その3
朝は基本的に図書室は施錠されているはずだが、一吹がまた鍵を盗んだのだろう。図書室の扉に鍵はかかっていなかった。
中へ入ると、そこには机に何かを広げて見つめる一吹がいた。
「……はよ、繋」
一吹が顔を上げて控えめに微笑んだ。
「おはよ。なにしてんの?」
「見ての通りさ」
「それ、アルバム?」
「おう」
アルバムを見ながら、一吹が短く返事をした。アルバムには、一吹と思わしき少年と誰かが一緒に映っている写真ばかりがおさめられていた。
「それどこで手に入れたの?」
「朝起きたら部屋に置いてあったんだよ」
「今まで無かったのに?」
「それが謎なんだよなぁ。母さんに聞いてみたけど、母さんが置いたわけじゃなかったし、見たこともないって言ってた」
「あずのアルバムみたいな感じかな」
「かもな」
一吹は小難しい顔でアルバムを捲る。
二人は幼い頃から一緒にいるようで、ページを捲る度に二人が成長していく。中学生に入ったあたりから、一吹の隣に映っている少年が誰か俺には分かった。
「もしかして、あの二見って人……?」
卒業生のプロフィールが綴られた冊子に載っていた人物の顔にそっくりだった。一吹があのページで止めてきたし、おそらくこの少年は二見光牙という人物で間違いなさそうだ。
「そうそう。オレの幼馴染なんだ」
「あ、やっぱりそうだったの?」
「あぁ。オレと同い年で、小学校からずっと一緒だったなぁ」
一吹が懐かしむように目を細めた。アルバムの中の一吹は、どこを見ても楽しそうだ。
「不思議だよなぁ、何で忘れてたんだろ。アルバム見た途端にこんな簡単に思い出すなんてさ」
「卒業生のプロフィールにあったけど、同い年なんだよね?」
「そうなんだよ、それも変だよな。もしかしたら管理してる奴が間違えたのかもしれねぇけどよ……」
学校側の管理が杜撰すぎる。
秘密の調査をしていく過程で、天明高校がいかにセキュリティが甘く、物の管理が雑なことまで知ってしまった。正直、個人情報が漏洩していないかが心配だ。
もっとも、俺達学生がこんなに簡単に卒業生のデータを手に入れられた時点で、プライバシーも何もないのだが。
「一吹はこれで記憶取り戻せそう?」
「たぶんな。でも何か足りないっつーか……」
「幼馴染の存在だけは思い出せたんだよね?」
「おう。でも、今どこで何してるかは知らねぇし、アイツと何か約束をしたような気がしてな……」
頬杖をついて、一吹が目を伏せた。必死に思い出そうと頭を捻っているようだが、あと少しのところで思い出せないらしい。
「約束か……どんな感じの約束か、ぼんやりでいいから思い出せたりしない?」
「んー……さっぱり」
「じゃあ、二人の共通点とかは?」
「共通点……スポーツ好きなところくらいだな」
一吹が思い出したかのようにそう言った。
スポーツ好きなところが共通点か。そうなると、スポーツに関する約束の可能性はある。
たとえば、憧れの選手の試合を見に行くとか、オリンピックの代表に共に選ばれるとか。学生らしいことで言えば、部活動関連だろうか。
「一吹ってサッカー部だったよね?」
「おう!昔からサッカーは得意で」
「二見って人は、サッカー部じゃないの?」
「どうだったかな……よく覚えてない」
「そっか。うーん、どうしようかな……」
北原やあずのように、記憶に関係しそうな物は見つかっているのに、まだ何かが足りない。二見という人のプロフィールも、彼と一吹の思い出が刻まれたアルバムもあるのに、大切な記憶にはあと一歩届かない。
思考してみるが、これ以上一吹の手助けになれそうなことは無く、俺はただ頭を悩ませるだけだった。
「ま、そのうち思い出すだろ!あと少しだし、希望が見えてきたな」
一吹が勢いよくアルバムを閉じて立ち上がる。突然のことに俺は驚き、大袈裟にビクリと肩を揺らしてしまった。
「そろそろ真相に近づいてきた気がするな。この世界を出られるのも、あと少しかもな」
「そうかもね。短期間でだいぶいろいろな事を発見したというか……」
屋上で世界に対する疑問を抱いた日から、まだ一ヵ月も経っていない。それなのに、俺たちは多くの非現実的なものを目にしてきた。
おまけに、実際に記憶を取り戻した人物が既に二人。俺も一吹も、半分くらいは大切な記憶を取り戻していると言える。
何かに誘導されているような気がしてならないが、これはいい傾向だと信じたい。
「なぁ、繋」
「なに?」
「オレさ、やっぱ昨日言ったこと、だいたい合ってんじゃねぇかって思うよ」
一吹が窓の外に広がる青空を見つめながら、真剣な声で言った。
「オレたちは何者かにこの世界という檻に閉じ込められている。目的は分からない。オレの想像じゃ人体実験だと思うが、そうじゃないかもしれない。でも、何者かに利用されていることは事実だと思う」
「……それはちょっと分かるかも」
「だろ?……こころの事もさ、別に差別とか責めてるとかそういうのじゃねぇんだ。ただ、アイツは何も話さなすぎるんだよ」
悔しそうに唇を噛んだ一吹は、拳を握りしめた。
確かに一吹の言う通りではある。夕凪は、自分のことを語らない。相談事だってされたことがないのだ。
彼女はいつだって、聞き手側だ。皆の話を聞き、親身になって接してくれる。夕凪にも悩みや不安くらいあるのに、彼女は話してくれない。今の秘密の件だってそうだ。明らかに何かを知っているはずなのに、彼女は隠し事はしていないと言い切った。
「オレが想像する世界の秘密が事実なら、もうこころを疑うしかねぇんだよ……」
一吹がダンッと机を叩いた。
一吹だって、ずっと一緒に過ごしてきた友人を疑いたくないだろう。ましてや、俺たちの中で一番博識で頼りになる彼女のことを。
「……夕凪も、そのうち話してくれると思うよ」
「……だといいな」
「きっと記憶を取り戻したら、少しは話してくれるんじゃないかな。夕凪も、たぶん不安なんだよ」
調査の初日、放課後に彼女と二人きりで話した時のことを思いだした。
あの時の夕凪は、ひどく悲しげで何かを抱えているように見えた。夕凪は多くを語らないから、何が気がかりで俺にあんなことを言ったのかは分からない。でも、不安な何かがあったことだけは確かだ。
「オレたち、皆で世界の秘密を暴いて、この世界を飛び出せっかな」
「きっと出来るよ。知りたいことは全部この手で掴んで、見た事のない世界にだって行ける」
「さっすがリーダー、頼もしいな」
「なんかそれ、久々に聞いた気がする」
普段の調子を取り戻し始めた一吹が笑顔でそう言った。リーダーという肩書で呼ばれたのは、何故だか随分と久しぶりのような気がした。
「さ、面倒だけど授業行くか」
「一限は山岸先生だもんね。サボったら長時間説教コースだよ」
「ゲッ、それだけは勘弁だな」
ニッコリと笑いながらネチネチ説教をしてくる山岸先生を想像して、二人して身震いした。チーム・コンパスが結成されたあの日、山岸先生に笑顔のまま厳しい言葉を向けられたことを思い出した。
あんなのは二度と御免だ。
互いにそう笑い合って、俺たちは図書室を出ようとした。
パチンッ。
その時だった。
図書室の電灯を消していないのにも関わらず、不意に照明が全て消えた。朝読書の時間を待つ生徒たちの賑やかな声も、パタリと聞こえなくなった。
「て、停電か……?」
「だと思うけど……何か……」
嫌な予感がする。
そう口にしようとしたところで、背後から獣のような唸り声が聞こえた。
反射的に振り返ると、そこには昨日見た化け物が立っていた。溶岩でも頭から被ったみたいに黒と橙が混ざった液体が、ドロドロとソイツから零れ落ちている。手にはもちろん、斧が握られていた。
「お、おいやべぇぞ!」
「一吹、逃げよう!」
慌てて図書室を飛び出した。
あの化け物も、思い切り地を蹴って俺達を追いかけてくる。足が何度ももつれそうになる中、俺たちは走った。
校内の様子がおかしい。
走りながら俺は学校内の異様な雰囲気を感じ取った。
冷凍庫から漏れだしているかのような冷気が、廊下を這いずり回っている。窓の外の青空はくすみ、ミントのような爽やかさはどこにもなかった。
それから、普通ならば生徒で溢れているはずの学校内に、俺達以外が存在していない。教師の声も生徒の声も聞こえなかった。
聞こえるのは、俺達の忙しない足音と、段々と乱れていく呼吸音。そして、化け物の気味の悪い足音だった。
「つ、繋!どうすりゃいい⁉」
「昨日みたいにどこかへ逃げ込もう!もしかしたら見失ってくれるかもしれない!」
「でもよ、朝だからほとんどの教室開いてねぇぞ⁉」
一吹が走りながら叫ぶ。
そうだった。今は朝読書前、授業も始まっていない時間帯だ。普通の教室くらいしかまともに開いていないのが、朝の学校。俺達がいるのが南校舎の三階。この付近に入れそうな教室はない。
「っ……このまま逃げるしかない?」
「安心しろ繋、オレは体力だけには自信があるから!」
「一吹が自信あっても俺にはないよッ!」
こんな状況でキメ顔をしてくる一吹に怒りながら叫ぶ。俺は今、部活動に所属していない。最近は体力が衰えているに決まっている。
あの化け物は足が速い。俺達は自分の持てる最大限の速さで走っているつもりだが、距離はあっという間に縮んでいく。
「も、もう無理だぞ繋!」
「そんなこと言われても……!」
肌を撫でる緊張感と、冷静でない頭。背後から聞こえる化け物の足音と獣のような唸り声。全てがぐちゃぐちゃに入り混じって、体の芯から恐怖を這い上がらせていく。
何か、何か撃退する方法はないか。
何でもいい。少しでも隙を作れれば……。
「一吹!なんか刃物みたいの持ってない⁉」
「持ってるわけねぇよ!使わねぇもん!」
「じゃあ、何か投げても大丈夫そうなヤツ!」
「は⁉あー、小銭でいい⁉」
走りながら器用にポケットを漁った一吹は、数枚の硬貨を握りしめて叫ぶ。
「この際それでいいや!貸して!」
俺は一吹から十円玉を三つほど受け取り、キュッと上履きを鳴らして振り返る。
「お、おい繋⁉」
足を止めかけた俺に対し、一吹が焦ったように俺を呼んだ。「そのまま走ってて!」と叫び、俺は化け物目掛けて十円玉を投げつけた。
チャリンッと床で硬貨が跳ねた音がした。一瞬だけ驚いたように動きを止めた化け物をよそに、俺は再び前を向いて走り出す。
だが、ブンッと変な音がしたせいで一瞬だけ振り返った。
「え……?」
化け物の姿が、一瞬だけ大きく歪んだ。歪んだというよりは、ノイズのようなものが走ったとでも言えばいいのだろうか。乱れたカメラの映像みたいに、空間ごと化け物が揺らいだような気がした。
「繋、アイツは⁉」
「まだ追ってきてるけど、少し離れたかも!」
「よし、さすが繋!このまま頑張って逃げ切ろうぜ!」
「うん!アイツ直線距離は早いけど、曲がると少しスピードが落ちるような気がするから、このままなら――」
いけるよ。
そう続けようとした時、横から黒い何かが咆哮と共に突っ込んでくるのが見えた。まるでじゃれる犬みたいに、飛び上がって一直線にこちらへと吹っ飛んでくる。
何で、化け物がもう一体……。
避けきれない。
せめて少しでもダメージを減らそうと腕を前に出して、化け物を受け止めようとした。
だが、化け物は俺の腕を思い切り弾き、そのまま力強く俺の体を突き飛ばした。
「あっ――……」
浮遊感。
突き飛ばされた勢いで窓にぶつかると思った。ガラスに突っ込んで頭を怪我するんだと思った。
それは違った。
状況はもっと酷かった。
俺の体は、偶然開いていた窓から青空へと投げ出された。
「繋ッー‼」
一吹の絶叫が轟いた。
俺は急速に遠ざかる窓へと手を伸ばす。
嫌だな。
こんなとこで死ぬのかよ。
まだこの世界で生きる理由も、世界の秘密も、俺の大切な記憶も、何一つ見つけていないのに。
それなのに、不思議と悲しさや恐怖と言ったものは湧き出てこなかった。走馬灯の一つも流れやしない。
これから死ぬというのに、体は未知の「死」に対して怖気づかなかった。
ザザッと視界が僅かの間だけモノクロになる。脳裏に、知らない映像が浮かび上がった。
誰かが傘を差して歩いている。制服からして男子高校生だ。
人がまばらに歩いている交差点へ差し掛かると、甲高いクラクションのようなものが聞こえた。
あぁ、あのメモに書いてあった交通事故。
俺はその記憶を見ているのかもしれない。
やっぱりあれは、事実だったのか。それとも、死ぬ間際で偽りの記憶を脳が再生しているのか。
もう、訳が分からない。
このまま一人で落ちて死ぬんだ。
そう思った矢先、こちらへと飛び込んでくる人物が一人。
「いぶ――」
ドシャッ。
重く残酷な音と共に、俺の意識はぶつりと消えた。




