その5
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山岸先生にこってり絞られた放課後。ようやく解放された俺は、疲れ切った溜息を吐いて教室を後にした。
今日は皆で集まる約束はしていない。集めていいのか分からなかった。皆それぞれ放課後の活動があるし、まだ状況整理したいこともあるかもしれない。あえて何も連絡を入れず、俺は一人で調査を開始することにした。
その前に、俺は夕凪を探すことにした。珍しく今日は一度も姿を見かけていない。同じクラスの生徒会の子に聞いてみたが、会っていないそうだ。学校に来ていないのだろうか。メッセージを送っても、返信はなかった。
まさかとは思うが、彼女が知りすぎたせいで誰かに処分されてしまったとか。一吹の仮説を引きずって、そんな最低な予感が頭を過ぎった。
夕凪が一人で全てを抱えて戦っていたとしたら、ありえなくもない。
そう思うと俺は急速に不安感に襲われて、無意識に走り出していた。まだ全然体を動かしていないのに、呼吸が乱れる。
本能が焦っているのだ。
今すぐ夕凪を探さねば。
もしも彼女が危険な目に遭っていたら……。
俺はかつてないほど必死だった。どうしてこれほど夕凪のことになると必死になるかは分からない。単純に親友だからというのもあるが、俺自身が知らない自分の何かがそう告げているような気がした。
「あら、繋くん」
その時、職員室から出てきた夕凪がこちらを振り返った。聞きなれた声音に足を止め、俺は呼吸を整えた。
「ゆ、夕凪……」
「どうしたの、そんなに急いで」
「……夕凪を探してた」
「私を?」
そうだよ。
そう言って俺は彼女に近づいた。生徒会の仕事をしている途中なのか、手には書類が幾つか抱えられていた。かなりの量で、紙ではあるが重そうだった。
「運ぶの手伝おうか?」
「いいの?」
「うん。一人じゃ大変だろうから」
「ありがとう、助かるわ」
夕凪から半分ほど書類を受け取り、俺たちは生徒会室へと歩き出した。本来ならば関係者以外は立ち入り禁止されているが、俺は無断で生徒会室に入った前科がある。それなのに夕凪は特に気にもせず、出入りを許可してくれた。
「ここでいい?」
「えぇ、そこで大丈夫よ。ありがとう」
生徒会室の机に書類を置く。生徒会室内は驚くほど静けさに満ちていた。他の生徒会役員はいない。どうやら、夕凪が一人で仕事をこなしていたらしい。
「それで、どうして私を探していたの?」
「今日一回も姿を見ていなかったから」
「あぁ、ごめんなさいね。ちょっと仕事が立て込んでて」
「授業をサボるほど?」
「……そうよ」
少し間を置いて夕凪が答えた。
今のはどう見ても嘘だ。彼女らしくない、下手くそな誤魔化し方だった。
その表情を見てしまったからなのかもしれない。俺は、前置きもせずいきなり本題に入ってしまった。
「夕凪は一体何を隠しているの?」
静かに問えば、夕凪が僅かに反応を見せた。澄んだ瞳が、少し揺れる。
「夕凪は、何か知っているんだよね?全てとは言わないけど、俺たちが調べている世界の秘密に関して、重要な何かを知ってるんでしょ?」
できるだけ優しく問いかけた。
夕凪を責めているわけじゃない。俺は夕凪のことを信じているからこそ、それはハッキリさせたいのだ。
「……私は何も知らないわ」
夕凪は俺の目を真っすぐ見て答えた。
曇りのない目だった。だが、迷った素振りは一瞬だけ見せたような気がする。
夕凪はまだ、俺に話す気はないらしい。
どうしてなんだよ、夕凪。
夕凪は一体、何を抱えているの……?
「ごめんなさい、何も見つけられなくて」
「……ううん、別に。記憶の方はどう?」
「……まずまずといったところかしら」
夕凪は苦笑しながら手を後ろで組んだ。
大切な記憶を完全に取り戻せていないのは、俺と夕凪だけ。どうにかして記憶を取り戻すきっかけが知りたい。
「……俺さ、少しだけ思い出したことがあるんだ」
「大切な記憶?」
「分からない。情報が多すぎて困ってるんだ」
「そう……。どんなことか聞いても良い?」
「むしろ聞いてほしい」
そう言えば、夕凪は椅子に腰かけるように促してきた。古びた音を立てたパイプ椅子に座り、夕凪と向かい合う形になる。なんだか、面接でもさせられている気分だ。
「大切な記憶かどうかは分からないけど、俺の記憶にない思い出だった。知らない女の子のお見舞いに行っててさ、楽しそうに話してたんだ。漫画の話したり、一緒に折り紙を折ったり……他にも、毎日いろんなことをしていたみたいだった」
あの時見た夢をもう一度辿りながら、俺はゆっくりと話す。
「女の子はたぶん病気で入院していたんだと思う。体調がどうのこうのって話をしていたから。俺はその女の子と親友だった。いつか一緒に外で遊びたいとも思った。……でも、あの子はある夏の日に亡くなった」
しん、と辺りがさらに静まり返ったような気がする。一度も俺から視線を外すことなく話を聞いている夕凪が、少しだけ悲しそうに眉を下げた。
「俺、その子が書いた手紙を病室で読んだと思う。でも、何て書いてあったかは思い出せないし、肝心の女の子の顔も名前も何も思い出せない。たぶん、あの子のことを思い出せたら、大切な記憶のピースも埋まると思う」
「……そうね。繋くんにとって、その子は大事なお友達のようだし」
「うん。まだその感覚が実感ないというか……でも、大事な友達だったなぁっていうのは、なんとなく分かる」
口にしてみると、少しずつ現実味を帯びてきた。
夢で見たあの少女。全く記憶にはないが、長年一緒に過ごしたかのような安心感はあった。傍にいるのが当たり前のような、そんな感覚。
「俺、記憶を取り戻したいんだ。もちろん。世界の秘密を知って外に出るためというのもあるけど、あの子のためにも思い出したいんだよ」
顔を上げ、夕凪にそう断言した。
彼女は目を丸くし、瞳を大きく揺らした。その理由は、俺には分からなかった。
「……私はね、怖いのよ」
夕凪の綺麗な目がしばし宙を彷徨った後、彼女は不意にそんなことを呟いた。
「皆が世界の秘密を知ってしまったら、何もかもが壊れてしまいそうで……」
自分の手を握りしめる彼女の声は、柄にもなく小さくて震えていた。夕凪の白い肌に、睫毛の青い影が落ちる。
「夕凪、やっぱり何か知って……」
問い詰めようとして俺はやめた。
あの夕凪が、泣きそうな面持ちをしていたからだった。
何も聞かないで。
彼女の心が、そう叫んでいるような気がした。
「私は、臆病で最低な人間よ」と、夕凪は髪を留める蝶に触れながらそう零した。
「……どうして?」
「皆に疑われるような行動をしているからかしらね。私なりに頑張っているのだけど、きっと私は自分が可愛いだけね」
夕凪は膝の上で手を握って俯いた。
「そんないきなり……何かあった?」
夕凪は今まで弱音を吐いたりしなかった。だから俺は、彼女は何事も自分で解決できる人間だと思っていた。
でも、そんなことはなかった。
彼女は弱音を吐かないのではない。吐くことが出来なかったのだ。
「……記憶を取り戻した影響だとでも言っておこうかしら」
「え……?」
俺は目を見開いた。
記憶を取り戻した?
夕凪はもう、大切な記憶を取り戻しているのか。
「私がとっくに記憶を取り戻しているって言ったら、繋くんは信じる?」
彼女はきれいに微笑んだ。
「なんてね、冗談よ」
俺が返答に悩んでいれば、夕凪がいつものように笑いながら髪の毛を耳にかけた。
「ごめんなさい、変なこと言って。こんな風だから疑われたりするのよね」と自嘲気味に苦笑した。その顔は、ひどく苦しそうに見えた。
「……夕凪、大丈夫?」
彼女は相当無理をしているように見える。脆くて儚い、そんな言葉が似合うほどに。
俺が声をかければ、彼女は視線を手元に落とした。
「……さっきも言ったみたいに、私は全てが壊れてしまいそうで怖い。秘密ってどんな形のものであろうと、知ったら何かが変わってしまうのよ。世界の秘密を知って、誰かが居なくなってしまったら、友達という関係が崩れてしまったとしたら。……そんなことばかり、考えてしまうのよ」
夕凪は絞り出すように言った。
彼女はそんな不安を抱えて、俺たちと同じように調査をしていたのか。俺は夕凪の心に触れて、ようやく彼女のことが少しだけ理解できたような気がした。
「……大丈夫だよ、夕凪」
俺は彼女の手にそっと触れて微笑む。
「俺達は簡単に居なくなったりしないし、何があってもずっと友達だ」
約束する。
そう言って俺は、夕凪と目を合わせた。不安そうな瞳が大きく揺れ、澄み切った光がその中に宿る。
「……その言葉、信じていいの?」
顔をゆるりと上げた夕凪は、迷子の子供みたいにあどけない表情で訊ねてきた。
「もちろん。夕凪は俺を信じてくれているんでしょ?なら、俺も夕凪を信じるよ」
たとえ、夕凪が俺たちに重要な隠し事をしていたとしても。
俺は彼女を信じている。
……そう強く思える何かがあるのだ。
「ありがとう、繋くん」
夕凪が静かに礼を言って立ち上がる。どういたしましてと、いつもの調子を少しは取り戻した様子の彼女に笑って立ち上がれば、夕凪がふらりとよろめくようにこちらに倒れこんできた。突然のことに驚きつつ、俺より少し背の低い彼女が確かめるように抱きしめてきたのを受け止めた。
「ゆ、夕凪……?」
仄かに甘い香りが弾けた。サラリとした艶やかな髪が肩にかかってくすぐったい。
俺は緊張でどうにかなりそうだった。状況が状況でなければ、今頃だらしなくにやけているか、真っ赤になってテンパっているに違いない。
けれど俺は、らしくもない彼女の行動にただ不思議がるだけだった。
「……人って、こんなにも温かいのね」
俺の背に手を回し、愛おしそうにそう言った。
まるで、温もりを忘れてしまっていたかのように。夕凪は切なそうに呟いた。
小さな子供が親に甘えるように、夕凪は俺を抱きしめたまましばらく動かなかった。少し冷えた体温を感じながら、俺は彼女の気が済むまでその場で立ち尽くす。
――繋くんって、温かいね。
「――っ⁉」
声にならない叫びを上げそうになった。一瞬俺を刺した頭痛。思わず夕凪の肩を掴み、やんわりと彼女を遠ざけてしまった。
「……繋くん?」
夕凪が心配そうに俺を見つめてくる。その眼差しが、知らない誰かと重なった。
あの夢に出てきた少女にそっくりだ。少女の顔を見ていないが、本能的にそう感じた。
でも、夕凪があの少女であるわけがない。もしそうなら、俺はとっくに記憶を取り戻しているだろう。
それに、俺が死亡していたという真偽の分からない事。彼女が俺の知り合いならその件について知っていそうだし、何も言ってこないということは、俺が死んでいないか、彼女が俺と知り合いでないかのどちらかだ。
「大丈夫?」
「……ごめん、何でもない」
あと少しなのに、思考はまとまらないし、思い出せない。俺はぎこちなく微笑んで答えた。
「ごめんなさい、いろいろお話して疲れちゃったかしら?」
「そうじゃないよ。なんか、いろいろ混乱しててさ」
「……そう、よね。ここ数日でいろんな事があったもの」
「あと少しで分かりそうだから、頑張らなくちゃ」
「無理はしないでね」
「うん、分かってる」
未だ心配そうな眼差しを向ける夕凪にそう答えた。
真実を知るまで、きっとあと少しだ。
俺は記憶の中の少女を追いかけながら、窓の外の青空の向こうを見つめた。
空は、一瞬だけ夢の中の夕焼けを映したような気がした。




