その6
俺は、先程の夕凪の言葉が気にかかっていた。
世界の均衡が崩れ始めている。その言葉は、世界の秘密の何かしらを知らなければ言えない台詞だと思う。あの化け物のことも知っていたようだし、少なくとも俺達が知らない情報を得ているのは確かだ。
下手に夕凪が責められることのないように、俺たちを監視している輩がいないことや、夕凪が俺たちを利用するような真似をしていないことを証明したい。
その思いから、俺はとある部屋に忍び込むことに決定した。今まで、この教室には入ろうと思わなかった。なにせ、あの夕凪が出入りし、そこにあるモノには何の手がかりもなかったと何度も報告してくれていたからだった。
夕凪に対して少しの疑いをかけられてしまった今では違う。
俺は、職員室から生徒会室の鍵を拝借した。現在は誰も使用していないのか、運よく鍵がそこにかけられていた。
なるべく生徒や教師に遭遇しないように、足早に生徒会室に向かった。普段利用している教室とは多少離れた場所にあるこの部屋には、一体何が隠されているのだろうか。そもそも何も隠していないのかもしれないが、今となっては何かしら俺達が求める情報がある気がしてならない。
ごめん、夕凪。
俺は心の中で夕凪に謝罪をし、生徒会室を守っていた錠前に鍵を差し込んだ。静かに鍵を開け、扉をゆっくりと開く。
そこは、小さな会議室のような場所だった。コの字型に並ぶ机、乱雑に置かれた書類の数々。ファイルが敷き詰められた棚の横に置かれたホワイトボードには、掠れた文字で何かが書かれているが読めそうになかった。
後ろ手に扉を閉め、俺は生徒会室の中をふらりと歩く。一見、めぼしいものはない。散らばっている書類も、全て学校行事や委員会活動に関するものだった。ファイルの中身も全て見てみたいが、キリがない。背表紙を見る限りは、過去の生徒会の資料や、決算報告書が入っているようだから、その文字を信じたいところだ。
他はどうだろう。
何か仕掛けとかはされていないか不意に気になって机の下を覗き込んでみたり、窓を開けたり閉めたりしてみるが、特に何も起こらない。部屋の中にある本も特別気になることはないし、生徒会室には世界の秘密に直結するようなものは、どうやらないらしい。
俺はひとつ溜息を吐き、頭を掻く。
生徒会室に目をつけたのは、さすがに安直すぎたか。いかにも怪しい部屋に、そう簡単に重要な手がかりが転がっているわけないか。
俺も冷静じゃなかったな。
そう思いながら部屋を出ようとした時、カランと何か金属のようなモノが落ちる音を聞いた。
足元を見れば、銀色の蝶が留まっていた。正確には、夕凪に貰った蝶のヘアピンがポケットから落ちただけ。
俺がそれを拾いあげようとした時、その蝶が眩い光を放った。
「え、何……⁉」
思わずそう呟き、俺は瞬きを繰り返した。
その蝶のヘアピンが、一筋の光を放っている。まるで懐中電灯みたいなそれは、生徒会室の一番奥にある棚を照らし出していた。
何かあるのだろうか。
俺はヘアピンを拾って、その棚に近づく。ヘアピンはまだ光を放っており、執拗にその棚の存在を主張していた。
「……鍵穴?」
ヘアピンが照らす棚にあった本を、退かしてみた。そこから出てきたのは、小さな鍵穴だった。シンプルな形の鍵穴で、周囲は銀で装飾が施されていた。
俺は手に持ったヘアピンを見つめた。ヘアアクセサリーが売っている店であれば、どこでも手に入りそうな普通のヘアピンだ。しかし、これを夕凪に貰ったせいなのか、これがただのヘアピンとは思えなかった。当の本人もお守りだと言っていたし、使えそうなら使えとも言っていた。俺はヘアピンを使ったことなどないし、周囲の目が気になる年頃の男が、女子から貰ったヘアピンをつけるはずもない。
それなのに使えそうなら使ってということは、これに何か別の用途があるのかもしれない。それがたぶん、目の前のこれだろう。
勘が冴えているというか、珍しく柔軟な発想というか。はたまた、普通は気づくことなのか。
俺はその鍵穴とヘアピンが同じくらいの大きさでないかと気が付いた。
まさかな、と思いつつ、俺は鍵穴とヘアピンを交互に見つめる。
試すだけならば、問題ないだろう。別にこれで何かが起きようと起きなかろうと、何とかなる。きっと大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせて、俺はヘアピンを恐る恐る鍵穴に差し込んだ。ゆっくりと、ヘアピンの先を鍵穴へと入れていく。
ピタリとはまったような気がした。ごくり、と唾を飲む。妙に緊張して、鼓動が加速した。
俺はヘアピンを丁寧に捻る。折れないように、慎重に。そうすれば、ヘアピンは中で何かを引っかけながら回った。
カチャリ。
そんな小気味いい音が、生徒会室の静寂に波紋を走らせた。
「う、わ……っ!」
ゴゴゴ、という重い音と共に、床が振動した。それに思わず声を漏らし、踏ん張った。
棚がゆっくりと手前に動き出す。それに一歩一歩後ずさり、ひとりでに棚が動く様子をただ茫然と見つめていた。
まるで分厚い本の表紙を開くみたいに、その棚は動き出して一つの空間を俺に見せてきた。棚の後ろから覗いたのは、薄暗い空間。どこかへと続く階段がそこには佇んでいる。
スマホを取り出して中を照らせば、階段の先に一つの扉が見えた。
俺は階段の前に立ち、一度後ろを振り返る。
生徒会室には、誰も入ってくる気配がない。この奥からも、人の気配はしないように思う。
この先に進んでも良いのだろうか。半ば不安になりながら、俺は階段の先の扉を見つめる。
好奇心と恐怖。
二つが入り混じって俺の背中を押そうとする。
ここまで来たら、後戻りはできないだろ。俺は、世界の秘密を知るために一歩を踏み出したチーム・コンパスのリーダーだ。何か知ることが出来れば、この世界で生きる理由を見つけられるかもしれないし、夕凪への疑心も晴らすことができるかもしれない。
俺には、進むしか道がないのだ。
コツリ、と階段を一段下る。虚しい音が薄闇の中に響いていき、無邪気に跳ねた。
棚の後ろに隠されていた秘密の通路のように思えたが、階段には埃が積もっていないみたいだった。つまりは、誰かがここを利用している可能性が高い。生徒会のメンバーには、知らされている部屋なのだろうか。それとも、やはり夕凪が……?
俺は階段先にある扉の前に辿り着いた。上からではよく見えなかったが、それは真っ白な扉だった。取っ手が一つついた、シンプルな扉だった。
この先に、一体何があるのだろう。
俺は好奇心に駆られ、その取っ手に触れる。それは、異様に冷たく、指先から体内までを凍り付かせてしまいそうだった。
スライド式の扉を開くと、一瞬視界が閃光した。ギュッと目を瞑り、突如襲った光に耐える。瞼の裏まで真っ白だ。
俺は、しばらくしてゆっくりと目を開く。
扉の奥を見た俺は、ビー玉みたいに目が丸くなったと思う。それほどまでに、この空間は異質に感じられたからだった。
そこは病室だった。
白い白い病室だ。
校庭が見える窓にかかるカーテンも、その近くに置かれたベッドも。それから、置かれた本棚や椅子までもが雪を欺くような白に染め上げられている。
なぜ、学校の生徒会室にこのような病室が用意されているのだろう。しかも、こんな隠すように。
生徒会の誰かが、病にでも侵されているのだろうか。だとしても、この街には大きな市立病院もあるし、そっちで診てもらう方が的確だろう。
なのに、何故?
俺は異様な光景に纏わりつくような恐怖感を覚えながら、その部屋に足を踏み入れた。微かに、消毒液のようなにおいがした。病院特有の薬の香りと、妙に澄んだ空気。少し現実味の消えたこの空間は、全てが真っ白で不気味だった。
点滴や心電図、車椅子などが部屋には用意されている。しかし、どれも使われている様子が一切ない。ベッド脇に置かれたテレビもコードが抜かれているし、机上に置かれた薬の袋も空っぽだ。
もう長らく誰にも使用されていないのかもしれない。そう思いながらベッドに近づけば、毛布が少し乱れていることに気が付く。他が綺麗に整理されているだけに、それがやけに気にかかった。
……誰かがここを使用した形跡がある。
そんな気がした。
ふと俺は、枕の下に何かが置かれていることに気が付いた。水色の紙のようなものが顔を覗かせている。
枕を退かして、俺はそれを手に取った。それは、小さな折り鶴だった。それなりに丁寧に折られている。
「この、折り鶴……」
俺は折り鶴から目が離せなかった。
なんだっけ。
これは、何処で見たんだっけ。
俺は、何でこれが無性に気にかかるんだろう。誰でも折れるような平凡な折り鶴じゃないか。
だが、俺はこの折り鶴が特別なものに思えて仕方ない。というより、この折り鶴が俺に何かを訴えかけているような気がしてならない。
思い出せ。
お前にとって一番大切な記憶を思い出せ。
聞こえるはずのない声が、俺の頭に響く。
大切な記憶。
折り鶴。
一体何の関係があるっていうんだ。でも俺は、これを確かにどこかで見たような気がする。この街じゃない、どこか別の場所で。いや、別の世界で……?
訳が分からなくなってきた。
気が付けば、折り鶴をぐしゃりと握りつぶしていた。その瞬間に、俺の頭に鋭い痛みが走る。ザーザーとテレビの砂嵐のような音が耳奥で鳴り響いた。
誰かが俺を呼んでいる。そんな気がする。
俺は一体、どんな記憶を取りこぼしてしまったのだろう。もう、考えても頭痛が走るばかりで、何も考えられやしない。
俺は、痛みに耐えかねて意識を手放してしまった。




