取り戻した幸せ
お姉さんを拾ってから半月が経った。
初めのうちは身寄りが見つかるまで腰掛け程度の滞在だと思っていたけれど、もうすっかり我が家に馴染んでしまっている。
「お嬢、井戸から水を汲んできてくれ」
「ほいほーい。……パパさん、眠そうだねぇ。大丈夫?」
「あー、昨日は遅くまで革をなめしていたからな。顔を洗ったらスッキリするだろうから心配しないでくれ」
「お嬢ちゃん、上の棚にあるカゴを取ってくれないかしら。脚立が壊れちゃってて、私の背じゃ届かないの」
「はいはーい、まかせてママさん」
『お嬢』というのは便宜上の呼び名だ。
名前が思い出せないうちに他の名前を付けると、本当の名前を思い出す妨げになるかもしれないから、らしい。
私も『お姉さん』とか呼んでるけど、本当はどんな名前なんだろうか。
それに対して、お姉さんはママさんパパさんと親しみを込めて呼んでいる。
ただ、あくまで居候だという自覚からか、頼まれごとはもちろん自発的に仕事をしようと頑張ってる姿がよく目に映る。
……ポンコツ過ぎて自分から何かしようとすると大抵上手くいかないみたいだけど。
「ところで、ママさんちょっと太った?」
「う゛っ……!?」
「太ったんじゃなくて、病気でやつれてたのが治っていってるのよ。まだこれでも元通りじゃないのよ?」
「へー、じゃあ元気になったらもっと太るんだねー」
「あ゛っ……!」
「ちょっとお姉さん黙って。お母さんがダメージ受けすぎて白目剥いてるから」
病気が治ってから、これまで食べられなかった分を取り戻すように食欲が増していて、痩せこけていた顔も少しふくよかになってきた。
元々太ってたわけじゃないけど、女心からか体型がふくよかになるのに抵抗があるみたいね……。
今でもまだ痩せすぎなくらいなんだから、気にする必要ないのに。
「……ポエルが狩ってくる動物のお肉が美味しいから、つい……」
「そうだよねー! 昨日食べたイノシシのお肉もすっごくおいしくてもうホント最高だったよねー! ママさんなんか三皿くらいペロリと食べてたし!」
「おぉぉぁぁああ゛っっ……!!」
「追撃は止めなさい! お母さん崩れ落ちちゃったじゃないの!」
「はははっ、アンナが毎日よく食べるようになってくれて嬉しいよ」
本当にね。お母さんが太るのを嘆くところなんてもう見られないかもしれないと思ってたのに。
本人はやたら落ち込んでるみたいだけど、お母さんが元気にいっぱい食べてくれるだけで嬉しいわ。
「ママさんやポエルちゃんのお料理がおいしいからいっぱいおかわりしちゃうのも分かるけどねー。私もお料理うまくなりたいなー」
「料理ならいつでも教えてあげるから、少しずつ覚えていきましょうね。ポエルだって最初はよく失敗していたけど、何度も繰り返し練習したから上手になったのよ?」
「へーえ、ママさんも?」
「いえ、私は『料理』の加護を持ってたから失敗とかはあんまり……なんだかごめんなさいね……」
「『かご』かぁ。なにが得意なのか分かるって、便利そうだよねぇ。私、なにをやってもてんでダメダメだしさぁ、ははっ……」
陽気さがわずかに陰り、乾いた笑いを漏らして珍しく少し落ち込んでいるようだ。
いつもヘラヘラ笑ってばかりで悩みなんてなさそうなのに、内心ではやっぱり苦悩することもあるのかしらね。
「あ、でも、村の子たちとかくれんぼした時に、隠れるのがうまいってほめられたっけ」
「かくれんぼって、そのなりで? どこに隠れてもすごく目立ちそうなのに……ちょっと待って。村の子たちとって、いつの話よそれ」
「昨日のお昼過ぎに、家の周りからこっちをチラチラ覗いてたから、まわりこんで『わっ』ておどかしてやったらものすごくビックリしてね。そこから『やったなー! 今度はこっちの番だー!』とかいっておどかし合いになって、気が付いたら一緒に遊ぶ流れになってた」
「情報量が多いうえに意味が分からないわ……」
「あら、他の家の子供たちとも仲良くなったのね。楽しかった?」
「うん、すっごく楽しかった!」
満面の笑みで無邪気に答えるお姉さん。
その表情はまるで小さな子供が母親に笑いかけているかのようで、さっきまでの悩ましげな表情はどこへやら。
……やっぱこの人、ただ能天気なだけの大きな子供だ。色々と大きな子供だ。
「歳を考えなさいよ。アンタいったいいくつ?」
「んー、やっぱ分かんない。ところでポエルちゃんは他の子たちと遊ばないの?」
「……もうかくれんぼを楽しむ歳でもないわよ。せっかく『剛力』があるんだから、生活を楽にするために働かなきゃ」
「ポエル、お前が頑張ってくれていつも助かってるが、経済的に困ってるわけでもないんだから遊びたいのならいつでも遊んできてもいいんだぞ」
「私の病気ならもう大丈夫だから、我慢しなくていいのよ。……いつも気を使わせてしまって、ごめんなさいね」
「待って、違う違う。お母さんが気に病むことなんか全然ないってば」
……話がおかしな方向へ向かい始めてしまった。
お父さんもお母さんも気まずそうにそう言ってくれるけど、そんな深刻な話じゃない。
そもそも、私が働き始めたのはお母さんが病気で倒れる前の話でしょうが。
「今は将来安定して生活するために仕事を覚えなきゃいけない時期だから、ある程度余裕ができるまでは仕事に専念したいだけだってば」
「そういうのはもう少し大人になってからでも遅くないのよ? あなたまだ10歳でしょうに」
「来月には11になるでしょ」
「そうだったな。……アンナも元気になって、こうして皆で誕生日を迎えられるのは嬉しいものだな」
「ええ、ホントにね。ポエル、誕生日のプレゼントは何がいい?」
「……お母さんが元気になったから、もうそれがプレゼントでいいわよ」
「あらあら、遠慮しなくてもいいのよ」
「私もなんかプレゼントする! 外のお池から捕まえてきたこのカエルちゃんとかどう!?」
「いらないわよ! あとソレ今すぐ帰してきなさい!」
別に遠慮しているわけじゃない。
お母さんを助けてほしいという私の望みはもう叶ったんだから。
これ以上の望みなんかない。
家族と一緒にこの平和な日常を過ごすことができれば、もう何もいらない。カエルもいらない。マジで。
そう願っていた。
それだけで、よかったのに。
お読みいただきありがとうございます。
ようやく動き始めます。