その血に触れて
おかしい。
さっきまで私の体を蝕んでいた毒は、時間経過で解毒されるようなものじゃなかった。
少なくとも私の体には死ぬ寸前まで毒が回っていて、もう手遅れだったと思う。
それがお姉さんに触れられてから、嘘みたいに治ってしまった。
まさか、まさかこの人が治してくれたの……?
すっかり万全の状態になった軽い体を起こして立ち上がると、お姉さんが慌てた様子で話しかけてきた。
「だ、大丈夫? どこか痛いところはない?」
「……ええ、もう平気よ」
「よかった……」
「それより、ちょっとこっちにきて」
「ふぇ? どうしたの?」
「いいから早く! まだ間に合うかもしれないから!」
「え、ちょ、ちょっと!? どうしたのー!?」
もしかしたら、他に毒を受けた人たちも助かるかもしれない……!
お姉さんを強引に引っ張って、大急ぎでシスターが治療しているところまで駆け寄っていった。
「シスター!」
「!? ポ、ポエルさん……? お体は大丈夫なのですか!? そ、それに、先ほどの黒く邪悪な魂は……まさか、魔族を倒したのですか!?」
シスターに駆け寄ると、毒に倒れた人たちを必死の形相で延命治療していた。
見たところまだ全員息がある。これなら、まだ間に合うはず!
「魔族ならもう死んだわ! 毒も治ったから大丈夫!」
「な、治った……? この毒を、治す方法が!?」
「多分ね。……お姉さん、この人たちはさっきの魔族に毒を盛られてて、このままじゃ危ないの」
「どく?」
「ええ。私もその毒のせいで動けなくなっていたけれど、お姉さんに触れられたら急に毒が消えたの」
「???」
「いいから、ちょっとこの人に触ってみて!」
『言ってることがよく分かりません』と顔に書いてあるお姉さんの手を引いて、毒の影響で倒れているおじさんの体に触れさせた。
私の考えが正しければ、これで治るはず……!
「う……」
「どう? 治った……?」
「う……ぐ……」
「起きないねぇ。朝だよー、起きてー」
お姉さんが手で触れても、毒が回復しない。
私の時は回復したのに……?
ま、まだよ。まだ諦めるのは早いわ!
きっと触り方が違ったせいよ!
「お姉さん、もっと密着させて! さっきやったみたいに、こう、その……む、胸を顔に押し付けたりしてみて!」
「ふぇ? ……こう?」
「え、おわっぷ!? ……わ、私にじゃなくて、その倒れてる人に抱き着けって言ってるのよ……!!」
「あ、あの、どういうことでしょうか……?」
勘違いして私に抱き着くお姉さんを見ながらシスターが困惑している。
この緊急時にこんなコントみたいなやりとり見せられたらそりゃ無理もないわ。
「さ、さっき毒で死にそうになってたけれど、お姉さんに抱き着かれたら急に毒が治ったのよ。なんでかは分かんないけど……」
「抱き着かれてから……? ……! ポエルさん、その顔に付いている血は?」
「え? ……ああ、お姉さんの鼻血ね。この人がコケてまた鼻血出して、そのまま抱き着いてきたもんだから付いちゃったのよ」
「血が、付着……毒が、治った? ……まさか……!!」
私の話を聞いてシスターが少し考え込んだかと思ったら、何かに気付いたように目を見開いてお姉さんのほうを向いた。
懐からハンカチを取り出して、お姉さんに差し出してから叫ぶように声をかけてきた。
「すみません、鼻の中にまだ血が残っているようですので、これで鼻をかんでください」
「へ? あ、うん、ありがとー」
「……シスター? 今はそれどころじゃ……」
「ズビッ、ヂヂヂィィンッ!! ふう、スッキリしたー! ……ってあぶぶぶぶ!? また血が出始めてきちゃった!」
「だから強くかみすぎだって言ってるでしょうが! ちょっと静かにしてなさい!」
前と同じポカをかまして鼻から出血し始めた。
学習能力ってもんがないのかしらこの人は……。
「ちょっと失礼!」
「あう?」
シスターが鼻血が付いたハンカチをお姉さんから取り上げて、何を思ったのか毒で倒れているおじさんの顔を拭いた。
血が付いたハンカチを擦りつけたものだから、顔にちょっと赤い汚れが付いてしまっている。
「ちょっと、何やってるの? ばっちぃわよシスター」
「いえ、予想が正しければこれで……っ!」
「え? ……っ!!」
「う、うーん……あ、あれ? オレ、どうしたんだっけ……?」
苦しそうに唸っていたおじさんが、血を擦りつけられた途端に体を起こした。
さっきの私と同じように、毒が消えて治ったみたいだ。
「な、治った……!?」
「やはり……! ポエルさん! すぐに倒れている人たちに血を付けてください! 急いでっ!!」
「! そうか、お姉さんに触れるんじゃなくて、お姉さんの血に……!」
言われてみれば、さっき治った時も鼻血がポタポタ垂れてきた時から急に体が楽になっていた気がする。
どういう理屈かは分かんないけれど、今はこの際なんでもいい!
……ちょっとばっちぃ気もするけれど、もうそんなこと言ってる場合じゃないし我慢しよう。
その後、手分けして倒れていた数十人余りの人たち全員に血を付け終わった。
誰もが血を付けた直後に治り、私のお父さんもすぐに起き上がってくれた。
「よかった、お父さん、本当によかった……!!」
「ポ、ポエル……お前も、無事でよかったよ……」
お父さんが無事に治ったのを見たら、気が付いたらお父さんの胸へ抱き着いていた。
……普段だったら絶対こんな甘えるようなことしないけれど、今だけは我慢できなかった。
泣き顔を見られたくなかったっていうのもあるけれど、こんな時ぐらいはいいよね……?
「シスターさん、こっちもみんな起きたよー! ……あぅあぅ、鼻の中が血のせいでガビガビだよぅ」
「ありがとうございます。ど、どうにか、皆さん助かったみたいですね……」
全員にお姉さんの血に触れさせて、毒で死にそうになっていた人たちは全員助かったみたいだ。
……一人を除いて。
「そういえば、衛兵長はどうした? こっちからはよく見えていなかったんだが、兜や鎧だけ残してどこに行ったんだ?」
「……え、衛兵長は、魔族との戦いで……身体を溶かして消す毒のせいで、遺体も残らなかったの……」
「……そう、か」
鮮やかな赤い兜と、傷だらけだけれど手入れの行き届いた鎧と服だけが遺されている。
遺留品に向かって、お父さんが暗い顔で会釈をした。
「彼が駆けつけてくれなければ、おそらくここにいる皆は助からなかっただろうな」
「うん。衛兵長が魔族を止めてくれなかったら、私も……」
「……感謝する、衛兵長。酒の一杯も奢ってやれないのが、残念でならないよ」
衛兵長は魔族と戦う前に、魔物の駆除までやってくれていた。
普段は衛兵たちに怒号を上げて毎日厳しい言葉を投げかけていたけれど、それは今回のような脅威から村を守るため。
憂さ晴らしや八つ当たりで他の人に強く当たっていたことなんか、一度たりともなかったはずだ。
「え、衛兵長、嘘でしょう……?」
「……チクショウ、魔族のヤツ……チクショウッ……!!」
残された衛兵たちが、鮮やかな赤い兜の前で血が滲むほど歯ぎしりしながら泣いているのがその証拠だろう。
……本当に、あの人がもういないことが、ただただ悲しい。
魔族の襲撃はどうにか乗り切ることができた。
衛兵長以外には誰一人として命を落とすことなく、生きている。
「それにしても、あの魔族の毒は危なかったな」
「シスターが魔法で治してくれなかったら、どうなってたか……」
どうやら皆はシスターが治したと思っているらしい。
そりゃそうか。お姉さんの血を付着させたら治ったなんて言われても、意味不明だろうし。
一応、訂正しておくべきかしら?
「ポエルさん、ジョーイさん、それとそちらの方も。お話がありますので、少しお時間をいただいても?」
「え?」
「あ、ああ。どうしたんだ?」
シスターが私とお父さんとお姉さんに声をかけて、あまり目立たない建物の影まで来るように促してきた。
他の人に聞かれちゃまずい話でもあるのかしら?
「んー……」
「お姉さん、どこ見てんのよ。シスターから話があるからこっち来なさいってば」
「あ、はーい」
シスターの話って、今回の魔族が襲撃してきたことかしら。
それとも、お姉さんのことか……。
その本人はさっきからボーっとしながらずっと遠くを眺めてるけど……。早く来いっての。
「……あの黒いネコちゃん、ずっとこっちを見てるなぁ。あっちの小鳥ちゃんもさっきからずっといるけど、ご飯でも欲しいのかな?」
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