交渉(1)
訪れた足音はひそやかだった。
目隠しの下でアニスはまぶたを上げる。それに応えるように、頭のうしろで結び目を解く気配がした。
ふわっ、と風をともなって光が満ちる。
ごく弱い明かりだったが、アニスはまぶしさに目を細めた。ばやけた視界の端に黒っぽいブーツが現れ、立ち止まる。
顔を上げた先に、コレット行政官が表情もなくたたずんでいた。
「寒くないかね。火を入れているが、夜は冷える」
と、鈍色のマントを静かに揺らし近づいてくる。
アニスは思わず身じろぎしたが、両手は椅子の背に縛られていた。
かすかな頭痛がぶり返して唇を噛む。牢で出された薬湯に何かが混ざっていたのだろう。それは彼女の意識を奪い、ここへ連れてきた。
コレットが絨毯の上まで来ると、わずかな足音も消えた。
彼の入ってきた扉が細い通路の先にうかがえる。白っぽい石壁に見覚えはないが、ここは地下だという気がした。
背後にひかえる何者かが、すらっと刃物を抜く音を立てた。
その音でアニスは思い出す。まだ憲兵隊が組織されていなかった時代、行政庁は罪人を裁く役目を負っていた。
コレットの身分記章がそれを物語る。結ばれた綱を描いたメダリオンは、本来、死刑執行人の証として作られたものだった。
アニスは心を落ちつけて行政官を見据えた。
「何のために、私を?」
久しく発していなかった声は苦しげにかすれていた。行政官の目に少しの哀れみが宿る。
「手を引いてもらいたい」
と、彼は簡潔に答えた。
「謎は追いきれない…… 君がそうと導けば、あの魔導士も疑わないだろう。彼は純良だ」
「ジャンシールが諦めるとは思えません。たとえ私が消え去っても」
「では試してみるかね」
二人の口ぶりは冷静だったが、同時に刃のようでもあった。
気丈な相手を見つめていたコレット行政官は、ため息まじりに「見返りはある」と告げた。
「協力してくれれば、君の友人…… トホスの町にいるレヴィア・ネストを救ってやろう。彼が失った魔法素質を、それ以上の力を与えられると言ったら?」
「何を、あなたは……!?」
動揺をあらわにしたアニスへ、コレットが書類を読み上げるように続けた。
「このメダリオンにかけて約束する。レヴィア・ネストは自分を取り戻し、君のもとへ帰るだろう。幸福を手にするには、迷宮に謎を沈めるだけでいい……」




