閉ざされる夜(2)
馬を出せばよかった、とゼルガーは後悔していた。
隊員の目につくのを恐れて走り出てきてしまったが、ジャンシールのいる丘まではまだ遠い。一刻も早くアニスの消失を伝えたいのだが……
頭上にはすでに星が光っている。
ごうっと鳴る風が落ち葉を巻き上げ、天を動かす。激しく流れる雲の合間に、月が忙しく出入りしていた。
白い息を切らしかけたとき。
「おや、ゼルガー殿!」
と驚いた声が、彼の足を止めた。
小道から手をあげたのは、騎竜隊長だった。
その先に竜舎の明かりが見えている。中心地の騒動を知らないのだろう、青い制服の老人は控えめに尋ねてきた。
「うちの者は、まだ帰れませんかね。あれがいないと竜が落ちつかなくて」
その言葉を裏づけて、竜舎から大きな鳴き声が響いてきた。
ゼルガーはハッとして目を見開く。
「隊長。馬と竜と、乗り方は同じだな?」
「えっ? ええまあ、鞍に座るといえば……」
戸惑った老人の肩を叩き、ゼルガーは決心して申し出た。
「少しの間、俺に貸してくれ。隊とは関係ない個人的な用事だが、とても急いでいる」
彼の顔はこわばり、血の気が失せていた。
小隊長らしからぬ剥き出しの必死さに押され、老人が竜舎へ走る。すぐに一頭を引いて戻ってきた。
「さあ、出番だぞ疾風。こちらの旦那の言うことをよく聞くんだ」
手綱を渡されたゼルガーは、鱗をまとう長い顔を間近にして動きを止めた。
昔むかし、ゼルガー家総出で式典見物におもむいた。
古い戦勝を今にたたえる、兵士の記念日。最前列に陣取ったフィリッド・ゼルガー少年は、一糸乱れず行進する憲兵隊を目前にして、すっかり夢心地だった。
見とれるあまり、周りの声に気づくのが遅れた。
「坊や、そこは危ない。来るぞ……!」
何が来るって?
と振り向いたすぐそこに、巨大な竜の顔が少年を出迎えた。
悲鳴を上げる前に、ざらり、という感触が頬をこすって、その先の記憶はない。
“竜のあいさつで卒倒したフィリッド”の笑い話はいまだに親族の間でくり返されていて非常に不名誉だったが、今はそれ以上に差しせまる問題があった。
怖い。
夜空を背にした疾風号と向かい合い、ゼルガーはごくりと唾を飲み込んだ。
恐怖の根源に齢など関係あるものか。どれだけ経っても慣れないものは慣れないのだ!
一方の疾風号は、見知らぬ背の高い男を眺めてこう考えていた。
嫌な赤服だが、他のやつとはちょっと毛色が違うようだ。
こいつを乗せるのはぜんぜん少しもまったく気に入らない。けれど、外に出られたら主人を探せるじゃないか!
善は急げだ、早く行こうぜ!
と、竜は硬直しつづける乗り手の顔を鼻先でどついてやった。
ますます暴れ出した風の中、セレスタン教会の内部は不穏に張りつめていた。
長い祈祷を終えたランドレン司教は、魔導庁の騒ぎを知らされ「何と、それは……」と美しい眉をひそめた。
「それだけではないんです。使いに出たシーダが、まだ戻りません。騒動に巻き込まれたのではないでしょうか!」
事情を話す司祭は混乱しきっていた。うろたえる彼の肩に、ランドレンがしっかりと手を置いた。
「いま探しに行くのは危険です。風が収まるまで教務棟の番をして下さい。いいですね?」
言い含められた相手が何度もうなずく。ランドレン司教は、出てきたばかりの礼拝堂へ静かにふり向いた。
「私は祈りを続けましょう。どうかこの夜が女神に守られ、何ごともなく明けるように……」




