瞳に終焉をうつして(3)
「なぜ笑っている?」
私の顔に笑みを見つけると、あの方はよくそう尋ねた。
答えは取るに足らないようなもので、空が抜けるように晴れているとか、陽や風があたたかいとか…… それでも、あの方はいつも「ああ、そうだね」と優しくうなずいてくれた。
冷たい雨は、私が何より嫌うもの。
ひとりぼっちで動けなくなって、枝葉の沈むぬかるみに埋もれていた時のことを思い出してしまうから。
過去が心を覆い出すと、あの方を思って祈る。
私を死から引き上げてくれた白い手の輝き。それに、初めて交わした言葉を胸に抱きしめて。
「お前は、私のために働いてくれるかい」
はい。
「すべてを捧げて?」
はい、私のすべてを。
「いい子だね。では名前をあげよう……」
その瞬間、私はやっとこの世界に生まれることができた。
名を呼ばれ、教えをさずかり、刃と魔導の鍛錬を積む。野良犬のように暮らした日々を思えば、何を求められてもつらくはなかった。
偉大な研究にいどむあの方の助けになりたくて、それだけのために生きた。
「さあ見てごらん、この術法が完成すればたくさんの人が救われるんだよ」
私が救っていただいたように?
「そう、お前が生まれ変わったのと同じように。しかし王都の周りは邪魔が多い…… 今回も上手に片づけてくれたね、シーダ」
笑顔で頭を撫でられ、嬉しさと恥ずかしさで微笑みを返す。それが私の幸せで、いつまでも揺らぎはしないと信じていた。
けれど、あの騎竜兵は私を見抜いた。
打ち倒した私にとどめを刺す代わりに、アニス・クウィントはこう言った。
「あなたの望みは、こんなことではないでしょう」
心の真ん中を突かれて私は固まる。それは自分自身にさえ隠してきた真実だった。
研究を仕上げるためイェリガルディンに来たのに、何かが変わっていき…… いつしか私はとても欲深くなっていた。
穏やかで素朴で、だけどいきいきと暮らす北の都の人々。
私もあんなふうに生きたい。
りんごの香る美しい町で、ずっと、あの方と一緒に。
影と血と魔法が織りなす終わりのない迷宮から引き返し、ただ女神につかえる二人の人間として。
この許されない願いを悟っても、アニス・クウィントの声は優しかった。
「気づいているはずです、彼が道を誤っていると…… 従うことがあなたの愛し方ですか?」
「…………」
私が答えないと知って彼女は背を返す。部屋を出ていく前にもう一度だけふり向いた。とても悲しそうな顔で。
「本当の気持ちを伝えるべきでした。まだ、言葉が届くうちに」
女神様が見える。
私は、間に合いましたか。
「……シーダ?」
ランドレンの声が静寂を破った。
少女は光につらぬかれたまま彼を見つめた。かたわらに座り込んだアニスが呆然と見上げている。
シーダは少し唇を動かしたが、そこからは一筋の血が流れ出ただけだった。大きく息を吸いかけ、止まる。膝が折れる。
それに合わせ、あたりにきらめいていた光が薄くなる。
消えていく繭を通してランドレンが手を伸ばすと、小さな身体がゆっくりと崩れかかってきた。
彼は空白の中で混乱していた。
研究を始めたころ、通りがかった町で気まぐれに拾い上げた子供。
勘がよく素質もそなえ、思いのほか役に立つので側においていた。それだけだ。壮大な研究にくらべたらほんの小さな点にすぎない……
ならば、この身の震えは何だ?
司教は抱きとめた少女の頬に触れた。
閉じかけていたまぶたがそっと開き、凪いだ海の色の瞳が彼をとらえる。ランドレンは低く揺れる声で尋ねた。
「シーダ、なぜ……」
なぜ、笑っている?
彼の腕の上に、少女の頭ががくっと垂れた。




