フラ令嬢は他国に嫁ぐことになりました~政略結婚の相手が運命の人でした~
フラ令嬢──
人々は口々に囁いた。口元に弧を描いてクスクスと笑う。
その中を一人の令嬢が俯きながら学園内の廊下を歩いていく。
「見て、フラ令嬢だわ。よく、外に出て来れるものよね」
「フラ令嬢に近付くなよ運気吸われるぞ」
黒い髪に青い瞳。顔を隠すようにいつも俯いている暗い令嬢。
彼女も昔はこうではなかった。
公爵家の一人娘として生まれたロズリーヌ・エルフェは、幼い頃はもっと明るい女の子だった。
笑顔が可愛い普通の女の子。
だが、成長するにつれて彼女は変わった。ロズリーヌは、顔を隠すように髪を伸ばし人と目を合わせないように目線を下げて歩くようになった。
まるで、人目を避け、人の目に映らないようにしようとするように。
「あははは、やめろって」
前から複数の男子生徒の笑い声が近付いてくる。
どうやら廊下でふざけ合っているようだ。真っ直ぐ歩けていない者もいる。
顔は分からないが、俯いていても彼等の足元は見えていたから、ロズリーヌは嫌だなと思いながら廊下の端に寄った。
──わたくしの存在に気付かず、どうかそのまま行って
廊下の端に身を寄せ出来るだけ存在を消した。
すれ違う前に彼等の騒ぎ声が聞こえなくなった。
ロズリーヌは両手に抱えた沢山の書類を持つ手に力が入る。
──だから嫌だったのに、頼まれ事なんて。
ロズリーヌは教師から次の授業で使うからと、クラスメイト人数分の書類を教室に持って行くように言伝されて、職員室に取りに行き教師に戻っている最中だ。
書類は思いのほか分厚いうえに多くて、両腕で下から抱え込むようにして持っている。
周りの人達から向けられる眼差しは、侮蔑、軽蔑、嘲笑、嫌悪、不快感ばかり。
また、陰でコソコソと陰口を言われ、嘲笑されるのだろうと身構えた。
「あれ?ロズリーヌ嬢?」
集団の中にいた一人の男子生徒がロズリーヌに気付いて声をかけてきた。
ロズリーヌの心臓が高鳴る。顔を見なくてもわかる、優しい声音にロズリーヌに声をかけてくれる人は一人しかいない。
「ジョナタン様…ご、ご機嫌よう」
緊張で口ごもってしまった。恥ずかしくて更に顔を上げられないでいると、
「これ、教室に運べばいいんだよね?」
ひょいと、両腕に持っていた書類を半分以上取って問う。
ロズリーヌは突然のことに驚いていると、ジョナタンは来た道を引き返してロズリーヌの教室へと向かう。
「お、おい。ジョナタン」
仲間たちが呼び止める。
「そういうわけだ。悪いが先に行っててくれ」
「先に行っててくれって……」
「これ置いたらすぐ行くから」
ジョナタンは仲間たちに背中越しに告げてズンズンと歩みを進める。
「あ、あの……よろしかったのですか」
ロズリーヌが小走りにジョナタンを追いかけて問う。
「ロズリーヌ嬢一人じゃこの重さ大変だろ」
「で、ですが…ご友人達とご予定があったのではないですか?」
「ん?まあ、あるにはあるけどこんなのすぐ終わるし、仲間たちにもすぐ追いつくから大丈夫だよ」
そう言ってジョナタンは笑う。
伸びた前髪の隙間から見た彼の笑顔はロズリーヌには眩しかった。
陽だまりのような笑顔が、ロズリーヌの荒んだ心を暖かいものへと変える。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、「おう!」とまた眩しく笑った。
書類を教室に運び終えると彼は直ぐに仲間たちの元へと行ってしまった。
──好き
ロズリーヌの胸に抱く想い。1度は封印したはずの感情が湧き出して、胸の内を抉られるようだ。
「きゃあああ」
廊下から黄色い声が上がった。
ロズリーヌは急いで廊下に出た。普段なら人が多い場所に出たがらないロズリーヌだが、黄色い声が何対して上げられたものか分かっていた。
廊下の窓辺に映るのは広い中庭でボールゲーム、今でいうフットボールをして複数の男子生徒が遊んでいた。
その中にジョナタンがいた。
黄色い声援を送る女生徒の傍らでロズリーヌは静かに彼の活躍を見守った。
ジョナタンがロズリーヌの方をみた。目が合ったと思ったが、それは前にいた女生徒たちも同じで、自分を見たのだとお互いに譲らない。
そんな事知ってか知らずか、ジョナタンは満面の笑みでロズリーヌがいる方向に向けて手を振った。
──わたくしに気付いてくれた。手を振ってくれた。
それだけで、ロズリーヌは天にも昇る心地がした。
ロズリーヌは、有頂天の片隅である事を思い出していた。
数日前、父のエルフェ公爵から書斎に呼び出された。
そこで告げられたのは、他国の王族との縁談。
「此度、オニキス王国と外交を行うこととなった」
何でも、オニキス王国の国王は自国からではなく他国から妻を娶りたいという変わったお方らしい。
ロズリーヌが暮らすサムエラ国の王家は代替わりして間も無い。その上、年頃の姫は既に結婚しており、新国王の娘もまだ小さい。
本来であれば、同格の姫を嫁がせるべきなのだが、年頃の娘がいないため、王族を何人も輩出してきたエルフェ家のロズリーヌに白羽の矢が立ったというわけだ。
サムエラ国では恋愛結婚が認められている。
母は由緒正しき家柄の出身だが、エルフェ公爵とは恋愛の末結婚した。
恋愛結婚をして、仲睦まじい様子を近くで見てきたロズリーヌも当然恋愛結婚をするものだと思っていた。
──いつか、わたくしにもお父様のような、わたくしだけの王子様が現れると思っていたのよね。
ロズリーヌは眉根を寄せて厳しい表情で皺になるのも気にせず胸元を握った。
「無理せずとも良い。ロズリーヌには幸せになって欲しいからな」
父は、ロズリーヌの様子を見て断っても良いのだと提示する。
だが、そんなことをすればエルフェ公爵家の評判はガタ落ちだろう。
周囲から非難されるかもしれない。
大好きな家族が迫害にあうのだけは嫌だった。
しかし、幸運にもサムエラ国で政略結婚は旧いとされ、恋愛結婚が主流であるため、ロズリーヌに想い人がいれば話は別だ。
ロズリーヌは既にジョナタンへの恋心を自覚していた。
「お父様、期限をください」
「期限とな」
「はい。わたくしが学園を卒業するまでに恋人が出来なかった際には、その縁談こちらからオニキス国王陛下へ打診して頂けないでしょうか」
「良いのか」
「はい。それに、オニキス王国へ嫁ぐことになっても、陛下の寵愛は受けられずとも幸せには暮らせると思いますわ」
王家との婚姻だ。少なくとも悪いようにはされないだろうし、生涯安泰の玉の輿だ。
「だ、だが。我がサムエラ国以外の周辺諸国では年々気温が上昇し、乾燥地帯が増え不作が続いているというではないか」
「大丈夫ですわ、お父様。それに、その為の縁談では無いのですか?」
昨今、サムエラ国以外の国々では不作の日々が続いていた。
要因は、年々上昇し続ける気候だ。
晴天が続き、雨が降る日が極端に少ない。水も涸れ、乾燥地帯が増えているという。
オニキス王国もその被害の一国だ。此度、唯一不作に困らないサムエラ国と外交を行い、縁談を持ちかけ懇意にしようというのだ。
娘を心配する父に、ロズリーヌはそれに──と続けた。
「わたくしが卒業するまでに、いい殿方と恋人になれば他国に嫁ぐ心配もありませんもの」
ロズリーヌは父を安心させるようにしっとりとした笑顔を向けた。
「それもそうだな。……いや、だが考えようによってはロズリーヌはこの国から出た方が幸せになれるのでは?」
ロズリーヌの説得に頷きかけたエルフェ公爵だが、眉宇を引き締め両肘を机について考え込む。
「いやいや、王族と言えど何処の馬の骨ともしれん他国に嫁に出すより、我が領地の中で婿を探せば……」
──確かに、オニキス王国の国王という以外素性の知らない相手だけど、馬の骨って……お父様
ブツブツと呟く父の言葉に思わず苦笑してしまう。
だが、父が心配して言っていることはロズリーヌにはよく分かっていた。
エルフェ公爵は自国を治めるサムエラ国の王族を快く思っていない。
それは、王族がロズリーヌを虐げたとも取れる言動をしたからであった。
そのうえ、明るかったロズリーヌが変わってしまった原因も理解していた。その為、自国にいるより、国を出た方がロズリーヌの為にも良いのでは無いかと一瞬思ったのだ。
ロズリーヌは幼少の頃から周囲から白い目で見られてきた。他国に嫁いでも良いと了承したのは、家のためとこの国から出られるのならばと言う気持ちも僅かにあった。
だが、ロズリーヌには今想い人がいる。感触はまあまあだと思う。寧ろ、好感触ではないかとすら思う時もあった。
ジョナタンに想いを告げ、両思いになれた暁には周りの白い目など気にならないと思える程にジョナタンに恋していた。
──1度は、諦めかけた恋愛。だけど、ジョナタン様が再び恋する気持ちを思い出させてくれた。
誰にでも優しいジョナタン。周りから疎まれているロズリーヌに唯一声をかけて笑いかけてくれる人。
一人寂しい心に光をもたらしてくれた人物。好きにならないわけがなかった。
ロズリーヌとジョナタンは最高学年でもうすぐ卒業だ。
ロズリーヌは卒業する前にジョナタンに思いの丈をぶつけようと決意した。
そして、卒業式の三日前にロズリーヌは話があるからとジョナタンを人気がない場所に呼び出した。
外はあいにくの雨だったので、放課後誰も通らない校舎の奥まったところに位置する倉庫部屋の前で告白することにした。
「話って何かな?」
ジョナタンは人好きのする笑みで問う。
ロズリーヌは俯いて両手の指を絡めた。告白すると決意したけど、心臓が喉から飛び出しそうな程に緊張していた。
「あ、あの……ジョナタン様、好きですッ」
「えっ」
ジョナタンは驚きに目を見開き、すぐに罰が悪そうな顔をした。
「あ~……ありがとう。気持ちは嬉しいけど……ごめん」
ジョナタンは勢いよく頭を下げた。
「か、顔を上げてくださいジョナタン様。わたくしの方こそ困らせてしまいましたわ。ですが、思いを告げれて良かったです」
ロズリーヌは慌てて顔を上げさせ、無理矢理笑顔を貼り付けた。
ジョナタンはもう一度だけ謝罪を口にしてその場を去っていった。
ロズリーヌの恋は終わった。
その場に蹲る。しとどに頬を濡らす涙を止めることが出来なかった。
小一時間は経っただろうか。最後に頬を伝う涙を拭って立ち上がった。
ずっと同じ姿勢でいたから足が痺れてしまった。
漸く血が正常に循環し痺れが取れて教室へと戻る。
告白したのは放課後だった為、もう、教室には誰も残っていないだろう。
振られたのは悲しいが、告白して「ありがとう」と言われたのは初めてだった。
──最後に、いい恋愛が出来たと思わなくちゃね
未だ、ジョナタンのことが吹っ切れた訳では無い。
振られても好きだという気持ちは残っているがこればっかりはどうしようもない。
いつか自分の中でこの気持ちが風化するのを待つしかないだろう。
前向きに歩きだそうとした時だった。
「だから俺の言った通りだっただろ~」
「あれはジョナタンが悪いって」
下校時間はとっくに過ぎていて、校舎には生徒は残ってないと思っていたのだが、突き当たりの廊下から男子生徒たちの話し声が聞こえて思わず陰に隠れた。
「それにしてもジョナタンも人が悪いよな」
「何でだよ俺何も悪いことしてないだろ」
「お前……ロズリーヌ嬢のこと利用してただろ」
ジョナタンの声といつも彼と一緒にいる仲間たちの声。
ロズリーヌは彼等が何を言っているのか理解出来なかった。
「レティシア嬢にアピールするには丁度いい人材だろ」
「ひで~」
「いくらレティシア嬢が優しい人が好きって言ってもバレたら終わりだろ」
「バレなきゃいいんだって。それに、友達もいないロズリーヌ嬢からしても話しかけられて嬉しかっただろうし別に酷くはないだろ」
レティシア・ラプノー侯爵令嬢。彼女はロズリーヌ達が通う学園のマドンナでロズリーヌ、ジョナタンの二人と同級生だ。
ジョナタンはレティシアが好きな理想像を演じるためロズリーヌを利用していた。
いつも一人でいるロズリーヌは、噂の的でもありいくら本人が存在感を消そうとしても周囲の目が許さなかった。
そんな、ロズリーヌに話しかければ誰の目にも良い人か奇特な人物として印象に残るだろう。
「けど、まさか告白されるとは思わなかったわ」
「実際どうなの?少しはロズリーヌ嬢のこともいいなとか思ってたんじゃないのか」
仲間の一人がニヤニヤしながら聞く。
「よせよ。あのフラ令嬢だぜ」
「そうだよな。フラ令嬢はないわ」
「けど、これでまたフラ令嬢に箔がついたんじゃないか?」
一人がそう言うと、男たちはどっと笑い声を上げた。
「にしても、フラ令嬢卒業式来るのかね」
「俺は気まずいし来ないで欲しいわ。それに、卒業式なんてイベントぜってー雨降るじゃん」
「それなんだよなぁ。卒業式来ないでくんないかな」
「お前たちひでーな。ま、俺も同意見だけど」
ジョナタンと仲間たちは笑いながら遠ざかって行った。
ロズリーヌは壁に背中を凭れて床に座り込んだ。
止まったはずの涙が再び溢れて来て、誰もいなくなった廊下に乾いた笑い声が小さく響いた。
「ははっ。そう…よね。わたくしなんかが……」
羞恥、悲嘆、後悔、怒り、あらゆる感情が渦巻いて唇が痙攣をおこした。惨めだ。
勘違いして自分が人の目にどう映っているのか忘れていた。
──わたくしの事を好きになる人なんていないのに。
下唇を強く噛み締めた。声を押し殺して悔しさを吐き出すように、惨めさを嘲笑うように、悲しみを消し去るように泣き暮れた。
──馬鹿みたいだ。あの時手を振ったのはわたくしではなく、レティシア嬢にだったのね
確かにあの時、レティシア嬢も近くにいた。
恥ずかしい。彼は一度だってロズリーヌという人物を見ていなかったのだ。
彼がロズリーヌに優しくするのはレティシア嬢に近付くため。認知してもらうため。
少し優しくされたからと安易に惚れた自分に嫌気がした。
「やっぱり、恋愛なんてするんじゃなかった」
三度目の失恋で一度は恋愛することを諦めたはずだった。
それなのに愚かにも繰り返してしまった。
一度目の恋は七歳の時。いいなと思っていた人に「ロズリーヌ嬢がいると雨が降るから会いたくない」と言われて幼心に傷付いた。
二度目の恋は十歳。一度はいい感じになった。相手もロズリーヌのことを気になっていたのだが、会う度、出掛けようとする度に雨が降る。
この時に「雨女」と彼に名付けられ、周りからも疎まれるようになった。
王族から呼ばれるお茶会やパーティーにもこの頃から「もう、ロズリーヌ嬢は連れて来ないでくれ」と二度目呼ばれることはなくなった。
三度目の恋は十五歳。幼心に傷付い心は恋愛に臆病になっていた。そんな時に出会ったのが二歳年上の先輩だった。
女生徒との噂が絶えない色男のその人は、雨女と噂されるロズリーヌを面白がって声をかけてきた。
出掛けようとすると雨が降る。体育祭や文化祭などのイベントでも雨が降る。
周りの人達からどんどん白い目で見られていくロズリーヌだったが、彼は違った。
大事な時に雨が降ることを面白がり、何故雨が降るのか、ロズリーヌに何か力があるんじゃないかと本気で考えこむような人だった。
だがある日、二歳年上の先輩とその友達が話しているところに出くわしてしまう。
ロズリーヌの話だと直ぐにわかったから彼等の前に出ることが出来ずにロズリーヌは聞き耳を立てるわけにもいかないと、来た道を戻ろうとした時だった。
「お前、ロズリーヌ嬢のこと好きなの?」
「は?馬鹿言うなよ」
「だってお前最近よくロズリーヌ嬢と一緒にいるじゃん」
「あんなの物珍しい玩具だよ。遊ぶ分には面白いけど、大事な時に毎回雨降るとかうざいだろ」
「ああ、確かに。見てる分にはいいけど、いつも傍に居られたら流石にきついな」
「だろ~」
その会話を聞いてからというもの、ロズリーヌは先輩を避けるようになった。
仲良かった二人が急にぎこちなくなった為、周囲はロズリーヌが先輩に本気で恋をして振られたのだと噂が立った。
友達がいないロズリーヌは否定することも出来ず、噂が鎮静化するまで待つしか無かった。
そうして、雨に降られ、人に振られることからいつしか「フラ令嬢」と呼ばれるようになった。
#
出立の日。
ロズリーヌは約束通り、オニキス王国へ嫁ぐこととなった。
心残りがあるとすれば家族と離れるのが寂しいということくらいか。
「偶には手紙を書いて寄越してくれよ」
「ロズリーヌ、元気でね」
「お父様、承知致しましたわ。お母様もどうかお体に気を付けてお元気で」
エルフェ公爵は目尻を赤くし、公爵夫人は娘との別れに涙を流した。
お見送りに来た、兄弟と使用人達にも別れを告げる。
邸の目の前に止まった馬車に乗り込む。
天気は相変わらずの雨だ。
他国へ嫁ぐというのに、お見送りは家族と使用人のみ。
ロズリーヌにとってはそれで良かった。家族以外に思い入れがある人や会いたい人なんていない。
寧ろ、他の人達と顔を合わせずにホッとしている。最後に好きな人達だけに見送られて行くのだから。
馬車が走り出す。雨のせいで家族の姿はすぐに見えなくなった。
ロズリーヌを護送する者たちはオニキス王国の兵だ。
オニキス王国までは片道二日の距離だ。
時折、休憩を挟む。道がぬかるんで思うように進まないのだろう。
ロズリーヌは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ひゃっほー雨だぁ」
「恵の雨だ。いつぶりか」
馬車の中にいると外から声が聞こえた。
そっと窓の飾り布をずらして外を見ると、オニキス兵達は雨で頭を洗ったり、口を開けて雨を飲んだりしている。
ロズリーヌは驚いた。雨というと憂鬱になったり陰鬱としてしまうため、サムエラ国の人達からは嫌われていた。
オニキス兵たちが喜ぶ姿を見て初めて雨女で良かったと少しだけ思えた。
休憩も終わり、再び馬車が動き出した。
オニキス王国に着くまでに通常二日の所が三日かかってしまった。
立ち寄った先々で雨を運んで来てくれた集団と噂になり、歓迎されたりして遅くなってしまったのだ。
王宮に到着し、馬車の扉が開かれる。
「お待ちしておりました。ロズリーヌ・エルフェ嬢」
一人の紳士がロズリーヌへと手を差し出す。
ロズリーヌは家族以外の男性から初めてのエスコートにおずおずと手を重ねた。
「へぇ、あんたか。この雨連れてきたのは」
馬車から降りきったところで、王宮の方から一人の男性が悠然と歩いてくる。
燃えるような真っ赤な長い髪に紅い瞳。露出した上半身は筋肉質で一目で鍛えているのが分かる。
「陛下、あれほど中でお待ちいただくように申したではございませんか」
「この雨だ。中にいるなど勿体なかろう。それに、あんな話を聞いてこの俺が大人しく待てると思うのか」
陛下と呼ばれた男は悪戯が成功した子供のようにニヤリと笑った。
ロズリーヌの手を支えていた紳士はため息をこぼすだけでそれ以上何か言うことはなかった。
「はじめまして、ロズリーヌ嬢。俺はオニキス王国国王のクラースだ」
「お初にお目にかかります。サムエラ国から来ましたロズリーヌ・エルフェと申します」
本来ならばロズリーヌが先に挨拶しないといけないところ、国王らしからぬクラースの姿に驚いて反応が遅れてしまった。
「で、この雨を連れてきたのはロズリーヌ嬢と言うのは本当か?」
クラースの質問にロズリーヌは一瞬硬直する。
ロズリーヌがサムエラ国からオニキス王国に来るまでの三日間雨が止むことはなかった。
護送していたオニキス兵から聞いたのだと悟ったロズリーヌは深々と頭を下げた。
「サムエラ国からオキニス王国に来るまでの三日間雨が止むことはありませんでした。わたくしに天候を操作する力などございませんが、わたくしが非日常的なことをすると雨が降るのも事実。実質、わたくしが雨を呼んでしまったと思われても詮無いことでございます」
重ね合わせた手が小刻みに震える。
雨女が嫁ぎに来たら誰だって嫌だろう。下手をすると送り返されるかもしれない。ロズリーヌはそう思った。
そうすると、エルフェ公爵家の立場はない。
のこのことサムエラ国に帰ることだけは許されなかった。
「事前にお伝えしていなかったことは誠に申し訳ございません。ご不快になられたのでしたら慎んでお詫び申し上げます。どんな罰も受け入れますので、国に帰ることだけはご勘弁ください」
一令嬢が一国の王に意見するなどおこがましいが、ロズリーヌにはこうするしかなかった。
国に返されること以外ならば処刑でもなんでも受け入れよう。
処刑になったところで、ロズリーヌは思い残すことは無かった。
このまま生きていても、迫害され嫌悪される。そんな人生ならばこの先いい事があるとも思えなかった。
それならば潔くこの命散らした方がまだ良いのでは無いかと考えた。
「おい、聞いたか。グスタフよ」
クラースは目を輝かせてロズリーヌが馬車から降りる時に手を貸した男性を見た。
グスタフはロズリーヌの言葉に驚いて「信じられない」と小さく呟いた。
「国に帰す?そんな勿体ないことするわけないだろう!今日からロズリーヌ、君は俺の妻だ」
クラースは嬉しそうに言うとロズリーヌの腰を抱いて、ダンスでも踊るように右手の指を絡め取られた。
ロズリーヌの腰を抱いて持ち上げると笑い声を上げてその場で何度も回った。
唐突のことで目を回してしまったロズリーヌを見て慌ててグスタフ等側近が止めに入った。
「とても綺麗な黒髪ですわね」
ロズリーヌは今、湯浴みをしていた。
馬車を降りて直ぐの歓迎となったので雨に濡れてしまい湯殿を借りている。
使用人が髪を洗浄しながら言った。
「あ、ありがとうございます……」
黒髪を褒められたのは初めてだった。
いつも、この黒髪のせいもあって、暗いとか陰鬱だと陰口を叩かれてきた。
ロズリーヌは戸惑っていた。オニキス王国の人達はすごく良くしてくれる。
だけど、ロズリーヌが雨女だと知ったらまた孤立するのでは無いかと思うと心を開くことが出来なかった。
「それにしても、驚いたのではございません?」
体の垢を落としている使用人が問う。
ロズリーヌはオニキス王国に来てからというもの、まだ数時間しかたっていないのに驚きの連続だ。
何に対しての問いかけか分からず口ごもっていると、使用人は続けた。
「陛下のお人柄にはさぞかし驚いたことでしょう」
「……はい」
使用人はクスクスと笑って言う。
確かに驚いた。国王というくらいだから少しばかり歳をとった人物を想像していた。
それが、実際に会ってみるとロズリーヌと十も変わらないくらいの差でしかない。
サムエラ国の国王は厳かで真面目な人なのだが、オニキス王国の国王は正反対のように思えた。
「私たちも陛下が急にロズリーヌ様を担いで来られた時は驚きましたわ」
「も、申し訳ございません」
「あら、ロズリーヌ様が謝ることではありませんわ。悪いのは陛下ですもの」
「そうですわ。それに淑女をあのような抱え方でお運びするなんて」
使用人の女たちは口々にクラースの先程の行動を非難する。
目を回したロズリーヌはクラースの肩に担がれて浴室に放り込まれた。
風邪を引かないように温めてやってくれと使用人たちに頼んで。
「でも、陛下はとても御優しい方ですね」
クラースに悪気はなかったし、悪意もなかった。
浴室に連れて来た時にはロズリーヌの心配までしていた。
ロズリーヌがそう漏らすと使用人達は目を丸くしてにんまりと笑った。
「まあまあまあまあ」
「陛下ったらやりますわね」
「あの性格ですからどうなることかと思いましたが」
何か物凄い勘違いをされている気がするが、国王の妻として嫁いできたロズリーヌには何も言うことは出来なかった。
「あ、あの。皆さんは陛下と親しいんですね」
ロズリーヌはいたたまれなくなって話題を変えた。
クラースが使用人たちと話していた時のことを思い出していた。
使用人たちは肩に担がれたロズリーヌを見て短い悲鳴を上げ、クラースを非難していたのだ。
一使用人が陛下に対してそのような口を聞くなどサムエラ国では有り得ない。
「だって、あんな性格ですものねー」
「グスタフ様のように紳士でしっかりとした方でしたらまた違ったと思いますが」
「「ねぇ~」」
最後は顔を見合せて使用人たちは同調した。
酷い言われようだ。だが、どこか彼女たちの口調には愛情があった。
「そ、そうですか……」
オニキス王国の人達は気さくで仲がいいのだなと思っていると、
「ロズリーヌ様。私たちに敬語を使うのは辞めてくださいまし」
「ロズリーヌ様は今後王妃となり、私たちはその身の回りのお世話をさせていただく、一使用人に過ぎませんわ」
何だか距離を置かれた気がした。
王妃と使用人として線引きをされたような。年頃の女性と久し振りに話せて自分でも知らないうちに舞い上がっていたのだと知る。
偏見のない目で、企みも打算もなく話すことが出来たのが嬉しかったから。
「わかったわ………」
彼女たちと対等にはなれない。
初めからわかっていたこと。独りは慣れている。
なんてことはない。
いつも通りのことだ。サムエラ国で過ごしていたように変わらず独りが続くだけだと言い聞かせた。
「ですが……」
使用人は続けた。
「ロズリーヌ様さえよろしければ私たちの事は友達のようになんでも話してくださいね」
「私たちロズリーヌ様がオニキス王国を気に入ってくださるように頑張りますわ」
「陛下に嫌なことされたらすぐに報告してくださいね。愚痴ならいつでも聞きますわ。勿論他言は致しませんわ」
彼女たちは言って笑った。
打算や贔屓にしてもらおうとして言っていないのだとわかった。
確信は無い。何故かそんな気がしたのだ。
だけどまた、ジョナタンの時のように裏切られるかもしれない。
ロズリーヌは人間不信に陥ってしまい、使用人たちが嘘をついているとも思えないと分かっていながら全面的には信用することは出来なかった。
それでも、人間独りでは生きていけない。また騙されたっていい。
彼女たちと仲良くなれたらいいなと頷いた。
「あら?あらあらあら」
「ロズリーヌ様どうされましたか」
「私たち不躾なことを言ってしまいましたか」
使用人たちはロズリーヌを見てあたふたと慌てた。
ロズリーヌの目には自然と涙が溢れていたのだ。
「ご、ごめんなさい。違うの。嬉しくて……」
家族以外の人は信用出来ない。そう思っていながらも優しくされた事が嬉しかった。
楽しそうに話す彼女たちを見て、ロズリーヌも楽しくなった。
楽しい、そんな感情を抱いたのは十歳前後以来のことだ。
「ごめんなさい」
いきなり泣くなんて引かれただろうか。
自分でも驚いた。泣くつもりなんてなかった。自然と目から涙が零れてしまったのだ。
使用人たちはロズリーヌが泣く姿を見て、自国を離れ心細かったのだと思った。
家族と離れ、友と離れ。独りで知らない土地に嫁いできて不安がないわけがない。
「ロズリーヌ様!私たちの前では何も我慢しなでくださいまし」
「ロズリーヌ様が少しでも寂しくないように務めますわ」
「不満や不安なことでもなんでも仰ってくださいね」
彼女たちはロズリーヌの健気な姿に胸打たれた。
もし、自分が全く知らない土地で初めて顔を合わせた人と夫婦になり、突如一国の王妃として生きることになったらロズリーヌのように覚悟出来るだろうか。
少しでも、ロズリーヌの不安要素を取り除き、過ごしやすい環境を作っていきたいと思った。
「それに、私たちロズリーヌ様が来てくださってとても嬉しいのです」
「嬉しい?」
政略結婚だから誰が相手であろうと変わらない気がするのだが、使用人たちは穏健とした声音で続けた。
「我が国で雨が降ったのは五年振りなのです」
「ロズリーヌ様は雨を連れて来てくださいましたわ」
「私たちにとって、ロズリーヌ様は救世主なのです」
世界中で乾燥地帯が増えて深刻化していることは知っていたが、五年間一度も雨が降らなかったとは思いもしなかった。
「あまり長湯してると陛下に怒られてしまいますわね」
使用人の一人がそう言って浴室から出た。
「あら、ロズリーヌ様とても綺麗な御目をされていますわね」
「まあっ、本当だわ。それに、御顔立ちも整っていて肌も羽二重肌でお美しい」
「前髪が御顔を隠されていて勿体無いですわね。よろしければ少し髪をお切りしてもよろしいですか?」
ロズリーヌは戸惑った。
自分の存在を隠す為に目立たないようにする為に何年も髪を切らず前髪を伸ばして来た。
ロズリーヌは決意した。いつまでも変わらなければサムエラ国にいた時と環境は何も変わらないのだと。
オニキス王国の人達は皆、ロズリーヌが来たことに喜んでくれている。
ロズリーヌは未だ自分に自信がないし、人間不信のままだが、それでも変わりたいと思った。
「あの……お願いします。それも少しではなく……」
ロズリーヌは、軽く化粧を施され衣装に手を通す。
「まあっ、なんとお美しい」
「陛下もイチコロですわね」
「そ、そんな。皆の腕が良かったからよ。わたくし自身変わりすぎて自分じゃないみたいだわ」
「何を仰っているのですか。私たちは少し飾りを足しただけですわ。素材が良いからとても楽しかったですわ」
使用人たちはロズリーヌが着飾った姿を見てキャイキャイと騒いでいる。
姿見の前でロズリーヌ自身驚いていた。これが自分なのかと。
長かった前後の髪はバッサリと切った。
──首元がスースーする。
露わになった首を摩った。後ろ髪まで切ると言った時には使用人たちから止められた。
綺麗な髪だから、髪を結ったりしたいからと泣きつかれては、本当はショートにするつもりだったのだが、腰まであった髪を肩甲骨辺りまで切った。
使用人たちは髪を結い上げ簪で頭部を飾った。
前髪は眉あたりまで短くして変な感じだ。
常に視界が開けていて、俯いても前髪が顔を隠してくれない為不安が過ぎる。
「ロズリーヌ様、俯いてはいけませんわ」
「せっかくの美しい御顔が見えませんもの」
「とてもお綺麗ですわ。自信を持ってくださいまし」
使用人たちはロズリーヌが俯いて顔が強ばっている様子に気付き、肩に手を置いた。
励ますように、諭すように。ロズリーヌに自信を持たせるように。
「陛下がお待ちですわ、そろそろ参りましょう」
ロズリーヌたちは陛下が待つ謁見の間へと向かった。
使用人たちとは扉の外で別れ、彼女等に見送られて謁見の間へと足を踏み入れた。
謁見の間には、玉座にクラースが座り、中央の道を開けて左右に臣下が並ぶ。
ロズリーヌの登場に、しんと静まり返った空間が耳に痛い。
やはり、使用人たちはああ言ってくれたが、着飾った姿はおかしかっただろうかと心配になってくる。
──わたくしなんかが着飾ったところで
と、俯き卑下していると
「ほう。これは化けたな」
クラースは驚きの声を上げた。その声に漸く臣下達もハッとして意識を戻す。
ロズリーヌの姿に見惚れていたのだ。
黒い髪に青い瞳。憂いを帯びた表情が神秘的に見えた。
「ロズリーヌよ、こちらへ」
「はい」
出会った当初はロズリーヌ嬢と呼んでいたが、今からは夫婦になるのだ。
陛下が妻に敬称を付けて呼ぶのもおかしい。
ロズリーヌは呼ばれて、クラースの元へと歩みを進めた。
「皆の者よく聞け。彼女は近々正式に婚姻式を上げ、オニキス王国の国母となるロズリーヌだ」
クラースは立ち上がり、ロズリーヌの腰を抱いて臣下たちの方へ向き直ると声を上げて言った。
臣下たちは即座に敬意を示し跪いた。
代わる代わる臣下たちがロズリーヌとクラースに挨拶をする。
「いやー、こんなにお美しい妃を娶られて陛下がお羨ましい限りですな」
「い、いえ。そんな……」
挨拶に来る人来る人ずっとこの調子で、ロズリーヌは苦笑を浮かべる。
クラースはと言うと、自慢気にそうだろうとふんぞり返っていた。
一通りの挨拶と面会を終えて臣下たちは部屋を後にした。
部屋にはロズリーヌとクラース、そしてクラースの側近のみが残った。
「あー、疲れた。グスタフもういいよな」
「はい、お疲れ様でした」
クラースは言うと、玉座にどっかりと座り深く沈む。
先程まで威厳に満ちた態度とは打って代わり、王宮に来た時と同じ雰囲気をしていた。
グスタフがクラースの問いに答えると、クラースは徐に上半身の服を脱ぎ捨てた。
──なっ、何故服を脱ぐのですか
まだロズリーヌが居るというのに上半身を露わにするクラースに驚き、ドギマギとしながら目を逸らした。
男性の裸を見るのはこれで二度目だ。
一度もこの男だった。一日に二度も異性な裸を見ることになるとは思ってもいなかった。
──彼はもしや変態なのでしょうか
などと失礼なことを考えていると、側近の一人が脱ぎ捨てられた衣服を回収し、別の側近が柔らかい素材で出来た上着をクラースに羽織らせた。
「あー、やっぱり肌を覆う服は俺には性にあわん」
「国王になられたのですから少しは慣れてください」
グスタフが嘆息を漏らした。
クラースとグスタフの関係性から二人はとても親しい間柄なのだと分かる。
「はっはっは、そりゃー無理だろ。陛下はこんまいころから裸ん坊だからな」
「ランナル、俺を変態みたいに言うな」
「事実でしょう」
「ヘルゲ、お前まで」
どうやら、親しいのはグスタフだけではなく、他の側近たちも同様みたいだ。
「驚かせたでしょう。申し訳ございませんね」
呆然としているとグスタフがロズリーヌの傍に来て言う。
「いえ、そんな。皆さん仲がいいのですね」
楽しそうに言い合いをしているクラースたちがロズリーヌには眩しかった。
ロズリーヌには望んでも手に入らないもの。
ずっと羨んで来たものだった。
「陛下が小さいころからの付き合いですからね」
幼馴染というものかとロズリーヌは思った。
ロズリーヌには友もいなければ幼馴染もいない。
羨望の眼差しで光景を見つめているとクラースと目が合った。
「来い」
そう言って手を引かれる。
「ロズリーヌ、こいつらは俺が最も信頼している側近たちだ。何かあればこいつらに頼るといい」
クラースは側近を紹介し、側近たちにロズリーヌを紹介した。
「ほお、これが噂の」
「陛下が王妃に据えるとまで言ったときは頭がおかしくなったのかと思いましたが」
「アメフラシの乙女と晴れ男か。似合いだな」
側近たちはロズリーヌに顔を寄せて上から下までじっくりと見る。
ロズリーヌは側近たちの食いつきように軽く身を引いた。
「顔ちけーよお前ら」
クラースは側近たちにデコピンを食らわせた。
「何だよ嫉妬してんのか?」
「男のジェラシーはみっともないですよ」
暴君、横暴王と側近たちは野次を飛ばした。
クラースは徐々に額に青筋を浮かべ苛立たしげにピクピクと右眉が上がる。
「おーし、上等だてめーら。文句あるやつはかかって来い」
クラースは羽織の袖を捲りあげて立ち上がった。
まるで、学生のように騒ぐクラースと側近たちに唖然としているとグスタフが呆れた溜息を零した。
「本当に……申し訳ございません」
恥ずかしそうに顔を赤らめて謝罪するグスタフに首を振った。
「き、気にしないでください」
グスタフの気苦労が伺える。
ロズリーヌは側近が発したある言葉が気になり、グスタフに問いかけてみることにした。
「あの、先程側近の方が晴れ男と仰っておられましたが……」
「ああ、実は陛下は一部の者たちに晴れ男と呼ばれているのですよ」
どういうことだとロズリーヌは首を傾げた。
今朝、王宮に着いた時には雨が降っていた。
グスタフは窓の外を指さす。
「貴女は自分で雨を連れて来たと、非日常的な事がある度に雨が降るのだと言っておられた」
「はい、確かにそう言いましたわ」
「今朝、貴女が連れて来てくださった雨が午後にはもう止んでいる」
窓の外を見ると、雨雲は消え空は晴れ渡っていた。
いつもであれば、このような非日常的な日は一日中雨が降っているはずなのに、雨雲は見る影も無くなっていた。
「この晴れが俺のせいだと俺自身認めてはないけどな」
クラースは身体を動かし温まったのか僅かに汗をかいていた。
腕を回し首を鳴らしながらロズリーヌたちの元へと戻ってきた。
彼の背後に目を向けると死屍累々な光景と化していた。
未だ元気な者もいるが、グスタフを抜いて四人いた側近のうち三人はゾンビのように床に転がっていた。
「何言ってやがんだ。陛下が即位してから五年、降水率ゼロじゃねーか」
クラースやグスタフよりも少し年上の容貌をした、護衛兵と思われる大男が言った。
「ぐっ……」
クラースは事実に返す言葉もなく、苦虫を噛み潰したような顔をした。
使用人の女性たちも同じことを言っていた。
まさか、自分と真逆の存在がいると思ってもいなかったロズリーヌは目を丸くしてクラースを見た。
「まあ、一万歩譲って俺が晴れ男だとしよう。だが、ロズリーヌが来てくれたことで五年間一度も雨が降らなかったオニキス王国に雨が降った」
クラースはロズリーヌの目の前に立った。
「悪いが、君の過去は全て調べさせてもらった」
クラースの発言に心臓が跳ねた。
ドクドクと早くなる心臓音に対して血の気が引いていく。
ロズリーヌがサムエラ国で疎まれていたこと、雨女やフラ令嬢と呼ばれていたこと全て知られたのだとわかった。
「こんな事を言うのは不躾で失礼だが……良かった。」
予想外の言葉に俯きかけた動きが止まる。
「君が、サムエラ国で運命の人と出会わなかったから君はここにいる」
片手を取られ、遠慮がちに顔を上げると、安堵した表情があった。
「サムエラ国では雨のせいで君は随分と苦労しただろう。だが、我が国にとっては恵みの雨だ。ロズリーヌがオニキス王国に来てすぐに雨を降らせてくれた。我々にとって命の水だ。ありがとう」
言って、クラースはロズリーヌの手の甲に口付けた。
側近たちは、屍と化していた者たちでさえも片膝を着いて頭を垂れていた。
「そ、そんな。わたくしは何もしていませんわ」
「君はそう思っても俺たちはそう思わない。好きな人と添い遂げさせることは出来ないが、君が望むことはできる限り叶えよう」
クラースの真剣な眼差しがロズリーヌの瞳を捉えて離さない。
「どうか、これから先俺の妻としてそばに居てくれ」
クラースは片膝を着いて、紳士的な態度で再び手の甲に口付けを落とす。
彼等が望んでいるのはロズリーヌ自身ではなく、雨を呼ぶフラ令嬢であるロズリーヌだと理解している。
だが、まるで夢にまで見たプロポーズされているような状況にロズリーヌの胸が鳴る。
「はい……」
ロズリーヌが返事をすると、胸の高鳴りに共鳴するように晴れ渡っていたはずの空に雨雲が覆い、激しい雨を降らせた。
クラースもまた心臓が飛び出しそうな程に緊張に高鳴っていた胸をホッと撫で下ろした。
ロズリーヌがオニキス王国に来るまでの間雨を降らせ続けたと聞いて、にわかに信じられなかった。
ロズリーヌとの縁談が決まってから彼女の事は部下に調べさせ事前に状況も知っていた。
雨に降られ、想い人にも振られ、フラ令嬢と蔑まれる女がどんなものなのか。
サムエラ国は体良くロズリーヌを追い出したのだとわかっていた。
国から見捨てられた令嬢だと分かっていながら、それでも受け入れたのは彼女に非日常的なことがある度雨を降らせると知ったから。
雨が降るのであればどんな醜女でもいいとさえ思っていた。
どんな魔女が来るのかと待ち侘びていると、一日遅れでロズリーヌが王宮に着いたと連絡が入った。
クラースはどんな奴か見てやろうと正面玄関へと向かった。
遠目からみたロズリーヌは髪を伸ばしまるでお化けのようだと思った。
噂通りの陰鬱な奴だと。
その時、長い前髪の隙間から青い瞳が覗いた。
憂いを帯び、悲しげで儚く、不安と絶望。クラースが何度も見てきた表情だ。
ロズリーヌは国民たちと同じ表情をしていた。
生きる希望を失った者の瞳。
その瞳をみた瞬間居てもたってもいられずロズリーヌの前に姿を現した。
──恵まれた環境にありながら、その環境が彼女を殺したのか。
サムエラ国は水不足もなければ不作にもならない。
乾燥地帯もなければ雨乞いをする必要もない。
雨が降るのが当たり前の者たちにとって、それも農作物を育てたことが無い者は特に雨を毛嫌いしただろう。
国民たちと同じ絶望した目をするロズリーヌを笑顔にしたいとクラースは思った。
国民たちを救うため、国民たちに笑顔を取り戻すため仕方なく結んだ縁談のはずだった。
「ロズリーヌ、君は雨女と呼ばれる事は不本意だろうが雨女と晴れ男がいる国。凄いと思わないか」
クラースは、立ち上がり目を輝かせて言う。
「君が雨を降らせるのなら俺が太陽を呼ぼう。雨を降らせる度に悲しまずとも良い。気にやまなくていい!」
ロズリーヌは初めてかけられた言葉に瞠目する。
雨が降ってもいいのだと、ありのままのロズリーヌでいていいのだと。雨が振る度自分を責め、自己嫌悪し、気に止まなくてもいいのだと。
初めて受け入れて貰えた気がした。
泣くのをぐっと堪える。酷く不細工な表情をしているだろう。
しかし、王妃として迎えられた今、人前で泣くのははばかられた。
クラースはそんなロズリーヌの様子をしっか知らずか、爽やかで太陽のように明るい笑みを向けた。
「ロズリーヌの心に降る雨も、いつか俺が止めよう。晴れ男である俺が何度でも君の雨を止めよう」
ロズリーヌはクラースの言葉にこらえることが出来ず、涙腺が決壊した。
しとどに濡らす頬を伝う涙をクラースは優しく拭う。
人に何度も裏切られてきたフラ令嬢と、人々の心を晴らし笑顔にしたい晴れ男の恋物語は始まったばかり────
END
本当は最後まで書きたかったけど、ここまで長くなると思ってなかったから力尽きた……続きは書くかもしれないし書かないかもしれない_(:3 」∠)_
本来であれば後日、民と会ったりクラースとおでけけするます
サムエラ国と色々あったり、お誕生日イベントあったりするはずだったんですが、無理ですた_( :⁍ 」 )_
現在執筆中のストワ連載が終わったら連載版で書くかもです。オニキス王国と同じように世界的に降水量が減っているので他国と交流したり、相手国から絡んで来たりする予定です。