心象世界
妖怪との戦いに勝利した妖魔だったが、頭を潰されて動かなくなった妖怪を見ても警戒は解いていなかった。昨日、殺したと思っていた妖怪がその圧倒的な再生能力で再び動き出し、致命傷を負わされたことで、妖怪に対してかなり慎重になっていた。
「今回は本当に死んでる...のか.....?」
『そこまで警戒しなくても、ちゃんと死んでいますよ。まぁ、同族が目の前で殺されるという光景はできればあまり見たくはありませんが...。それでも、目的を果たすためにはある程度慣れておく必要もありますね。』
「首を落としても死ななかった奴が頭潰れた程度で死ぬとは思えないんだけど...。」
『妖怪によって急所は違いますからね。昨日と今日に違いがあるとすればその違いですね。』
「昨日の運が悪かったのか、それとも今日の運が良かったのか...。というか、普通に考えて頭落とされてそれが致命傷にならないってどういうことだよ?」
麒麟の説明は間違ってはいない。だが、真実というわけではなかった。
どんなに強靭な生物でも心臓を潰されたり、頭を落とされたりすれば生きてはいられない。そして妖怪も生物として存在している以上、その常識を覆すことはできない。
だからこそ、昨日の妖怪も妖魔に頭を落とされた時点で死んでいた。その後、その妖怪が動いていた理由は、麒麟が妖魔に自身の体組織の一部を移植して行動を制限していたことと同じ要領で、その死体を操っていたからだ。
麒麟も当初の予定では話がややこしくなるのでやるつもりはなかったが、予想外にも妖魔が勝ち、殺してしまった。妖魔に取引を持ち掛ける上で、自身の立場を上にし、話を有利に進めるためにも妖魔に負けてほしかった麒麟は、仕方なくそのような手段を取った。
いずれは露見する嘘ではあるが、少年の協力を得ることができるまでで十分だと考えて、この場は誤魔化すことにした。
『運が良かったにしろ悪かったにしろ、初めてとしては上々の結果ですよ。これならば、私の目的を果たすことができる日もそう遠くはなさそうですね。』
麒麟はそう言って満足そうに微笑んだ。
「俺がお前に協力する前提で話を進めるのはやめろ。そもそも、現時点で妖怪を殺せる時点で、俺はそれでいいんだが?」
今のままでは協力する理由はない。妖魔に煽られながらも暗にそう言われた麒麟だったが、微笑みを全く崩さずに、その笑みをどこか不気味なものに変えた。
『そのような心配をしなくとも、すぐにわかりますよ。』
先ほどまでは先に進むことを躊躇っていた麒麟だったが、少年の余裕そうな態度や言動から進むことを決めた。
妖魔はその言葉に怪訝そうな表情を浮かべたが、どうせ考えてもわかることではないだろうと考えてあまり気にしないことにした。
その後は、今日一日だけでケリー試合をし、妖怪と戦った妖魔の疲労を考慮した麒麟の案で、それ以上先には進まずに帰ることになった。
翌日、妖魔と麒麟は再び火玉稲荷神社にやって来ていた。
昨日帰宅してから冷静に考えてみて、妖怪の死体やそのまま残しており、戦いの最中についてしまった傷はともかく、飛び散った血まで残してしまっていることに気付いた妖魔は、状況を確認しようと再びここに来ていた。
そして憂鬱に思いながらも、昨日傷つけてしまった場所を確認しようと、鼬の姿をした妖怪と戦った場所に立ち寄ると、そこには放置してしまっていた妖怪の死体も、戦った痕跡も何一つ残っていなかった。傷ついた個所は修復され、頭から飛び散っていた血は綺麗に拭き取られていた。
普通ならばあり得ない光景に、妖魔は驚きながらも不気味にも思っていた。
「あの後誰かが来て片づけたのか?だとしたらいったい誰が、何のために?」
今日はジムに行く日ではなかったため、大学を終えてすぐの昼間にも遠目から確認しに来ていたが、妖怪の死体が転がっており、血が飛び散っているはずなのに、何か騒ぎが起きている様子は見受けられなかった。
神社の人間や清掃員の人にでも見つかっていれば騒ぎにはなっているはずなので、考えられる可能性としては、外部の人間の誰かがが見つけて、騒ぎになる前に隠蔽したということだ。しかし、その誰かが見当もつかず、目的も不明なため、妖魔からすればかなり不気味な事だった。
『目的はわかりませんが、少なくとも昨日の状況を見て、報告するよりも隠蔽することを選んだのです。相当臆病な人か、何か事情がある人か、いずれにしても気を付けておくに越したことはありませんね。』
「気を付けるって言っても、誰かもわかんねーのに気を付けようがねーだろ。まぁ、取り敢えず、騒ぎにならなかったのは好都合だ。今度からは気を付けねーとな...。」
そういって帰ろうとした妖魔だったが、いきなり体中に痺れるような激痛を感じてその場に崩れ落ちた。しかし、その激痛はすぐに治まった。
一瞬混乱した妖魔だったが、我に返るとすぐに激痛の原因に避難の視線を向けた。
「痛ーな!なにすんだよ!!」
少年に避難された麒麟だったが、それを意にも介さずに帰ろうとしていた少年に不思議そうな表情を向けていた。
『なに普通に帰ろうとしているのですか。せっかくまたここに来たのですし、探してみましょう。』
何を探そうとしているのか、それを見つけて何をするつもりなのかわかった妖魔は、麒麟の言っていることに納得することはできたが、やったことに納得することはできなかった。
「なら普通に呼び止めろよ!なんでわざわざ痺れさせたんだよ!!」
『...つい。』
「いや、ついじゃねぇよ!!...はぁ、まぁ確かに、せっかくここまで来たんだ。昨日の疲れがまだ多少残ってるけど、できないほどじゃねーし。お前にやられた分、憂さ晴らしさせてもらうか!」
『では、今日は昨日よりも奥に進んでみましょう。奥の方からかなりの霊力を感じますし、それに妖怪の気配も感じますしね。』
妖魔と麒麟が勝気に笑いあい、そして境内の奥に向けて歩き出す。互いに別の目的を抱きながら。
境内の最奥まで進んだ妖魔と麒麟は、拝殿の目の前までやって来た。
妖魔は神社の中でも特に存在感を放っている拝殿を目の前にし、その壮大な存在感に圧倒されていた。その隣で麒麟は自身の考えに確信を抱いていた。
『ここですね。この中から妖怪の気配を感じます。』
「こんな場所にか?そりゃぁ、ここにある他の所に比べたら人は寄り付かないだろうけどさ...。」
できればもう少し戦いやすい場所にいてほしかった。妖魔はそんな内心を無意識に滲ませながら小さく呟いた。
『状況的にはこのような狭い場所で戦わなければならないこともあるのです。今の内にそれにも対処できるようにしておくべきです。』
「いや、そうじゃねぇよ。そりゃぁ、確かに狭い場所でああいうやつと戦いたくはないってのもあるけど、それ以上に、こういう公共施設に傷をつけるかもしんないから気が進まねぇんだよ。」
『それならばいいのですが。でしたら私を失望させないでくださいね。』
そう言いながら麒麟が不敵に微笑んだ直後、拝殿の裏側から何かが爆発したような轟音が起こった。
妖魔は驚きながらも反射的にそちらへ目を向けたが特に変わった様子はなく、首を傾げるだけに終わった。
「何の音だったんだ今の?」
『何かが爆発したのでしょう。』
「いや、爆発って言っても、別に何もないけど...!?」
妖魔が困惑していると、拝殿の裏側の壁が突然赤白く光りだし、妖魔の背丈よりも大きい円を描きながら溶けるように燃え落ちた。そして、そこから壁に空いた穴と同じくらいの大きさの車輪を後頭部で背負い、浮遊しながらこちらに向けて移動している能面のような表情の顔が現れた。車輪は炎を纏っており、わかりやすく壁を燃やしたのは自分であると見た眼で示していた。
「.....何あれ?」
『妖怪ですね。確か輪入道という名前だったはずです。』
「名前あんのか?」
『えぇ。まぁ、とは言っても人間のように個体別に名前があるわけではなく、あくまで種類別の名前があるというだけですが。』
「じゃぁ、昨日の鼬みたいなやつにも、一昨日の犬みたいなやつにも?」
『昨日の妖怪にはありますが、一昨日の妖怪にはこれといった名前はありませんね。因みに昨日の鼬のような妖怪の名前は鼬ですよ。』
「まんまかよ。てか、名前あるやつとない奴の違いは何なんだ?まさか新種?」
『説明しようとすると長くなるので、その前に輪入道をどうにかするとしましょう。』
妖魔と麒麟がそんな問答を繰り返しているうちに、輪入道は移動してきた床を黒く焦がしながら、ゆっくりとした動きで拝殿の真ん中近くまで来ていた。
先ほどまでは、昨日までに戦った妖怪と全く違う姿をした妖怪に困惑していた妖魔だったが、それを確認すると我に返り、すぐさま昨日と同じように構えを取った。
構えを取りながらも妖魔は妙な感覚を抱いていた。
「(なんと言うか、あいつを見てても、昨日までみたいに自分を抑えられなくなるような感覚がしないんだよな.....。なんでだ?)」
妖魔の憎悪の対象は妖怪であり、それは昨日までの妖怪を見たときの自分の反応からも明白なものだった。
しかし、今はその妖怪を目の前にしても、昨日までのように憎悪が内側から溢れてくるような感覚がなく、こんな状況でもそんなことを考えられるくらいには頭は冴えていた。
少しの間そのことに疑問を抱いていた妖魔だったが、輪入道が妖魔に向けて炎で出来た車輪を飛ばしてきたことにより、その疑問は一旦途切れた。
少年との会話を終えた後、麒麟は一面真っ暗な空間にいた。
正確には、麒麟の体は現実で妖魔と輪入道の戦いを遠目から見れる位置にある。麒麟の意識だけがこの奇妙な空間にいた。
『(これが彼の心象世界、人間が内に秘めている本当の感情が作り上げる景色ですか...。)』
麒麟はこの空間に用事があってきたわけではなかった。強いて言えば、この空間そのものに用事があった。
少年の心象世界を見ることができれば、少年がなぜあそこまで妖怪を憎んでいるのかがわかるかもしれない、その程度の淡い期待を抱きながら来ていた。
しかし、来てみたはいいものの、周りには特に何もなく、無限に暗闇が続くだけだった。
それが何かを表しているのかとも思ったが、麒麟自身、この空間に来るのは初めてのため、あまりよくはわからなかった。漠然と、これが少年の憎悪そのものなのかというくらいの推察しかできなかった。
何分間か、現実ではほんの一瞬の間その暗闇の中を歩き回っていた麒麟だったが、特に何も見つけることができなかったため、現実に戻ろうとした。
しかしその時、暗闇の中に声が響いた。
『おいおいもう帰っちまうのか?』
麒麟が驚きながら声がしたほうへ視線を向けると、暗闇の奥から妖魔にそっくりな少年が現れた。
その少年は、まるですべてを見透かしたかのようなにやにやとした笑みを浮かべていた。
『せっかくここまで来たんだぜ?もっと楽しんで行けよ...。』
少年がそう言うと、どこからともなく現れた木の蔓のような触手が大量に麒麟に向かって襲い掛かった。
それを麒麟は後ろに大きく飛んで回避しながら雷撃でその触手を焼き切った。しかし、触手はいたるところから際限なく現れ、麒麟に四方八方から襲い掛かってくる。それを回避し、焼き切りながら、麒麟は少年がいる座標に雷を落としていた。
しかし、雷を落とされたのにも関わらず、少年は平然とした様子でにやにやとした笑みを全く崩さずにその場に立っていた。回数を重ねるたびに落とす雷の威力を上げてはいるが、何度やっても結果は変わらなかった。それどころか、麒麟に襲い掛かってくる触手が数と強度を増し、着実に麒麟を追詰めていた。
『(あれだけやって全く効いている様子がない。それに、これ以上は触手に対処できなくなってしまう...。)』
少年に話を聞きたかった麒麟だったが、最悪の状況を見越して撤退することに決めた。
先ほどまで行っていた少年への雷を落とすのをやめ、触手の対処に集中する。自身に迫りくる無数の触手に対処しながら出口へ向けて全力で駆ける。そうやって全力で退こうとしているうちに、迫りくる触手の数が減っていき、いつしか全く襲ってこなくなった。
それを麒麟は好機と捉え、一気に出口へ向けて駆けだす。そのまま出口を通過し、現実に戻っていった。
麒麟が退いていく様子を見ながら、妖魔にそっくりな少年は残念そうな顔をしていた。
『あーあ、せっかく久しぶりに暴れられると思ったのに、つまらなかったなぁ。』
少年が残念そうにしている理由は麒麟がいなくなったからではなく、麒麟が予想以上に弱かったからだ。
長い間暴れられず、ずっとその機会を待ち望んでいたからこそ膨れ上がっていた期待の分だけ、その落胆は大きかった。
少しの間そうしていた少年だったが、すぐに表情をにやにやとした笑みに戻し、意識を切り替えるように踵を返した。
すると、頭の中に、目には映っていない輪入道と戦っている光景が広がった。
『まぁ、この様子なら、すぐに思う存分暴れられるようになるだろうし、お楽しみはそれまで取っておくか...。』
そう言って頭の中に広がる光景を楽しみながら、少年は暗闇の中に姿を消した。
妖魔と輪入道が戦い始めてからすでに5分近くが経過していた。
戦闘と言っても、戦況は一方的で、妖魔は輪入道の攻撃に対処することができず逃げ回っており、隙を見つけて攻撃を繰り出しても、妖魔の攻撃は全く効いている様子はなく、防戦一方という状態だった。
「あんなの、どうやって倒せっていうんだよ!!」
飛ばされてくる炎の車輪を躱し、回避し、逃げ回り、どうしようもない状況に悪態をつきながらも、妖魔は打開策を求めて輪入道を観察していた。
戦い始めたときからその場から全く動いていない輪入道には、疲れた様子は微塵も感じられず、それどころか、後頭部に背負っている車輪が纏っている炎の量が増し、先ほどまでよりも元気なように感じられた。そしてそれを証明するかのように、妖魔に飛ばされてくる炎の車輪の数が増え続けている。迂闊に触れば火傷をしかねない妖魔は、先ほどからそれを回避しているが、その影響で、昨日までよりも体力を浪費していた。
そのような状況をすでに5分以上続けている妖魔は、精神的な疲労と身体的な疲労の両方がピークに達しつつあり、集中力はすでに底をつきかけていた。そのせいで、妖魔は周囲のことに意識を向けることができなくなっていた。
妖魔が回避し続けた炎の車輪は、そのままバランスを崩して倒れこむようにその場に炎をばら撒いた。それを何度も繰り返し、その度にその場に炎をばら撒き続けると、次第に妖魔の退路を塞ぐように炎が燃え広がっていた。
妖魔が気付いたときにはもう遅く、周囲には妖魔を囲むように炎がゆらゆらと燃え盛っていた。
その状況を完全に把握すると同時に、妖魔の集中力が完全に切れてしまった。
「なるほど、誘い込まれたってわけだ...。」
そう納得しながらも妖魔は4年前から一度も感じたことのなかった死を久々に感じていた。
炎に囲まれながら死を感じている妖魔に輪入道がトドメを刺そうと今までのものよりも一回り程大きな炎の車輪を飛ばそうとしていた。
その様子を遅くなっていく意識の中で見つめていると、先ほどまでは忘れていた感覚が体中を駆け巡った。
その瞬間、妖魔は目の前で燃え盛っている炎には目もくれず、輪入道へ向けて全力で駆けだした。
ノーパソが故障したから寒い中デスクトップがあるところで作業しないといけなくなるとかいう拷問ね( ;∀;)
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