狐火(四)
「余の顔、見忘れたか」
そう言った男の顔。タマノにとっては思い出したくもないが忘れようもない。アイドルから身を引くきっかけになったストーカー。
「ヨウ・シムネくん?」
「覚えていてくれたか? ダッキー。久しいな」
憎しみよりも嫌悪感。ざわわざわわと鳥肌のスタンディング・オベーション。にっこり微笑むシムネとは裏腹に、タマノの顔には嫌悪が滲む。
「いやぁぁぁぁぁ!!!」
思わず発せられる悲鳴とともに、無数の狐火が宙を舞う。
パニクっているものですから照準なんて、ありゃしない。シムネのいる方に向けての無差別攻撃、自身は逆方向に走り出す。
かたや、無数の狐火に襲われた捕方衆は大慌て。
一つ一つの威力こそ無いが、数が多い。
延焼しては一大事とばかり、タマノの捕縛は捨て置いて消火活動に大わらわ。
そんな同僚を気にもしない男が一人いた。
言わずと知れたヨウ・シムネ。
「どれほど其方に会いたかったことか!
もう逃さぬぞ、ダッキーーー!」
「来ないでーーーー!!」
シムネとは逆方向に走り出したタマノですが、リッつあんの手配は抜かりがあろうはずもございません。
そちらの方にも捕方衆は手配済み。
「御用だ」「神妙にしやがれ」
「退いてーー!」
口々に叫び待ち構える捕方衆に向け、タマノは今度は大きな狐火を放つ。
目の前に火球が迫れば思わず避ける。
空いた隙間を駆け抜ける。
退いてーー
ボンッ!
さぁーー
退いてーー
ボンッ!
さぁーー
一回、二回は上手くいったが三回目は勝手が違った。
退いてーー
ボンッ!
フッ
捕方衆の前で狐火が消えます。
え?
タマノにすれば、狐火に怯んだ捕方の壁に穴が開くと思っておりましたから走る速度は落としちゃおりません。
捕方衆にしてみれば、まさか相手が全速力のまんま突っ込んで来るなんて思いもよらない。
当然ながら正面衝突。
一拍遅れてシムネも飛び込んできたものですから大混戦と相成りました。
タマノの狐火がいきなり消えたのは、皆様お察しの通りロビンが捕手の中にいたためでございます。
この捕方衆の一団、ロビンやトノキンといった若手の寄せ集め。経験も何も不足しております。
そんな若造達は、後詰めということもあり物見遊山のお祭り気分。
そんな気分のところが、いきなり先輩達が道を開け全速力のタマノが飛び込んでくるわ、公爵家の若様が飛び込んでくるわでパニックに陥ります。
中でも前の方におりましたロビンとトノキン、諸に衝撃を受けて軽い脳震盪。意識が何処かへサヨウナラ。無意識のまんまに身体が動く。
タマノはと申しますと、捕方衆に突っ込んでしまったものの気を取り戻すのもお手のもの。
いやなに、単にシムネに触れられたくない一心かも知れませんが、捕手の若造集団より一歩早く動き出す。
元々妖狐ですのでそれなりに身体能力が高いのですが、タマノ自身アイドルとしてのプロ意識から鍛錬を怠っておりません。
襲いくる捕方衆を右に左に、蝶の様にヒラリヒラリと掻い潜る。
あたかも舞を舞うかの如き優雅さですが、後から飛び込んできたシムネはそんな優美さもなく、例えるならばブレーキの壊れた軽車輌。
何人かの捕方が弾き飛ばされ、シムネは転倒。
大混乱の泥試合。
シムネに弾き飛ばされたロビンとトノキン、ふらふらしながら混乱の輪の外で立ち上がる。
ロビンの目にトノキンの背中。腰に手挟んだハリセンが目に止まる。
決まると見事に転けるんやで
ホントかよ?
トノキンとのたわいも無い会話が蘇る。
見てみたい……
意識がハッキリしておりませんから思考が短絡。
思わず発せられる掛け声。
「上方名物」
「ハリセンチョップぅ〜〜」
トノキン、条件反射で身体が動く。
そこに飛び出して来たタマノとシムネ。
パパーン
ハリセンを受けて見事な転け芸を見せるタマノとシムネ。
「今だ! 取り押えろ!!」
遅れてやって参りましたクロモン卿の声に呼応し捕方衆が飛びかかる。
吸った揉んだでタマノは高手小手に縛られ、ついでにシムネにも縄がかかりました。
ハリセン片手に呆然としておりますトノキンにクロモンの親分が声を掛けます。
「見事なモンだな。今のが本場上方の転け芸、ハリセンチョップかい?」
「へい」
「公爵家の若様のツラまで張っちまったのは、ちいとばかしまずいが。
よくやったなぁ、トノキン。後の事はオイラに任せな。
首が飛ぶような事にはしねえからよ」
宥めてるんだか脅してるんだか……
クロモンの親分、タマノの方へ足を向ける。
「姐さん、少し暴れ過ぎじゃねえかい?
大人しく番屋に来てもらおうか」
「親分さん、あたしはその男に酷い目に遭ってるんだよ。そんなヤツに追いかけられちゃあ、逃げようとするのは当たり前じゃあござんせんか。この縄を解いておくんなさいよ」
言われてみれば、確かにタマノはまだ何もしでかしちゃあおりません。
「一体全体、あたしが何をしたって言うんですかい」
「無銭飲食」
開き直ったタマノに対し、クロモン卿の後ろから声がかかる。そこにいたのは信太の女将。
「タマノちゃん、あんた酒代を払ってないだろ?」
「そいつは……」
「お黙り、小娘。
ブンチ親分。一つ貸しだよ」
「すまねえ、借りとくよ」
明らかな別件逮捕ですが、口実ができれば嫌も応もございません。
タマノもそれが分かってか、神妙に引き立てられて行く。
事の顛末は以下次回。