狐火(一)
クロモン卿のブンチ親分配下に緊張が走っております。と申しますのも、カイノ伯からのお達しで三公の若様がブンチ親分の元に配属されるとのこと。
ここで少し解説を。
ロビン達が暮らしているクセン帝国では爵位は世襲ではございません。
紫綬褒章を受ける手柄を立てた者は、名前の後ろに「卿」を付けて呼ばれます。ロビンの育ての親のバットなんぞがこれにあたり、世間では敬意を込めて「バット卿」と呼ばれる。まあ男爵位とお考え頂きたい。
この紫綬褒章を三代続けて頂く者が輩出された家は、お家の教育が立派と認められて敬意と共に家名に「卿」を付けて呼ばれます。クロモン卿なんぞがこれにあたります。子爵様ですな。
「卿」付きの家の者には「卿」で無くとも貴族院の被選挙権が与えられます。「卿」と呼ばれるのは紫綬褒章を受けた者だけですが、議員さんになればその機会も増えますので、実質世襲に近くはなっております。
そして、この「卿」と呼ばれる中から帝国の知行地の代官や公職の長に選ばれると「伯」、内務省と外務省及び宮内庁の長官になると「侯」と呼ばれます。
この枠外にあるのが三つの公爵家。
初代皇帝陛下ゴンゲン様のお血筋の方々で、次期皇帝はこの御三家から選ばれます。有り体に言えば、公爵家の若様と言えば次期皇帝候補となります。
じゃあ、何でそんなやんごとなきお方が市井に来られるのか?
平たく言えば人気取り。
次期皇帝の候補は三家。これに爵位持ちが入れ札を行いお世継ぎが決まります。
紫綬褒章さえ貰えば誰でも爵位を持っておりますので、爵位持ちは市井にも多くおります。
共に汗を流し、共に飯を食った仲間に票を入れたくなるのが人情ってヤツですから、各家のお世継ぎ候補は市井で働くのが慣いとなっております。
とは言え、受け入れる現場にしてみればなかなかのストレスで。粗相があっちゃいけないし目に見える手柄も立てさせてやらなきゃならない。
嫌なヤツだったらどうしよう。
もしもバカだったらどうしよう。
噂じゃ、一昨年まで手のつけられない暴れ者で、女性に手を出そうとしてお縄になった事もあるらしい。不安と緊張が入り交じるなか、若様が到着いたします。
「ヨウ家のシムネと申します。短い期間ではありますが、皆様と共に帝都の治安維持に尽力したいと考えております。
若輩ゆえ至らぬところも多々ございますが、皆様の一員として粉骨砕身お勤めに励もうと思っておりますので、どうぞ宜しくお願いします」
そう言うと深々と頭を下げる。
噂とは裏腹に、気さくな人柄、真面目な勤務態度。
どれをとっても非の打ちようがございません。
最初はおっかなびっくり、腫れ物を触る様にしていたクロモン配下の面々も、この若様と打ち解けるに時間はかかりませんでした。
おまけに、歓迎の酒席で
「私は入れ上げておりました女性がおりました。その人のためなら全てを捧げても悔いはありませんでした。
しかしある日その人は私の前から姿を消しました。
私はその時思いました。
ああ、あの人が姿を隠さねばならない、こんな社会は間違っていると。
そして決心しました。
こんな不幸が二度と起きないよう社会を変えねばならないと。
それまでの私は生まれの良さを鼻にかけたどうしようもないクズでした。しかし、あの人を失った日に私は生まれ変わったのです。
そしていつか、あの人が生まれ変わった私を褒めてくれる。そんな日が来ると」
そう言ったあと言葉に詰まる姿に、お人好しの多いクロモン配下の一同は一様にホロリ。
そうか、そんな辛い過去があったのか。
にも関わらず、何と健気な…
ああ、このお方のために何かしてやりたいと心を一つにいたしました。
そうは言っても事件がほいほい起きるわけもなく、ノレロの街は平常運転。
クロモン配下もいつものように見廻りで町を徘徊しております。
動き回れば腹も減る。
ロビンは今日も今日とていつもの店へ顔を出す。
お目当てはラガン邸から暇を出されたノーラちゃん。
ノーラちゃん、先の大罪の珠の顛末で、珠の魔力で大黒猫に変化したんじゃないとばれてしまい、その原因が木の芽刻と知れると夜這いをかけようとする輩まで現れたためラガン邸を暇乞い。クロモン卿の口利きで「めし処 信太」の看板娘に収まっております。
この「めし処 信太」、昔は美人だったと偲ばれる女将が切り盛りしており、若い十手持ちには盛りを多目にしてくれる。おまけに小町と呼ばれる看板娘が入ったとあって昼時はいつも大賑わい。
ロビンの様な若手は少し時間をずらせ、遅目の昼食を摂るのが仕来たりってもんで。
ロビンは相棒のトノキンと暖簾を潜ると、店の奥には見慣れたホネが。
「リッつあん、また昼間から飲んでんのかい? いいご身分だねえ」
「おうよ、ビン坊。ちいとばかり泡銭で懐が暖かいからよ。
オメエさんがノラちゃんに振られるのを肴に一杯飲るのが近頃のワッシの一番の楽しみだからよ」
「るせい、こきやがれ! 何でオイラが振られる前提なんだよ!」
「ほう、じゃあ振られねえと?」
「たりめえだ。まだ一回も振られてなんざいやしねえよ」
「見栄張んなよ、直ぐにばれンだからよ」
「リッつあん、ロビンの言うてる事、ホンマでっせ」
「トノキン、おまえ友達思いの良いヤツだなぁ。でもよ」
「いやホンマやて。未だ一回もデートに誘ってないだけや」
「なるほど! それじゃ振られようがねえ」
「ほんで、今日こそはと」
「るせい! こんな空気の中で口説けるもんか!」
「良かったなあ、ビン坊」
「どこがでえ!」
「誘わねえ口実ができてよ。
ノラちゃん、この二人に食い物持ってきておくんな。今日の勘定はワッシ持ちだ」
「あいよ、リッつあん」
ノラちゃん、笑いを噛み殺しながら店の奥へと消えていきます。
「ところでビン坊。クロモンの親分さんから呼び出しくったんだって?何があったんでえ?」
「なんだよ、もうリッつあんの耳にも入ってんのかい?
実は捕縄を使うのを禁じられたんだよ」
「そいつぁまた…イッテエそいつはどうした訳で?」
「親父に教わった捕縄術を使うと、どうも敏感なとことやらに当たるとかで…」
「敏感なとこ?」
「でもって、縛られると嬉しがるらしくって、取調べがうまく進まないとかで」
「……ビン坊、オメエ何したの?」
「分からねえ。
そうだ、ノラちゃんに聴いてみるか。
ノラちゃん、敏感なとこに当たるとどうなんの?」
バン!バン!ゴン!!
手にしたお盆で三人を殴りつけ、ノラちゃんは顔を真っ赤にして店の奥に逃げ込みます。
「ロビン〜、あんさんもう少しデリカシーってヤツを身につけてんか。
とばっちり食うの、これで五回目でっせ?」
トノキンの心からの愚痴が、一人だけお盆の縁で殴られのたうち回るロビンの耳に届くと良いのですが……