迷宮が尽きる場所(1)
彼は故郷の山を歩いていた。
風雨が削り上げた厳しい岩肌と、裾野に広がる深い森。大きな鳥が、時の止まったような青空をゆく。
山羊の群れを率いている。細い道のむこうに見えてきた、石づくりの小さな家……
生まれ育った家だ。
扉の前に誰かが立っていた。山に生きる民の飾らない身なり。黒い髪、輝く緑の瞳、その強いまなざし。
あたたかい懐かしさが胸に込みあげ、彼は叫ぶ。
「父さん!」
駆け寄ろうとするが、父は山羊飼いの杖を振って息子をさえぎった。さらなる道の先を指し示す。
坂の頂点には、一頭の竜がいた。
逆光の中で騎手がふり向く。風が走り、マントと長い髪をなびかせる。うっすらと浮かんだ顔に女神の姿が重なった。
そうだ。
まだ、先がある。
彼はもう一度歩き出した。
ジャンシールが目を覚ましたとき、イェリガルディンは引っくり返っていた。
「教会はしっちゃかめっちゃかだし憲兵は仲間割れしてるし、もう大変だよ! エーテルは落ちついたから安心だけど…… 君のおかげでね、大魔導士さま」
おどけて笑ったピオは、診療所のベッドに起き上がった友人の背を叩いた。ジャンシールもようやくもとどおりの笑顔で胸を張る。
「ああ、好きなだけ感謝してくれ。貢ぎ物はりんご酒一瓶でいい」
「脚の傷がくっつくまで禁酒令だってさ! 残念だねえ」
少し開けた窓から、新しい空気とエーテルが流れてくる。
奪われた魔法素質が戻ったことにジャンシールは安堵していた。少しの後ろめたさを覚えながら。
彼は、水差しをかたむけるピオへ静かに尋ねた。
「……ランドレン司教は。ノーリックはどうした?」
二人は真剣な視線を交わす。
「王都に引き渡されたよ。モロワ所長も裁定に加わってる。それと、コレット行政官も……」
どうやら行政官は、大きな権威からの頼みを受けて事件の混乱を仕組んでいたらしい、とピオが高い声をひそめた。
「アニスさんの監禁と、憲兵隊の捜査の誘導。それから、外部の協力者とランドレンとの連絡を仲介していたんじゃないかって」
「まさか…… あんなに長い間、イェリガルディンを守ってきたのに?」
ジャンシールは、執務室の卓につくコレットを思い浮かべた。物静かで乾いた、どこか遠くを見つめる顔。
ピオもまだ信じられないのだろう、難しい表情でうなずいた。
「きっと仕事みたいにやったんだと思うよ。いや、彼にとっては同じことだったのかな…… 罪かどうかは問題じゃなかったんだ」
君は正しい仕事を果たしたね、と友人は強く言った。
あの夜、教会に向かっていた魔導士と憲兵たちは、夜の天に駆け上がっていく光の奔流を目にしていた。
人の手で歪められたエーテルが、人の手によって戻された。
彼らは瞬時にそう悟り、最後の一筋が消えるまで、畏敬の念に打たれて空を見上げていた。
礼拝堂に駆けつけた一団を迎えたのは、
「遅い!」
というゼルガーの一喝だった。彼の指示で憲兵が動きはじめ、その場の混乱は徐々におさまっていく。
道の途中で倒れていたピオも、仲間に助けられてやっと中に入ることができた。
目に飛び込んできたのは、四枚の翼が無残に崩れ落ちた女神サイデアの姿だった。事態の大きさに息を飲み、急いで友人を探す。
ジャンシールは、女神の足もとに倒れていた。
そして、アニスもそこにいた。落ちた翼と一緒に横たわる彼を、固く抱きしめながら。
動きを止めた二人は、淡い光の中で石像の一部のように見えた。




