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鈴谷さん、噂話です

申(サル)

 僕はその時、職場で頭を抱えていた。

 ユーザーから表計算ソフトのファイルで質問表が送られて来たのだけど、僕にはどうしても分からない部分があったからだ。

 その質問表の一番右には“確認”という項目があった。その下のセルには“未”という文字が入っているから、その質問の返答を確認したかどうかを管理する為のものだろう。が、いくつかある質問のうちの一つに“未”ではなくて、何故か“申”と書かれたものがあったのだ。

 

 “申”。

 

 多分、申請の“申”だろう。それ以外は思い付かない。が、これは質問表だし、その行に書かれている内容も純粋に質問であって、何かしら申請するような事柄は一つもない。僕は質問には答えていないから、本来ならば“未”とするのが正しいはずだ。似たような内容のその上の行の質問は“未”となっているのだし。

 何らかのミスタイプではないかとも考えたのだけれど、どうミスをすれば、“申”なんて文字が打たれるのかが僕には分からなかった。

 悩んでいないで、そのユーザーに訊けば良いと思う人もいるかもしれない。

 が、このユーザーは少々気難しい所がある。しかも、少しばかり歳を取っている所為か、やたらと難しい表現を使いたがる傾向にあり、僕がその意味が分からないと叱って来たりもする。この前も“瑕疵”の意味が分からなかったら、「最近の若者はこれだから」と説教をされた。

 だから、あまり訊きたくはないんだよ。

 僕は何とか自力で解決をしようとネットで色々と検索をかけてみたのだけれど、やはり確認の項目に“申”の文字を使うような用法は見つからなかった。

 

 「――何を悩んでいるの?」

 

 そんなこんなで僕が困っていると、隣の席の綾さんというOLが心配をして声をかけてくれた。この人は、面倒見が良いので僕は好印象を持っている。もしかしたら何か助けてくれるかもと思って「これこれこんな事情で」と説明をすると「ふーん」と言い、少し考えてから、

 「私は分からないけど、そう言うのに詳しい知り合いならいるわよ。相談してみてあげる」

 と言って、それからスマートフォンでその知り合いに連絡を取ってくれた。

 「大学生の女の子なんだけどね、民俗文化研究会ってサークルに入っていて、その手の知識に詳しいのよ」

 との事だ。

 “大学生の女の子”と聞いて、僕は思わずピクリと反応してしまった。

 “まぁ、民俗文化研究会なんてサークルに所属しているのだったら、期待しない方が良いか”

 とも思ったけれど、綾さんがそれから「可愛い子なのよ。私のお気に入りなんだ」なんて続けたので、是非ともお話ししてみたくなった。

 「あ? 凛子ちゃん? 実は変な話があってね。少し相談したいのよ」

 綾さんはそれから事情を説明する。大体、説明が終わると「凛子ちゃん、訊いてみたい事があるって」と言って、彼女は僕にスマートフォンを差し出して来た。

 僕は“可愛い女の子と話ができる!”と喜んでそのスマートフォンを受け取った。

 ……いや、当初の目的を、忘れてはいないですよ?

 「あの、もしかしたら、ですが、その“申”と書かれている質問の一つ上の行の質問って似たような内容ではないですか? 一部、内容が違っているだけのような」

 “可愛い”というよりは“芯の強そうな美人”を僕はその声から連想したのだけど、とにかく、その凛子ちゃんという可愛いらしい女子大生は、僕がスマートフォンを受け取るとそんなことを訊いて来た。

 僕はそれに驚く。

 「どうして、分かったの?」

 前にも書いたけど、その上の質問は“申”の行の質問ととてもよく似ていたんだ。すると凛子ちゃんは、

 「やっぱり。

 それなら、その文字は申請の“申”ではなく、“サル”だと思いますよ」

 などと不思議な事を言って来たのだった。

 僕には意味が分からない。

 「……えっと、どうして質問表の確認欄に“サル”なんて書く必要があるの?」

 それでそう尋ねてみた。その僕の疑問に凛子ちゃんはあっさりとこう答える。

 「いえ、書く必要はありません。そうではなく、そのサルの字は単なるミスのはずです」

 「ミス?」

 僕にはそれでも意味が分からなかった。そもそも“猿”なんて字ではないのだ。

 「どうミスしたら、サルなんてタイプするのさ?」

 だから、そう尋ねてみた。“何を言っているのだろう?”と思って。ところが、それに凛子ちゃんはこう返すのだった。

 「タイプではないですね。きっと、そのサルの字は、ドラッグ&ドロップによってできてしまったんです」

 「ドラッグ&ドロップ? どうして、ドラッグ&ドロップで猿なんて漢字になるの?」

 そもそも猿じゃないのだけどさ!

 それに彼女は「だって、ヒツジの次はサルでしょう?」なんて返して来る。

 「は? ヒツジ?」

 いよいよ意味が分からない。

 “羊”なんて漢字は出て来ない。それに羊の次が“猿”って何だ?

 ……この子は、もしかしたら頭がおかしいのかもしれない。

 僕はそんな疑いすら抱いたのだけど、そこで彼女はこう説明するのだった。

 「干支でヒツジは“未”と書きます。そして、サルは“申”。だから“未”の行を、ドラッグ&ドロップすれば、次の行は歳が進んで“申”の文字になってしまうはずなんです」

 僕はそれを聞いて目を丸くした。

 「え?」

 「実際にやってみてください」

 そう彼女が言うので試してみると、本当にその表計算ソフトで、“未”の文字は“申”になってしまった。

 「私もパソコンは詳しくないんですが、その表計算ソフトでは、何故か日付関連の機能が充実しているって聞いた事があるんです。“月”って打ってドラッグ&ドロップすると、次の行は“火”ってなるらしいですよ。一週間の曜日にも対応しているのですね」

 僕はそれに「へぇ」と返す。

 まるで知らなかった。

 赤面してしまう。

 「まぁ、普通はそうなるとは思いません。だから、そのファイルを作った相手の方も気付かなかったのじゃないですかね? まさか、“未”が“申”になるなんて思いませんから」

 僕が赤面しているのに気付いているのかいないのか、彼女はとても優しい口調でそうフォローしてくれた。

 「いや、どうも、ありがとう」

 そしてそれから僕はそうお礼を言った。すると彼女は「いえ、どういたしまして」と、言って通話を切った。

 それから僕はスマートフォンを綾さんに返す。思わず「凄い子だねぇ」とそう言ってしまった。一度くらいは会ってみたい。

 そんな僕の気持ちを見抜いたのか、綾さんは悪戯っぽく笑って、

 「紹介はしないわよ~」

 なんて言って来た。

 

 ……いや、そんなつもりは…… まぁ、ないとも言い切れないのだけど。

職場で、某表計算ソフトが干支にも対応していることを見つけた時は衝撃でした。

「こんな機能を充実させるくらいなら、数値系のバグ直せや」

と思ったもんです。

表計算ソフトのファイルをそのままアップロードしたいってユーザーからの要望がよくあるのですが、数値関連にバグがあるのでやり難いのですよ。金額が絡むところは、厳密にいかないと駄目ですしねぇ……

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