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行政官が溜息を(1)

「確かにギルー君とは顔見知りだ。特にこの秋にかけては、バーナディー邸についてのやり取りが増えていたからな」

と、ユベル・コレット行政官は、積み上がる書類の奥で疲れたように(あご)ひげをさすった。

「だがそれだけだよ。彼個人にかかわる事柄は一切関知していない」

 真横に引いた線のようなまぶたから濃い灰の瞳が二人を見つめる。

 それはちょうど彼の着ている制服と同じ色をしていて、この職に就くことを運命づけられていたかのようだった。

 胸もとの身分記章は、固く結ばれた(つな)の図柄。何年もの間についた細かい傷で輝きが鈍っていた。


「仕事の話でかまいません。彼に何か変わった様子は?」

 ジャンシールが食い下がるが、コレット行政官は首を横に振る。

 かたわらの扉が開き、「こちらの決済も急ぎです」と部下が書類山に高さをを足した…… かと思えば別の者が「王都から返礼が、ご確認を!」と重たげな荷を置いていく。

「いつもこれほどお忙しいのですか」

 アニスが問いかけると、行政官は「町が広く、人が多いほど課題は増える」と長い身体を卓の上にかがめた。

「しかし就任当初よりはましになった。もう十年も昔だが……」

 遠い視線は、過ぎた時間を懐かしむというよりもその長さに飽いていた。

 まっすぐな茶色の髪も、慎ましい口ひげも顎ひげもきちんと整えられているのに、彼はいつでもくたびれた印象を与えた。



 行政庁は、イェリガルディンの土台を支える重要な組織だ。

 しかし大した権力はなく、元々は憲兵隊に並ぶ立場のはずが今では言われるまま形式上の調印をするだけ。その他、王都にも市民にも気をつかうばかりの損な役回りだ。

 ギルー失踪の詳細を聞いたコレット行政官は、たくさんの紙に次々と判を押しつつ答えた。

「単なる出奔(しゅっぽん)ではないかな。人の心は時として説明がつかん。満ち足りた暮らしを離れたくなることだってあるだろう」

 今ここから離れたいのは行政官自身なのではないか、と一向に減らない書類を眺めたジャンシールは思う。

 話を終えかけたコレットは、アニスのいでたちに気づいて顔を上げた。

「そうだ、竜舎の屋根の修理に少しだけ補助が出せると隊長に伝えてくれないか。決裁書はどこにやったか……」

と机をかき回す姿に二人は顔を見合わせた。


 執務室を辞した彼らは、火が入ってもどこか寒々しい廊下を戻り始めた。

「当てが外れた。俺の見込み違いだ」

とジャンシールは首をかしげる。

「しかし行政官どのは頭に書類が詰まってるな、こっちが心配になる」

「そこを頼られて任命されたのでしょう。利用とも言えますが…… あれではそのうち顎ひげが擦り切れますね」

 アニスもそっと振り返る。

 コレット行政官はどこまでも真面目で、朝早く出仕して遅くまで働いている。

 明け方に消えない星があると思ったら行政庁の彼の部屋だった、という逸話までささやかれるほどに。

 家族はなく、酒場に顔を出すのは祭りの後や祝いの席だけ。それも杯を重ねないうちに静かに消えてしまう……

 そんな時、宴席の者たちは「執務室に戻ったんだろう」となかば本気で言い交わすのだった。



「つきあいの少ない仕事好きか、ちょっとギルーに似てるな。さて急ごう、首領への手土産はなくなっちまったが」

 ジャンシールは古びた絨毯(じゅうたん)の上で足を速めた。行政官に会ってみる、とモロワ所長に言ったところ、

「済んだら報告なさい。二人そろって、ですよ」

と強く希望されたのだ。

 彼は相棒を見上げた。

「所長には初めて会うんだったな」

「巡回中、たまにお見かけしますよ。お強そうな方ですね」

「本人に言ってくれるなよ? あれで案外気にしてるんだ」

と、廊下を曲がろうとした時。

 角の向こうから、小さな影がパッと飛び出してきた。

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