迷宮が尽きる場所(3)
縫い合わされた脚の傷は、しばらくの間じんじんと痛んだ。
なんとか歩けるようになると、ジャンシールは真っ先にセレスタン教会を訪れた。かたわらに相棒をともなって。
「本当に大丈夫ですか? 疾風と迎えにこようかと思ったのですが」
アニスはすっかり平気な顔をしているが、彼女も命を危険にさらしたことをジャンシールは忘れていない。
忘れられないさ、とこっそりつぶやき、彼は笑顔を返した。
「いいんだ、甘えると脚が弱っちまう。そっちこそ肩は…… おっと、左腕がやけに青いぞ?」
そう指摘されると、彼女は「袖だけつけ換えました。騎竜隊も予算が乏しいので」と達観した様子で説明した。
礼拝堂の屋根の上では、人足たちが修繕を急いでいる。見上げたアニスがふと言葉をもらす。
「礼拝は、教務棟の講堂でまかなっているそうですね」
「ああ、入れ替え式で車輪みたいなお祈りだってな。年が明けるまでに直るといいんだが」
ジャンシールが情けない表情で答え、アニスは色々な思いを乗せてうなずいた。
「ええ。建物だけでも、元のように……」
二人が目指す場所は礼拝堂ではなく、その裏手にあった。
階段の入口を守っていた憲兵が、目礼とともに脇へ退く。そこを下り、貯蔵庫を通り抜け、壁の奥に隠されていた扉を開く。
その先には、さらなる階段が地下へと伸びていた。
のぞき込んだアニスが張りつめた声でささやく。
「封鎖されずに残った道ですね。長い時をこえて」
「真の迷宮…… の、切れはしだな」
ジャンシールが触れた石壁は、氷のように冷たい。二人はランタンを頼りにして地中を下っていく。
やがて階段は尽き、ひとつの部屋が口を開けていた。
足を踏み入れた魔導士は、言葉を失って大きな祭壇をあおいだ。
純金と白銀の組み合わさった複雑な台座。
いたる所に据えられた球体の水晶は完璧に澄みわたり、そこでなければならない正確な位置に保たれているのがわかった。
「これがランドレンの術法……」
ジャンシールは思わずつぶやく。
構造物の内側に入り込んだエーテルが、螺旋を描きながら天井へ…… その真上に位置する女神像へと登っていくさまがありありと見える。
エーテルを素質に。
高めた素質によって、さらに他者の素質を奪う。
その力は三十の上限を取り払い、神の光さえ作り出した。ランドレンが完成させたのは、まったく新しい強大な魔法だった。
神秘の源が身体を駆けめぐる生々しい感覚を思い出し、ジャンシールはかすかに身を震わせる。
「……堕ちた祭壇ですね」
並び立ったアニスも、見えない力を感じ取ろうとしていた。
多くの人々はあの夜の騒ぎを、エーテルの…… 魔導の力の“暴走”だととらえていた。
王都で裁定を待っている今、ランドレンの罪を信じない者も少なくない。
「悪い冗談だ、あんな立派な方が!」
「死んだ魔導士がそそのかしたのよ。そうに決まってる……」
あちこち飛びかう噂を思い出し、ジャンシールはため息をついた。
見舞いにやってきた庭師のヴィコも、ギルーの悪評にいきどおっていた。
「確かにあの人は道を踏み外した。けど、司教に出会わなければあんなことにならなかったんだ」
彼とギルーの関わりについて聞いていたジャンシールは、「よき魔導士のギルーを覚えていてやりな。いずれあんたの話が必要になる」と広い肩を叩いた。
だが悪い話ばかりではない。憲兵隊の肝煎りがあって、バーナディー卿は彼を雇いつづけることにしたという。
「婚約者…… いや、奥さんも一緒に? そいつはよかった!」
「もう隠しごとはするなって、でかい釘を刺された。後がないけど、二人なら頑張れるよ」
それでもギルーのことを考えているのだろう、ヴィコの笑みは控えめだった。
祭壇との対面を終え、階段を上っていく最中、ジャンシールもギルーに思いをはせた。
彼はランドレンに手を貸しながらも、どこかの時点までは純粋な魔導の発展を求めていただろう。
ギルーの理想。それに、ノーリックが秘めていた苦悩。誰かひとりでもその心に通じていれば、彼らは引き返すことができたかもしれない……
マントに包まれた肩が落ちる。太陽の下に戻ってから、アニスが励ますように声をかけた。
「これからですよ、魔導士の使命は」
ジャンシールは緑の瞳で彼女を見上げた。
「……そうだな。大きな役割だ」
無理解と恐れを越えての融和。
きっと導ける、自然に沿うエーテルの心を忘れずにいれば。
遠くの路地に、通りがかった三角頭巾が手をあげていた。彼はいっぱいに手をふり返した。




