その7
*
生徒会室を出ると、なんだか空気が妙に澄み切っていた。がやがやと騒がしい声が聞こえる朝の教室の方へ、俺は向かう。もう、この穏やかな日常ともお別れなんだな。
そう思うと名残惜しい気がした。
せめてあと一日くらい、普段通りの学校生活を送ってもいいだろうか。なんて思いながら、俺は雑談に花を咲かせているクラスメイトに声をかけようと肩を叩こうとした。
「えっ……?」
俺が手を伸ばすと、クラスメイトの姿がぐにゃりと湾曲した。否、正確には俺の手が触れたところだけ映像が乱れたみたいに、クラスメイトの姿が途切れた。
クラスメイトは俺に気が付かない。俺が困惑したまま固まっていれば、教室のあちこちで話すクラスメイトの姿が、不自然に揺らいでいることに気が付いた。
まるでホログラムだ。
壊れかけのテレビが映し出すような光景だった。教室も生徒も、全てがノイズ混じりに揺らぐ。
そうか。
俺達四人以外は、きっと世界の主が生み出した偽りの人間なんだ。いわば、エキストラのようなもの。
俺が世界の秘密を手に入れたことにより、世界も終焉を察知しているのかもしれない。
俺は走った。
全てが消えてしまう前に、皆に伝えなければ。
頼むから、まだ皆この世界に留まってくれ。このまま何も知らずに終わって消えていくのは、寂しいから。
「一吹……!」
廊下を走っていった先に、一吹の姿が見えた。ボーっと廊下の窓から外を見ていた一吹は俺の声に気が付き、呑気に手を振った。
「はよ、繋。そんなに急いでどうした?」
「あずと北原は⁉」
「へ?さぁ……見かけてねぇけど……」
一吹が俺の様子を見て不思議そうにしながら答えたその時、階段から忙しない足音が聞こえた。
「あ、いたいた!繋!」
ドタバタと走ってきたのは、あずの手を引いた北原だった。
「やばいよ、大変なことになってるぞ⁉」
「教室がぐにゃって歪んで、皆も私たちに気づいてなくて……!」
「映像みたいになってた!あれどうなってんだよ⁉」
「お、落ち着いて二人共……」
自分にも言い聞かせるように、捲し立てる二人をなんとか落ち着かせた。何も知らない一吹は、ぽかんとした様子で俺達を交互に見ていた。
「とりあえず、皆は普通で良かった」
「何のことだよ、繋」
「ちょっといろいろあってね。丁度良かった、皆が集まってくれて」
「もしかして何か見つけたの?」
あずが察して俺に問う。色を変えて俺は首肯した。
「世界の秘密か……?」と一吹が緊迫した面持ちで言った。
「その通りだよ。俺は世界の秘密をようやく見つけた」
「マジかよ繋!で、どんなのだったんだ?」
「……」
俺は口を噤む。
これから話すことは、皆にとっては衝撃的すぎるし残酷な真実だ。楽しく平凡に過ごしていたところに、突然「実は貴方は死んでいました」と告げるのだから。
「繋……?」
北原が不思議そうに小首を傾げた。俺が覚悟を決めて話そうと深呼吸をした時、もう一つの足音が背後から聞こえた。
「皆してこんなところでどうしたの?」
落ち着いた声に振り返る。
そこには、ここに居なかったもう一人の仲間が立っていた。
「……夕凪、俺は全てを知ったよ」
彼女に向き直って俺は静かに告げる。一吹たちはなぜ俺が夕凪にだけそう言ったのかを疑問に思っているように見えた。
夕凪は、特に驚く様子もなく、ただ少し悲しそうに目を細めた。
「俺はこれから真実を皆に話そうと思う。隠し事なんてせずに、ありのままのことをね。それが、秘密を探し求めた皆に対する誠意だと思うし、チーム・コンパスの仲間を思いやってのことだと思うからさ」
「……そう」
「でも、俺が話すのは間違いだと思う。俺は、この世界を作り出した本人――俺達に秘密を暴かせた世界の主権者から聞くべきだと思うんだ」
「主権者⁉」
「なに、それ……」
一吹と北原が同時にそう声をあげた。あずは訳が分からないと言ったように不安そうにしている。
俺は部屋を出る時に持ってきた日記帳を、彼女に向けて差し出した。
「ねぇ、夕凪。全てを教えてよ」
静かな風が俺達の間を吹き抜けた。
誰も口を開かなかった。無言の風が、ただ困ったように頬を撫でていく。視線を合わせたままの夕凪は、しばらくして日記帳を受け取って静かに口を開いた。
「……真実を受け入れる勇気のある者のみが全てを知ることができる」
「……」
「皆にその勇気と覚悟があるならば、私は全てを話すわ。世界の秘密を全てね。けれど、あなた達にとって辛い事実も含まれている。それでもあなた達は、世界の秘密が知りたい?」
夕凪が一人ずつゆっくりと目を合わせ、問いかける。曇りのない真っすぐな瞳が、体を射抜くような気がした。
「……こころは、本当に全部知ってんのかよ」
「えぇ。今まで黙っていてごめんなさい。すぐには話せる内容ではなかったから」
「それを聞いたら、アタシたちは外の世界にいけるのか?」
「どうかしら。あなた達の選択次第よ」
「私たちの選択次第……?」
「真実を聞いたうえでどうするかはあなた達次第だもの。私にどうこうする権利はないわ」
夕凪は髪を留める蝶のピンに触れ、目元に影を落とした。皆の決断次第で、俺達がこれからどうなるかが決まる。既に秘密のほとんどを知っている俺は、ドクドクと五月蠅い心臓の音を聞きながら、全員の返答を待った。
「……アタシは知りたい」
一番に答えたのは北原だった。覚悟の決まった澄んだ瞳が、夕凪を映し出す。
「こころの言う真実がどんなに辛いものでも受け止めてやる。アタシたちはそれを受け止めなくちゃならない」
「北原さん……」
「わ、私も同じです!辛いのは嫌だけど、自分に関わることだから……私は、自分が生きるこの世界のことが知りたい」
あずも北原と同じように答えた。胸の前で握りしめられた手は震えているけれど、表情が強気に見えた。
「……一吹くんはどう?」
「……」
一吹は神妙な顔つきで黙り込んだままだった。夕凪を見つめたまま、瞬きを繰り返す。
たった数秒の沈黙なのに、随分と長く重いものに感じられた。それほどまでに、この場は静まり返っていて、緊迫した空気が流れていた。
「……オレも、世界の秘密が知りたい。そのために、今まで調べてきたんだからな」
不器用に浮かべられた笑みは、少し引きつっていた。その返事を受けた夕凪は微笑すると、俺に視線を向けてくる。
「……もちろん、俺も。夕凪の口から聞きたい」
そう言えば、夕凪は小さく頷いて髪を耳にかけた。そして、一つ間を置くと落ち着きを放った声で語り始めた。
「この世界は、私によって作り出された世界。病気や不慮の事故で亡くなった中高生が集まる世界よ」
端的に、それでいて詳細が分かるように告げられた言葉。一吹たちの目が見開かれていく。
「亡くなった……?」と一吹が困惑したように訊ねた。
「そうよ。ここは、いわば死後の世界。現世と天国の狭間みたいなもの。私たちは、輪廻転生の流れに戻るまで、ここで学校生活を送っているのよ」
「じゃあ、アタシたちは皆死んでるってこと……?」
北原の怯えたような声に、夕凪はゆっくりと頷いた。
「……マジかよ」と一吹が苦し気に唇を噛んだ。あずも泣きそうな顔で俯く。北原はまだよく理解できていないようで、目を何度も泳がせていた。
「私の生前の小さな望みから生まれてしまったこの不思議な世界は、最初は何もなかった。青空だけで、街も学校もなかった。だから私は、全てを願って小さな世界を作り上げた。先生も生徒も作り出して、過ごすことのできなかった学校生活を再現したの。私だけが満足すればそれでよかった。けれど、いつの日か私と同じようにして若くして亡くなった子がここに迷い込むようになった」
夕凪は窓枠に背中を預けると、懐古するように目を伏せた。
「ここに迷い込んでくる人はみんな、多くの記憶を失っていた。だから、自分が行くべき場所も分からないし、何をもってこの世界に来たのかも分かっていなかった。でも私は、それでいいと思ったの。ここで学校生活を送って幸せになって、何も知らないまま成仏すれば、辛いことも思い出さずに安らかに生まれ変われる。だから私は、皆に家族と今までの人生の偽りの記憶を与えて、いかにもこの世界で生まれ育ったように仕組んだの。そうすれば、何の違和感もなく幸せに過ごせると思ったから。……だけど、それは私のエゴにすぎない。だから、そろそろ終わりにしようと思ったの」
呆然と話を聞く俺達に、夕凪が歩み寄ってくる。その顔にいつもの綺麗な微笑はなかった。
「あなた達が、私が見送る最後の学生よ。あなた達は、本当によく頑張ってくれたから。世界に対して疑問を抱いて、世界の秘密まで辿り着いた。大切な記憶も取り戻し、自らこの学校を卒業する条件を手に入れたのよ」
「……他の皆は、何も思い出せなかったの?」
俺が問うと、夕凪は複雑そうに頷いた。
「きっかけも与えたことがあるけれど、何も思い出さなかった。だから、卒業と同時に真実を伝えたの。もちろん、自分が死んでるという事実のみを伏せてね。大切な記憶を取り戻すことがこの世界から旅立つ条件だから」
「こころちゃんは、皆の大切な記憶が何なのかを知っているの?」
「えぇ。この世界に誰かが迷い込んできた時、同時に私の部屋にその人のデータが届いていたから」
「……あの病室は、夕凪の部屋だったのか」
在校生のプロフィールを拾ったあの部屋を思い出し呟けば、夕凪が曖昧に微笑んだ。
「……大切な記憶を取り戻せば、行くべき世界へ行けるって、成仏するってことかよ」
一吹が足元に視線を落としてそう言った。
「そういうことになるわ。……ごめんなさい、本当に」
「こころが謝ることじゃねぇーだろ。むしろ、世界のこと全部知ってんのにアタシらのこと考えてくれてたってやばいな」
「……だけど、結局良い方向にはいかなかったかもしれない。私が迷いすぎたせいで世界のバランスが崩れて、地獄から貴方たちを狙う者が紛れ込んだり、いろんな不安を与えたりすることになってしまったわ。私は、自分のためにしか動いていなかったのよ」
「ち、違うよ!」
語尾が掠れていく夕凪に対し、あずが声を上げた。
「こころちゃんは、私たちのために必死に頑張ってくれてた……!優しいから、私たちが死んでいることを伝えるかずっと迷っていたんだよね?だから、その秘密を抱えたまま、なんとか私たちに真実を気づかせようと手がかりをくれたんでしょう……?」
「東屋さん……」と、珍しくハキハキと喋るあずに、夕凪が泣きそうな顔をした。
「……最初のメッセージも、旧校舎の鍵も。それから、アルバムや楽譜も、全部夕凪が用意してくれたんだよね?」
「……そうよ」
夕凪が再び謝罪しながら告げた。
妙にタイミングがいいとは思っていた。夕凪は、俺たちに秘密を暴かせようか迷いながら、手がかりを小出しにしていた。俺たちがそれで何も思い出さなければそれまで。思い出したのなら、選択肢を与えるつもりだったのだ。
「……全部、こころの手のひらの上だったってわけか」
一吹が吐き捨てるように言った。下を向いた彼の表情は窺えない。
やはり、一吹は怒っているだろうか。それともずっと隠し事をしていた友に失望したのか。
俺はいたたまれなくなって、一吹の顔も夕凪の顔も見れなかった。
「――ははっ!面白いことしてくれたじゃん、こころ!」
パッと明かりが灯るように、一吹が晴れやかに笑った。緊迫した空気が吹き飛ぶような笑顔に、俺達は目を瞠った。
「死んでからこんな楽しいことができるとは思わなかったぜ。すっげーコトしてくれたよ、ホント。こりゃオレの負けだな!」
「南雲くん……」
「いや、アンタは誰と競ってんだ」
「こころとに決まってんだろ!オレたちはこころとのゲームに負けた。完敗だ!」
一吹はぐっと伸びをして、深呼吸をした。
「んな顔するなよ、こころ。オレさ、お前に酷い事言ったけど、今はすげぇ感謝してる。大事な親友のこと思い出させてくれたし、なにより平凡で楽しい青春をオレに与えてくれた。こころが居なきゃ、未練タラタラなまま幽霊にでもなってただろうよ」
一吹が晴れやかな顔で笑う。少し照れくさそうなその顔を見て、夕凪の目が揺らいだ。
「掌返しみたいで悪ィけど、お前が導いてくれてよかった。最期にこんな楽しいスリル満点な冒険が出来るとは思わなかったぜ!」
曇り一つない笑顔で言う一吹に、あずも声をあげた。
「私も……!きっと生前の私は、こんな風に高校生活を送ってみたかったんだよね。臆病な私一人じゃ体験できなかった今回のことも、ずっと忘れない思い出になると思う」
「アタシも同じ。大事な夢を思い出せたし、全力で青春できた気がする。なにより、こころや繋、あずや一吹と会えて良かった」
三人がいつも通りの笑顔でそう言った。
なんだよ、本当にお別れみたいじゃないか。
きっと夕凪も同じことを思っているに違いない。なんだか目の奥が微かに熱くなるのを感じながら、俺は夕凪に言う。
「俺もだよ、夕凪。夕凪が居なきゃ、俺は何もかもを忘れたまま彷徨ってる寂しい幽霊になってたと思う。生まれ変わる前に、俺として高校生活を送れたのは、本当に奇跡みたいな幸せだ。皆と出会えたことも、この世界で生きられたことも、俺はずっと忘れない。ありがとう、夕凪」
最後に礼を言えば、彼女の頬に涙が伝った。この学校に通い始めてから、初めて見た夕凪の涙だった。
「……ありがとう、みんな」
あどけない泣き顔でそう言う彼女に、俺達は柔らかい笑顔で笑い合った。
「よし!世界の秘密もオレたちがここで生きる理由も、だいたい分かった!あとはもう突き進むだけだな!」
一吹が朗らかな声でそう言った。
「突き進むって、一吹は目指してんだ……」
「ここまで来たら、最後までやるしかねぇだろ?」
「最後って、つまり……」とあずが恐る恐る口を開いた。
「……成仏、だね」
俺が言えば、しんと辺りが静まり返った。ここから旅立つ条件はもう揃ったのだ。後は、俺達がどうするかを選ぶだけ。
「ここでまた学校生活を送るのも、この世界を出ていくのも、俺達の自由だ。そうでしょ、夕凪?」
「……えぇ」
「それぞれ、好きな方を選べばいいと思う。これは、俺が強制できることじゃないし、自分以外の誰かから何を言われても自分自身が決めることだと思う」
「だな……」
俺が言うと、一吹が真剣な顔で腕を組む。
俺は皆の顔を窺った。不思議と、皆は悩んだような顔はしていなかった。覚悟はもう、とっくに決まっているらしい。
「行こうぜ、あの青空の向こうに」
一吹が窓の外の青空を見つめていった。
「なーにかっこつけてんだ。素直に成仏するって言え」
「だってそんなん寂しいじゃねぇか!オレたちの冒険はまだまだこれからなんだよ!少しくらいかっこつけたい!」
「打ち切り漫画みたいだよ、南雲くん……」
「ほんとだよ。まぁ、一吹の言う通り。俺もこの世界を出ていくほうを選ぶよ」
「アタシも」
「うん、私もだよ」
俺達は頷く。
最後に、夕凪を見て俺は問いかけた。
「……夕凪は?」
あの日記を思い出す。
彼女は、もうこの世界を終わらせたがっていた。だけど、その一歩を踏み出せなかった。それは、とある人物にずっと会いたかったからだ。
でも、もうその願いも叶ってしまった。
「……行くわ。いつまでもここに居たら、私だけ出遅れちゃうもの」
少しばかり悪戯っ子のような顔で夕凪は笑った。
「決まりだね。この世界から出るにはどうしたらいいの?」
「出る方法は一つよ」
俺が訊ねると、夕凪は続けて言った。
「……卒業式」
「おぉ……なるほどな。学生らしくていいじゃん」
「卒業証書が、次の世界への切符のようなものだから。卒業証書を受け取って、この学校の学生を終えることによって、私たちで言うところの天国って場所に行くのよ」
「なんか現実的な話じゃないのに、案外すっかり受け入れられるものだね」
「分かるぜ繋。死んだってこと割り切ったらもう何でもありな気がしてきた。ワクワクしねぇ?」
「アンタは怖がったり怒ったりワクワクしたり忙しいな」
「南雲くんだから……」
これから無になるというのに、一吹は何故か楽しそうだ。それに対して北原が呆れたようにツッコミを入れて、あずが苦笑すれば、俺と夕凪と顔を見合わせて笑った。
「じゃあ、皆で卒業式をしようか。まだ少し早いけどね」
「受験をスキップできたからオレとしては良いかもしれない」
「……相変わらずね」
腕を組んでうんうんと頷いた一吹に、夕凪が困ったように微笑んだ。
「私は少し準備をしてくるから、皆は体育館で待っていて」
「俺も手伝おうか?」
「大丈夫よ。そんな大がかりなことじゃないもの。……体育館に行けば、もうほとんど準備は整っているだろうし」
「……日記に書いてあった望みを唱えれば叶うってやつ?」
「そうよ。その便利な力とも、今日でお別れね」
夕凪は残念そうな物言いながらも、その顔は嬉しそうだった。お別れだなんて寂しい言葉だけれど、俺達は未来に進むために大きな一歩を踏み出すだけだ。
人間は生まれ変わる。
最初に夕凪と話した時に言ったように、また何度も生まれ変わってどこかで会えるかもしれない。そう思うだけで、この別れも明るいものに思えた。
「んじゃ、オレたちは体育館に行くか」
「うん。夕凪、向こうで待ってるね」
「えぇ。なるべく早めに向かうわ」
俺たちは夕凪と別れ、体育館に向かった。
体育館までの道のりで、俺たちは今まで過ごしてきた教室たちをぐるりと見回した。さっきまであれほど居た学生は、今は誰も居ない。空っぽの教室が、俺たちを見送っている。ある教室の黒板には、カラフルなチョークで『卒業おめでとう』の文字が書かれていた。
あれも夕凪が願って生み出したものなのだろうか。
粋な事をするなぁと感心しながら、俺はこれも見納めだと全ての光景を目に焼き付けた。
「なぁ、今どんな気分?」と一吹が歩きながら訊ねてきた。
「ちょっと寂しいかも。でも、悲しいわけじゃない」
「オレも。卒業ってもっと悲しいもんかと思ったけど、それよりもワクワクしねぇ?」
「アタシら死んでるんだけどな。でもまぁ、分かるよ。寂しい気はするけど、清々しいっていうかさ……なんだろうね、春に感じる出会いと別れってこんな感じかな?」
「うん、そんな気がする。皆と会えなくなるのは寂しいけど、不思議と悲しくはないの」
不思議と前を向く勇気ばかりが湧き上がってくる。自分の死を思い出して、これから成仏しにいくのに、俺も含めてみんな明るい表情をしていた。
「あ、ここオレが目覚めたとこだ」
「あー、廊下で寝てたら山岸先生に遅刻ですって怒られたヤツか」
「ぶっ!一吹って山岸先生にたたき起こされたのかよ!」
「仕方ねぇだろ!オレだって寝たくて此処で寝てたわけじゃねぇよ!」
腹を抱えて笑う北原に、一吹がガミガミと噛みつくように言った。
「まぁ、これも良い思い出ってことで」
「上手くまとめようとすんなよ繋!」
「はいはい」
「おい!」
適当に流せば、あずが堪えきれずに北原と一緒に笑っていた。
「ついでに、このチーム・コンパスって微妙にダサい名前も思い出にしとこうよ」
「雅てめぇ、まだダセェと思ってたのかよ!」
「あ、俺もどこかで思ってた」
「繋もか!」
便乗して言えば、一吹が忙しなくツッコミを入れていく。
「で、でも上手いネーミングだとは思うよ……南雲くんにしては、由来もしっかりしてたもん!」
「あず……褒めてんのか貶してんのかわかんねぇよ……」
「え⁉ご、ごめんね……っ」
「おいクソ一吹、あずを泣かしたらぶっ飛ばすぞ」
「そ、それは無理!」
「……なんか、とても卒業式前とは思えないや」
気が付けば辿り着いていた体育館の扉を前にして俺は苦笑した。実際の高校の卒業式というのも、こんな感じなのだろうか。
高校生を卒業すれば、多くの人が県外へと旅立つものだ。中学の卒業式とは違う。卒業してあの門をくぐれば、しばらく会えなくなる。
俺達も似たようなものだ。
もしかしたら、一生会うことはないかもしれない。けれど、こうして普段通りに最後の日を迎えられるのがたまらなく嬉しかった。
賑やかなこの会話も、久しぶりな気がして何だか懐かしくなった。
「あら、遅かったわね」
「夕凪、早くない?」
「あなた達が遅いのよ」
扉を開くと、広い体育館のステージに腰掛けた夕凪が居た。待ちくたびれたといった顔で、俺達を見つめていた。
「悪い悪い、なんか卒業だと思ったらいろいろ目に焼き付けとかなきゃって思ってよ」
「私がいないところで……」
夕凪は拗ねたようにムッとした顔を見せた。
「まぁ、別にいいけど。私は飽きるくらいこの学校見てきたし」
「最後にもう一回見とかなくていいの?」
「さすがにいいわ。それよりも、まだ見た事ない世界を見に行く方がいいじゃない」
ステージに置いた黒い箱を持ち上げて夕凪が笑った。俺はその言葉にうなずく。
学生のうちにしか見られない景色は、もうそろそろ見飽きる頃だ。ならば、あと一歩踏み出してまだ見ぬ世界へと行きたい。好奇心旺盛な俺達は、成仏して自分という存在が消える恐怖よりも、その先にあるものが見たいという気持ちでいっぱいなのだ。
「さぁ、早く始めましょう」
「え、でも校長とかもいねぇんだろ?どうすんだ?」
「私が皆に卒業証書を渡すわ。仮にも、この世界の主権者だし」
「そういえば、こころがこの世界を作ったんだったな」
北原が納得したように言い、いの一番に舞台の方へと駆けていった。それと同時に、夕凪が演台に箱を置いて待機する。俺がどうしようかとのんびり歩きながら思っていれば、ステージの前に四つのパイプ椅子が突然出現した。
「うわっ、いきなり椅子が出てきた……」
「これも、こころちゃんが……?」
「そうよ。驚いたかしら?」
「すっげー!こころ、マジシャンみたい!」
「魔法みたいだね!」
あずと北原がキラキラとした眼差しで夕凪を見上げた。当人は、マジックが成功してご満悦のようだ。
「じゃあ、簡単にだけど卒業式を始めましょう。誰から証書を受け取る?」
校長役の夕凪が問いかけてきた。
「やっぱ出席番号順じゃね?」と一吹が提案した。
「わ、私から……!」
あずが緊張した面持ちでピシッと背筋を伸ばした。
「決まりね。東屋さん、こちらへ来てくれる?」
「は、はい……!」
微笑む夕凪に呼ばれたあずが、元気よく返事をした。落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸をし、舞台上へと歩いていく。
待っている間の俺達は、夕凪が用意してくれたパイプ椅子に腰かけた。あずが夕凪の前へと歩いていく様子を、静かに見つめていた。
あずが夕凪の前で一礼をし、一歩前へ踏み出す。
こうして、五人だけの最初で最後の短い卒業式が幕を開けた。




