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久方ぶりの雨が降っていた。
収穫期を迎えている小麦であるが、雨の日は刈り取しない。
濡れたまま刈り取ってしまうと、水分を含んでしまうため、腐りやすくなってしまうのだ。
また、雨でぬかるむ畑で作業するのは一苦労となることもあり、この雨の間は刈り取りを見合わせるのが恒例である。
「雨が降ったら家で何もしないって、原始的な生活だねぇ」
雨が降ったらまったく何もしない、と言うわけではない。
雨の日でも商会は物を売っているし、兵士だって訓練であったり、警らしていたりするのだが、やはり雨の日に外で作業を続ける職や人は少ない。
雨に濡れ続けば体温が奪われていくし、体温が奪われることで病気に掛かってしまい、動けなくなってしまうことも考えれば、雨の日に外で作業するのは控えるものだ。
それでも見回りをしている兵や依頼を受けた冒険者が窓から見えた。
雨具を被り、時折冷えて寒そうにしている。
「雨の日に狩るモンスターもいるんだが、さすがにそれを受けなきゃ金が無いってわけでもないからな。空が休めって言ってるんだ、ゆっくりしようぜ」
暑い日が続いている季節であるが、普段の薄着では雨が降った時は少し肌寒い。
レッドは白湯をゆっくりと冷ましながら口にしているほどである。
フクフクは湿気で羽がしなっているためか、普段より元気が無さそうにしていて、大人しくマイの腕の中で目を閉じていた。
マイはそんなフクフクを撫でながら、降り続ける雨を飽きもせずに見続けている。
リベルテがマイのコップを持ってきて、そっと前に出す。
「はい、マイさん。温かいモノを飲んでおくと、気持ちも楽になりますよ?」
「……ありがとうございます」
リベルテからコップを受け取り、そのまま口につけようとしてすぐに口元から離した。
予想より熱かったらしく、フーッ、フーッと息を吹きかけて冷まし始める。
それからしばらくしてようやく一口飲んで、お腹に温かいものが流れ込むのを感じて、ホッと息を一つこぼした。
なんとなくその表情に暗さを感じなくなったので、リベルテも椅子に座って自分のコップに口をつける。
なんとなく穏やかな雨音だけ聞こえる時間が流れる。
リベルテはこの時間を楽しむように目を閉じていたが、視線を感じて目を開けると、コップを置いたマイが何か決意をしたような目でリベルテを見ていた。
「リベルテさん! 私、薬師になりたいです!」
急な言葉にリベルテは首をかしげたものの、しっかりとマイに向き合う。
「……何故、薬師になりたいと考えたのですか?」
マイはレッド、タカヒロにも目を向けた後、グッと拳を握る。
「わ、私……、もう力が使えなくなっちゃったんです……。もう誰も治せない。フクフクの怪我だって、力があったら治せてるはずなのに……。私のせいでフクフクが飛べなくなっちゃった……」
話しているマイの目尻に涙が浮かんでいた。
マイの様子に気づいたフクフクがマイを気遣うように鳴き声をあげると、マイは優しく撫でてフクフクに応える。
「……そうか。モンスターには効かなかったってわけじゃなかったのか……。だが、なんで力が無くなったんだ?」
レッドがここしばらくのフクフクを見るマイの様子に納得する。
しかし、力が無くなったと言う理由が気になり、率直に聞いてしまった。
「そんなのわかりませんよっ!」
「わ、悪い……」
マイの大きな声の反論が予想外だったため、身を縮めるレッド。
レッドの不躾な聞き方が悪いため、リベルテが呆れたような目をレッドに向けていた。
「あの力があって、大きな怪我をした人とか昔の怪我の後遺症で苦しんでた人を助けられた時は、凄い力だって思いました。だけど、そんな力見たこと無いって言われて、私を見る目が怖い感じになって……、私は逃げました。逃げだしたけど、行く先に心当たりなんて無いし……、何も知らない世界だったから、どこに行けばいいのかもわからないから……。そうしてたどり着いたのが、あの村だったんです」
マイが置いていたコップを手に取り、コップの温かさを弄ぶように握ったり離したりしていた。
落ち着かない様子であったが、少し辛い過去を思い出しながらであれば、分かるような気がした。
「もちろん、知らない人ばかりだし、また怖い目で見られそうって思ってたんですけど、フィリスちゃんはそんなことなく私を見てくれて……。そうしてると、やっぱり、怪我をした人を見たら放って置けなくて……、力を使っちゃったんです。でも! あそこの人たちはみんな、凄いねって、ありがとうって言ってくれて……とても嬉しかった。……嬉しかったのに、それでも私は怖くもあったんです。力を持っているから出来ることもあったけど、強い力を持っているから怖い目で見らたし、近づいてくる人も居たんですよね。……だから、こんな力は要らないって、考えた日も多かったんですよ」
泣きそうな顔をしながら、マイはリベルテに笑いかけようとする。
リベルテは茶化すことなどなく、ジッとマイの話に耳を傾けていた。
「レッドさんたちが来た時も、私の力を狙って来たのかなって思いました。だけど、二人はそんなこと口にしないし、むしろ力を使うなって言ってくれました。二人のことも怖いなって思うことがあったけど、ここで生きていくならって、冒険者という職業について教えてくれましたし、……一緒に住まわせてもくれました。とても楽しい日々だから、二人が怪我をした時、私に力があって良かった! って、やっと思えたんです。それからちょっとずつ、私の力を使うようにもさせてもらいました。やっと私と向き合えたって思えたのに……、使えなくなっちゃいました」
マイの言葉に、レッドは目を瞑ってジッとしていた。
そうしていないと、マイの言葉を遮ってしまいそうだったからだ。
大丈夫だ、と何の根拠も無い言葉を口にして、自分の力で歩き出そうとしているマイを止めてしまいそうだった。
タカヒロもまた、マイの話を黙って聞いていた。
ただ、その手は何かを確かめるように閉じたり開いたりしている。
「フクフクの怪我を治せなくて、なんで? どうして? ってそれだけしか浮かびませんでした。そうしたら、冒険者の一人が、普通の傷薬で大丈夫だよって教えてくれたんです。慣れてなくて、今のようにちゃんと巻いてあげられなかったけど、手当てできたら、フクフクが少し元気そうな声で鳴いてくれました。その時、私は誰かを治せる、癒せる力が欲しかったんだって気づいたんです。……だから、きっかけとしてこの力をもらったんだなって、そう思えたんです。この世界では、傷薬を作るには薬師にならないとダメ、なんですよね? だから、なりたいんです」
今のマイには、ここしばらく悩んでいた時のような陰は無く、その目はしっかりと強くリベルテを見ていた。
「……そうですか。そのお気持ちは、とても素晴らしいと思います。なりたいと強く思えるものがあるのは素敵なことですよ。私は応援します」
リベルテはそっとマイの手を握る。
マイが嬉しそうに目尻に溜まった涙をこぼす。
耐え切れなくなったのか、そのままリベルテに抱きついたのだが、間にいたフクフクが苦しそうに声を上げていた。
「薬師なぁ……。なるためには薬師のだれかの弟子入りしないとダメなんだよな。どっかに伝手あったかねぇ……」
レッドは微笑ましそうに二人を見ていたが、ふと薬師のなり方を考えて呟くと、マイがビタッと動きを止めて、抱きついていたリベルテの顔を見上げた。
「ええ……。薬師は冒険者ギルドと同じように薬師ギルドと言うものがあります。そちらに登録が必要なんですが、冒険者のようになりたいと言ってすぐ登録できるものではないんです。薬はその調合の仕方や材料によって毒にもなってしまいますから」
「勝手に薬作って売ったり、使ったりしないようにってこと?」
タカヒロがやっぱりそういう決まりあるよね、と口を挟む。
「正確には売らないように、というだけですね。自分で使うのであれば問題にしない、というところです」
リベルテが決まりと言うほど大げさなものではないですよと、困ったように笑う。
冒険者は怪我をする可能性が高い依頼があるのだが、薬を買うにはお金が足りない生活者が多い。
そのため、応急処置できるようにと自身で知識を得て、薬草を見分け、薬を作れるようにしようとする者もいる。
しかし、薬の調合の仕方は公開されていないため、独自の感覚で作る代物でしかない。
だから、知識や経験が足りない者では効き目が無い物になったり、毒になってしまって、亡くなってしまった冒険者も少なくは無い。
それでも、それなりに作れることが出来れば、助かることもあるので、独学で手を出す者はなくならない。
薬師ギルドとしては自身の売り上げなどに関わるため、自作するなら確実なギルドの薬を買ってほしいところではあるが、作るなとも、使うなとも言えないのである。
言ってしまえば、作り方を公開するなり、もっと安く提供することを迫られてしまうためだ。
「薬師ギルドで売っている物は効き目をしっかりと確認されたものです。効き目の無い物は売っていないと宣言することで、薬師の責任とならないようにもしてるんですよね。そのため、誰でも薬師として受け入れるわけにはいきませんし、登録されている薬師の弟子となって、知識と腕、それと性格というか考え方が確認されてやっと……としているんです」
「ま、薬師独自の製法ってのもあるからな。それを公開するわけにはいかないんで、その弟子に伝えて行く話でもあるらしいぞ」
「え? そういったのをギルドで管理しないんですか?」
製法はすべてギルドに報告する必要があり、ギルドで管理するものと思っていたタカヒロが声を上げる。
「ギルドでは最低限の基準となる薬だけだな。薬師たちが自分で見つけた製法は秘匿としていいんだよ。そうすることでその薬師の所でって評判になるからな。そんな薬を作れるって評判が広まることで薬が売れるってことだ。全部ギルドで管理しちまうと、ギルドでしか薬が売れなくなる」
「え~? それってギルドの意味あるんですか?」
「あるぞ? まずは、薬師の管理だ。勝手に薬師を名乗るヤツを取り締まるためだな。弟子は登録されていないから、勝手に薬を売ったりしたら取り締まられるぞ」
そう言ってレッドはマイを見た。
昔、薬師の見習いと自称していたマイは首をすくめる。
ばつの悪そうな顔をしていた。
「それと薬効の確認をして、認定すること、だな。さっき、薬師は製法を秘匿していいと言ったが、本当に効果があるかは、ギルドの認定が必要なんだよ。そこで認められたら、その薬師独自の秘薬って売り出せるようになるんだ。認可されてない薬を売ってたら、それも当然、取り締まられる」
「これは例の薬の件が該当します」
王都で出回っていた魔の薬。
これは当然、薬師ギルドを通していない薬だった。
出回っている薬をギルドが確認したところ、毒性が確認されたために薬師ギルドから国に報告がなされ、冒険者に取り締まりの依頼が出されたのである。
「なりたいって言ったところで悪いが、すぐに薬師になれるものじゃない。こっちで伝手がないか聞いてみるから、弟子にしてくれる人が見つかるよう願っててくれ。それまでは、ギルドで分かってる薬草の知識を覚えたり、リベルテに教えてもらったりしとけ」
「私は薬師ではないので、ちゃんとした知識ではないですけどね……」
レッドの振りに、リベルテは期待はしないでとマイに言い聞かせる。
「よろしくお願いしますっ!」
が、マイはとても期待した目でリベルテを見ていた。
いつまでも変わらないものなど存在しない。
動き出した未来に、眩しそうに、そして遠いものを見るように、タカヒロはマイを見ていた。
ここまでお目通しいただき、ありがとうございます。