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スモモ姫の災難

作者: 荒里あゆむ


 昔々ある山の中に桃の三姉妹が住んでいた。


 長女は透けるような白と仄かなピンク色をした白桃で、いつも鏡で自分の姿をうっとりと見つめながらどこかの高貴なお屋敷の食卓に並べられたいと願っていた。


 次女は艶のあるピンク色の黄桃で、やはり鏡で自分の姿を見るのが大好きで、体をしならせながら歌を歌ったりポーズを取ったりしながら、いつかスマートな写真家に写真を撮ってもらって雑誌に載るのを夢見ていた。


 末娘は桃ではなく、スモモだった。

 大きさは姉たちに比べて一回り小さく、色は一昔前の田舎の子供のほっぺたのように真っ赤だった。実も固く、姉たちのような吸い付くような柔らかい肌とは比べものにならない。


 姉たちは末娘にいつも「あら、今日はまた一段と赤くて可愛いわね」とか、「体が固くて丈夫なことはいいことよ」などと言う。末娘はそのたびに、姉たちの美しく柔らかく甘そうな体と見比べて、自分は本当に彼女たちの妹なのだろうかと考えて悲しくなり、独り涙を流していた。


 ある日、山に大きな台風がやってきた。桃たちは体を寄せ合って嵐の過ぎ去るのを待った。

 しかし台風は猛烈で、ついに長女の白桃が豊満な自重に耐えきれなくなって木から落ちてしまった。長女は地面に激しく打ち付けられ、醜く潰れて泥水にまみれた。

 高貴なお屋敷の食卓に並べられるという彼女の夢は儚く破れた。


 次女と末娘も耐えきれなくなって地面に落ちた。次女は落ち葉の上に落ちたので、長女のように潰れることはなかったが、台風が去った翌朝、薄汚れた猿に見つけられてペロリと食べられてしまった。

 スマートな写真家に撮影されて雑誌に載るという彼女の夢は脆くも破れた。


 末娘は体が硬かったので、地面に落ちても無傷だった。

 目の前で二番目の姉が猿に食べられるのをみて悲鳴をあげる。猿は次女を食べた後に末娘に気付いて、同じように口に入れて噛み砕こうとしたが、歯を突き刺した瞬間に激しい酸味に襲われてそのまま勢いよく吐き出した。


 末娘はそのままコロコロと斜面を転がり、途中の木に引っかかってやっと止まった。そこは日当たりのいい山の斜面で、台風の残り風が気持ちよく吹いている。


 末娘は住み慣れた林から出たのは生まれて初めてだったのでしばらくの間、見慣れない風景に見入っていたが、そのうち姉たちの無残な最期が思い出されて急に心細くなった。彼女たちはあんなに夢と希望を膨らませて自分の未来を夢見ていたのに死んでしまって可哀想だと思った。


 それに引き換え、なんの取り柄もない自分だけが生き残って、自分が彼女たちの代わりに死んだ方が良かったんじゃないかとも思った。


 午後になり、日差しが強くなってきた。今朝、猿に噛まれたところから果汁が漏れて気持ち悪かったが我慢した。

 これからどうしようと末娘は思った。このままここで腐って死ぬのだろうか、腐った果肉に蛆が湧いたり、蟻に切り刻まれたりするのは絶対に嫌だった。自分は何のために生まれてきたんだろうと思った。

 ただ漠然とした無力感と焦燥感が沸き起こり、押しつぶされそうになって末娘はしくしくと泣き始めた。


 その時、どこからか人間の声が聞こえた。

「おいそこのスモモ、どうして泣いておるのじゃ」

 声の主は老人のようだった。その声は空から降ってくるような、地面から湧き上がってくるような不思議な声だった。

 末娘はあたりを見回したがどこにも姿は見えない。


「何をきょろきょろしておるのじゃ、ここじゃここ」

 どうやら声は巨大な山全体から聞こえてくるようだった。


「わしはこの山の神じゃ」

「ああ神さま、私は木から落ちてしまい、姉たちも死んでしまいもうどうしたらいいか分かりません」

「おおそうじゃったな、ずっと見ておったがお前の姉は不憫じゃった」


「姉たちには夢がありました。それに引き換え私は何の志もなく、無力で愚かで醜くて、もうどうしたらいいか分かりません。私はこのままここで腐って果てるしかないのでしょうか」


「まあ落ち着け。ふむふむ、お前は自分の人生を悲観して泣いておったのじゃな。だがな、そこでお前が腐ればその体は土になり、やがて新しい命の源となる。それが自然の摂理であり、十分意味のあることだと思うがな」


「それはそうかもしれませんが、私は姉たちが夢見ていたように、はっきりとした形のある何かを成し遂げる人生を生きたいんです」

「うーん、形なんてあってないようなものだと思うのじゃが、まあいいだろう。見たところお前は清い心を持っているようじゃ。特別に私の力を分け与えてやろう」


 山の神がそう言うと、突然末娘の体に強いつむじ風が通り過ぎた。すると末娘の体はみるみる大きくなり、最終的に一抱えもある巨大なスモモになった。同時に、体の中心に何か強い温度が沸き起こるのを感じた。


「神さまこれは・・・」

「うん、何となくわかると思うが、お前の体の中にあるそれはお前の子じゃ。厳密にはわしとお前の子じゃがな。お前にわしの種を授けるので、大切に育てるように」


 体の中の熱い温度は確かに自分とは異なる別の命で、どくんどくんと力強く脈打ち、その脈が打つたびに末娘は言いようのない幸福感が体全体に満ち溢れるのを感じた。


「神さまありがとう。私はこの子を育てることを生きがいにしたいと思います」

「うむ、そうするがよい」


 お腹の中の命はさらに力強くなり、激しく鼓動を打つ。その激しさは腹に響く雷鳴のように末娘の体を震わせた。

 同時に末娘は全身に力がみなぎるのを感じ、嬉しくなって思わずその場でぴょんぴょんと飛び跳ねた。

「これこれ、身重がそんなに暴れてはいかん」

 神さまがたしなめたが、末娘は嬉しさのあまり神様の声が耳に入らなかった。「私の赤ちゃん私の赤ちゃん」と叫びながら飛び跳ねる。そのうち引っかかっていた木から外れて斜面を転がり始めてしまった。

 末娘は斜面をどんどん転がって、そのまま山の麓の川に落ちた。川の水は冷たく、その時になって初めて末娘は自分が泳げないことに気づいた。川の流れは意外に早く、末娘はすぐに溺れ始めた。

「ああ、私はなんてバカなんだ。せっかく神さまに赤ちゃんを授けてもらったのに、はしゃぎすぎて大変なことになってしまった。わたしのバカバカ、ううう」


 猿に噛まれた傷がふやけて広がり、川の水が体内に染み込んでくる。

「ああ、わたしの赤ちゃん、私の赤ちゃん」

 末娘はどんぶらこと下流に流されていく。しかし流れは速く、つかまれそうものは何も無かった。しかし末娘は絶対にあきらめないと思った。自分があきらめたらこのお腹なのかの新しい命も死ぬ。それはありえない。


 そう思った時、末娘はすこし驚いた。姉に対する劣等感と無力さに嘆いてばかりいた自分の中のどこにこんなに強い意志の力が眠っていたのだろう。

 たとえ自分が死んでも、たとえ世界の全てが滅んでも、この子だけは絶対に助けなければならない。


 その時、少し下流の川辺に一人の老婆が川で洗濯をしている姿がちらりと目に入った。その瞬間、末娘は最後の力を振り絞り、老婆のいる川辺に向かって全力で丸い体を回転させ始めた。


「おりゃあーーー!」


 全身に驚くほど強い力がみなぎった。末娘は訳の分からない雄叫びをあげながら水中で体を高速で回転させる。

 徐々に流される方向が変わり川辺の老婆に近づいていく。末娘の巨大な体を見つけて唖然としている老婆の顔がはっきりと見えた。


 老婆のしわくちゃの顔を見た末娘は、わずかに安心した。その時、末娘は完全に限界を超えていたのだろう、そのわずかな安心が張り詰めた末娘の精神と体力を途切れさせ、末娘はついに息絶えた。


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