追う者は追われる(3)
あの一言がなければ、とジャンシールは過去を見つめた。
「俺は、すり切れてねじ曲がって終わっていただろうな。これで本当に魔導士になれる、この人の下で、この都で力を尽くそうと思った」
アニスは共感を示してうなずいた。
それから静かな手つきで縫い糸を断ち、「できました」とマントを広げてみせる。切り裂かれた箇所がわからないほど、ていねいに塞がれていた。
ジャンシールは「お見事!」と照れくさそうに受け取り、
「こいつはお礼だ、農家の傑作を味わってくれ」
と、もう一つの杯を彼女へと押し出した。
機を見はからった看板娘が注文を取りにくる。
「お二人さま、お腹も空いてるよね? 今日はいい川魚が入ったの、熱々の揚げ物ができますよ!」
「じゃあ俺はそれをいただこう。どうする、相棒?」
急に格好つけ出したジャンシールに合わせ、アニスも取り澄まして選定を済ませる。ロロが調理場へ引き返していくと、「よくわかりました」としみじみつぶやいた。
「何がだ」
ジャンシールがじろりと目を向ける。
「いえ、あなたの歩みが。憲兵が苦手なのは山を下りてからですか?」
「まあな、このなりだと理由もなく追いかけられるんだ。あんたの家は、きっと王都の近くなんだろうな」
控えめに尋ねると、相手は「ええ」と素直に肯定した。
「古くは貴族に仕えていた騎士の家系です。しかし騎竜隊に入ったのは私自身の意志でした。彼の近くにいようと……」
彼、と口にしたとき、視線がふわっと浮いた。
青灰色の瞳が思い出ではない何かを見つめている。ジャンシールも一緒になって宙を見上げた。
「今日の見舞いは、よかったのか」
問われたアニスが微笑んだ。
「あれから持ち直したので。彼…… レヴィアは、トホスの療養所にいるんです」
地名を聞いたジャンシールはわずかに目を細めた。東の道の先にある小さな町は、心を見失った者の静養地だと聞いていたから。
アニスは、彼にうなずいてからこう続けた。
「私たちは遠い親類ですが、同じ都で育ちました。彼が精神の均衡を失うと、一族は体面を保つためにトホスへ追いやったのです」
あの小さな童話集は、かつてレヴィアから贈られた物だという。
「読んで聞かせます」
と、彼女は恥ずかしそうな表情を見せたが、すぐに苦しげな影がおおい隠した。
「彼は応えませんが。私にできることはそれぐらいなので」
うつむいた顔は、悲しみを抱える者だけが持つ目に見えない光を宿していた。
彼女の心を大きく占めているものに触れ、ジャンシールの胸に祈りの気持ちがあふれ出す。励ますように微笑みかけた。
「あんたは女神というわけだ、彼にとって」
「どうでしょうか」
アニスは寂しそうに笑う。しかしジャンシールは、視線を交わしたまま言いきった。
「そうに決まってる。確かめられる日がきっと来るさ、りんご酒の大樽を賭けたっていいぜ」




