滅びの光明(3)
行政庁の中は人気もなく、がらんとしていた。
唯一残されていた門番が、薄暗い階段を上がってくる。つづく廊下を奥まで進み、執務室の扉を叩いた。
「行政官、憲兵がきています。直接お話ししたいとのことで」
少しおいて戸が開き、コレット行政官が姿を現す。表情の乏しい顔はいつもどおりだったが、彼はわずかに部屋をふり返る様子を見せた。
「おや、何かされている途中で?」
戸惑った門番に、コレットは「いいや」とだけ返して先を急ぐ。
階下には、寒さに鼻先を赤くした隊員が待ちかまえていた。行政官を見るなり早口に告げる。
「ヤヴィック総隊長から伝言が。魔導庁上層部の住居を捜索するので、夜明けまでに令状を発行していただきたい」
「承知した。明日の魔導庁の業務は?」
「隊の厳重な監視にもとづき、適切に行う。恐らく、こちらからも人員を借りることになるが……」
いくつかの打ち合わせを終え、コレットは執務室へ戻ってゆく。長い廊下に異変はなかった。
しかし、扉を開けたとたん凍った風が襲いかかってきた。
「何……!?」
見れば正面の大窓が開き、重たいカーテンが激しくはためいている。書類が舞って部屋じゅうに散らばった。
コレットは鋭く息を飲み、卓の後ろの大きな柱に走り寄った。
思ったとおり、石彫りの仕掛けに動いた跡がある。慌てた彼がかたわらの壁を押すと、その部分が内側にむかって大きく開いた。
現れたのは、地下へと伸びる長い階段だ。
彼は一目散に駆け下りる。足音は石壁を伝って迷宮に響くだろう、だが気にかけている余裕はない。
踊り場には中扉があったが、アニス・クウィントは衰弱した身体でどんな底力を出したのか、錠前は無残に破壊されていた。
扉を越えてコレットは急ぐ。イェリガルディンのどこよりも深い場所を目指して。
秘密の道が開いたのは、一年前の冬のことだ。
コレットが夜更けまで仕事をしていると、背後から何かを引きずるような音が聞こえた。
気のせいかと思ううちに音は激しくなる。ついにふり向いた彼は、壁だったはずの場所が動き出し、その先に空間が開けるのを、椅子に座ったまま呆然と見ているしかできなかった。
そこからホコリまみれで現れたランドレンが、
「ああよかった、地図どおりだ! 他の道は行き止まりばかりで…… こんばんは行政官、お疲れですか?」
とにっこり笑いかけてきた時、コレットの頭はようやく回り出した。
「ついに幻聴かと…… これはどういうことだ、どこからここへ?」
「もちろん教会から、本当の迷宮を抜けて。さあこちらにどうぞ、行政庁の敷地が少しだけ増えますよ……」
司教の手に招かれ、彼は暗く深い階段に初めて足をつけたのだった。
底に辿りついたコレットは、つきあたりの小部屋に飛び込む。石畳の隅にうずくまる少女を見つけ、彼の心臓が止まりかけた。
「シーダ!」
「コレット様……」
弱々しい返事とともに泣き濡れた顔が上がり、行政官は安堵によろめいた。「大丈夫か、怪我はないかね」と手の紐を解いてやる。
「私、だめでした。間違ったんです」
ふらふらと立ち上がった少女は、涙もぬぐわずに扉へ向かおうとした。その両肩をそっと押さえ、コレットが痛ましげに語りかける。
「もういい。ここにいなさい」
この少女がどういう者であるかはとうに知っている。それでもなお、深い慈しみの心を消し去ることはできなかった。
イェリガルディンに赴任する前、遠い町にいた彼には妻と子があった。
小さな、とても小さな可愛い娘。病を生き抜くことができたなら、シーダと同じくらいの年ごろになっていたはずだ。
“新たな司教には、じゅうぶんな便宜をはかるように”
ある筋からそのような指示を受けた時、コレットを素直に従わせたのはこの少女の存在だったかもしれない。
しかし今、彼の言葉を聞いたシーダは泣き顔を横に振った。
そして、
「私はあの方のもとへ。ごめんなさい、コレット様」
と声を残し、音もなく駆け出してしまった。
もう止められないと悟ったコレットは、立ち尽くしたまま運命を呪う。
あの少女が、ランドレンではなく私と妻のもとに巡りあわせていれば。わが子に劣らぬ愛情をそそぎ、慎ましい家族になることもできただろうに……
長く重いため息が、閉ざされた迷宮の一端にひっそりと響いた。




