SNSで知りあった女の子
頭を掻いた指の爪に頭皮の脂と垢と抜け毛が混じる。
何もすることがないので少し嗅ぐと意外にも臭わない。慣れれば人は嗅覚が鈍ると聞いたのを嗅ぎながらに思い出し、そして忘れる。
空っぽになった頭を埋めるように、パソコンに向かい、軽くて嵩張りそうな知識を投げ込んでいく。座ったまま鼻を噛んだティッシュは、床に投げ捨てたゴミ箱代わりの段ボールを通り過ぎて、壁に当たってすでに山積みになったゴミたちを育てる。満たされない脳から溢れたゴミたちが僕の小さな汚い王国を作っている。
ゴキブリが壁にいるのをボォっと眺める。僕以外の意思がこの部屋に存在するなんて!深く腰掛けた入院用のベットみたいな場所から目で殺虫剤を探すも、その間にゴキブリを見失う。その瞬間、自分の王国はこの快適極まり無いベットの上だけにキュッと萎んだようだったが、ゆっくりとした忘却とともにまた自分の王国を取り返した。光る画面が薄暗い部屋に自分の影を映し出す。
気の利かない通知音で、僕のドーパミンが小さく跳ねた。いつものあの女の子から「おはよう」のメッセージ。
「まだ寝てないw」早すぎる返信は必死さを伝えないか?ワンテンポ遅らせるも我慢できずに返信。気を紛らわすためにYoutubeのホーム画面を更新し続けていると、いつの間にか既読がついている。
返信を求めて少し焦る。ちょっと身体も汗を湿らせる。1分、2分と経ったあたりで少し目を離した。何、依存してるわけじゃあるまいし。こんな姿をあの子に見透かされてるのを恐れた訳ではないが、僕はまたネットで木偶の坊みたいな知識を集めて脳を可愛がってあげる作業に戻った。
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女の子と知り合ったのは2年前のSNSでだ。どうやら不登校で精神障害なんだと言う。運任せの世の中で勝ちのみを求められた自分には、負けが許される憧れのようなステータスに見え、女の子を羨ましいという想いから入った。ひどく情緒が不安定で、何かと相談を持ちかけながら、話している途中でヒステリックを起こして泣き喚き出す。そんな欠陥だらけの女の子を、見て聞いて許すことが、知らず知らずのうちに自分を満たしていた。
しばらくすると、自分は学校には行かなくなっていた。女の子の勧めで精神科に診察に行くと、自分もまた精神障害なのだと伝えられた。真っ先に僕はそれを女の子に報告すると、期待通りの言葉が返ってきた。「一緒じゃんw」
ようやく自分は負けが許される人生を手に入れた。母親に報告すると、頑張ろうねとだけ言われた。その表情はどこか安堵したようで、なにか誇らしい気持ちになった。「妖怪に名前を付けた古代人の気持ち?」あまり良い例えでは無いような気がしたが、一連の流れを女の子に報告すると、「上手いw」と返してくれた。
精神障害は薬があるタイプのもののようだった。その薬を飲むと一つのこと以外には靄がかかったようになる。なんだか疲れなくて良いやと思い飲んでいたが、「薬飲まない時の方が楽しい」と言われて飲むのを辞めた。確かに、楽しい気がする。
ある日女の子は急に自殺を試みた。いつもに増して支離滅裂な言葉を電話越しに吐き散らした。過剰に薬を摂取したようだった。女の子は呂律が回らない様子で聞いてくる「私が…死んだら悲しい?」僕は考え込んだ。死んだら?この子が死んだらどうなるんだ。ジッと考えた。それは悲しいとはまた違う感情じゃ無いか。悲しいとは思えないんじゃ無いか。
「悲しくは無い。けど寂しくはある。」
「じゃあ、まだ死ぬのはやめようかな。」
その日は久々に考えが巡って寝れなかった。女の子がどうなっているのか。生きているのか。本当に死んでいたらどうするのか。自殺教唆で逮捕されないかなんてことも考えた。
そして、自分の中に占める女の子の存在の大きさに気づいた。女の子がいることが今の自分にとって一番大事なことに思えた。女の子のいない人生は考えられなかった。
僕はようやく女の子失うこと自体に恐怖した。僕の前にはその時二つの道がある。僕にはどっちも選ぶ勇気はなさそうで、迷わず一つを選んだかもしれない女の子を羨んだ。
翌日、女の子はいつものように話しかけてくれていた。
「おはよう」
「元気?」
「ちょっと頭痛い」
「昨日は暴れてたからw」
拍子抜けするような安堵感を悟られないように気をつけた。女の子は少し暴れて足を怪我しただけで、他は問題なかったようだ。女の子も怖かったのだろうか?少し自分を慰めた。
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僕は、木偶の坊達を脳に詰め込むのを辞めた。そうだ、今日こそあれをやってみよう。
僕は女の子に電話をかけた。自分から電話をかけるのはこれが初めてで、知らない興奮と緊張があった。早まる鼓動を感じながら、これを悟られないようにと深呼吸した。
「もしもし」
「もしもし。今日さ、自殺しようと思うんだ。」
「ふーん。良いじゃん。」
「でしょう。でさ、このまま電話繋いでて良い?」
「良いよ。見届けるよw」
僕は、病院から貰った薬の入ったケースを取り出して、大量の錠剤をパックから絞り出した。取り出した錠剤を手で掴むと、母の置いて行ったペットボトルの水を持ってきて、水だけを音を立てて飲み干した。
「うあ…あ…」
「何飲んだの?ねえ?まだ聞こえる?」
「あ…」
僕は大袈裟にペットボトルが積まれた山の上に倒れ込んだ。そして、そのまま僕はしばらく動かなかった。
「おーい。まだ生きてる?」
僕は答えなかった。
しばらくすると、電話口からガサゴソとプラスティックが擦れる音がし始めた。そして、時々吐き出すような音と共に、水を必死で飲む音が聞こえた。
そして、なにも聴こえなくなった。
「おーい。まだ生きてる?」
女の子は答えない。
長い時間がたった。手に握った錠剤のフィルムが少し溶けてベタつく。
やはり、女の子は答えない。
あぁ、やっぱりか。
結局僕は女の子を羨ましいと思っていた。
そして手に握ったままの錠剤を口に頬張り、そのまま飲み込もうとした。
しかし、全て吐き出した。