加護と紋様
ドがつくほど田舎なこの村には似つかわしくないほど立派で、清潔感のある純白の建物が見えてきた。
大きな十字架がシンボルの、教会の支部だ。
「あれがきょーかい? なんだかまっしろだねー」
「シスターが普段から念入りに掃除してるからよ。敬虔で真面目な人で、いつも『神様に恥ずかしくないように』って言いながら奉仕活動してるのをよく見かけるわ」
「しすたー? ほーしかつどーっていうと、しすたーっていうのはお花?」
「……はぁ……」
胞子じゃないっての。花の胞子とかは覚えてるくせになんで奉仕の概念を忘れてるのよ。
記憶喪失だから変なことを言ってしまうのは仕方がないけれど、なんだか元々の知識に偏りがあるせいじゃないかと感じるのは気のせいかしら……。
教会の礼拝堂へ入ると、ステンドグラス越しの日光に照らされた十字架の前で、修道服に身を包んだ女性が静かにお祈りを捧げているのが見えた。
『シスター・アリス』。この村の教会を管理している唯一の教会員の女性だ。
「……」
こちらに気付いていないくらいに熱心に祈っている。
今は邪魔しないほうがよさそうね。
いつになるか分からないけれど、お祈りが済むまでしばらく待っておこう……。
「こんにちはー! かんてーしてもらいに来たんですけどー、あなたがシスターさんですかー!?」
「んぃっ!?」
「ちょっ……!」
無神経にもお姉さんが大声で声をかけると、妙な悲鳴を上げながらシスターが背筋を伸ばした。
……お姉さん、少しは空気読んであげて。無茶苦茶ビックリしてるじゃないの。
驚いた顔で振り向き、恥ずかし気に顔を赤らめながらこちらへ歩み寄ってきた。
「い、いらっしゃいませ。……元気のよろしいお方ですね」
「うん! ありがとう!」
「……なんか、ごめんなさいシスター」
「い、いえ、大丈夫ですよ。ポエルさんもこんにちは」
そんな空気の読めないお姉さんにも優しく接するシスターを見ていると、なんだかこっちが申し訳なくなってくるわ……。
あとアンタはもう少し声の音量下げて。頼むから。
「アンナさんの具合もすっかりよくなったそうですね。本当に良かった」
「ええ、おかげさまで。シスターに分けてもらった薬には何度も助けられたわ。お母さんが元気になったのはシスターのおかげよ、ありがとう」
「あのお薬は解熱くらいしか効果がないはずなのですが……きっとアンナさんが元気になろうと頑張ったからですよ」
お母さんの症状が酷い時には、村の医者だけでなくシスターからも薬を分けてもらっていた。
高熱で苦しんでいる時にはシスターが分けてくれた薬のおかげで助かった。
……でも、確かにあの薬に病気を根治する作用があったとは思えない。ホントに何がきっかけで治ったのかしら……?
「シスターも真面目よね。毎日こうやって長いお祈りを欠かさずしてるなんて……あら? シスター、手が赤いけどどうしたの?」
「ああ、すみません……恥ずかしながら薬草の加工作業中にうっかり素手で雷草に触れてしまいまして、かぶれてしまいました」
「あらら。雷草のかぶれは治るまで時間がかかるから厄介なのに」
「反省しています……うぅ、痛くてかゆいです……」
シスターもそんな凡ミスすることあるのね。
雷草の毒は洗ってもしばらく残るから当分の間は地獄でしょうね。解毒魔法も効きづらいし。
「ところで、そちらのお方が近頃村でお話に上がっている、例の……?」
「ええ、記憶喪失のお姉さんよ。自分の名前すら覚えていないっていうから、加護から何か手掛かりがつかめないかって思って」
「加護の鑑定ですね? 畏まりました。それでは、手をこちらへ」
「はーい! ……?」
シスターの指示に従い手を差し出すと、怪訝そうな顔をして首を傾げている。
シスターの手元を見ているみたいだけど……あ、そういえばどうやって鑑定するのか教えてなかったわね。
「あの、シスターさん? なんで手に針を持ってるの?」
「鑑定に必要な道具ですので」
「それと、なんで私の指に針を向けてるの……!?」
「加護の鑑定には対象の血を一滴ほど鑑定紙に垂らす必要があります。ちょっとチクッとしますけど我慢して―――」
「に゛ゃぁあああっ!!? やだぁあああ!!!」
「え? あ、あの、ちょっと……!?」
お姉さんの指先に針を刺そうとするシスターの手を振り払い、絶叫しながら走り出した。
今更逃げようとするな! 大人しくしなさい!
「子供じゃあるまいし針の一刺しくらいでギャーギャー喚いてんじゃないわよ! 待ちなさい!」
「絶っっ対やだ!! もう帰るぅ!! ……フギャアッ!?」
そのまま外へ向かって走り去ろうとしたところで、盛大にこけた。
また床と顔面キッスしてるわこの人。針で刺されるよりずっと痛そうなんだけど。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あ痛ったぁぁあ……!! ……うわ、また鼻から血が出ちゃってるし……!」
「あ、丁度いいわ。シスター、ちょっと汚いかもしれないけど、今のうちにその鼻血で鑑定済ませちゃってちょうだい」
「はい? あ、は、はい……あの、その人は大丈夫なんでしょうか……?」
「これくらいどうってことないわ、むしろいい薬よ」
「そ、そうですか……」
「あぅあぅあぅ、いだいよぅ……!」
ドジってコケたことに困惑しつつも、涙目で悶えているお姉さんの血を拭って鑑定紙に垂らした。
大人しく針で済ませていればここまで痛い目見ずに済んだでしょうに、まったく……。
「主よ、その恵みを見る眼を盲いた蒙昧なる我らに、何卒御告げを賜る許しを……」
血を垂らした鑑定紙を手に持ちながら、シスターが何かを呟いている。
教会関係者にしか使えない秘術で、あのよく分からない祝詞を唱えながら鑑定紙にまじないを施すと、どんな加護を持っているのか分かるようになるんだとか。
「赤き命の証を硯と成し、此処に恵みを示す一筆を……っ!?」
仕上げの祝詞を唱え終わり、鑑定紙に結果が浮かび上がったところで、シスターが目を見開いた。
これまでどの人がどんな加護を授かったとしても、優しい表情で祝福の言葉を捧げてきたシスターが、言葉を失って鑑定の結果に釘付けになっている。
「し、シスター? どうかしたの……?」
「私の『かご』はなんだったの? ……あいたた、鼻が痛いぃ……!」
鼻にチリ紙を突っ込んで止血し終わったお姉さんと一緒にシスターへ問いかけたけど、固まったまま動かない。
声をかけても反応がないから、鑑定紙を覗き込んでみることにした。
「え、なに、これ……?」
本来、鑑定紙には血がインクのように広がっていって、加護の名称とそれに応じた図形が描かれるようになっている。
例えば私の『剛力』の加護なら力こぶを作った腕のような形が、『俊足』なら足の裏のような絵が浮かび上がる。
お姉さんは多分『投擲』だと予想していて、その場合はスリングショットのような絵が浮かび上がるはずだった。
でもお姉さんの血を垂らした鑑定紙は、紙全体が滅茶苦茶に塗り潰されていた。
ただ血を垂らしただけじゃこうはならない。規則的にも不規則にも見える奇妙な広がり方だ。
まるでいくつもの絵が重なって、一枚の紙に無理やり描かれているように見える。
極めつけは、鑑定紙の下側に小さく真っ黒な紋様が浮かび上がっていることだ。
明らかに加護を示すものではなく、なんというか禍々しい印象を抱くような、それでいてどこか荘厳さを感じさせる左右対称な紋様が描かれていた。
「えーと……ポエルちゃん、これってどんな『かご』なの?」
「私にも分からないわ……シスター、どういうことなのかしら?」
「……どうやら、複数の加護を授かっているようです」
「複数……? 一つだけじゃなくて、いくつも加護を持っているということ?」
「はい……」
「えぇ……? そんなことある……?」
加護は一人につき一つが原則のはずなのに。
後天的に二つ目の加護を授かることもあるけれど、厳しい修練や条件を満たさないと新たな加護を得ることはできない。
ちなみにうちの村にも加護を二つ持っているお爺さんがいたりするけど、その人は退役軍人で数えきれないほど多くの戦場で血を流してきた歴戦の猛者だった。
生来授かっていた加護は『剣豪』の加護で、剣の扱いが上手くなりやすいうえに剣による攻撃の威力が増す効果がある。
それに加えて『敵対する相手から千を超える切創を受ける』という条件を満たしたことで、切り傷を受けにくくなる『防刃』の加護を得ているらしい。
そんなふうに二つ目の加護を得るということは、長い期間なんらかの事柄に専念しなくちゃ受けられないような偉業のはずだ。
……まあ、そのお爺さんは引退してから一気にボケが進行してしまったみたいで、今では歴戦の猛者の面影はほとんどなくなっているけれど。
「加護を示す図形が重なりすぎて判別できないほど、多くの加護を授かっているようです。いったい、どれほどの修練を積めばこのような……」
「嘘でしょ……この人、もしかしたら記憶を失う前は修行僧かなんかだったのかしら……?」
「しゅぎょーそー?」
「ありえない話ではないかもしれません。先ほど鑑定の際に手を預けて頂きましたが、かなり引き締まっていましたから」
「でも、なんというか……正直言ってこの人が真面目に修練してるところなんて想像できないわ」
「しゅーれん? なにそれおいしいの?」
……うん、ないな。絶対にない。
加護の内容も気になるところだけれど、それよりも……。
「ところで、この黒い模様はなんなのかしら? これも加護の一種なの?」
「わ、分かりません。このような例は、見たことが……」
「んー……」
「? どうしたの?」
鑑定紙に描かれている黒い模様を眺めながら、お姉さんが首を傾げながら唸っている。
「うーん……この模様、どっかで見たような気がするんだよねー」
「見覚えがあるの? どこで見たか、思い出せる?」
「えーと、えーと……忘れちゃった。ゴメンねアハハ」
「ああもう……!」
思わせぶりなこと言っておいて結局それなのね。まったく、この人は……!
調べれば調べるほど訳の分からないことばかりで、余計に謎が深まってしまった。
手掛かりを掴むどころか、ますます混乱してきたわね……。
「あるいは……まさか、いや、でも……」
「? シスター?」
「……あ、いえ。お気になさらず」
お姉さんの顔を眺めながら悩むような顔で何かを呟いていたけれど、声をかけるとすぐにいつもの穏やかな表情に戻った。
鑑定してみてこんなワケの分からない結果が出たら困惑して当然よね。
「ここまで加護が重なっているとなると、全てを識別するのは無理でしょう。しかし、時間をかければある程度は見分けられるかもしれません。この黒い模様についても可能な限り調べてみます」
「……他に手がかりもないし、大変かもしれないけれどお願いするわ」
「さすがに今日や明日中にというわけにはいかないでしょうが、分かり次第お伝えさせて頂きますね」
「ありがとう、シスター。手間を取らせるわね」
「ありがとー!」
「いえいえ、微力ながらお役に立てるように努めさせていただきます」
現状じゃ謎が深まるばかりだけど、今は焦らずシスターからの連絡を待つことにしよう。
複数の加護を持っている人間なんてそうそういるもんじゃないでしょうし、案外すぐに身元も判明するかもしれないわね。
無駄足にならなくてよかったわ。
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今日、ポエルさんと一緒にいらっしゃったお嬢さんの特徴を、今一度整理してみますが……。
正直、どう受け止めるべきなのか計りかねています。
生来持つものに加え後天的に新たな加護を授かるには、厳しい修行を数年……場合によっては数十年以上は続ける必要があります。
あれほどの数の加護を得るには、彼女は若すぎる。
しかし事実、判別できないまでに重なった複数の加護の図形が鑑定紙に描かれている。
そして、その下には正体不明の黒い刻印が。
一応、短期間で複数の加護を得る方法が存在しないわけではありません。
ただしそれは、普通の人間にはできないというだけで。
では、誰ならできるのかというと、とある『特別な存在』にのみそれが許されているらしいのです。
ポエルさんの連れてきたお嬢さんがそうではないかと思いそうにもなりましたが、おそらくそれはないでしょう。
なにしろ、その存在は世界にただ一人しかいないはずだからです。
それに、仮に彼女がその特別な存在……『オクリビト』だったとしても、加護を複数授かるには条件があるはず。
その条件を満たすことは現状ではありえない。
まだ『悪魔』も『魔族』も復活していないはずですから。
しかし、そうなるとあのお嬢さんはいったい……?
……考えていても、結論は出てきません。
今は加護の内容を精査することから始めましょうか。