犠牲と消失(1)
冬の足音がイェリガルディンに響き、星も凍る寒さに人々の口は一層重くなる。調査の足取りも、それに合わせるように遅々としていた。
モロワ所長がどれほどの圧力で迫ったのか、訴えを受けた憲兵隊は一応の調べを行った。しかし……
「よく聞け。お前が襲われた日、庭師のヴィコは間違いなく屋敷にいた。近隣の者が複数証言している」
と、魔導庁を訪れた隊員が無愛想に告げ、おまけのように顔をしかめた。
「バーナディー卿の使用人を疑うとはとんでもないやつだ。現場も見たが異常はなかった、おそらく物盗りの線だろう」
これを聞いてジャンシールは大げさにマントを広げてみせる。
「この貧乏魔導士を狙って? 追いはぎ犯は正気じゃないな、それとも深酒でもしてたのか」
憲兵は制帽の下から刺すように見返した。
「お前たち、もう意味のない調査は止せ。ハドマント・ギルーは出奔したとみて諦めるんだな」
もちろん彼らは従わなかった。
ヴィコとギルーの関係はまだ明らかになっていないのだ。しかしバーナディー邸に近づくことも難しくなった今、たった二人での調査には限界があった。
ひとつよかったことに、迷宮での襲撃以来、身の回りで怪しい動きは感じない。
「犯人はヴィコじゃなかった…… が、ギルーでもない気がするんだ」
ジャンシールはアニスにそう話していた。
あの時、襲撃者は少しの熱も発していなかった。かつてカヌの町で向けられた殺意を思うと、あまりにも異質だった。
相棒も難しい表情でうなずいた。
「私も考えていました。手際がよすぎる、相応の訓練を受けた者かもしれないと。ただ、イェリガルディン周辺でそのような組織の噂は聞いたことがないですね」
彼女の言うとおり、ここは平和な都のはずなのに。
やりとりを反芻しつつ、りんご畑のあぜ道に差しかかったとき。曲がり角から大きな黒馬が現れた。
「何だお前か、領民魔導士」
と、手綱をとるゼルガーが赤い制服の胸を反らせた。
「迷宮で死に損なったそうだな。よほど逃げるのが得意のようだ」
「ああ、型どおりの捜査をしていただいたよ。そちらさんも相変わらずお忙しい、何に励んでるか知れたもんじゃないが」
ゼルガーは、憎まれ口にも腹を立てず「我々は市民を守っている」と生真面目な調子で背筋を伸ばした。魔導士が笑いもせずつぶやく。
「危険なやつが確かにいるのに、巡回すら増やさないと言ってたぜ。憲兵なんてカカシにもならない」
二人は冷たい風の中で睨み合う。
ゼルガーの梟に似た顔が、ついと前に向けられた。
「そういう口を利くとは、守る必要もないらしい。ならば逃げずに戦え、お前には天地がひっくり返っても無理だろうが」
それ以上やりあう気はないようで、彼は捨て台詞を残し去っていった。
ジャンシールは「はあ」と間の抜けたため息をつき、りんごの木の下で肩を落とした。
リートスク王国を築いたリート人と、歴史の歩みの中で接収されたブルネリアンとの確執は根深い。
遠い時代のこと。リートスク王国は、隣接する大国から急な派兵を要請された。
焦った国王は“互いの危機には馳せ参じよ”という古い盟約を掘り出し、辺境から人手をかき集める。
そこに唯一加わらなかったのが、ブルネの山の民だった。
彼らの土地には、盟約を交わした記録などどこにも残っていなかったのだ。しかし結局は男手が連れ出されてしまい、その全員が戻らなかった。
それ以来、
「ブラカイムの領民は、戦いを恐れて盟約を隠蔽せんとした」
「リートスク王国は、ありもしない盟約をかかげて大事な家族を奪い去った」
との対立が生まれたわけだった。
いがみ合いは続いている。特に、由緒ある家柄のリート人は、今も戦史への誇りを叩き込まれて育つものだ。
だが騎士の家系であるはずのアニスは例外だった。
変わったのかもしれない。レヴィアという名の、病み疲れた者に寄り添う中で。
彼がどんな人物なのか、ジャンシールはふと気になった。いつか尋ねられるだろうか。この謎を晴らした穏やかな日々の先に。
枝の間をエーテルが流れていく。彼は顔を上げ、それを追いかけて歩き始めた。
ささやかな願いが彼方へ消えたのは、次の早朝のことだった。
「起床だ領民! くそっ、なぜ俺がこんなことまで……!」
苛立った声とともに部屋の戸が破れんばかりに殴られ、ジャンシールは飛び起きた。あたりはまだ暗い。
急いで顔を出すとゼルガーの鋭い目が見下ろしてきた。
「どうした、何があった!?」
激しくまばたきするジャンシールに、不機嫌きわまった口調が投げつけられた。
「ハドマント・ギルーの遺体を発見した。探し出せなくて残念だったな」




