32
その日は王都に白いものが降り落ちてくる天気だった。
「お~、王都にも雪が降ったか」
比較的に温暖な気候であるオルグラント王国であっても、寒い日が続く時期になれば、王都といえども雪が降ることはそれなりにある。
山に近いところでなければ積もることはないが、雪が降る景色に明暗が分かれるのが面白いところ。
レッドは珍しい景色に感嘆を上げているが、一方のリベルテはいつも以上に何重もの毛布に包まっている。
「寒いです……。雪とかありえない……」
この明暗は王都中で見受けられる。
雪にはしゃぐ子ども、寒さに震えて焚き火に集まる人たち、道が悪くなるため商品の仕入れに注意を払う商人たち、雪を肴に酒を飲む人たち。
「あ~、リベルテ。ほれ」
レッドがベッドで包まっているリベルテに荷物を放り投げる。
リベルテはもぞもぞと腕だけ伸ばして物を取り、毛布の中で確認しているようだ。
しばらくもぞもぞと動いた後、やっとリベルテが起きてくる。
「これ、暖かいです!」
リベルテが喜んでいるのは、シャギーラガモフの毛を多く使った冬用の服である。
首下、手首とやわらかい毛があしらわれており、外気が入りにくく、体の熱が外に漏れにくくなっている。
新しい服と暖かさに喜んでいる姿は、いかにも服装に注意を払う女性である。
「喜んでもらえたようで何よりだ。前回の依頼で取ってきたやつから頼んでおいた。なかなか似合ってるんじゃないか」
「ありがとうございます! でもちょっと……もう少し若い子向けのような」
「若いんだろ、おまえ」
少し意地悪そうに口元をにやけさせるレッドに、困りながらも嬉しさもあって怒るに怒れないリベルテであった。
実際に少し意匠が少女と呼ばれるくらいの年の子が着ているほうがしっくりとくるようであり、リベルテも似合っているといえばそう見えるが、いささか子どもっぽいと言えた。
「あの~、レッド。すみませんが、今日は……」
「おう。今日は休みで構わんよ。生活に窮しない限りは自由にやるのが冒険者だからな。そういや、毎年これくらいの時期に休みたいっていってたような……」
「それじゃ出かけてきますね。服ありがとうございますー」
逃げるように去っていくリベルテ。
寒いと動かなくなる日が多いリベルテだが、毎年必ず、寒さを我慢しながらどこかに行っている。
世話になってるし、少しでも寒くなさそうにして動く姿に少し口元がにやけるレッドであった。
「さて……俺は酒でも飲みに行くかねぇ。寒いときは飲むに限る!」
先日の一件から討伐の依頼は避け、配達の依頼を受けていたマイとタカヒロは今日も今日とて配達の依頼を受けるため、冒険者ギルドに向かっていた。
採取の依頼は対象の情報を正しく得られなければ無為に探し回ることになり、そこでモンスターにかち合ってしまえば割に合わないものになる。
情報の取捨がまだまだ甘い二人は、レッドとリベルテのサポートが無いと、採取の依頼の難易度が高くなってしまうのだ。
「あれ? あそこに居るのリベルテさんじゃない?」
タカヒロの服を引っ張って、リベルテを指差すマイに、引っ張られすぎて体勢を崩しかけているタカヒロはそれどころではない。
それに配達の依頼は、王都内だけの配達なので報酬がとても安い。
そのため、数多く受けて回らないと二人が生活していくには足りないのだ。
もっとも宿や食事のランクを落とせばその分安くできるので、それとなくレッドがその指摘をしてみたが、二人は断固としてその生活は拒否していた。
魔法で水を生み出せるからか、どことなく水の大切さも理解していないようでもあり、安くて汚い宿や食べれるだけマシというような食事は嫌だという二人に、レッドとリベルテはどんな世界なのか、さらにわからなくなっていたりする。
「リベルテさんがどこに行こうがいいんじゃない? 大人なんだし。それより仕事探さないと。配達がなかったら他のを探さないといけないんだから。なんで討伐の依頼があんなに面倒なんだ? よくある話じゃ軽く倒して回って、周りは驚きはするけど何事も無く受け入れるはずなのに……」
「それはわかってるけど、なんか気にならない? 知ってる人見かけると何してるのかな~って。」
「目の前のこと避けてするもんじゃないな。余裕あるならついて行ってもいいけど。食事か服諦める?」
「よし、今日も仕事頑張ろうー!」
自分の生活を落とす気は無いため、やる気を出したものの、ちらちらとリベルテが進んでいった方を気にする姿に、ため息しか出ないタカヒロ。
いや、実際に愚痴も漏れていた。
「面倒くさい……」
やる気を出してくれても空回りされては失敗するかもしれないため、ちょっとした妥協を提案する。
「仕事終わった後でまた見かけたら行ってみれば?」
「そうだね。終わってからなら問題ないよね!」
これで大丈夫かなと思っているタカヒロにわざわざ身を寄せるマイ。
「この世界で普通ありえないことがあったら、何事も無く流すなんてありえないからね。すごい力を持ってるなんてばれたら、監禁しようとしてきたり、邪魔に思ったり危険だって思われたら命狙われるから……」
何かを思い出すように小さく暗い声で、同じ忠告をタカヒロに繰り返す。
「わかってるつもりだけど、レッドさん何も言わなかったから大丈夫じゃない?」
「あの人はいい人だと思うけど、そこまで信用しても怖いじゃない? なんとなくだけど、私たちのこと、いくらか知っている感じもするし……」
リベルテは一つの家を訪れていた。
「おばーちゃん。今年も来たよー」
「おやおや、いらっしゃい。サティスちゃん、良く来たねぇ」
「やっぱり王都はいいよね。人がたくさんいて、食べ物も服もいっぱいあるんだから」
「そうだねぇ。にぎやかで良いけど、人が多くて疲れることもあるもんだよ。おや? ずいぶんと可愛らしい服じゃないか」
「え? いいでしょ? 知り合いからもらったんだけど……」
「あらあら。サティスちゃんももうそんな年なんだねぇ。曾孫が見られるかもしれないんだねぇ」
「え? いやいや、そんな関係じゃないし」
アワアワとしながら、部屋の掃除を始めるリベルテ。
少し高揚もしているのか鼻歌交じりで、機嫌がいいのが丸わかりである。
「わざわざ来てもらって、掃除してもらうなんてすまないねぇ」
「いいのいいの。おばあちゃんが元気そうでうれしいし。掃除は得意だから」
「最近、体が上手く動かなくなってきてね。足やら腰やらも痛くて。さっき曾孫だなんて言ったけど、見れないかもしれないわ」
「え? そんな……。おばあちゃんまだまだ元気じゃない。大丈夫よ」
「ふふふ。私くらいのおばあちゃんになるとね、ちゃあんとわかるのよ。わかってるのよ……」
何かを思い返すように目を細めながら微笑む老女になんともかける言葉も無く、リベルテは部屋の掃除に戻る。
「さて、と。そろそろご飯の準備しなきゃ」
「掃除してもらってさらにご飯だなんて……。私がやるからゆっくりしなさい」
「じゃあ、一緒に作ろうよ。料理教えて欲しいし」
「ふふふ。そうね、やっぱり男の人は胃袋を掴まないとねぇ」
「そんなんじゃないって!」
とても微笑ましい会話をしながら、トントンと柔らかい音、スープを煮立てる音と匂いが辺りにゆっくりと漂う。
「あまりお腹にたまりそうなものじゃなくてごめんなさいね。私はもうそんなに食べなくなってるから、サティスちゃんも私に合わせなくて良かったのに」
「折角一緒に作るんだから、同じものがいいじゃない。それに私、おばあちゃんの料理好きだよ」
「ありがとねぇ……。余る分は持って行きなさい。食べさせたい人いるでしょう?」
「だから、そんな人いないって……」
「大丈夫よ。ちゃんとその人はあなたとともに居てくれるわ。ちゃんと帰ってくる」
「おばあちゃん……」
和やかに穏やかに過ぎ行く時間は早く、陽はすでだいぶ傾いていた。
「それじゃあね、サティスちゃん。気をつけてお帰り」
「うん……。それじゃあ、またね。おばあちゃん」
何度か振り返っては手を振り、姿が見えなくなるまでそれを繰り返す。
そして姿が見えなくなってから、リベルテは大きくため息をついた。
「毎年この日だけだけど、辛いな。私は最低だ……」
暗くなる陽に一層陰を落とすリベルテの背に、明るい声が掛かる。
「リベルテさん! 何してるんですか?」
「うわぁ!? マ、マイさんですか? 驚かせないでくださいよ……」
「うわぁ……そんな風に慌てるリベルテさん、はじめて見た。かわいい」
もはやジト目をするしかないリベルテ。だが相手は意に介さない。
「かわいいといえば、着てるの見たこと無い服ですよね。かわいいです。この服どうしたんですか? あ! もしかしてレッドさんからもらったりして?」
さきほどまで沈んでいたものだから、飛びぬけて明るく話しかけてくるマイに対処できない。
いつもであれば、かわいいものについて一緒にはしゃいだり、サラッと返したりできるのに、落差が急すぎていつもの調子になれずにいた。
「あれ? やっぱりおかしい。リベルテさん、どうかしたんですか? さっき出てきた家でなにかあったんですか?」
見られていたことに驚きつつも、見られたならとどこか諦めの気分にもなる。
「見られてたんですか……。それは迂闊でした」
ゆっくりと二人で歩きながらリベルテが話し始める。
「あそこには年に1日だけ嘘をつきに行ってるんですよ。あそこには娘夫婦を亡くしてしまったおばあさんが住んでいるんです。娘さん夫婦はファルケン伯爵領ハーバランドで暮らしていました。肥沃な広い土地を持ってますからね。農家をやる人を結構優遇して集めようとしてるんですよ? なので王都の生活を諦めて、新天地でという人は少なくないんです。」
「なんでおばあさん一人で残ってるんですか? それならみんなで行けばよかったのに」
「馬車で王都からハーバランドまで行くなんて少なくても10日はかかるんですよ? お年寄りにはきつい旅になります。ご本人もそれをわかって王都に残ったみたいです。それに、おじいさんの思い出もあったみたいですから。おじいさんは王都でも人気の高い職人さんだったそうですよ。家具を作る職人で、今も宿屋とかお店とかにある棚とかテーブルとかにその作品があるかもしれませんね」
あたりも暗くなり、店の灯が道を照らす。
飲み始める大人以外は家に帰っている時間となれば、店からまだ離れているこの道はとても静かだった。
「先ほどの娘夫婦は休耕の時期に合わせて、おばあさんに会いに王都に行こうとして、途中、モンスターに襲われて亡くなりました。なぜか突然にその辺りでは見かけないモンスターが林を抜けて現れたそうで、ファルケン伯爵も冒険者も情報が何も無かったくらいに……。その夫婦には娘さん、おばあさんにとってはお孫さんですね、が居たそうなんですよ。私が偶々仕事であの辺りを通ったときに、お孫さんだって抱き着かれまして。それからです。休耕の時期じゃないと来れないってことにして、これくらいの時期に1日だけ」
「それは……優しい嘘ですね」
「優しい……ですか。嘘に優しいも厳しいもありませんよ。誰も傷つかない嘘なんてありませんから。いつかどこかでその嘘は誰かを傷つけることになるんです。本人でなければその子どもに、そうでなければさらにその先に」
「でも、気づかなければ、誰も何も言わなければ傷つかないじゃないですか。だれかを守るための嘘だってあるはずです」
「人を騙していることに変わりはありません。優しい嘘とかそんなの、その嘘を言った人間が自分を正当化したり、ごまかしたりするための言葉にしかすぎません。第一、私はその嘘を続けている私が許せていないのですから」
「それは……」
「世の中というのは、綺麗にいかないものね」
そういって自分たちが取っている宿の方に向かうリベルテの姿を、マイは見送るしかできなかった。
「レッド、遅くなりました。休日にしてくれてありがとうございました。明日から稼ぎましょう」
「いや、もう数日くらいは問題ないぞ。寒くなってきてるからな、そっちは無理するな。寒いのに弱くなってるみたいだし」
「いい服をもらいましたから、大丈夫ですよ。あ、ご飯もらってきたので食べましょう。温めてもらってきます」
「依頼によっちゃ汚すことになるんだが、大丈夫か?」
ビタッと動きを止めて、かなり逡巡してから「堪えます……」といって階下に向かうリベルテに、「どっちをだ?」とレッドは首をかしげていた。
しばらくして湯気をまとったスープをリベルテが持ってきて、少し遅めの夕食を取る二人。
「なんかこう……優しい味だな。仕事の後はこうガッと濃い味付けに酒を飲みたいところだが、こういう味もいいもんだ。うん、美味いな」
「そうですか。それはよかったです。私もこの味、好きですから」
パタタとカロタがどちらも煮崩れるまで火を通しており、やわらかく甘い味が広がる。
食べ応えは感じないが、パタタのせいでとろみがかったスープが体を芯から温める。
「また食いたいな。これ」
「そうですね。また気が向いたら作りますよ」
王都に降った雪はすでに止んでいて、地面にいくつかの水溜りだけが残っていた。
ここまでお目通しいただき、ありがとうございます。