魔の手はすぐ傍に
「たるんでおる! たかが魔物の一匹程度に衛兵全員が手も足も出ず、犠牲者が出ることを許した挙句に討伐したのは教会のシスターと村の少女たちだっただと!? なんたる不甲斐なさだ……!!」
「……っ」
鮮やかな赤い兜を付けた中年の兵士が、衛兵たちを集めて並ばせて怒鳴りつけている。
怒りに声を荒げているのはこの村の衛兵団の責任者、衛兵長だ。
衛兵たちはただ俯いて暗い表情をしながら、歯ぎしりしたり手を強く握って無念からくる感情を抑えている様子だ。
彼らが憤っているのは怒鳴る衛兵長にじゃなくて、自分自身の不甲斐なさになんだってことが見てるだけで分かる。
彼らの前には、3人分の棺桶が並んでいた。
その中には、魔物に立ち向かうも重傷を負って、息を引き取った衛兵たちが眠っている。
魔物が入ってきた次の日の朝、村人たちが集められて昨日の騒ぎについて説明を受けることになった。
各家の長が集まっている中に魔物と直接戦った参考人として私とお姉さんも呼び出されるハメに。
ちなみに魔物に襲われたことをお母さんたちに教えると、すごく心配した様子で顔を青くしていた。
「ポエル、お前が魔物を倒したおかげで被害を抑えられたらしいが、無茶はよせ。いくら力が強くても、お前はまだ子供なんだ」
「でも、あのままじゃ村中で魔物が暴れてどれだけ酷いことになってたか……」
「分かってる、お前は正しいことをした。村の皆も感謝している。……それでも俺とアンナは、お前やお嬢に危険なことをしてほしくないんだ」
一緒に呼び出されたお父さんが諫めてくる。
心配してくれるのはありがたいけど、あの状況じゃ私が止める以外手がなかったのも事実なんだけどなぁ……。
「もしもまた魔物が出たら極力戦うのを避けて逃げるんだ。クマやイノシシ相手とは勝手が違うんだぞ」
「そうできるなら、そうするわよ」
「いやー、クマやイノシシも普通に危ない気がするんだけど……あれ? 私がおかしいのかな……」
後ろのほうでお姉さんがなんか言ってるけど無視。
私だって好きであんなバケモン相手に戦ったわけじゃないし、避けられる争いなら避けるわ。
「村の有様を見ろ! 防護柵は壊され、魔物の被害を受けた建物は10は下らん! おまけに、道の真ん中に大穴が空いてしまって埋めるのも一苦労だ!」
「あ、その穴はポエルが魔物をぶん殴った時に空けたやつです」
「……とにかく! このような被害が出た原因は我々衛兵隊の練度不足が招いた結果である! 各自、深く反省するように!!」
「いや、ホントデケェなこの穴。直すのに一番手間がかかりそうだ……」
ゴメンナサイ。
でも、あの状況じゃ手加減なんかしてる余裕なかったんだから仕方ないでしょ。
こうして見ていると、偉そうに怒鳴っている衛兵長はその時に何やってたんだとか思いそうになるけれど、昨日はたまたま隣村のほうへ用事があって席を外していたらしい。
しかもなんとその村でも魔物が出ていて、それを討伐したのは衛兵長だとか。
この人がいればあの魔物もすぐに倒せていたかもしれないけれど、今回は本当に運が悪かった。
でも、そうなると隣村に被害が出ていたかもしれないし、結局どうすればよかったとかそんなことを今更言うのは野暮だろう。
……それを分かっているからこそ、その無念を叱責という形で叫んでいるのかもしれない。
ひとしきり怒鳴り散らした後に、衛兵長が棺桶一つ一つに会釈をしてから声高く叫んだ。
「だが、お前たちはよく戦った! よく逃げずに立ち向かった! お前たちが命がけで身を挺したがゆえに、住民たちの命は守られたのだ!! ……あとは我々に任せて、ゆっくり休め」
そう告げて、3人の棺桶を墓場まで運ぶように指示を出して、残った衛兵たちとともに敬礼しながら、3人の勇士の旅立ちを見送った。
乱暴な怒鳴り声を上げていたけれど、部下たちのことを大事に思っているのが見ているだけでよく分かる。
「あなた……っ」
棺桶を運ぶ衛兵たちに同伴する人の中に、涙を流しながら顔を覆っている女性がいる。
……多分あの3人のうち、誰かが彼女の伴侶だったんだろう。
「……なんであんなに泣いてるのかな?」
「大切な人がいなくなったなら、悲しいに決まってるでしょ」
「ふーん……」
それをただ不思議そうに見送るお姉さんは、少し不謹慎に見えた。
けれど、周りの雰囲気がどこか暗いことくらいは分かるようで、いつものバカみたいに明るい表情ではなく比較的落ち着いた様子だ。
記憶喪失でそのへんの倫理観が欠落してるのか、なんとなく感覚として理解してるのか、多分本人にも分かってなさそうね。
……そもそもこの人に大切な人はいるんだろうか。
記憶が戻らないとなんとも言えないわね。
棺桶を運ぶ一行の姿が視界から見えなくなったところで衛兵長が敬礼の手を下げて、シスターへ声をかけた。
「シスター、長々と済まなかったな」
「とんでもない。先立たれ……いえ、旅立たれた方々は、一人一人が勇敢でかけがえのない存在でした。手厚く見送るのは当然のことです」
「そう言ってもらえると救われるよ。彼らも、私たちも。……さて、では説明のほうを頼めるだろうか」
「はい」
魔物が侵入してきた時の説明は既に済んでいる。
ここからはなぜ急に魔物が現れたのか、その理由をシスターの口から伝えるらしい。
緊張したような面持ちのシスター。
その口から、少し震えた声で説明が始まった。
「……昨晩、教会本部より通達がありまして、現在各地で魔物の目撃情報や被害が相次いでいるようです」
「各地で?」
「ええ。この村や隣村に限った話ではないそうです。せめてもう少し早く通達がきていれば……いえ、過ぎたことへの苦言は置いておきましょう」
苦虫を噛み潰したような顔で無念を表すシスター。
今回の件で犠牲者が出てしまったことを悔やんでいるみたいだけれど、すぐに切り替えて話を続けた。
「魔物が発生した理由ですが……昨日の深夜、教会が『悪魔』が目覚めたことを正式に宣言したそうです」
「っ……マジかよ……!」
『悪魔』が目覚めた。
それを聞いた住民たちの顔色が一気に悪くなる。
まるで大きな災害が起こったかのように、不安と焦燥がその表情に表れていた。
「あくま? クマのお仲間?」
ただしお姉さんを除く。
アホ面で首を傾げながらそんなことを宣うもんだから、緊張していた雰囲気が緩んでしまった。
「お姉さんちょっと黙ってて。話が進まないから」
「ひどくない!? なんのことか分からないから聞いただけなのに!」
「ま、まあまあ。そうだ、この際皆さんも危険性を再確認できるように、悪魔というのがどんな存在なのかお話をしましょうか」
喚くお姉さんを宥めつつ、苦笑いしながらシスターが悪魔について語り始めた。
と言っても、悪魔の話なんて半分おとぎ話に近い、子供でも知っているような内容だろうけど。
「昔々、いつからなのかも分からないほど遠い昔、人々が平和に暮らしていたこの世界を支配しようと、どこからかその怪物……『悪魔』がやってきました」
「か、かいぶつ……?」
「はい。その怪物は『魔族』と『魔物』を連れて侵攻し、世界中を大混乱へと導きました」
「まものっていうのは、昨日の真っ黒なヤツ?」
「そうですね。普通の動物と違い、魔族たちの魔力によって変質させられた邪悪な獣です」
魔物は本来なら野生の生物ではなく、魔族たちの家畜に近い。
ただし畜産を目的としたものではなく、主に侵略の際の戦力として運用されるらしい。
昨日、ウチの村を襲ったのは魔族の手を離れて野生化した魔物か、それとも……。
「『まぞく』っていうのはどんなの?」
「悪魔の手下たちです。人間の世界を支配するために暴虐の限りを尽くす悪魔の願いを叶えるために、魔物の大群を放ち街を焼き払い、国を滅ぼしたこともあるとか」
「こ、こわーい……」
……まるで紙芝居でも言い聞かせるように語るシスターと、それを小さな子供のように聞きながら怖がっているお姉さんを見ていると、なんだか妙に和やかに思えてしまうわね。
話してる内容は他人事じゃない危機の話なのに、いまいち緊張感に欠けるというか……。
「厄介なことに、魔族の外見は人間とさほど大きな違いがありません。少し変装をすれば見分けがつかないほどに似ているのです」
「そんなに似てるの?」
「強いて例を挙げるのならば、肉食獣の牙のように若干長い八重歯が生えていたり、頭に角が生えていたり、爪や白目の色が黒かったりするくらいでしょうか」
「ツノとか目が違うの? ならすぐに気づきそうだけど」
「いえ、どこがどう違うかも個体差があるそうなので、明確に『これだ』と言える違いはないと言っていいでしょう」
「ふーん」
「おそらくは魔族たちも悪魔とともに復活したのです。魔物がこの村を襲ったのも、魔族たちが放ったものだと考えるべきかと」
魔族が放ったもの?
……! ってことは、まさか……!?
「偵察や斥候としていくつか放った魔物がこの村、そして隣の村へ辿り着いた。つまり……」
「このあたりへ放った魔物が帰ってこなかったのを不審に思って、魔族が直々に乗り込んでくるかもしれないってことか!?」
「あくまで可能性ですが、ありえない話ではありません。魔族たちが襲うには小さな村ですが、逆に手ごろな集落だと判断されるかも……」
「そんな、魔物一匹でこれだけの被害が出てるってのに、魔族まで襲ってきたら……!」
「ど、どうするんだよ! オレ、まだ死にたくねぇよ!」
「こわいよぉ! わーん!!」
「み、皆さん、落ち着いてください! まだすぐに危険な状況になると決まったわけでは……!」
おとぎ話みたいな説明から一転、急に現実的な話へと切り替わった。
村人たちも動揺し狼狽えていて、シスターが落ち着かせようと呼びかけているけれど、喧騒に遮られて声がいきわたらない。
……まずいわね、このままじゃ皆パニックに陥ってしまう。
「皆、落ち着け! 騒いでも事態は解決しない! 今は、今後我々がどうするのかを考えるべきだろうが!!」
喚く村人たちを、衛兵長が一喝して諫めた。
騒々しかったのが一気に静かになり、皆どうにか冷静さを取り戻したようだ。
大人たちの低い声は治まり、まだ泣き止まない幼い子供たちの声だけが、広場に残った。
「……皆さん、不安なのは痛いほど分かります。私も、今すぐ泣いてしまいたいくらいに怖くて、不安で……ですが……」
「うわぁああん!!」
「……大丈夫、大丈夫です」
「ひっく……うぅ……」
泣いている小さな子供たちへシスターが歩み寄り、優しく抱き寄せて背中を撫でてやると、少しぐずつきながらも泣き止んでいく。
子供を抱えながら、皆に向かって呼びかけたシスターの瞳には、強い意志が感じられた。
「この子たちのためにも、私たちにできることは何か、するべきことはなんなのか。まずはそこから話し合いましょう」
「つってもなぁ、村を出て大きな街まで逃げようにも、色々と問題が……」
「馬が足りないからこんな大人数で移動は無理だろう。女子供だけならどうにか逃がしてやれなくもないが、避難先で受け入れてもらえるだろうか……」
「お、俺は、逃げたくない。生まれ育った村を捨てるくらいなら、魔族と戦ってでも……!」
シスターの言葉を受けて、さっきまで喚くばかりだった大人たちもどうにか現状を打破するために意見を出し始めた。
話がまとまるまでしばらく時間がかかりそうだけれど、どうなるのやら。
「あ、ネコちゃんだ! こーいこいこーい」
とか思いながら大人たちを眺めていると、隣でお姉さんが森のほうを見ながら手を振っていた。
「……なにしてんのアンタ」
「あそこにちっちゃいクロネコちゃんがいたの! すっごいかわいかったけど、どっか行っちゃった……」
アンタはもうちょっと危機感を持ちなさい。
話に飽きて変なほうへ目移りしてんじゃないわよ。てか黒猫なんかいたのねあの森。
……この人のことも、どうするべきかしらね。
「あと魔族の見分け方についてですが、角や爪や瞳などの外見とは別にもう一つ特徴があります。それは―――」
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魔族についての説明を村の皆さんにお伝えしておきましたが、あえて一部の情報を伏せておきました。
今は余計なことを言うより、必要な情報のみを伝えて対処に当たるべきだと判断してのことです。
魔族を完全に倒す方法は、この村にはありません。
魔族を滅することができるのは、『オクリビト』のみ。
そして、そのオクリビトはこの村から遥か遠方で発見されたと昨晩に通達がありました。
既に魔族を討伐した実績もあるそうですが、この村へ来ることはないでしょう。
オクリビトは、世界に一人だけしかいないのですから。
それを伝えれば、ますます皆さんを不安にさせてしまうかもしれません。
自分たちはどうなるのか、見放されたのかと憤りを感じさせてしまうかもしれません。
……だから、このことは私の胸の内に秘めておきましょう。
後になってからなぜ言わなかったのかと、非難されることを覚悟のうえで。
それに、完全に倒すことができないといっても、対抗手段がないというわけではありません。
衛兵長やポエルさんのような強力な加護を持った人であれば、充分に戦うことができるはずです。
……魔族の持つ『呪福』次第ではありますが。
どうか、神のご加護を。
村人たちが安息の日の果てに御許に召されるその日まで、理不尽にその命と魂が奪われませんように。
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『ニャア』
「そう、そこね。寂れた村みたいだけれど、あの子を仕留められるくらい強い人間がいるのなら加護にも期待できそうだわ」
『ニャ』
「ええ、もう戻ってきていいわよ。……あなたに気付くなんて、随分と目ざといのがいるみたいね。その人間が仕留めたのかしら。うふふ、楽しみね。グチャグチャに踏み潰してあげましょう」
お読みいただきありがとうございます。