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「ん……」
マイが寒さで目を覚ます。
まだ陽が昇っていないのか、閉めた窓の隙間から差し込む明かりは薄暗い。
ただなんとなく、いつもであればリベルテが朝食の準備を始めている頃なのだろうなと体感で感じていた。
いつも遅くに起きてろくにお手伝いも出来ていないことに引け目を感じていたマイは、早めに起きれたことを幸いとリビングへと向かう。
妙に静かな通路を歩く。
キシキシと、これまでまったく気にしなかった階段をゆっくりと下りる。
リベルテの家は二階建てで一階にリビングとキッチンがあり、残念ながらお風呂は無い。
そしてレッドとリベルテそれぞれの部屋があり、二階にある部屋をそれぞれマイとタカヒロが借りて住んでいる。
部屋の大きさはそれぞれ違い、物が多いだろうという理由を押し出してマイが広めの部屋を奪い取っていた。
リビングに向かうが明かりは灯っていなく、広い分だけ寒さが感じられる。
そっとキッチンを覗いてみるが、やはり誰もいなく、閑散とした静けさだけがある。
「だれもいない……? 起きたの早すぎたのかな?」
薄暗く静けさだけが残る空間に二つの寒さに身を震わせる。
「……ひっ!?」
部屋に戻ろうかと踵を返したつま先に何かがコツンと当たり、壁にぶつかる音がした。
気づいていなかった衝撃に驚いてしまったマイの心臓はバクバクと音を立てていた。
「うう……やっぱり暗いのって怖いなぁ……」
思わず口に出してしまったが、口に出してしまったことで余計に怖さが増してくる。
壁に手を付けながらゆっくりとリビングを出る。
薄暗くはっきりと見えない状況であれば、過ごしている自分の家といっても分かりにくいもので、壁に触る手が冷たいが壁伝いに動かないと足元が不安だったのだ。
このまま部屋に戻ろうかとも思ったが、ふと気になってリベルテの部屋に向かってみる。
「リベルテさぁ~ん、起きてますか~?」
まだ朝陽が昇ってきていなさそうな薄暗い中である。
さすがのマイも大きな声を出すのは憚られ、掛けた声は小さい。
小さく部屋の戸を叩いてみるが、何の反応も返ってこない。
やっぱりまだ寝てる時間なのかなと思ったが、少し呻いているような音が聞こえたような気がした。
そっとリベルテの部屋のドアに耳を当ててじっとしてみると、やはり呻き声のようなものが聞こえる気がした。
リベルテの部屋のノブに手を掛けてみるが、だれだって自分の部屋、そして寝ているときである。
鍵が掛けられるものなら掛けるものである。ガチャっと音が鳴るだけで開くわけがない。
呻き声が聞こえるというので大声を出して戸を叩くということも頭によぎるが、何でもなかったときのことを考えるとそう動けない。
「ん~、どうしよう……。あ、タカヒロ君にも確認してもらえばいいかな?」
気軽に使いやす……もとい、気軽に話せる間柄と言えるタカヒロを起こす事にしたマイは階段を登っていく。
睡眠妨害にならないよう一応、足音に気をつけているが、寝ているタカヒロをたたき起こそうとしている人の行動としてはなんとも言えないものである。
リベルテの部屋の戸を叩くよりは少し強く、タカヒロの部屋の戸を叩く。
「タカヒロく~ん、起きて~。……勝手に入るよ~?」
ここでもリベルテの部屋の前よりは少し大きめの声で呼びかけるが、控えめである。
遠慮というか配慮をしているのだが、勝手に入ると言っているあたり、特定の相手に配慮はないらしい。
タカヒロの部屋のノブに手を回すとカチャッととが開いた。
無用心だなと思いつつも、そのまま入っていく。
暗さにいくらか慣れてきた目はベッドに静かに寝ているタカヒロの姿が見えた。
「タカヒロ君。ごめん、ちょっと起きて」
軽く体を揺するが反応は無い。
毛布の外に出ているタカヒロの手が目に入り、掴んで引き起こそうと手を触れる。
「ひぃ!?」
タカヒロの手は冷たくなっていた。
思わず部屋を後ずさる。
「え? ……なんで!? どうして!?」
昨日、旅から戻ってきて、これからまた王都で依頼をこなして稼いで暮らしていこうとしていたばかりである。
それが起きてみれば、もう……。
わけが分からなかった。
マイは階段を駆け下りて、今度はレッドの部屋の戸を叩く。
「レッドさん! レッドさん!!」
タカヒロの手が冷たくなっていたことにパニックになっているマイがドンドンと強く、レッドの部屋の戸を叩く。
だが、ここでも反応がない。
これぐらいの呼びかけなら、冒険者として野営に慣れているレッドであれば起きてきてくれるはずだった。
だが、それでも反応が無い。
レッドの部屋のノブに手を掛けて回してみると、戸はすんなりと開いた。
「え? ……レッドさん……」
ゆっくりと開いた戸から見える部屋の中で、ベッドの前でうつぶせに倒れているレッドの姿があった。
「そ、そんな……」
恐る恐るレッドに近づき、そっと顔に触れてみるがやはり冷たさが感じられた。
「なんで……なんで!?」
こうなれば残るはリベルテだけである。
そして先の呻き声。
もうマイはとにかく必死だった。
ダンッ、ダンッとリベルテの部屋の戸を強く叩く。
「リベルテさん! リベルテさん! 起きて! 起きて下さい!!」
だが中からリベルテが起きてきてくれそうな気配はなく、ただ呻くような声が聞こえるだけだった。
マイに絶望だけがこみ上げてくる。
リベルテの部屋の前でへたり込み、涙が溢れてくる。
「どうして……、皆……」
皆がどうしようもない相手に、マイが何かをできるはずがない。
ただそのときが来るまで泣き続けるしかなかった。
ゆっくりとだれかが下りてくる足音が聞こえてくる。
きっと皆を殺した相手……。
マイはもう振り返ることもせず、ただ受け入れるだけだった。
「やかましい!」
ベシッと強い衝撃がマイの頭に走る。
「いたぁい……」
マイにチョップをかましたのはタカヒロで、その顔は寝ているところで騒がれたためかとても不機嫌であった。
「……え? タカヒロ君!? 死んだんじゃ……」
「うわ、なにそれ。散々騒いでたのって寝ぼけてた? それとも夢みてた? 迷惑すぎるわ……」
もう呆れも呆れた半目でマイを見返すタカヒロ。
「……タカヒロ君! ってうわぁ!?」
いつものタカヒロだと縋りつくように近づいて手をとって驚きの声を上げる。
「……まだ寝てる時間なんだから静かにしてよ。って、あぁこれ? 冷え性なんだよね。こう寒いと手とか足とか冷たくなっちゃって」
マイの反応と視線から自分の手を見たタカヒロはひらひらと手を振る。
「なんて迷惑なの!」
逆切れと言える反応でタカヒロをたたき出すマイ。
「ちょ、痛い。なにこれ!? 今日は寝起きから理不尽なんだけどっ! 酷い一日の始まりだ」
叩いてくるマイから身を防ぐタカヒロが、なんて一日の始まりだと嘆く。
「……あぁ……。うるさいぞ、おまえら。なんだってんだ……」
そこにのっそりとこちらも寝起きとばかりに、眠そうにしながらレッドがやってきて二人に注意する。
その姿を見てマイがタカヒロを叩く動きを止め、レッドに駆け寄る。
「レッドさん!」
マイの反応に困惑するレッドだが、しばらくしてくしゃみをする。
「うぅ~。今日はなんかやけに寒いな。まだそんな日じゃないはずなんだが……」
マイにしがみ付かれながら、腕をさする。
「あ! こう寒いとリベルテがやばいな」
だんだんと目が覚めてきたのか、レッドがこの寒さにリベルテのことに気が付く。
「そうなんです! リベルテさんの部屋から呻き声が!!」
「呻き声?」
タカヒロが首をかしげて、マイを訝しがる。
「本当だって。聞こえたんだもん!!」
またタカヒロを叩きながら抗議する。
「……朝から元気だなおまえらは……。さて、こう寒いと、まずは……」
リベルテの部屋の前を通り過ぎてリビングへと向かうレッド。
リベルテの部屋を通り過ぎたことに首をかしげながら、後を付いていくマイ。
なんとはなしに流れでタカヒロも後をついていく。
レッドがリビングにある暖炉に火を点す。
「さすがリベルテだな。まだ先だから無いかと思ってたが、暖炉用の薪を用意してるわ。無かったら厳しかったかもな。飯作るようの薪使うにも、そっちも限りがあるからな」
火が点いたのを確認したレッドが、燃えやすいように、燃え続けるようにと薪を動かしてくべていく。
薄暗かったリビングに火の明かりが点ると、不思議と柔らかく温かい空間に感じられる。
まだまだこの熱が広がっていくのはかかるが、これだけでホッとするものがあった。
「さて……リベルテを起こしてくるか……。火見といてくれ。タカヒロ、すまないが竈の方にも火をつけ始めといてくれないか? 飯作るにも火を熾してないと時間かかるしな」
「へぇ~い。これ僕が作ったほうがいいのかな?」
タカヒロはレッドに返事をしながら、ん~と唸りながら竈の方に向かっていく。
マイはただジッと暖炉の前に座り、火を見ていた。
パチッ、パチッと聞こえる音がとても耳に心地よい。
ときおり揺らめく暖炉の火はじんわりと暖かさを感じさせ、ドタバタしていたマイは急に眠気を感じてくるほどゆるやかな時間が流れる。
しばらくして着膨れした格好のリベルテとレッドがリビングに入ってきた。
「……うぅ……寒いです」
呻きながら暖炉の近くに腰を下ろしたリベルテは、そこから動く気はないと全身で主張していた。
レッドが雨戸を開けると去年よりも例年よりも早く、うっすらと雪が積もっている景色が目に入ってくる。
陽も昇り始めており、雪に反射した陽が時折眩しく飛び込んでくる。
「もう、そんな時期になるんですねぇ……」
視界に入る雪を見て、寒かったからかぁと納得したマイであったが、外を見るレッドの表情は険しく、暖炉の側から窓の方に目を向けていたリベルテの目も険しさを覗かせていた。
「はいよ~、簡単なスープ作ってましたよっと。……やっぱりこうなった。まずは温まりましょうか」
タカヒロが即席で作ってきたスープは、簡単だといいなら油の多い肉とちょっと野菜が入り、ミルクで煮込んだものだった。
「あぁ……あったかいです。タカヒロさん、ありがとうございます」
「ん」
タカヒロも器からの熱で手を温めながらスープを飲んでいく。
寒い一日の始まりだった。
ここまでお目通しいただき、ありがとうございます。