その3
放課を告げるチャイムが学校中に響き渡った。相変わらず空は青いままだが、時刻は午後四時を迎えようとしている。鈴のような虫の声を聞きながら、俺たちは最初の調査を始めていた。
先程の教室で集合した俺たちは、皆それぞれ授業をサボったことを先生に叱られたせいでやけに疲弊しているように見えた。きっと説教が長かったのだろう。調査を始める前から、HPはゼロに近かった。
けれど、調査の話を振れば皆、水を得た魚のように急に元気を取り戻した。
全員から調査場所の優先順位を聞くと、意外にも図書室が一位を獲得した。情報がありそうだという観点では頷けるが、全生徒が簡単に出入りできる図書室に、重要な資料があるとはあまり思えない。
だが、それもこれも調べてみなければ分からない。
俺たちは早速、図書室を訪れていた。
放課後に図書室を利用する生徒はほとんどいない。両開きの扉を開けてみるが、今日の利用者はなんとゼロ人。さすがの図書委員も利用者がいなければサボるだろう。一応カウンターにはいるが、退屈そうにスマホを弄っていた。
「人がほとんどいないから好都合だね」
「そうね。とりあえず各自気になる所を調べてみましょう」
「よし、調査開始だチーム・コンパスの諸君」
小声で会話し、リーダーぶった一吹の言葉を合図にそれぞれが本を漁り始めた。
俺がまず向かったのは、天明高校の歴史に関する資料が並ぶ棚だった。皆思う事は同じのようで、どちらかといえば古い資料がありそうな場所を見ている。大きな学校の図書室なだけあって、小説や図鑑以外にも多くのジャンルや形態の資料が揃っている。こんなもの一体誰が見るんだと、天明高校の沿革が掲載されている書物を一冊手に取った。授業で強制的に読めと言われない限り、この書物を今後読むことはないだろう。
とりあえず天明高校に関する図書を数冊取り出して、読書スペースの机に置く。ドスン、と重い音がして埃っぽいにおいが舞う。さすがの図書委員もこの音には驚くだろうかと思ったが、図書委員は呑気にカウンターで居眠りを始めていた。
「うおっ、繋すげぇな」
「俺だって全部読む気は更々ないよ。何か変なとこがないか見るだけ」
「だよなぁ。歴史って面白くねぇし、見てるだけで頭痛くなるぜ……あー、嫌だ嫌だ」
「お前が言い出しっぺだろ……」
本を放って机に伏せった一吹に呆れの溜息を吐く。一吹の手元にあるのは、超常現象について書かれたムック本だ。歴史よりも興味を惹きそうな内容ではあるが、こういうものに書かれているのは大抵が嘘だ。それを承知で、一吹は読んでいたのだろうが。
……いや、一吹に限ってそれはないか。一吹はだいたいこういう類のことは信じている。
俺は椅子に腰かけ、黒い表紙の分厚い本を手に取る。金色で書かれた『天明高校』の文字は洒落ているが、中身はただただ天明高校の歴史についてつらつらと綴っているだけだ。
眩暈がしそうだ。
そう思いながら内容に目を通すことなく、ひたすらにページを捲っていく。一応、面白そうなことが書いていないか流し読みは気が向けばしているが、特別気になる内容はない。
残りの二冊もそうだった。高校には詳しくなれそうだが、世界の秘密には全く手が届かない。手がかりになりそうなことも一切ない様子だ。
やっぱりそう簡単に秘密なんて見つかるわけないよな。
俺がそう最後の一冊を開いた時だった。
ひらり。
本の隙間から何かが零れ落ちた。小さな音を立てて床に落ちたそれを見れば、小さな封筒と紙切れだった。
誰かが栞代わりにでも挟んでいたのだろうか。俺はその二つを拾い上げて机上に置く。
紙切れは二つ折りのようで、少し黄ばんでいる。封筒は、柄のない真っ黒な封筒だった。文字も一切書かれていないが、びっちり糊付けがされている。
不気味だ。
その一言に尽きる。
真っ黒な封筒を使うって、一体どんな神経しているんだ。この手紙(中身が手紙かどうかはまだ分からない)を書いた人の気が知れない。中身を見たら呪われそうな気さえする。
だが、無性にこれに惹かれた。どくり、と心臓が跳ねる。喉が渇いた。それでも俺は、この中身が気になった。
「繋くん」
「ぅおう!?」
背後から突然声をかけられ、俺はみっともない声を上げて飛び上がる。勢いよく振り返れば、そこには夕凪が立っていた。シーッと口元に人差し指を当てて静かにするように促してくる。こくりと頷いて、俺は図書委員が起きていないことを確認した。
「何か見つけたの?」
「あぁ……これなんだけど」
俺は夕凪に黒い封筒と二つ折りの紙を見せた。それを見た夕凪は怪訝そうな顔つきで二つを交互に見つめた。
「中身は?」
「まだ見てない」
「確かめてみましょう」
「……大丈夫かな」
「怖いなら私が開けるけど」
「……いや、俺が開けるよ」
物怖じする様子のない夕凪にそう言って、俺は黒い封筒を手に取った。さすがに、得体のしれないものを女子に開けさせるわけにはいかない。中身はどうせ紙だろうが、もしかしたら何かヤバイものが入っているかもしれない。念のためだ。
「お、何か面白そうなことしてんじゃん!」
先程までやる気のない様子で机に伏せていた一吹が起き上がった。俺たちが封筒を見つめているところを見て、彼は上機嫌になった。
「なにこれ、もしや本に挟まってたのか?」
「うん。その分厚い本から出てきた」
「へぇ……」
一吹は興味津々に封筒と紙切れを一瞥する。そして、妙に真剣な顔つきで二つ折りの紙きれを手に取った。
紙切れに何かが書かれていたのか、一吹の目が細められる。眉間に皺が刻まれていき、その表情が僅かに険しくなる。
「は、はぶ、ゆー、えばー……」
たどたどしい声で彼は何かを口にする。呪文のようなその言葉に、思わず「は?」と零した。
「ダメだ、オレにはさっぱり!」
「何が書いてあったんだよ」
メモを放り投げそうな勢いの一吹に訊ねれば、彼は紙切れを手渡してきた。横から覗き込んだ夕凪が、そこに書かれていた文字を読んだ。
「Have you ever wondered about this world?」
「……君はこの世界に疑問を抱いたことがあるか?」
流暢な英語の後に、俺が咄嗟に訳す。なるほど、英語が壊滅的な一吹には読めないわけだ。
それはそうと、これは興味深い。俺たちの状況にピッタリなメモじゃないか。まるで、俺たちがこうして調査をし始めることを知っていたかのようだ。
「どういう意味だろう……?」
「なんか面白くなってきた!お手柄だな繋!」
「うん……」
少しだけ怖くなってきた。俺達の行動が見透かされているみたいで。
「あら、まだ何か書いてあるわよ?」
夕凪が俺からメモを取り上げ、目を凝らしていた。白魚のような手で指さされたそこをよく見れば、小さな文字で何かが書かれている。
「読めねぇ!」
「Only those who have the courage to accept the truth can see the future」
「真実を受け入れる勇気のある者のみが、この先……未来を見ることができる?」
早々に諦めた一吹の代わりに音読すれば、今度は夕凪が翻訳してくれた。だいたいそのような訳で正解だろう。
ますます訳が分からない。これは一体誰が用意したのか。果たして何か意味があるものなのだろうか。
ただただ、気になって仕方なかった。
「この先って、この封筒だったりするのかしらね」
「どうして?」
「だってこの封筒と紙切れは一緒に挟まっていたのでしょう?だったら、そう捉えても間違いではない気がするわ」
一理ある。
この二つ折りの紙きれが、いわば封筒を開ける者への警告文のようなものだ。
真実を受け止める勇気のある者のみ。
一体、どんな真実なのだろう。俺達が求める世界の秘密が、この黒い封筒の中には詰まっているのだろうか。それを知った時、俺はどうなるだろう。
もしもその真実が、自分にとって何か不利益を被るものであったとしたら。俺はその真実を受け止められるのだろうか。
……悩んでいても仕方がない。その真実とやらを知らない限りは分からない。不確かな恐怖に怯えて悩むくらいなら、俺は勇気をもって踏み出してやろう。
「……見るのね」
覚悟が伝わったのか、夕凪が真剣な目で訊ねてくる。それに小さく首肯し、俺は封筒の糊を丁寧に剥がしていった。
ビリビリと紙の破れる音がする。かなり強力に糊付けされていたようで、綺麗には剥がせなかった。少し破れた黒い封筒。その中を覗くと、そこには予想通り紙が入っていた。
二つ折りの便箋だ。
真っ白で、やはり柄がない。
これが普通の手紙とはもちろん思っていない。俺は指先でそっと中身を取り出し、恐る恐る便箋を開く。
『君にとって一番大切な記憶を取り戻せ。さすれば、君は行くべき世界に行けるだろう』
たくさんの線が並ぶ便箋には、真ん中あたりにそう書かれているだけだった。書道の教科書で見るような綺麗な字だった。
「行くべき世界に行くことができる……それってつまり、ここ以外にも世界があるってことだよな!?」
一吹が興奮した様子で目を輝かせた。
「そうかもしれない。俺達はこの街から出られたことがないから分からないけど、もしかしたら他の世界に行く方法があるのかもしれないね」
「やべぇ、これ大発見じゃね!?オレらとうとう街の外に行けるのかもよ!」
小学生みたいに舞い上がりながら一吹が笑う。
俺達はこの街の外に出た事がない。広い街だから大して窮屈さを感じたりはしないが、街の外には密かに憧れを抱いていた。ある一定のラインを超えると、ゲームのマップ切り替えみたいにふと視界が真っ暗になって、自宅や元居た場所に戻ってきてしまう。それが俺たちにとって当たり前だったからこれまでさほど追究してこなかったが、このような文章を見てしまえば話は別だ。
やはりこの世界には何かがある。
俺達がこの街を出られないのには、何か大きな理由があるのだろう。そんな気がする。
行くべき世界。
俺達は転校生だ。一吹は転校ではないと言っていたけれど、屋上でのはなしを聞く限り、本当は転校なのではないかと思っている。明確な根拠はない。秋田原もあずも転校生で、夕凪はよく知らない。みんな何かしら事情があってこの学校に来たのだろうが、生まれも育ちもこの街だ。
だが、よく考えてみればこの街に高校はこの天明高校だけ。俺達は一体、どこから転校してきたのだろう。
この学校に転校してくる以前の記憶は朧気だ。勝手にこの街で生まれ育ったものだと思い込んでいたが、これは違う可能性もある。むしろどうして、俺はこの街で育ったと思い込んでいたのだろう。
洗脳みたいだ。
その言葉が、ピッタリ合うような気がした。
「奇妙な文章ね」
「でも一吹の言う通り大発見だよ。まさか、本当に何かあるとは思ってもみなかった……」
「そうね。これなら、私たちで革命でも起こせちゃうんじゃない?」
「それはさすがに飛躍しすぎじゃないかな……」
時折とんでもないことを言う夕凪に苦笑しながら、俺は便箋をひとまず封筒の中に戻す。
その時、ドサドサッと何か重量のあるものが落ちる音がした。その音に三人とも振り返る。図書室の奥の方から、北原とあずの声が聞こえてきた。
「何かあったのかしら」
「かもしれない。見てくるよ」
俺が慌てて図書室の奥へ駆けていくと、そこには大量の本に埋まった北原と、そのすぐ傍であわあわと手を動かしてるあずが居た。
「どうしたの?」
「おぉー……繋……ちょっと手貸してくれ」
「分かった」
本の隙間から手を伸ばしてくる北原を引っ張り、救出する。ほとんど空になった本棚に入っていたであろう本は、床に乱雑に散らばっていた。
「ご、ごめんなさい雅ちゃん~‼」
「大丈夫だって。あず、怪我はない?」
「うん、大丈夫……」
「高い所にある本でも取ろうとしてたの?」
本と一緒に転がる木製の踏み台を発見して訊ねた。
「そうそう。えっと……これだ」
本の山から北原が取り出したのは、何の文字も書かれていない本だった。本というよりは、箱にも見える。
床に散らばった本は、植物や天体に関する本ばかりだ。どれも表紙や背表紙はインパクトがある。その中で何も書かれていない本は、確かに異質だった。
「変だろ、これ。なんかふと目に入ってさ。届かなかったから台使って頑張ってみたんだけど……」
「雅ちゃんがその本を取った瞬間に、本がぶわって溢れだして……」
「そしてこのザマってわけ。図書委員仕事してる?すごい適当に本詰まってたし、無理やり押し込めてあったからこうなる羽目になったんだけどね」
舌打ちを一度して、北原は制服についた埃を払った。
図書委員ならカウンターで寝てるぞとは言えず、適当に誤魔化して話を戻す。
「その本、見てみようよ」
「もちろんそのつもり。……どれどれ」
北原が本を開いた。
しかしそこには、ページなど一枚も存在しなかった。
それは本ではなく、本の形をした何かのケースだった。
「おいおい、こんなところに鍵って……」
ケースの中に入っていたのは、古びた鍵だった。あまり見た事のない形をしている。変色した紐で括りつけられた小さなプレートには、掠れた文字で何かが書かれている。
「旧校舎一階、生物室……」
あずが小声で読み上げた。
「何でそんなどうでも良さそうな鍵がこんなところにあるんだ?」
「さぁ……でもわざわざここに隠すように置いてあるってことは、それこそ俺達が探してる秘密があるのかもね」
そう言ってみれば、北原は目に星のような輝きを宿した。
「おーい、そっちは大丈夫か?」
一吹と夕凪が先程の紙と封筒を手にしながらこちらへと歩み寄ってくる。
「うん、大丈夫だよ。ちなみに、北原とあずが鍵見つけたとこだよ」
「鍵?」
「うん。ほら、これだよ」
ケースに入っていた鍵を指さした。二人は目をぱちくりとさせながら、その鍵をまじまじと見つめた。
「旧校舎……?何でこんなとこに旧校舎の鍵があんだよ」
「そんなの俺が聞きたいよ。でも、ここにあるってことは何かしら理由があるんじゃない?」
「そうでしょうね。行ってみたらいいんじゃないかしら」
「……」
夕凪の提案に、一番ノリそうな一吹が珍しく黙りこくっていた。その顔は少し青ざめていて、手が震えている。
「一吹?」
「いやいやいや、怖くねぇよ!?」
「まだ何も言ってないけど」
「ははーん、一吹、もしかして怖いんだろ」
「怖くねぇよ!絶対!むしろワクワクしてきた!」
人の悪い笑みで一吹に迫る北原は心底楽しそうだ。見るからに一吹は怯えている。先程まで楽しそうに秘密がどうのって言っていたくせに。いざ何か未知のものが出てくると怖くなるんだな。
「そういや、そっちは何か見つけたのか?」と北原が訊ねてくる。
「そうだった。ほら、これ見ろよ」
「手紙?」
一吹に差し出された封筒を受け取り、北原は中身を見る。あずも横から恐る恐る覗き込んだ。
「なんだこれ、どういうこと?」
「そのまんまの意味。俺たちにもまだ細かいことは分かんないや」
「一番大切な記憶……私たち、何か忘れているってこと?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。この文章が本当なら、忘れてるんだろうね」
「ふーん。なかなかに面白くなってきたね」
北原が書かれた文字をまじまじと見つめて口角を上げる。少しばかり不安を滲ませた笑みだった。
「この文章も気になるから、いろいろと考察すっか。でもとりあえず、旧校舎に行ってみようよ」
手紙を一吹に返しながら北原が言う。
「お、おうよ!」と一吹が恐怖を誤魔化すように上擦った声で答えた。
「鍵、繋に渡しとくわ」
「りょーかい。じゃ、旧校舎に行こうか」
俺が鍵を受け取り、皆の様子を窺う。特に異論はないようで、全員が旧校舎に行く気満々といった表情だ。一吹はまだ怖がっている感じがするけど。
ひとまず俺たちは協力して本を片付け、旧校舎へと向かった。