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8、コッコ




 蛍明に追いつくつもりでいた。

 マンションを出てすぐにタクシーに飛び乗って、歩いて十五分の駅まで五分以内についた。そこから新幹線の駅まで数駅。着いてすぐに新幹線の切符を買って、ホームをぐるりと回ってみて彼の姿を見つけられずに時間ギリギリで新幹線に飛び乗る。車両の端から端まで回ってみても彼の姿はない。

 もしかすると蛍明はもう一本早い新幹線に乗ることができたのか、それとも日花のほうが早かったのか。マンション前のバス停から運よく駅行きのバスに乗れたのなら、これより早い新幹線に乗れたのかもしれない。

 手に持ったスマートフォンを握り締める。携帯電話がない時代の人々は、どうやって待ち合わせをしていたのだろうと苦々しく思う。

 いや、今の時代にも昔にも、どこにいるのか分からない幽霊を他県を跨いでまで探そうとする馬鹿なんていなかっただろう。

 なぜあの時、無理矢理ついて行かなかったのか。蛍明にこの体を止めるすべはない。最悪財布とスマートフォンさえ持っていればどうにかなった。彼に来るなと怒鳴られたって、無理矢理にでもついていけば。

 強い後悔に打ちひしがれている間に兵庫に着いて、改札口に向かう階段の近くで乗客の顔を眺める。蛍明の姿はなかった。迷ってその次の新幹線も待ってみたが、結果は同じだ。

 これ以上待つと日が暮れてしまう。

 すぐに駅を出て私鉄とバスを乗り継いで蛍明の家に向かったが、ようやく家の前に辿り着いたのはもう夕日が赤くなり始めている時刻だった。

 白い壁に緑の屋根。残しておいたスクリーンショットと見比べる。確かにここだ。

 そしてやはり表札は市橋だ。木製の表札は雨風にさらされてずいぶんと傷んでいる。一年や二年ではこうはならないだろう。

 辺りを見回してみるが、蛍明の姿はなかった。ぐるりと周辺の道路を回ってみたが、それでも見つけられない。

 一度その場を離れる。

 目の前を流れる川の、それに架かっている橋の欄干にもたれかかった。

 橋の下を覗き込んでみる。ここが蛍明が言っていた大きな川だろうか。

 確かに腰をかけられるコンクリートの土手はあるし幅も十数メートルあるが、肝心の水量があまりにも頼りなさ過ぎる。水の幅は二メートルもないのではないだろうか。時期的なものもあるかもしれないが、どう見ても大きい川には見えなかった。

 見渡すと、橋のすぐ近くに川の名前と全体図が載っている看板があった。やはりこの辺りは川幅は細いようで、南下した下流は幅も広がるようだ。

 蛍明を待ちながらもう一度スマートフォンで地図を開いてみる。何度確認してもこの辺りに高校も果樹園もなかった。

 この川沿いにある高校を片っ端から調べてみようかと思ったが、予想外に大きくて枝分かれしている川のそばにはいくつも学校が建っている。蛍明の言う近所がどれほどの距離なのかも分からない。果樹園だって、小さいと言っていたからオンラインの地図には名前は表示されないかもしれない。

 色々な条件で検索をしてみたが、上手くいかない。


「どうしよう……」


 思わず声に出してしまったのは不安からだ。

 ここでもう少し蛍明を待ってみるかとも考える。しかし彼はお調子者だが馬鹿でも要領が悪いわけでもない。この五日間でそれはよく分かっていた。

 やはり彼は日花よりも早い新幹線に乗って先にここについていて、そして引越し先の住所を思い出してすぐに向かったとしたら。

 そうだとしたら、もう蛍明と会うすべはないだろう。

 日花は首を横に振る。違う、彼が引越し先の住所を思い出せているのなら、もう会う必要はないのだ。もう日花は必要ない。

 だったらこのまま帰るのか。ここまで来て。

 空を見上げる。赤い夕日はもう建物の向こうに隠れてしまった。

 唇を真一文字に引き結ぶ。

 もう一度蛍明に会いたい。

 会って、色々言ってやりたい。さっきも後悔をした。どうして彼について行かなかったのかと。

 もう後悔するのは嫌だ。

 市橋家に近付く。その市橋家を通り過ぎてすぐ隣、もう築五十年近くになるであろう木造の古い家。

 日花は震える手で、その家のインターホンを押した。

 家の中からガタガタと音が聞こえて、間もなく明るい返事が聞こえた。


『はーい、どちら様?』

「……あの、お忙しい時間に申し訳ございません。少しお尋ねしたいのですが、以前この辺りに住んでいらっしゃった桐原さんという方をご存知ありませんか?」

『桐原さん? ええとね……ちょっと出るから待ってね』

「はい、すみません」


 知らないのなら知らないと答えるだろう。この忙しい時間にわざわざ対応してくれるということは何かしら知っているのかもしれない。

 数秒後、エプロンをつけたまま出てきたのは四十代ほどの主婦だ。彼女は日花を上から下まで見て、少し警戒した声で尋ねた。


「桐原さんとどういうご関係?」

「あの……小学生の頃にここに短い間住んでいて、その時に息子さんの蛍明さんにとてもお世話になって……久しぶりにここに来たのでお家を訪ねてみたんですが、表札が変わっていたので……」


 そう言って市橋家を見る。日花の必死の嘘に、彼女の表情が少しだけ緩む。


「そこの川で、よく遊んでもらって……コッコって呼んでました」


 体を縮めて彼女の返事を待つ。もし不審者だと思われて警察でも呼ばれたらおしまいだ。

 しかし彼女は「あはは、懐かしいあだ名やな!」と明るい声でいうと、笑顔を見せてくれた。ホッと息を吐くのと同時に冷や汗が噴き出す。どうやら信用してもらえたらしい。このあだ名が役に立つなんて思わなかった。


「そのあだ名で呼んだらめっちゃ怒っとったやろ?」

「はい、とても」

「蛍君、ようちっちゃい子引き連れて遊んどったけど、そん中の子か」


 肯定も否定もせずににこりと笑う。彼女は都合のいいように勘違いしてくれたらしい。


「桐原さんね、何年前やったかなぁ、確か六年くらい前までお隣に住んどったんやけど、旦那さんの仕事の都合で家を売って引っ越ししはったんよ」

「引っ越し……」


 六年前ということは、蛍明が十七歳の時だろう。


「どこに引っ越されたか、ご存知ではないですか?」

「さぁ、どこやったかなぁ……あ、北村さん!」


 彼女が日花の背後に向かって叫ぶ。振り返ると、そこには犬の散歩をしている初老の男性がいた。


「前ここに住んどった桐原さん、どこに引っ越ししはったか知っとります?」

「桐原さん? あー、どこや言うとったかいの」


 ふたりでああでもないこうでもないと話をして、色々と脱線しながらもひとつの地名が浮かび上がった。ここから南に行った街だ。

 その地名をメモに取る。


「ありがとうございます。一度行ってみます」

「行く言うてもなぁ。市までは絞り込めたけど、それでも探すんは骨折れるで」

「この引越し先に住んでる同級生がいるので、一度聞いてみます」

「そうしいな。無理はせんようにね」


 優しく接してくれる住民たちに良心がズキズキと痛む。大丈夫、蛍明やその家族に害を与えるための嘘ではないと、心の中で必死に言い訳をする。


「はー、こないな別嬪さんに追っかけてもらえるなんや、蛍ちゃんもすみに置けんなぁ」

「あのしょっちゅう怪我しとった悪ガキがなぁ。もし会えたらよろしく言っといて」

「分かりました、伝えておきます。本当にありがとうございました」


 頭を下げて、手を振る彼らに手を振り返してその場をあとにする。

 近くのバス停でバスの時間を確認してから、ベンチに座ってタブレットを取り出した。

 目指す街には高校は全部で三校、そのうち川の近くにあるのは一校。そしてその近くには果樹園らしきものがある。名前は書いていないが、衛星写真で見てみるといくつかの木が等間隔に並んでいる小さな果樹園のようだ。


「この辺りだ」


 かなり狭い範囲まで絞り込めた。空を見上げる。東の空はもう夜の色をしていた。

 やってきたバスに乗り込んで、最寄り駅からの経路を調べる。そして日花は眉間のしわを深くした。バスと電車の接続が微妙に悪く、上手くいっても着くのは二十時を越える。タクシーは、この距離を乗ると帰りの新幹線代がなくなってしまう。

 全く知らない、治安がいいのか悪いのか分からない土地で、夜間に幽霊を探してうろつく。それがどれほど危険かくらいは理解できる。

 今日はもう、これ以上は駄目だ。

 ぎゅっとタブレットを握り、窓の外に視線をやる。

 日花は通り過ぎていく見慣れない景色の中に蛍明がいないか、無駄だと知りつつ必死に探した。




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