幻想都市だからって雨の日くらい傘はさしましょう
とある企画用に書いていましたが、こちらに掲載することにしました。
人と神さまの不思議な物語(になる予定)です。
どうでも良いですが、個人的に『神様』より『神さま』と書くのが好きです。
スローペースですが、宜しければお付き合いくださいませ。
遡ること五十年。そんなに遠くも近くもない、過去のとある日。
突如として現れた神さまたちは、ぽかんと見上げる地球人に向かって宣ったのだ。
「ここを我らの庭とする」
八百万の神という言葉が示す通り、神さまは本当にたくさん存在した……らしい。
空を埋め尽くさんばかりの輝ける神々は、そんな物騒なことを言ったかと思えば、本当に地球を自分たちの庭にしてしまった。あの国が良い、いやこの国の方が広いから良い、いやいや狭い方が趣はある――呆気に取られる人間たちに見守られながら、仲良く国を分け合った神々は、仕上げに『自分好みの庭』へとアレンジを施した。大地、植物、生物――地球上のすべてのものは、その国を統べる神さまの趣味で、様々な姿へと変貌を遂げたのだった。
――『ハコニワ化』――そんな名前を付けられたこの現象を、最初は反発こそすれ、何だかんだで人は受け入れてしまった。呆れるような、尊敬するような、恐ろしいほどの適応力。もしかしたら、それすら神の御業だったのかも知れない。
俺の故郷でもある日本は、豊かな自然溢れる幻想都市となった。人間はそのままの姿だったが、環境はがらりと変わったのだ。電子機器は一切なくなり、代わりに『精霊』と呼ばれる者たちが代役を果たした。例えば携帯端末は、小さな羽の生えた少女『フェアリー』となった。ごく一部の人間は狂喜乱舞したらしいが、俺にはよくわからない感覚だ。
精霊は地球誕生と共にこの地へとやってきた神の御使いだ。雨を降らせ、雷を操り、花を咲かせ、虹を掛ける――そういった現象を『奇跡の力』によって引き起こし、自然界のバランスを保ってきたのだ。
過去に人間が『自然現象』と呼んでいたものが、実は良き隣人たちの力で起きていたことを知った俺は、精霊というものに激しく惹かれた。大人になったら精霊たちと関われる職に就こうと、小さい頃から漠然と考えていたものだ。
精霊と関わる職業は、実はそれ程多いわけではない。専門知識が必要なものは少ないが、適性を求められるものが大半を占めていた。
俺はと言えば、専門知識や適正があるわけもなく、そういったものを必要としない『フェアリーのメンテナンス業』を選択する他なかった。メンテナンスとは、昔は『モノの管理や維持をすること』という意味で使われていたようだが、現代では専ら『精神状態の保全』という意味で使用される。人の相談を聞くのが得意な俺には、なかなか似合っている職業だと自負している。
「ねーねー、聞いてるの⁉」
俺がぼーっと考え事をしていたら、耳元で可愛らしい叫び声が聞こえた。思わず足を止めると、靴の踵が濡れた歩道橋をシャンと鳴らした。
歩道橋は、以前はどこも鉄製だったと聞いている。ハコニワ化と同時にクリスタルへと変質した歩道橋は、歩く度に何とも心地良い音が鳴り響く。
俺はこの歩道橋から、色とりどり『パンサー』たちが行き交うのを眺めるのが好きだった。パンサーとは、人を乗せて走る動物のことだ。ハコニワ化以前はキカイの塊で、動かすのに『免許』とかいう資格が必要だったらしいが、パンサーにそんなものは必要ない。時速百キロで安定して走る彼らもまた、精霊を宿した神の御使いなのだから。
「ごめんごめん、なんだった?」
肩に腰掛けてしかめっ面をしているであろう、フェアリーのチルにそう謝りながら、俺は傘をくいと上げて空を見やった。薄い雲の隙間から光が零れているものの、相変わらず雨は降り続いている。さらさらと綺麗な音を立てて降る霧雨は、ウンディーネの御業なのだろう。
「だーかーらー、チルの服、そろそろ新しいのがほしいってゆー話よ!」
「チルの服は先週買ったばかりだろ……」
「ちがうのー! もうすぐ秋だから、紅色のワンピースがほしいのー!」
チルはそう叫ぶと、小さな羽をはばたかせ、俺の肩からふわりと飛び立った。くるんと回って見せると、予想通りのしかめっ面をこちらに向ける。しかし、風に舞った水色の長い髪が顔にかかり、わたわたと慌てながら両手で押さえ込む。その仕草も表情も可愛らしいのだが、仮に『慌てたチルも可愛いね』なんて言おうものなら、噛みつかれるに違いない。
雨の日はチルの機嫌が悪い。彼女は『エクスマキナ』というキカイの精霊で、雷や水が苦手だから仕方がないことではあるのだが――こうも雨の日が続くと、チルの相手も大変だったりする。無論、口が裂けても言えやしないが。
「わかった。明日の午後、いつものお店へ行こうか」
俺がそう言えば、チルは太陽のような笑みを浮かべ、再び俺の肩へと座るのだった。
彼女のようなフェアリーは、子供から大人まで誰しも必ず連れている。まるで守護霊のように、人間一人に対して一人の精霊が、生まれてから死ぬまでの生涯を共にするのだ。
フェアリーは、彼女たちから人間に何かを要求をしてくることは、基本的にない。人間――つまりパートナーの話に耳を傾け、彼らの頼みを聞くことが、彼女たちの幸せだという。遠くの友人と話したい、文章を届けてほしいといった小さな要求から、家を建てたい、旅行のための移動手段となってほしいといった大きな要求まで、様々な要求を叶えようと努力するのだ。
ただし、見返りは要求する。それは依頼の度合いによって変わって来るが、小さなことであればクッキー数枚で事足りる。……そう、小さなことであれば。
知っての通り、世の中には多種多様な人間が存在する。俺みたいな精霊大好きな変わり者もいれば、犯罪に手を染める悪人や、治安を守る警察もいる。どんな人種であれ、分け隔てなく寄り添うのがフェアリーであり、パートナーを否定しないのがフェアリーなのだ。
近年は犯罪だけでなく、フェアリーを自身を見世物にするような輩まで出て来た始末。パートナーがすべてである彼女たちは、例えそれが酷い要求であったとしても、相応の対価――例えば生きた動物の生き血など――を得ることで、達成しようと努力する。
しかし、幾らパートナーの願いを聞き届けることが幸せとは言え、知らず知らずのうちにストレスを溜めてしまうフェアリーも多いのだ。場合によっては死んでしまうことすらある。
俺がやっている仕事は、そうやって弱ってしまったフェアリーを保護し、元気になるまでメンテナンスし続けることだ。
元気になったフェアリーは、本人の強い希望がない限り、元のパートナーへは返さない。大抵同じ仕打ちを受け、再びメンテナンスを受けることになるケースが多いからだ。
行き場を無くしたフェアリーは、彼女たちを愛してくれる人の元へと届けられる。子供がいない夫婦に引き渡すケースが最も多い。いや、俺みたいな精霊大好き人間(ただの変わり者)に引き渡す場合もあるのだが……愛が重過ぎてフェアリーが参ってしまった例もあるため、慎重にならざるを得ない。
先週まで俺が預かっていたフェアリーも、無事メンテナンスが完了し、俺と同じような精霊大好きおじさん……もとい、高校時代の友人に引き渡したばかりだ。彼はさすがに愛情でフェアリーを弱らせるようなことはしない(と思う)ので、心配はしていない。
今週はフルで休暇が取れたので、早速そのフェアリーの様子を見るべく、こうして雨の中歩いているというわけだった。
「よし、雨が強くなる前に行こうか」
チルにそう声を掛けた、その時だった。
歩道橋の向こうから、人が歩いて来る。
チルと同じ水色の髪をツインテールにした、可愛らしい女の子だ。年の頃十四~五といったところだろうか。白い和風のセーラー服を纏ったその少女は、この雨の中、何故か傘も差さずに歩いていた。顔には笑顔、歌すら口ずさみながら。
――これは、あまり関わらない方が良いかも知れない――などと思っていると、少女は俺の前までやって来て立ち止まった。
長い睫毛、形の良い鼻、小さな唇。遠目に見るより恐ろしく整った顔立ちに、背中が粟立った。
そして彼女の顔が上を向き――その深い海のような色の瞳が俺の視線と絡み合う。慌てて逸らそうとしたが、奇妙な感情に支配されて目が離せない。
――気付けば、頬を涙が伝っていた。
「な……んで……」
慌てて手の甲で拭う。
少女は驚きもせず、むしろ何故か嬉しそうに微笑むと、
「こんにちは」
と声を掛けてきた。
「あ、え、こんにちは……?」
混乱した頭で反射的にそう返すと、少女は満足そうに頷き、俺の肩に座るチルを見た。
「にぎゃっ」
チルの変な悲鳴が上がる。
少女はくすくす笑って人差し指を口に当てると、首を横に振った。一体、何だと言うのか。
俺が不審な目を向けていると、少女は再び俺の方を見た。今度はさっきのような不思議な感じはしない。あれは本当に何だったんだろうか……。
「私、宗像ヒメ。雨が好きだからお散歩してるの」
雨が好きだからって、傘を差さずに散歩だって?
やはり不思議ちゃんだ。電波を感じる。
「そ、そうか……風邪ひかないようにね。俺はちょっと急いでるから……」
そう言って身構えつつも笑顔を作り、適当な相槌を打つ。早々に立ち去るつもりだ。
「え、もう行っちゃうの? じゃあヒメも着いてく」
……何だって?
少女の言葉に絶句する俺。そして、肩の上でカタカタと震えるチル。
「チル? さっきからどうした?」
「ナンデモナイヨ、キニシチャダメダヨ」
何故片言なのか……俺は首を傾げながらも、電波少女――ヒメに向き直った。
「ええっと……ヒメちゃん。見ず知らずのおじさんに着いて行くのは良くないと思うよー」
「見ず知らずじゃないよ、さっき名乗って挨拶したから知人だもん」
ぷくっと頬を膨らまして反論するヒメ。そういうことではない。
俺は何か言おうと口を開きかけたが、次に彼女が言い放った言葉に、停止せざるを得なかった。
「それに、私はもう十九よ。子供扱いしないでよね!」
――え、十九? 雨の中を傘も差さず、歌いながら散歩する十九歳女子?
俺が引きつった顔で一歩後退ると、何故かヒメは一歩前に出た。
ダメだ。この娘コワイ。
「ねえ、トキヒコ」
さっきまでカタカタ震えていたチルが、トントンと俺の頬を叩く。
「え、何?」
「取り敢えず、風邪ひかないように入れてあげたら?」
何を? と聞き返しかけて、答えは一つしかないことに気付く。チルはヒメを傘に入れてあげろと言っているのだ。
まあ確かに……いくら電波少女とは言え、このまま雨の中に立たせておくわけにはいかない。
「ひとまず傘に入りなよ」
「ありがとう、おじさん!」
「ぐっ……」
もしヒメが中学生だったら、二十七歳の俺はおじさんだろう。しかし、八つしか離れていない娘におじさん呼ばわりされるのは癪だ。
「おじさんじゃないよ。俺の名前は藤原時彦。二十七歳だからお兄さんだ」
「ついでに彼女いない歴二十七年!」
俺の自己紹介に続いてチルが叫ぶ。余計なことは言わなくてよろしい。
「トキヒコね。よろしく時彦!」
呼び捨てかーい。
にこりと笑って手を差し出したヒメの手を握り返しながら、もう何も言う気も起きず、取り敢えずこれからどうするか考える。
このままヒメを連れて友人の元を訪れるのも――。
「さあ行こう! どこまでも着いて行くよ」
思考はすぐに中断させられた。
「どこまでもって……はぁ」
俺はため息を着くと、チルに『お願い』をする。
「チル、蓮司に連絡。ずぶ濡れの客、一名追加。オーダー」
「はーい! お礼はクッキーで良いわよ?」
チルが安い使用料を提示しつつ、羽を震わせて友人のフェアリーへ『通信』した。通信は、俺たち人間には聞くことが出来ない音域で行われるらしい。傍から見ると口パクしながら笑っているようにしか見えないから、とても面白い。
ちらりとヒメを見れば、俺と同じようにチルを見て微笑んでいる。……そういえば、彼女のフェアリーはどこにいるのだろうか。
「なあヒメ。君のフェアリーは? 連れて来てないのかい?」
「え?」
「ぴぎゃ!」
俺の質問にヒメは目を丸くし、チルは何故か変な悲鳴を上げた。
もしかしてメンテナンス中……ということも考えられなくはないが、雨だから服の中に隠れている可能性もある。ヒメが雨に当たるのが好きな変わり者だからと言って、フェアリーまでそうとは限らない。
「ちょっと、トキヒ……」
「ええ、そうよ。家でお留守番してるわ。チルったら、面白い声を出すのね」
ヒメがコロコロと笑ってそう言うと、チルは何か言いたげな顔で黙り込んだ。
フェアリーを留守番させる? なかなかレアケースだ。よほどのことがない限り、フェアリーは一緒にいるものだが……。とは言え、知り合ったばかりの娘にアレコレ尋ねるのもマナー違反だろう。
俺は無理やり納得して、そうかと頷いた。
「しかし――もしかして、君たち面識ある?」
一番気になっていたことを訊いてみる。しかし、二人は首を横に振って微妙な笑顔を向けるだけだった。
うーん、怪しい……。