どこか学院の備品めいた匂いのするものだった。
テアは何も言わず、それをじっと見つめている。
その様子に気づいて、マリアがふっと声を漏らした。
「ああ、それ……学院で使うものに似てるわね」
そこで初めて、テアが小さく首をかしげる。
「……がくいん?」
マリアが何気なく頷く。
「そう。ライナも通っているのよ」
テアはライナを見る。
「どんなところ?」
ライナは少し黙ってから、短く答えた。
「別に。人がいっぱいいて、授業して、それだけ」
できるだけ短く。そこで話を終わらせるように。
だがマリアはそんなライナを横目で見て、やわらかく言った。
「そうかしら」
ライナは眉をひそめる。
「なにが」
「話してる顔は、そんなふうには見えないけど」
その言葉に、ライナは返事を失った。
自分では、うまく隠したつもりだった。学院の話なんて、できれば避けたかったし、思い出したくもなかった。なのに、今の自分はそんなにわかりやすい顔をしていたのだろうか。
テアは黙ってライナを見ている。
その視線が、不思議と痛かった。
ライナはそれ以上何も言わず、足早に歩き出した。マリアは何も追わず、ただ少しだけ目を細めてその背を見ていた。
◇
帰り道は、行きより少しだけ静かだった。
買い物袋を提げたマリアが少し先を歩き、ライナとテアがその後ろを並んで歩く。風が吹くたび、夕方の光が道の上を揺れていく。
ライナはずっと黙っていた。
学院。たったそれだけの言葉なのに、胸の奥に沈めていたものが少しずつ浮かび上がってくる。
戻りたくないと思っていた。あんな場所、もう終わったのだと。向いていなかったのだと。そう思い込もうとしていた。
なのに、ほんの少し話しただけで、胸のどこかがざわついた。
まだ、切り離せていない。
まだ、どこかに引っかかっている。
前を歩くマリアの背と、隣を歩くテアの気配を感じながら、ライナはきつく唇を結んだ。
俺は、もう戻るつもりなんて――
そこまで考えて、止まる。
言い切れない自分がいた。
夕暮れの道の中で、ライナは視線を落としたまま、小さく息を吐く。
「俺は……」




