大穴
魔族に殺されそうになっているところで、お姉さんが乱入してきた。
まるで猛犬に挑む子犬のように、プルプルと震えながら魔族に向かって果物ナイフを構えている。
……いや、誰か助けてほしいとは思っていたけれど、よりによってなんでこの人が来るのよ!?
「ぽ、ポエルちゃんに、酷いことしないで! ここから出ていって!!」
「ば、か……! はや……く……逃げっ……!!」
アンタが来たところでどうにもならないでしょうが! さっさと逃げなさい!
そう怒鳴ってやろうとしたけれど、毒のせいで声を出すことすらままならない。
ああくそ、どうすればいいのよ……!
「……ふ、くくくっ……」
魔族の口から、小さく笑い声が漏れている。
口を押さえながらそっぽを向いているけれど、笑っているのを隠しきれていない。
「な、なんで笑ってるの!」
「あっはははっ! そりゃあ笑うに決まってるじゃない! あなた、本当は怖くて怖くて仕方がないんでしょう!? 心を読まなくても分かるくらいよぉあはははは!!」
「こ、怖くないもん! いいから出てってよ!!」
「あははははっ、ひぃ、ひぃははっ、はぁ……! ……わ、笑い死ぬところだったわぁ。そんな生まれたての小鹿みたいな震えっぷりで、よく立ち向かおうだなんて思ったわねぇ」
目に涙を浮かべ大笑いしながら嘲笑う魔族。例えが上手いわねコイツ。
ちょっと同意しそうになった自分に腹が立つわ。
……って、それどころじゃない! 早く逃げろって言ってるでしょ! 殺されちゃうわよ!?
「それにしても、あなたも随分と綺麗な心をしてるわねぇ。どう見ても二十歳くらいなのに、まるで小さな子供みたい……ああ、なるほど。記憶喪失なのねぇ」
「……へ? な、なんで分かったの?」
「毒針の他にもう一つ、私は相手の心を読む『読心』の呪福を持っているのよ」
心が、読める?
……!
だから、か! これまでこっちの動きが見切られていたのは、心を読まれてたから……!
「あなたがものすごぉく怖い思いをしながら、それでもこのお嬢ちゃんのためにここまで来たこともお見通しってわけ」
「うっ……!」
え? ……私のため?
この人が、お姉さんがこんな危ないところまで来たのは、私のせいだっていうの……?
意味が分からない。なんで、そんな……。
「へぇ、あなたの一番最初の記憶は、このお嬢ちゃんに助けられた時なのねぇ」
「!」
「『今はいつで、ここはどこで、自分は誰なのか』すら分からない状況で彷徨っていたら、大きなトラに追い掛け回されて死にそうになって……」
「す、すごーい! ホントに分かるんだ!」
すごーいじゃないわよ! なに和やかに会話してんのよ!
アンタの目の前にいるのは衛兵長を殺した魔族なのよ!?
このままじゃ、アンタまで……!
「誰も頼れる相手がいない状況で、救いの手を差し伸べてくれたのがこのお嬢ちゃんだったのねぇ」
「うん。ポエルちゃんが来てくれなかったら、死んじゃってたと思う」
「妬けるわぁ、他人のためにそこまで熱くなれるなんて、私には眩しすぎるくらい素敵よぉ」
「え、えへへ……なんか恥ずかしいなぁ」
……ダメだ。この人ダメだ。
さっきまであんなに怖がってたのに、ちょっと会話しただけでなんか和やかな雰囲気になってるし。
あと別に褒めてないと思うから照れるのをやめなさい。なんでちょっと嬉しそうに顔赤くしてんの。
「さて、そんな大切なポエルちゃんがこわぁい魔族の手にかかって死にそうになってるわけだけれど、どうするのぉ?」
「!!」
「この毒針をチクッと刺せば、この子は死ぬわ。あなたはそれを止められるかしらぁ?」
~~~~~
ああいけない、悪い癖だわ。
もう目的は達成したも同然。後はこのお嬢ちゃんを殺して魂を喰ってしまえばこんな村に用はない。
さっさと残りを平らげて撤収するべきなのに。
「や、やめて! ポエルちゃんに酷いことしたら、許さないんだからっ!!」
「あらあら、及び腰なのに声だけは威勢がいいわねぇ」
目の前で震えながら細く短いナイフを構える小娘。
記憶喪失のせいかまるで小さな子供みたいに幼い心だけれど、懸命に恐怖に抗って私に立ち向かおうとしている。
素晴らしい。
こんなにも怖がりで弱々しい人間が大切な存在のために、敵うはずのない相手にあんな心許ない刃物で挑んでいる。
なんて純粋で、なんて高潔な想いだろうか。本当に眩しすぎるほどに気高く美しい。
それが、ただ私の都合だけで踏みにじられようとしている。
その事実に、思わず全身に悪寒にも似た快感がゾクゾクと駆け巡っていくのが感じられた。
今はまだ、あの小娘もこのお嬢ちゃんも綺麗な心をしている。
まだなんの穢れも知らない、まるで湧いたばかりの清水のように透き通っている。
でも、それも時が経てばいずれ穢れて濁って泥水のような汚さを晒すことになるでしょう。
先ほど殺した衛兵の長は例外中の例外だ。あそこまで歳を重ねながら、あんなにもまっすぐな心を持った人間なんかそうそういるものじゃないわ。
人間も魔族も、時が経てば経つほどどんどん心が穢れて見るに堪えない。吐き気を催す。
そうなる前に、グシャグシャに踏み潰してあげる。
穢れる前に死んでしまえば、私の中で綺麗なままの思い出として残るのだから。
……あるいは、その前に私が手ずから穢してしまうか。
この状況、お嬢ちゃんを殺したらあの小娘が怒りに狂って、大いに心が穢れることでしょうね。
「ぐっ……!!」
足元に倒れている子が、私を睨み殺す勢いで目を向けているのを見て、思わず口角が上がる。
心を読むと『お姉さんに手を出せば死んでもコイツを殺してやる』と、穢れる一歩手前の怒りが充満していた。
この子の前にあの小娘を殺して、手も足も出ない状況のまま憎しみに満ちた心で死んでもらうのも面白そうね。
綺麗なものを綺麗なまま覚えておくのもいいけれど、私自身の手で穢す快感も捨てがたいわ。ああ、どうしましょう……!
……決めたわ。
倒れているお嬢ちゃんの頭を掴んで、その首筋に向かって毒針を向けながら小娘に向かって口を開いた。
「ほぉら、早く助けないとこの子が殺されちゃうわよぉ」
「っ……!!」
「それじゃあ、さようならぁお嬢ちゃぁん」
いざ毒針を首に突き立てようとすると、小娘が目を剥いて叫んだ。
「やめてって言ってるでしょっ!!!」
小さなナイフを振り上げながら、がむしゃらに私に突っ込んできた。
戦い方なんてまるで知らない、ド素人の動きだわ。
「うわぁぁぁぁあああっ!!」
! おっと、思ったより速いわね。
自分の加護すら分かっていないようだけれど、『俊足』の加護でも持っていたのかしら。驚異的な足の速さだわ。
小さなナイフとはいえ、万が一あの勢いのまま刺されたりしたら危ないかもしれないわねぇ。
まあ、そんなことありえないけど。
「いい的よ、じゃあさよならぁ。 プッ」
迫ってくる女の胴体に狙いを定めて、口から毒針を吹き出した。
この小娘を殺して、絶望と怒りに満ちたお嬢ちゃんの魂を喰らったら、果たしてどんな味がするのかしら?
ああ楽しみだわぁ。
裁縫針のように小さな針だけど、さっき使えるようになった致死毒が仕込まれている。
刺さればすぐさま溶けて消滅するわ。これで終わりね―――
「あぃっ!?」
針を吹き出したその瞬間、女の足がもつれたのが見えた。
「ふんぎゃあっ?!」
とてつもない速さで走っていたからか凄まじい勢いで、顔面から地面へ向かって盛大にすっ転んだ。
幸か不幸か、それが毒針を避けるきっかけとなったらしい。針は女に刺さらず明後日の方へ飛んでいってしまったのが見えた。
その時
ドスッ と、強い衝撃が私の体を襲った。
私の胸から背中にかけて、何かが通り抜けるような、奇妙な感覚があった。
「…………え?」
胸と背中から体温と同じくらい生温い液体が流れているような感覚。
思わず胸に手を当てて掌を見ると、真っ赤な血に染まっていた。
私の、血だ。
私の胸から背まで貫通している。
私の体に、穴が開いている。
「あ、あ、あぁぁぁあああっ!!?」
なにが、なにが起きた……!?
この激痛は、この傷はなんだ!? いったいなにが……!!
ただ混乱しながら、遅れてやってきた耐え難い激痛に叫び声を上げることしかできなかった。
~~~~~
「ゴハッ……!! こ、こんな、な、なに、がっ……?!」
魔族が、私と衛兵長がまともに一撃喰らわせることすらできなかった魔族が、胸に大穴を開けて血を吐いている。
何が起こったのか理解できていないようで、狼狽えながら痛みに悶えているようだ。
………うっそでしょ。
非現実的で信じられない光景を、しかし確かに私はこの目で見た。
魔族の挑発に乗ってお姉さんが激高して、泣き叫びながら魔族に向かって駆け出していった。
フェイントも緩急も何もない、隙だらけの突進だった。
そもそもなにか作戦があったとしても、心を読めるこの魔族には通じなかっただろうけど。
距離が詰まってきて、含み針の射程内に入ったところで魔族が針を吹き出した。
それと同時にお姉さんがいつものようにずっこけて、偶然にも毒針をかわすことができたみたいだった。
その時、手に持っていた果物ナイフがこけたはずみでお姉さんの手から離れた。いや放たれたと言うべきか?
ずっこけた拍子にさらに加速して、凄まじい勢いのまま魔族に向かって飛んでいったらしい。
放たれた果物ナイフは瞬きほどの間もなく魔族の胸に突き刺さり、さらにそのまま突き抜けて貫通した。
……多分、『投擲』の加護の効果が突進の勢いにプラスされて、とんでもない威力を発揮したってことなんだと思う。
まさにミラクル。
狙ってできるようなものじゃないし、そもそも狙った時点で心を読まれて避けられてしまう。
天然ドジによる奇跡的な偶然が重なった結果、魔族に致命傷を与えられた、ってわけね。
……理屈は分かっても、なんか納得したくないわー……。
お読みいただきありがとうございます。