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心残り

 仕立て屋夫婦はアーウィン様の素性を聞いても大して驚かなかった。


「思っていたよりは、すごい人だったけど。でもねえ」

「どう見ても、普通の方には見えなかったからなあ」


 お二人は戦争で国を追われた王族だと思っていたらしい。旦那さんは貴族のお客様とも多く接している。その方達よりも、アーウィン様の方が身分が上に見えたらしい。


「だってヨーナが、最初に会った時に臭かったって何度も言うものだから、てっきり命からがら落ち延びて来たのかと思ったんだけどな」


 妙に納得できてしまう。私の炎の精霊という推測よりは、ずっと正解に近い。


 侯爵家と諍いがあったという噂は驚くべき早さで広がったけれど、アーウィン様の素性については野次馬の耳に入っていなかったようだ。衛兵が正義の判断を下した事になっている。


 侯爵家を恐れる人達からの注文を取り消す連絡が相次いでいるそうだ。買い物に出ても、周囲は仕立て屋夫婦を避ける態度を見せているらしい。


「私達もサジイル王国に連れて行って下さい」


 仕立て屋夫婦は迷わずに答えた。


「数年は注文が無くても暮らせるくらいの蓄えはあります。ロイダとヨーナの面倒を見る余裕もあります」


 旦那さんの言葉に、アーウィン様は『そういう所だ』と優しく笑った。


「店の一軒でも用意してくれ、客も紹介してくれと欲を出してもいいのにな」


 改めて私とアーウィン様の仲も訂正した。


「お似合いだと思ったけど、相手が王子じゃねえ」


 奥さんはしきりに残念がっていた。


 仕事が無くなった私達は、アーウィン様の王宮用の服を作る事にした。ご夫婦は以前からアーウィン様の為に見栄えする服を作って着せてみたいと思っていたらしい。


「王宮で立派な服を用意してもらうだろうけど、どうせ暇だし、お召し替えとしてなら袖を通して頂けるかもしれない」


 出来上がった服を着たアーウィン様は私達が驚くほど喜んでくれた。身動きしやすい服が好きそうだと言って旦那さんが各所に施した工夫を、感激して褒め称えていた。


「最高だよ、こういう服が良かったんだ。本当にすごいよ!」


 私が目立たない所に入れた飾りの刺繍も喜んでもらえた。もっと目立つ所に入れて欲しいと言って頂いた。本当は炎の刺繍を入れたいけれど、刺繍道具のほとんどを侯爵家に連れて行かれる時の馬車に置いて来てしまって、凝った刺繍は出来ない。町で買い物しにくい今は改めて手に入れるのも難しい。アーウィン様はサジイル王国に行けば手に入ると慰めてくれた。


 領主様からは、改めて今回の件については何も力になれないという便りが仕立て屋に届いた。私の無事を知り、もう頼る必要は無いと分かった上で敢えてこんなご連絡を頂いたのだから、侯爵家に従う姿勢を明らかにする必要があったのだろう。


「領主様も、苦しいお立場なんだろうね」


 旦那さんは悲しそうに呟いていた。この国で生きる貴族として、逆らえない立場の人と諍いを起こすのは致命的な事だろう。優しい領主様にこんな事を言わせてしまった事を申し訳なく思う。


 奥方からはハンカチの刺繍のお仕事を頂いていた。仕立て屋の旦那さんの名前を表書きにさせて頂いて、奥方宛にお詫びの手紙を書いた。


 迷惑を掛けて、不快な思いをさせて申し訳なかった事、刺繍の仕事は辞退させて頂く事、これまでのご厚意を感謝している事、今後は領主ご一家とは関わりを持たないようにする事を書いた。


 ガイデルと二度と会えない事が急に胸に迫った。王都に来てから少しずつ会う間隔が開いて疎遠になっていた。結婚の話が進んでいる事も聞いていた。近いうちにこういう日が来る覚悟はしていたつもりだ。それでも苦しくて仕方ない。


(分かっていて申し出を断ったんでしょう?)


 自分に言い聞かせて想いを振り払った。



 アーウィン様は、本当に毎日家に帰って来た。時折、疲れた様子を見せるけれど家で食事をしてくつろいで、今までと同じように過ごしている。


 私とヨーナ、仕立て屋夫婦は無事にサジイル王国に行く許可がもらえて、一刻も早く自国に戻るよう言われているアーウィン様と共に、来週にはこの国を発つ事になっている。荷物の準備も整っている。


 港町を離れる時と違って、それほど寂しく無い。知人も大して増えていないし、ヨーナも気にしていなかった。事件の後は学校に行けていなかった事もあって、友達の事は諦めがついたらしい。私とアーウィン様、仕立て屋夫婦がいる場所なら、どこでもいいと言ってくれた。


 日が経つにつれ、ガイデルに会いたいという気持ちだけが募る。故郷の海を思わせる、深い青の瞳を思い出すと涙が出そうになる。最後に会った時の事を一生懸命思い出して、笑顔や会話を細かく思い出す。


(会いたい、会いたい、会いたい)


 一目でいいから会ってお別れを言いたい。私がどれだけ深くガイデルを愛していたかを伝えなかった事が心残りだ。彼が愛していると言ってくれて、どれほど嬉しかったか私は伝えただろうか。


 でも、その心残りは絶対に誰にも悟られないように気を付けている。彼は結婚して新しい道を進むのだから、それを祝福する気持ちだけを心に持つように努力する。



 いよいよ翌日に出立を控えた夜、アーウィン様の帰りは遅かった。出立は朝早くと聞いているので、ヨーナは先に寝かせた。


 暖炉の薪がパチパチと音を立てている。王都は雪が積もると聞くけれど、まだ降るのを見ていない。こんなに寒いのに、まだもっと寒くなるのだろうか。


(サジイル王国は、温かい国だとおっしゃっていたな)


 どのくらいの温かさだろうか。着いたらヨーナにどの服を着せようか、私は爆ぜる炎をぼんやりと眺めてアーウィン様の帰りを待った。何かで頭を満たさないと、ガイデルの事ばかり考えてしまう。


 ザリっと外で砂利を踏む音が聞こえた。アーウィン様が戻ったのだろう。温かいお茶を入れようと私は立ち上がった。


 扉が開く音に続き、アーウィン様の声がする。


「ただいま」


 少し硬い声が気になり、お茶を入れる手を止めて入り口の方を振り返った。


「リベスさん!」


 ガイデルの護衛をしているリベスさんが、アーウィン様の後ろに立っている。ガイデルに何かあったのだろうか。鼓動が早くなる。


「ロイダ、ちょっと来て」

「はい」


 どくん、どくんと強い鼓動が全身を駆け巡る。アーウィン様は、硬い顔をしたままリベスさんに視線を向けた。


「こんな夜更けに失礼を承知で参りました」

「いえ」


 リベスさんは長年見知っているけれど、彼が私に話し掛ける事は滅多にない。余程の事だと思うと緊張で手が震えそうになる。


「ガイデル様は今、屋敷で謹慎しています。王宮で侯爵のご子息と諍いを起こした事が問題になり、お父上の判断で外出を禁じられています」

「!」


 侯爵の子息と。私に原因があるとしか思えない。地面がぐらりと揺れる。


「おっと、しっかりするんだ」


 アーウィン様が支えてくれた。私はお礼を言って再び自分の力で立った。お腹に力を入れて足を踏ん張る。


「申し訳ありません、続けて下さい」

「ガイデル様に、会って頂けないでしょうか」

「え?!」

「ガイデル様は、あなたがサジイル王国に発つ事をご存知です。お父上が外出を禁止せずとも部屋に閉じこもって出ようとはしません。誰にも会わず、ご両親すら部屋に入れません。私に出来る事は、せめてあなたと会う機会を作って差し上げる事くらいです」


 部屋から出ず誰とも会わない。私が行った所で何が出来るだろうか。


「でも結婚するって。それなのに私が行っても」


 リベスさんとアーウィン様は驚いた顔をした。


「ご存知でしたか。⋯⋯でも、少し前にその話は無くなりました。ガイデル様は家名を汚したことを恥じ、あなたを失い、失意の底にいます。前を向いて進む背中を押せるのは、あなただけです。お願いです」


 返事が出来ない私に、アーウィン様が静かに声を掛けてくれる。


「君も、別れを告げたかったんじゃないのか?」


 会いたかった、せめて一言お別れを言いたかった。アーウィン様を見上げると、勇気付けるように私の両肩をぎゅっと掴んだ。


「何が出来るか心配しなくてもいいんじゃないか? 君がちゃんと別れを告げたいと思っているなら、それだけでもいいじゃないか」

「でも、出立は明日の朝ですよね」

「リベス殿には、誰にも知られずにガイデル殿の部屋まで君を連れて行く準備があるそうだ。今から行ってこい」

「今から?」


 真剣な顔で諭すように言われる。


「もう二度と会えないかもしれないんだ。しっかり話をして来い。明日の出立の時刻までに戻ればいい。ヨーナの事は心配するな」


(会いたい、会いたい、会いたい)


 私はアーウィン様の、赤く揺れる瞳をみつめた。そこから勇気をもらう。


「はい、行ってきます。ヨーナをよろしくお願いします」


 アーウィン様は、少しだけ寂しそうな顔をした。


「気を付けて行ってこい」


 リベスさんが泣きそうな顔をして、私達に深く頭を下げた。


 私は急いで外套を羽織り家を出るリベスさんに続いた。外の風を冷たく感じる余裕など全く無かった。

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