道を求めて(2)
「雪は止みましたね。お帰りも気をつけて」
看護人に送り出されたアニスは、疾風号とともにトホスの町を後にした。
ふり返ってみると、明かりの灯る療養所がおぼろげに浮かんでいる。すっかり見慣れた丸屋根とくたびれた外壁の先に、別れてきたばかりの相手を思った。
彼が目を閉じている時は部屋に入らないことにしていて、今日がそうだった。言葉を掛けられないのはつらかったが、穏やかな寝顔は小さな救いにもなる。
「本当に落ち着きました。あなたがいらしてからですよ」
と、看護人が後ろからささやく。たくさんの毛布にくるまっているレヴィアは、翼を伏せた鳥のように見えた。
あなたの眠りが夜を越えますように、と心のうちでつぶやく。
鞍に提げたランタンが踏み散らされた雪の道を照らす。立てた襟に顔をうずめ、冷気を割って走っているうちに、故郷で過ごした幼い日がよみがえってきた。
あたたかな季節。
花と光の庭を二人で駆けた。スカートがたっぷりの風をはらみ、髪に結んだリボンをなびかせる心地よさ。
「アニスは足が速いな。まるで竜だ」
と、追いついてきたレヴィアが笑う。
彼女には見えないものを見る、くっきりとした目。微笑むたびに濃い茶の瞳がぎゅっと狭まって、その瞬間が好きだった。
互いの道がわかれ、慎みを持てと小言をもらうようになってからも、二人は顔を合わせれば変わらない遊びに興じていた。
最後になった日をよく覚えている。
親戚じゅうが集まる、夏至の祝日。にぎわいの中、レヴィアは始終うわの空で座っていた。
そっとグラスを差し出すと、彼はようやくアニスに気づいて「やあ、久しぶり」と弱々しく微笑んだ。帰郷の旅で疲れているのだろう。
彼女はあれこれ聞くのをやめ、自分のことを少しだけ話した。
「学院で歴史の編纂を学んでいるんです。家の史料を端からひっくり返して、お母様に大目玉をくらってしまったの」
笑顔を見せてほしかったが、彼は「そうか、歴史を」と遠くを眺めてつぶやいただけだった。強い陽の射す窓際に並び、二人は黙り込む。
アニスは、今日のために新しくしたドレスも髪に飾ったベルフラワーも、急に虚しく思えてうつむいた。
「……アニス」
と、レヴィアが静かに手に触れてきた。
「僕は、迷って」
口にしかけた言葉が途切れる。
アニスはその瞳を見つめて待った。彼は自分の中の何かを押し込め、目を伏せてしまう。
しかし、視線を上げ直したわずかな時間にだけ、以前の面影が戻った。
「歴史を扱う者は正しくないといけないね。君によく合っている」
「あなたに言われると、そんな気がする」
アニスが返す。ひとつうなずいてから、レヴィアはかすれた声でささやいた。
「君のようにありたい。たとえ何を失ったとしても……」
彼が療養所へ送られたと聞いたのは、その秋のことだった。
イェリガルディンに入ると、アニスは己の心を事件へと寄せた。
どうにかしてゼルガーに頼み、ギルーの遺体を見せてもらおうと決心する。素人の目で見えるものもあるだろうし、それがノーリックの行方につながるかもしれない。
竜舎に辿りついた彼女は、疾風号の鞍を解き身体を拭いてやった。細長い顔が「グー」と甘えて寄りそってくる。
「ありがとう、疾風。よくお休み」
と、竜の首を抱いて目を閉じた。なりゆきで志願した騎竜隊だが、いまや竜たちは彼女にとって欠くことのできない存在になっていた。
片づけを終えて外に出る。あたりは凍る闇夜に包まれていた。身を縮めたアニスが仰ぐ空に、光はなかった。
星空の女神をあがめるこの国で、黒い夜は凶兆の一つとされている。
それを裏づけるかのように翌日の騒ぎは起きた。




