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まだ外も薄暗い中、マイは目を覚ました。
これまで、一度寝ると外が明るくなるまで起きることはなかったので、マイ自身も不思議でならなかった。
何より、薬師になってからは忙しい時の落差があるので、交代で休めそうなうちに休むようにしていた。
前に事件があった時は、怪我をしている人が多かったし、深い怪我をした人も多かった。
深い怪我をしている人は薬が切れたり、意識を取り戻したりすると、その痛みで苦しい思いをしてしまう。
当然対応できるように動いているのだが、休みを取らないと薬師たちも満足に動けないし、ミスをしてしまいやくすなってしまうのだ。
だから、休める時はきっちり休むようにしている。
それは薬師だからと言うわけでは無く、こちらの世界に来て冒険者になった際にも、レッドから教えられた鉄則でもあり、しっかりと守っていることである。
もっとも、薬師として忙しい時でなければ、夜更かししようにも娯楽がなくて、寝るしかないということも理由にはあったりする。
だからこそ、まだ夜も明けていない内に目が覚めたことに、マイ自身も不思議で仕方が無かったのだ。
マイはもう一度眠りなおそうとベッドに潜り込むが、何故か眠れそうにない。
仕方無しにベッドから身を起こしたマイは、部屋の寒さで目が覚めた理由を知った。
「うぅ……寒いっ!」
そっと雨戸を開けて外を眺めてみるが、雪が降ったわけではないらしい。
しかし、マイが吐いた息は白くなっていて、これからもっと冷え込みそうだった。
マイは雨戸を閉め、服を重ねて厚着した後、階下へと向かう。
寒くて目が覚めてしまったのだから家を温かくしないと、寒くて眠れない。
それに、寒いとリベルテが動かなくなってしまうのは、マイにとって大問題だ。
他の人が作ってくれるかもしれないが、朝ごはんが用意されていない可能性が考えられてしまうからである。
まだ薄暗く皆が眠っているため、マイはなるべく音を立てないように気を払う。
マイは、このリベルテの家が好きだった。
あちらの世界では暖炉のある家など、もう珍しい。
マイが住んでいた家はエアコンを使っていたし、祖母の家にあったのはストーブだった。
そのストーブも住んでいる地域と扱いやすさから電気ストーブだったので、暖炉のように火を見るのも、それを絶やさないように薪を継ぎ足すと言うのは、物珍しいものだった。
ただ、この暖炉にしても、リベルテの周囲でも珍しいようであった。
リビングに暖炉はあるが、それとは別に竈もあるのだ。
リベルテの家に住まわせてもらってから、近所づきあいとして周囲の人たちと話をするようにしていたのだが、そこで他の人の家について聞いたことがある。
他の人の家では、暖炉の火で料理をしているらしい。
暖炉と竈と二つ分かれてしまっていると、火を起こす場所が二か所と言うだ。
両方使えば、薪代もその分かかってしまうことになる。
レッドたちの仕事の稼ぎは悪くは無いのだが、あまり休まずに働いているのはそのせいかもしれない。
一つの場所で暖を取るのと料理をすると言うのは、昔の日本の家を想像させる。
よくイメージされる日本家屋では、真ん中に囲炉裏があって、そこで鍋を吊るしたり、網を張って焼いたりして料理しているものだ。
そんな話を思い出すたびに、この家は結構裕福な人が建てた家だと思えてならない。
まるで寒さに弱い人のことを想って建てたようなのだ。
寒さに弱いと言えば、リベルテのことが思い浮かぶ。
今日のように寒い日に弱く、朝なかなか起きて来れない。
レッドが呆れつつ、慣れたように起こしに行くのが、その季節の日常になる。
マイも一度起こしに行ったことがあるのだが、毛布に丸まっている姿可愛いものだった。
そもそも見た目に綺麗な人だからこそ、日常でそんな風な姿を見せるのはギャップがあって、他の人に知られたらものすごく人気になるのでは、とマイは確信している。
ただ、リベルテはレッドのことが好きなのが、マイから見てすぐわかるものなので、早くレッドとくっつけばいいのに、と考えるたびにモヤモヤしてしまう。
何時の間にやらレッドへの不満を溢しながら、マイは暖炉に薪を並べて火を熾す。
この世界に来ていろいろと大変な思いをしたマイであるが、何より大変だったことは? と聞かれると火を熾すこととスマホが無かったこと、と答えるだろう。
あちらの世界では、スマホがあれば欲しい情報はすぐに調べられたし、時間つぶしも出来た。
ずっと手元に有って、それが当たり前の生活だったため、それが無い生活がここまで大変だと考えてたことがなかったのだ。
何より、こちらの世界で分からないことを調べると言うのは、人に聞いて教えてもらうか、本などの資料を取り扱っている所で、保証金と言うお金を払ってその場で読むしかない。
それと今は考えないが、あちらの世界の知識をこちらで扱えば凄い事が出来たのではないか、と考えていたことがあった。
しかし、以前は調べればすぐにわかる生活だったからしっかりと覚えてなかったし、こちらに来て日々を一生懸命過ごしていたら、昔のことなど忘れてしまうことが多かった。
マイとしてはこちらの世界にきて以来、ちょっとしたことや少し目にしたことがあったくらいのことをはっきりと覚え続けている人は、本当にすごいと思うようになっている。
大変だったことのもう一つの火熾し。
料理するのに、わざわざ火を熾す、なんてことはしたことが無かった。
ガスの栓を開いてスイッチを捻るだけで火がついていたのだ。
また、マイはよく食べる方ではあったが、あまり自炊は得意ではなかったから、出来合い物を買ってくることが多かった。
冷凍物などは量の割に安い物があり、電子レンジを使って温めるだけで済んだのだ。
スイッチを押すだけ生活が出来たし、火を熾すなんてことを学校行事でも授業でもしたことが無かった。
祖父のお墓参りの時に線香に火をつけたくらいはあったが、それだってライターと言う道具があって、これもスイッチを押せば火が点けられた。
だから、この世界で火を熾すと言うことに、どうしたら良いのか全く分からなかったのだ。
あちらの世界でも目にすることがあまり無くなっているマッチがこの世界にあると知った時、思ってたより簡単に火を熾すことが出来て、だれかは知らないが作ってくれた人にすごく感謝したほどだった。
しかし、火は熾せば後は……なんて最初は上手くいかなかった。
火がついて喜んで放っていたら燃え広がる前に消えてしまったり、消えないようにと薪を大量に入れて燻らせたり、消してしまったこともあった。
暖炉の火が少しずつ大きくなり、丁度良いくらいかなと思える大きさになっていく。
その火を見ながら、マイは自分も出来るようになったものだと、揺れる火を見ながらゆっくりと気持ちを落ち着かせていく。
ぼんやりと火を見つめながら、マイはこちらの世界に来てからのことを思い起こす。
こちらの世界に来たかったわけではない。帰りたかった。泣いたし、喚いたりもした。
今でもあちらの世界に帰りたいという思いはあるが、この世界でちゃんと生きていこうと思う気持ちも持ってきている。
元の世界に帰る方法を知っている人が居るかわからないし、調べるのも大変だし、何よりそれを探してあちこち行くには危険すぎた。
そんな苦労とか困難を越えてでも帰りたい理由があったり、跳ね返していけるだけの力を持っていなければ無理だと思うのだ。
マイは自分ひとりだけだったならどうなっていただろうと考え、考えるまでも無く生活に困っていたとを想像できた。
運よくたどり着けたメレーナ村では、フィリスに良くしてもらっていたが、小さな子にいつまでも世話になるなんておかしい話だったし、あの村で面倒を見てもらうことなんて出来なかった。
それに、あの時はまだ不思議な力を持っていた。
どんな怪我でも病気でも治せてしまう力で、この世界について何も知らなかったマイはやりすぎてしまった。
普通は治らないとされる怪我を綺麗に治してしまったのだ。
だからこそ、あの力に目をつけられて狙われ、怖い目にあったことがあるし、あの力があったからなんとか助かってきたこともあった。
メレーナ村では目立たないようにと、薬を使っているように見せかけて、それでもやり過ぎないように隠れるように生活してきていたのだが、隠れるように生活し続けるのは疲れてしまうものだった。
そんな気持ちになってきた時に、リベルテたちに会ったのである。
もちろん、最初に会った時は、マイを追ってきた人たちだと考えて警戒していた。
でも実際は普通に優しい人たちで、リベルテたちと会えたことは本当に運が良かった、と今でも思っている。
この世界のこと、この国のこと、そしてどう生活しているのかを教えてくれたのだ。
この国の人なら分かっているはずのことなのに、問い詰めるでもなく教えてくれて、まだまだ分かっていないことが多いが、笑える日が増えてきたのだ。
分からないことが分かると言うのは楽しいものだ、と今になってわかった。
リベルテが教えてくれた薬草の見分け方は、本当に特徴がわかりやすい物ばかりだった。
薬師になると決めて、ソレの所で学んでいるが、注意深く見ないと分からない物が多く、最初のうちはソレに本気で怒られていた。
あちらの世界では、山菜を取りに行って違う物を取ってきて、食べてしまった話をニュースで聞くくらいで、食べられる物と大丈夫では無い物の見分け方を習うことは無い。
便利になった分、不便と言うか、頼れなくなった時に大事なことを経験することは無くなっていたのだと、この時になって気付いたことも多かった。
今ではちゃんと見分けられるようになっており、薬師の資格も無事手に入れられている。
薬師となって他人の役に立っていると実感を得られるようになったことが、この世界でこの世界で生きて行こうって思える力になっていた。
だが、そればかりでは無い。
タカヒロと言う、同じ世界の人と会えたことが何より大きい。
メレーナ村で周囲の人に世話になりながら、なんとか生活は送っていたけれど、やはり独りだったのだ。
マイの気持ちを本当にわかってくれる人など、近くには居なかったのである。
しかし、タカヒロに会った。
仕事をしているように見せるために、近くの森に散策に入った時に、倒れているタカヒロを見つけたのだ。
タカヒロを見て何故かすぐ同じ人だと思えたから、リベルテたちのように警戒もせず、助けようと思って動いて、それから今も近くに居る。
タカヒロはマイとは違って、本当にすごい力を持っていた。
本で見る様な魔法の力で、火はもっと簡単に熾せるし、水は汲みに行かなくても出せるし、生活は楽になって便利な力だと思ったものである。
でも、襲ってきた動物を簡単に倒してしまうくらい怖い力でもあった。
だからこそ、タカヒロは他の人の前でその力を使わないように気をつけていたし、マイにも力があるなら気を付けるように真剣に口にしていた。
マイもそれは自らの経験から知っていたので、タカヒロが改めて自分と同じ考えであることに、嬉しく思えたのがきっかけかもしれない。
人は突然、他の人より何かが上になると、態度が変わってしまいやすいものである。
例えば、仕事で同僚だった人が役職につくと威張り散らすようになったり、宝くじなどで大金を手に入れた人は何かに付けて人を疑い、警戒するようになったり、急に人を見下したり、支配するような振る舞いをすることがある。
マイがあちらの世界に居た際には、彼氏が出来たと喜んでいた友人が、しばらくしてから怪我をしていることが多くなり、連絡も取れなくなって他の人と見に行ったら奴隷のように扱われていたことがあった。
それを知っているから、あの不思議な力を持っている人が、どんな性格になるかわからなくて怖いと思っていたこともあったのだ。
タカヒロがあの力を当然なものと、自分勝手に振舞うような人ではないことに安心したものだが、あの力は便利なこともあって、頼ってしまうことが多かったことに、今更ながら、マイはわずかばかりの反省を覚える。
だが、そんな生活も何時までも続かなかった。
マイの力を追っていた者たちが、この王都にまで来て暴れたのだ。
マイ自身も攫われそうになったし、その攫いに来た人たちが不思議な力を持つ同じ世界の人で、その力を揮うことが当たり前のように考えている人たちだった。
人を人と思わない振る舞いをする、出来てしまう人たちの目は本当に怖かった。
少しは立ち向かったりしたが、すでに不思議な力を失っていたマイではどうしようもなく、そもそもの力も弱かった。
動けなくなったマイは、目の前の小さなフクフクを抱えるのが精一杯だった。
フクフクを助けなければと言う思いもあったが、あれは何より、マイ自身が怖くてフクフクを抱えることで縋りたかったのだ。
そんな中で、自身もボロボロなのに、タカヒロは立ち上がった。
痛くて、苦しいはずなのに、立ち上がった姿は、今でも思い返すと格好良かったと思う。
マイのために、同じ世界の人の命を奪うなんてことも背負ってくれて、それでもこの世界で一緒に生きて欲しいと言われた時、タカヒロとならこの世界で生きていける、タカヒロしか居ないと思ったのだ。
タカヒロと結婚したいなと考えているが、もう少しこの世界でちゃんと自立した生活を送れるようになってからだと思うし、何より先にリベルテたちの結婚を見たかった。
結婚願望はあるが、覚悟はまだ出来ていなく、恥ずかしさもあったりもするのだ。
物音にマイは顔をあげた。
いつの間にか寝ていたらしく、リビングのテーブルに突っ伏していたようであった。
そして、覚えのない毛布が掛かっていた。
野菜を切っているような音に気付いてキッチンに目を向ければ、タカヒロがご飯を作っていた。
「あ、起きたんだ。暖炉の前で寝るのは危ないよ? それに暖炉前とは言え、寝たら風邪引くかもしれないし」
タカヒロが微笑みながら、寝てしまっていたことを教えてくれる。
タカヒロの体格からマイを抱えてテーブルに座らせる力は無いように思う。
そうなると魔法でやったのかなと考え、やはり魔法って便利だなと、マイは違うことを考えていた。
マイはあの不思議な力を失い、タカヒロも同じように失ったはずだが、またこの世界での力を取り戻している。
何も残らなかったマイは、そこだけはタカヒロが羨ましい。
まだマイの方を見ているタカヒロの視線に気付いて、マイは顔を背ける。
よくよく考えると、寝顔を見られたことに気付いたのだ。
毛布を掛けたり、暖炉で火傷したり何なりしないようにと気遣ってくれたのは嬉しいが、それはそれで、これはこれだった。
ちらっと横目で様子を窺えば、タカヒロは料理に戻っていた。
きっともうすぐ、レッドたちも起きて来ると思えた。
普段どおりの朝が始まることを楽しみに思う。
でも、朝ごはんを作っているタカヒロと二人だけの時間が終わってしまうことを少しもったいなく思いながら、料理してるタカヒロの姿をマイはじっと見ていた。
ここまでお目通しいただき、ありがとうございます。