お姉さんと少女は帰りたい
あたり一面、雪景色。
心なしか、空が近い気がする。
気のせいじゃない。どうやらここはどこかの雪山の山中らしい。
「え、な、なによこれ、どういうこと……!? ってか、さ、さむっ!?」
「ポ、ポエルちゃん、ここ、どこ……?」
「わ、分からないわ……シスターは、さっきまで話してた教会の人たちは、どこへ行ったの……?」
……あまりの異常事態に、混乱するのを通り越してかえって冷静になってきたわ。
とりあえず、何をするにしてもまずは状況の整理をしないと。
景色が変わる直前、黒猫がお姉さんに飛びかかってきて、それを庇おうとして、気が付いたらこの有様。
うん、意味不明。
でも、あの黒猫は転移魔法が使える。
私の攻撃から魔族を転移魔法で回避させたところも実際に見た。
私たち二人を、転移魔法でどこか遠くへ移動させたのだとしたら、この状況にも説明がつく。
あンの黒猫ぉ……! やってくれたわねぇ!
「くっそ、寒いわね……早く寒さをしのげるところへ行かないと、凍え死んじゃうわ……」
「ポ、ポエルちゃん、大丈夫……?」
「アンタは自分の心配をしてなさい」
それにしても、本当に寒い。ここはどのあたりなのかしら?
少なくとも村の近くじゃなさそうね。どこか遠くの寒冷地にまで飛ばされちゃったのかな。
シスターやバドルとかいう教会の偉い人たちはどうしたのかしら。
あの人たちは無事なのか、私たちと同じように飛ばされたのか。
……分からない。今は確かめるすべもない。
こんなどこかも分からないところまで飛ばされて、お父さんとお母さん、心配するだろうな。
早く帰らないと、怒られちゃうわ。
寒い、本当に寒い。
お母さんの作ったシチューが食べたい。
お父さんと一緒に暖炉で温まりながらお茶を飲んでゆっくりしたい。
なんで、私、こんなところにいるんだろう……。
奥歯がガチガチと音を立てている。
寒さのせいか、歯の根が合わない。
胸の奥が重い。
体中の震えが止まらない。
「はっ……ハッ……ハァッ……!」
息が乱れてきた。大して動いてなんかいないはずなのに、嫌な汗が額から滴り落ちてくる。
風邪、じゃない。だるくもないし熱もない。
なのに、酷く寒気がする。
こわい。
いやだ、いやだいやだ。
かえりたい、かえりたい。
「う、うぅっ……!」
気が付いたら、膝を落として縮こまってしまっていた。
目から涙が出てきた。
ああ、そうか。私、怖くて怖くて泣いちゃってるんだ。
……情けない。
そんな状況じゃないのに、そんなことやってる場合じゃないのに。
誰か
だれか
おねがい
たすけて
モニュリ と、顔を柔らかく温かいものが覆ったのが分かった。
「ぶふぅっ……!?」
もはや慣れてしまった、いつもの感触。
……またお姉さんが抱き着いてきたらしい。
ただ、いつもの締め上げるようなハグじゃなくて、包み込むように優しく抱き寄せてくれている。
それだけで、芯まで冷え切るような寒さが和らいでいくのが分かった。
「だいじょーぶっ!」
頭の上から、誰かの声が聞こえる。
底抜けに、馬鹿みたいに明るく、優しい声。
「おねえ、さん……?」
「寒かったらこうやってあっためてあげる! 痛くて泣いちゃったなら、よしよししてあげるから!」
頭を撫でる手が、酷く優しく感じられた。
……あったかくて、いい匂いがする。
「だから、がんばろ? 大丈夫、二人でいれば大丈夫だから、ね?」
顔を上げると、小さな子供のようなどこか幼さを感じさせる笑顔で、こちらを見つめていた。
今がどれだけ危険な状況かなんて、まるで分かっていないような顔だ。
状況はなに一つ変わっていない。
けれど、そのバカみたいに明るい笑顔を見ていたら悲観しているのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。
……よし、立ち上がれる。
大丈夫、私はまだ大丈夫だ。
「……はぁ~~~……」
「? どうかしたの?」
「別に。アンタに心配されるような自分が情けなくなっただけよ」
「ひどくない!? 泣いちゃってるから元気出してもらおうと思ったのにー!」
「泣いてないわ、あくびが出ただけよ」
「泣いてたもん!」
「泣いてない! 喚いてないでさっさと歩くわよ! ほら、あそこに煙が上がってるでしょ。民家があるかもしれないわ、グズグズしてると置いてくわよ!」
「え、ちょ、ちょっと待ってよー!」
そうだ、泣いてる場合じゃない。
泣き言言ってる暇があったら、前に進まなきゃいけない。
でないとこの人まで、お姉さんまで危険な目に遭わせてしまう。
「ポエルちゃん、ママさんとパパさん心配してるかな」
「そうでしょうね。あんまり遅くなるとまた説教されちゃうかもしれないわ」
「あぅあぅあぅ……!! もうおせっきょーはやだぁ! 早く帰りたいよぅ!」
「……そうね。早く帰らないと」
遺憾だけど、この人は命の恩人だ。
なら、私も恩を返さないといけない。
せめてこの人を安全な場所まで連れて行くまでは、弱音なんか吐いていられない!
お母さん、お父さん、シスター、村の皆、しばらく留守にするけど、許して。
すぐに戻るから、それまで頑張るから、待っててちょうだい!
ああ、帰りたいなぁ。
雪山にあった山賊のアジトを壊滅させて、金目のものを根こそぎもらっていった。
どうにか路銀の足しになるくらいの金品は確保できたわね。
あとは人里さえ見つけることができれば、木賃宿に素泊まりするくらいはできるはずだ。
「遅いわよ、早くしなさい」
「ま、待ってってば! 雪に足がとられて ぐほぇっ!?」
少し急な坂道をノロノロと下るお姉さんに発破をかけたら、足を滑らせてコケた。
まったく、こんなペースで歩いてたら民家に辿り着く前に凍え死んじゃうわ。
でも、急な坂だから慎重にジグザグと進まないといけないのも分かるし、どうしたもんかしら。
「ああもう、なにやって……ちょっと待ちなさいマジでなにしてるのアンタ」
「ひえぇぇぇええ!!?」
お姉さんがコケた拍子に、坂道が崩れた。
どうやらこの道は雪が厚く積み重なってできていたみたいで、お姉さんが転んだ衝撃でそれが一気に崩れてしまったみたいだ。
っていうか雪崩が起きた。
地震でも起きたのかってくらいの振動とともに、崩れた雪が私とお姉さんを飲み込んでいく。
「びゃぁぁぁぁああああ?!!」
「いやぁぁああああああ!!?」
雪崩に巻き込まれて、山の下のほうまで流されていく。
やばいやばい死ぬ死ぬ死ぬ!! 生き埋めになって死んじゃう!!
お姉さんアンタマジでふざけんな! 後で覚えてなさい!!
「あぅあぅあぅ……」
「……今のでなんで生きてるのか不思議だわ……」
しばらく流されてから死に物狂いで雪をかき分けて、どうにか這い出ることができた。
ちなみにお姉さんは途中で巻き込まれた倒木にしがみついていたようで、奇跡的に埋まらずに済んでいた。
結果として、予想より大分速いペースで山を下ることができたのは不幸中の幸いだったけれど。
……随分とスリリングなショートカットだったわね。
~~~~~
「今のは、転移魔法か……! あの猫がよもやそんな希少な魔法を使えるとは、予想できませんでした……」
「ポ、ポエルさんは……お嬢さんは!?」
「どこかへ飛ばされてしまったようですね。……魔力の探知ができないあたり、転送先は近くないようだ。最悪、行き先は他の大陸かもしれませんね」
「そ、そんな……!」
黒猫のような魔物がお嬢さんとポエルさんに飛びかかったかと思ったら、青白く眩い光とともに消えてしまいました。
あの光には見覚えがあります。長距離を瞬時に移動することができる、転移魔法の『ロング・ワープ』です。
教会本部からここへ配属された時と同じ光が、ポエルさんたちを……!
「……ひとまず、今すべきことをしておきましょうか。リングル、カイゲン、お嬢さん方が魔物に攫われたことを村長に伝え、村人全員へ通知させてください。あのお嬢さんの家族にも伝達をしたうえで、軽率な行動は控えるように警告を」
「了解」
「アナン、シェーシャ、近くに魔物が潜んでいないか広範囲を探知。発見次第排除せよ」
「畏まりました」
「ラング、セブン、アイン、メルク、村全体に対魔の結界を。村の防衛のために滞在し、結界は三日ごとに張り直しなさい」
「はい」
呆然としている私の横で、バドル枢機卿が部下の方々に指示を出していた。
驚くほどスムーズに現状における最適解を出して動いているのが見ているだけで分かる。
「あの……」
「まったくあの魔物、やってくれましたね。これではこの村を守るために人員を割かざるを得ない」
「え……?」
「どこに飛ばされたのかは分かりませんが、いずれオクリビトとお嬢さんはこの村に戻ってこようとするでしょう。その前に村が魔族に滅ぼされていたらどう動くか予測できない」
困ったような笑みを浮かべながら、枢機卿が言葉を続ける。
「故に、こんな片田舎の村であろうとも防衛する必要がある。ただそれだけの話です」
「あの、いったい……?」
「シスター・アリス。あなたの故郷と同じようなことにはならないように手を尽くす、と言っているのですよ」
「っ……!!」
「あれは、いたましい悲劇でした。私とてあのようなことを繰り返したくはない」
「なにを、今更……!」
私が幼かったころ、生まれた町でとある伝染病が流行った。
非常に感染力と致死率の高い病で、特効薬もない。
強力な治癒魔法ならば治療できたかもしれないけれど、誰も使い手がいなかった。
私が無事だったのは、たまたま母と一緒に他の町へ行っていたから。
故郷に伝染病が流行っているのを知った時、母は治療法を探して駆けずり回っていた。
様々な手段を模索して、教会ならばどうにかできるんじゃないかと助けを求めに行った。
教会が管理している『浄血』の加護を持った人ならば、故郷を救えるのではないかと。
しかし、故郷は見捨てられました。
理由は単純。お金がなかったから。
助けを求めた時に故郷とは全く遠方にいる貴族の、少なくとも命にかかわるようなものではない軽い病気を治す用事が重なっていた。
浄血による治療には教会へのお布施が必要で、貧しい私の故郷ではその貴族より優先してもらえるだけの十分な金額を用意できなかった。
結果として、私と母以外の人たちは、皆亡くなってしまいました。
もしもあの時、充分なお金を用意できていたら。
もしも私が皆を治せる治癒魔法を使えていたら。
……もしも、浄血の加護をもった人が、教会に管理されていなければ。
「あの町は、救えていたかもしれないのに……!!」
「だから、浄血の加護のことを黙っていたというのですか。教会を通さず直接彼女に協力してもらえば、お布施など関係なく病魔に苦しむ人々を救えたはずだ、と」
「それはいけないことですか!? 教会は、苦しむ人々を救うために存在しているのではないのですか!? だから、だからせめて、私は、本当に救われるべき人たちのために……!」
「……それを咎めるつもりはありませんよ。私個人の感情だけで言えば、共感もできます。しかし、彼女がオクリビトとなれば話は別だ。私は私の役目を果たすまで、ですよ」
「戦えない彼女を魔族のいる戦場へ送り、危険に晒すことが役目だとでも!?」
「極力危険に晒さないようにはしますとも。広い視野で見れば、より多くの魔族を滅するためには彼女の存在は必要不可欠です。本来一人だけのオクリビトが二人いることのアドバンテージがどれほど大きいか、分からないわけではないでしょう?」
カツカツと足音を立てながら、枢機卿が出口へと足を進めていく。
「シスター・アリス。あなたの故郷を救ってくれなかった教会に怒りを抱きながらも、あなたが治癒魔法を習得するために教会へ所属し努力を重ねてきたのは、苦しむ人々を助けるためでしょう」
「……!」
「過去の悲劇を、救わなかった教会を呪うなとは言いません。ですが、あなたも今なすべきことを考えて動きなさい。……では、失礼」
去り際にそう言って、出ていってしまった。
……枢機卿はただ、オクリビトの確保のために訪れただけ。
本当はこの村がどうなろうと関係ない。確保さえしてしまえばこの村に用はないはずです。
どんな正論だろうと、そんな人の言葉など真に受けるべきではないはずなのに、酷く胸に響いてしまう。
それに、これから魔族による侵攻が本格化するというのであればより大きな街へ人員を割くべきなのに、手練れの人員を配置すると言っていました。
オクリビトの確保にそれだけの価値があると見ているのか、それともそれを建て前に本当はただこの村を助けたいから守ってくれるというのか……。
私には、計りかねています。
……枢機卿の本心がどうであれ、私もやるべきことのために動かなければ。
転移魔法でどこに飛ばされたのかを把握するための情報収集、魔族侵攻の動向調査、それと並行して普段の業務をこなさなければなりません。
一刻も早く彼女たちを見つけて、教会と魔族両方の手から助けなければ……!
~~~~~
「お話は終わりましたか?」
「ええ。……ガラにもなく説教めいた諫め方をしてしまいましたね」
「報告いたします。この村は他の街へ避難するか外部から腕利きの用心棒を雇うか議論中だったそうです」
「そこに我々が村の防衛をする話が出たことは、村人たちにとっては渡りに船だったようで、案外すんなりと受け入れてもらえそうかと」
「それはなにより。では、四人はしばらく指示通りに結界維持と防衛に勤めなさい。他の者たちは話がまとまり次第、本部へ帰還するように」
「了解」
「……転移魔法で飛ばされたオクリビトですが、やはり近くにはいないようです」
「黒猫の魔物の姿もありません、おそらく、ともに転移したのだと思われます」
「そうですか、オクリビトと同じ場所にいるとなると厄介ですね。仮に補足できても再び転移させられる可能性がある」
「オクリビトの存在を確認できたら、周囲に魔物や魔族がいないかを観察したうえで確保・保護致します」
「よろしい」
「枢機卿。仮にあのオクリビトを確保できたとしても、戦力としては期待していないということでよろしいのでしょうか」
「何度も言っているでしょう。浄血の加護がある以外、彼女は素人同然のか弱い女性に過ぎない。少なくとも、前線へ出ることはないでしょう」
「それは、見れば理解できました。しかしあの容姿……彼女は『もう一人のオクリビト』の関係者だと考えられます」
「……仮にそうだとしても、戦えない事実には変わりないでしょう」
「ですが、もしも彼女にもあのオクリビトと同等の才覚があるとすれば、どれほどの戦力になるか……」
「確定していない情報を基に憶測を口に出すのは控えなさい。そういった話は確保してからでも遅くはないでしょう」
「……失礼しました」
「分かればよろしい。では各自、仕事へ戻りなさい」
「はっ」
「……そう思うのも無理はありませんよ。なにせ胸の黒子の位置まで同じだったのですからね」
お読みいただきありがとうございます。
これにて第一章は終わりとなります。
二章以降はやる気が出れば書こうかなと思いますので、続きが読みたいという奇特な方はブクマ推奨。




