暁に祈る(1)
(第三章 導入)
魔導士ギルーは、失踪前に“30から零”という言葉を口にしていた。
そして貴族の庭師ヴィコは、彼と会っていた事実を隠している。
意見が一致したジャンシールとアニスだが、ふとしたことから気まずい別れになり休息日を迎えてしまった。
憲兵隊に休息日はない。
イェリガリディン支部小隊長を務めるフィリッド・ゼルガーは、早朝の見回りをかって出ていた。
礼拝に向かう人々を鞍上から見下ろす。返ってくる視線は必ずしも好意的とはいえないが、彼は胸を張ってすべてをはね返した。
治安を保つコツというものがある。第一に、舐められないことだ。
ますます顎を上げたとき、広場のすみに苔色の三角頭巾が動くのを見つけた。大きな木の周りを少し歩いては枝を見上げ、歩いてはまた見上げをくり返している。
ちらっとのぞいた横顔はやはりあのジャンシールだった。
あいつめ、またおかしなことを……
馬を進めていくと、魔導士は「なんだ?」とぼんやりした顔を向けてきた。ゼルガーは馬上から怪訝な顔をつき出す。
「それは俺の台詞だ。ぐるぐる回って何のまじないをかけている、ライムブロッサムを枯らすつもりか?」
「まさか。ただの時間つぶしだ」
「礼拝堂ならもう開くだろう。不審な行動で手を煩わせるんじゃない」
ぴしゃりと言いつけられても、ジャンシールは「そうか」とぐったりつぶやくだけだった。
様子が変だ。ゼルガーは、心配というより好奇心から尋ねてみた。
「どうかしたのか」
「は?」
ジャンシールは妙な目つきで彼を見上げた。そして首をひねり口を開きかけたが、
「……いや、ないな。無い」
と自己完結してくるりと背を向けた。「なにぃっ!?」と憤慨したゼルガーが慌てて手綱を引く。
「俺に何がないというんだ、おい待て領民魔導士……!」
「休息しろよ小隊長」
ジャンシールは忠告どおりさっさと教会の方へ歩き出した。門をくぐるまで、機嫌を損ねたらしいゼルガーの声が聞こえてきていた。
やっぱりうるさいやつだ。
怒らせてしまった女の子への謝り方に悩んでいる、なんてとても相談する気になれなかった。
列になった長椅子にはすでに人々が集っていた。
美しい像を前に祈りを捧げながら、ジャンシールの中には昨日のアニスの姿が浮かんでいた。一瞬の表情がどんな言葉より強く彼女の心を伝え、ジャンシールの気持ちを重く押し込める。
あの小さな童話集。とても大切な物なのだろう。
そして、見られたくなかったのだ…… この俺には。
明日また会えば、アニスは何ごともなかったように振舞うだろうし、きっとジャンシールにも同じことを望んでいる。
けれど、このまま進んでも調査は上手くいかないのではないか。一晩考えてもその思いは変わらなかった。
騎竜隊の宿舎に行ってみよう、と椅子から立ち上がったときだった。
「ジャンシールさん?」
と、横から小さな声がかけられた。




