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3、寂しくて死んじゃう!




「うわ……ほんとについてきた……」


 呆れた声で呟いて、日花は玄関でにっこりと立つ蛍明を見上げる。部屋に着き、わざと彼の目の前で扉を締めてみせたが、幽霊は扉くらいすり抜けられる。

 彼は上機嫌な顔で靴を脱いで、日花の隣をすり抜けていった。


「お邪魔しまぁす。俺どこの押入れ入っとったらいい?」


 どうやら押し入れで過ごす気満々らしい。残念ながらこの部屋にはクローゼットしかない。


「……もういいよ。その辺りでくつろいでて」

「よっしゃ! お前ならそう言ってくれると思っとった」

「私の何を知ってるの」

「鏡見てみ。顔にお人好しって書いてあるで。さすがの俺も本気で嫌がっとる女子の部屋に押し掛けたりはせえへんわ」

「本気で嫌だから出て行って」

「これで俺がしょんぼり出て行ったら、絶対罪悪感持つんやろ?」


 否定できずに蛍明をじっとりと睨むと、彼は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。本気で蹴り出してやりたい。初めからこちらが折れることを分かってついて来たのなら何て男だ。


「大丈夫、寝る時は押入れん中で寝るから」

「……そう言えば、幽霊って寝るの?」

「寝るやろ。めっちゃ寝るで俺」


 ソファに飛び込んでネクタイを緩め、さっそくくつろぐ蛍明を見て、色々な感情を通り越して感心すらした。こんなに明るい幽霊は初めて見たかもしれない。

 ため息をつきながら、家の鍵をダイニングテーブルの上に置く。その指がぴりりと痛む。

 明るい部屋で見ると、墓地の草引きをした指は思っていたよりもひどい有様だった。水ですすいだだけだったので、指先は薄汚れているし爪には泥が入り込んでいる。小さな切り傷もいくつかある。

 その手を蛍明が覗き込む。


「泥だらけやん。穴掘りでもしてきたん?」

「お墓の草引きしてきたの」


 洗面所へ向かうと、彼はその後ろをついてきているようだった。


「幽霊関係?」

「そう」

「その幽霊は成仏できたん?」

「できたよ。手紙を代筆してお墓に供えて欲しいって頼みだったから」


 蛍明はリビングと洗面所の間の壁にもたれかかって腕を組んだ。


「そんな簡単なことで成仏できんの?」

「そんな簡単なことで成仏できるのに、その幽霊は少なくとも七十数年、下手したらもっともっと長い間、たったひとりで誰にも気付かれずに絶望してたんだよ」


 蛍明が言葉を失う。蛍明の一週間も彼にとってはそれはそれは深い絶望だっただろうが、それでもまだ早い方だった。


「……そんな頻繁に幽霊に会うん?」

「そんなには。幽霊だって気付かないこともあるしね。あっちから話しかけてこないと話はしないって決めてるし」


 石鹸で念入りに手を洗う。小さな傷は放っておいても治るだろう。


「色々ルールがあるんやな」

「そうしないとキリがないから」


 きれいになった手で、作り置きしていた晩ごはんのタッパを冷蔵庫から取り出しレンジにかける。いつもは面倒くさくてタッパのまま食べるが、さすがに幽霊とはいえ客がいるので簡単に皿によそった。そうは言っても、振る舞うわけではない。

 蛍明はひとりになりたくないのか、ずっと日花の後ろをふらふらとついてきていた。


「手作り?」

「そう」

「へー、ちゃんと料理するとかえらいな」

「その方が安上がりだしね。作るの嫌いじゃないし」


 いただきますと手を合わせ、箸を口に運ぶ。

 じっと視線を感じる。気付かないふりをしていたが、皿が半分ほど空になった辺りで気まずさが頂点に達した。日花は渋々顔を上げ、ダイニングテーブルのななめ前に座り死んだ魚のような顔で皿を見つめる蛍明を見た。


「ねえ、辛くない?」

「辛くて死にそう」


 そうだろうと思った。だって幽霊はご飯を食べることができない。


「ええなぁ……俺、一週間も何も食ってないんやで……」

「心底同情する」

「腹は減らんけど、でもやっぱり辛いわ……」

「じゃあ見なかったらいいのに」

「こう、脳内で暗示かけとんねん……これは、現役女子大生による焦らしプレイ……うん、興奮する……大丈夫興奮する……」


 可哀想にと憐みの視線を彼に送る。

 気まずい食事を終え、その後彼が一緒に見るというので毎週見ている今推しの俳優が主役のドラマを一緒に見た。日花がレポートを書いている間はノートパソコンでこの辺りの駅名や地名の書かれた地図を見てもらった。

 やはり近くのオフィス街の地名と駅名に何となく覚えがあるらしいが、それ以上の情報は得られなかった。

 日花は「今日はおしまい」と立ち上がる。時刻は十時過ぎ。明日は一限目から授業だ。


「テレビ見てたらいいよ。私はお風呂入るけど、絶対覗かないでね」

「え、フリ?」

「覗いたら永遠にこの世に存在しないものとして扱う。本気で、絶対に」


 冷たく言い放つと、蛍明は黙ったままソファの上で正座をして手で目元を覆った。

 じっとその姿を見たまま洗面所へ入る。扉をほとんど閉めて隙間から覗いたが、彼はそのままだ。

 完全に閉めて少しの間向こう側の様子をじっと窺っていたが、ため息一つ聞こえてこない。彼を信用することにした。念の為、今日はシャワーだけにしてさっさと上がろう。服を脱いで浴室に入り、日花は熱いお湯を頭から浴びながら考える。

 どうすれば蛍明は記憶を取り戻せるか。

 記憶がない状態であれだけハッキリした関西弁なら、きっと長い間関西に住んでいる、または住んでいたはずだ。この辺りの地名に覚えがあるというくらいだから、(ゆかり)のある土地は地名や最寄り駅を見れば何か感じるかもしれない。そこをネットで調べ、しらみ潰しに訪れ、何か思い出さないか確認していく。気の遠くなる作業だ。生活していく上で少しずつ何か思い出せたらいいが。

 シャワーを止めて風呂を出て、いつもより布の面積の多いパジャマを着る。タオルで髪を拭きながら蛍明のいるリビングへの扉を開いた。

 しかしソファの上に彼の姿はない。部屋を見渡して、ベランダへの掃き出し窓の前に彼の姿を見つけた。


「……蛍明?」


 彼は驚愕の表情を日花に向けている。訝しんで、その目の前に室内干しをしている洗濯物があることに気付いた。

 部屋着とタンクトップと、そして上下の下着だ。


「ちゃう、ちゃうちゃうちゃう、ちゃうねん」


 青い顔を左右に振る蛍明を、軽蔑と侮蔑を込めた視線で見る。


「ホンマにちゃうねん! 気晴らしにベランダ出るかって近付いて、ふと見たら目の前にパンツがあって、そん時にお前が風呂から出てきた!」

「で? 本当は?」

「ホンマにパンツの存在には気付かんと近付いたけど、気付いたあと三十秒くらい見つめてました!」


 腹いっぱい空気を吸い込んで、それを派手な音と共にため息として吐き出す。蛍明は黙ったままその場で正座をする。


「……まあ、片付けるの忘れてた私も悪いから……」

「Cカッ……」


 呟かれた言葉に、ギリッと蛍明を睨み付ける。

 洗濯物を引っ掴んで寝室に放り込んで、それから土下座に近い角度で頭を下げている彼の前に仁王立ちしてみた。どうして余計なことを口に出さずにはいられないのか。


「三日くらいこの世に存在しないものとして扱っていい?」

「やめて! 寂しくて死んじゃう!」

「もう死んでる」


 二度目の大きなため息をついて、彼を放置してソファとテーブルの間に座った。メイクポーチを引き寄せる。

 少しして正座のまま近付いてきた蛍明がガラステーブルの上に顎を乗せ、非難がましい声を出した。


「知っとるか日花。幽霊とか透明人間なって女風呂覗くんはな、男の夢ねんで。俺はそれをな、我慢した」

「寝言は寝て言えよコケコッコー野郎」

「何やねんコケコッコー野郎って」

「だって、けいめいでしょ?」

「けいめい?」

「鶏鳴」


 スマホでその単語を検索して蛍明の前にかざして見せる。怒るだろうなと思ったが、彼の表情は怒りではなく驚愕に変わっていった。


「ちょお待て……思い出した」


 その言葉に慌てて机の上のメモ帳を引き寄せる。

 蛍明のフルネーム、覚えのある地名駅名を書いたメモの下に新しい情報を書き込もうと顔を見ると、彼はそれはそれは深刻そうな顔で呟いた。


「俺の小学生ん時のあだ名、コッコや……」

「……他には?」

「それだけ」


 メモをパタンと閉める。


「ドライヤーするからそこどいてコッコ」

「やめえや。何かムカつくから、絶対そのあだ名嫌いやったわ」

「ふーんそうなのコッコ」

「何やお前、お前なんか……お前なんか……花がふたつもついとるクセに。このハナハナ」


 机の上のレポートの名前を見て、蛍明が苦し紛れに悪態をつく。なんてムカつかないあだ名だ。


「お前っていうな」


 メモをもう一度開いて、「コッコ」「小学生の時のあだ名。多分嫌い」と一応書き込む。すっかり力が抜けてしまった。

 そのままドライヤーをして歯磨きをして、そろそろ寝るかという時だった。

 ちょうど始まった深夜のバラエティ番組が大阪の特集で、思わずふたりで見入ってしまった。

 しかし出てくる場所はずっと東京に住んでいる日花でも知っているような有名なところばかりで、彼は「知っとる」「覚えがある」と言いながらも、このあたりの地名に覚えがあるのと同じような反応だ。

 そうすぐには手がかりは手に入らないようだ。

 時計はとうの昔に日付を越えている。夜ふかしが得意ではない日花は耐えられずに大きなあくびをひとつした。


「日花、もう寝え」

「うん……」


 伸びをしてから滲んだ涙を指で拭う。


「んで、俺はどこの中で寝るん?」


 辺りを見渡す蛍明に、日花は顎に手を当ててみせた。クローゼットはリビングと寝室にあるが、寝室はもちろん除外だ。

 リビングのクローゼットを開いてみた。空いているスペースは端のほうに成人男性がひとり座れるくらいしかない。

 蛍明は黙ったままそのスペースに体育座りし、手を振った。


「おやすみ」

「……おやすみ」


 そっと扉を閉める。

 その前に立ち、彼が「いやこんなとこで寝れるか~い!」とツッコみながら出てくるのを待ち構えていたが、いくら待ってもうんともすんとも言わない。

 待つのも面倒くさくなって扉を開く。そこには、物をすり抜けられる幽霊の特性を活かしてクローゼットで大の字に寝転び、空いている空間に顔だけ出している蛍明がいた。まるで生首が落ちているようだ。


「うわっ、さすがに怖……」

「日花さんのエッチ!」

「とりあえず怖いから出てきて」


 外を指さすと、面倒くさそうな声を出しながら蛍明が転がり出てくる。


「何なん、人がリラックスしとんのに……」

「いや、あんまりにも可哀想だから、ソファで寝なよ」


 そう言ってリビングのソファを指差す。さすがに幽霊とはいえ、こんなに物が多い場所で寝かせるのは可哀想だ。

 その提案を蛍明は喜ぶと思っていたのに、彼が浮かべたのは同情に近い何かだ。


「お前さ……大丈夫か? 簡単に家ん中入れるしソファで寝てええ言うし……やらせてくれって土下座されたらやらせそうなくらい、お人好しで流されやすいタイプやな……」


 思わず手に持っていたタオルを蛍明の顔面に投げつける。避けるのは全く間に合っていなかったが、それでも彼に当たることはなくタオルは地面に落ちた。


「やらせるか馬鹿。あとお前って言うな」

「心配やわぁ。俺が成仏したあと日花が変な男に騙されへんか」

「そんなに玄関で寝たいの?」

「すみません、調子乗りました」


 いそいそとソファに寝転んだ蛍明を確認してから、電気を消して寝室に入った。


「入ってこないでね。フリじゃないから」

「分かっとるって。絶対入らん。おやすみ」

「おやすみなさい」


 扉を閉めて少しの間聞き耳を立てると、伸びをするような声が聞こえてきてそれから静かになった。

 今日何度目か分からないため息をつきながらベッドに登る。今のは自分に対するため息だ。

 本当に、土下座されたらやらせてしまうんじゃないかと自分でも思う。しかしここまでするのは幽霊限定だ。生きている人間にはしない。

 目をつむって睡魔を待つ。隣の部屋が気になりなかなか寝付けなかったが、三十分ほどで途切れ途切れに意識が飛ぶようになった。

 このまま眠りに落ちることができるだろうと体の力を抜き切った時だった。


「日花……起きとる?」


 扉の向こうから聞こえたのは、小さな小さな蛍明の声だ。寝ていれば、きっとその声では起きなかっただろう。


「どうしたの?」


 思わず返事をしてしまったのは、その声に強い不安が滲んでいたからだ。

 返事があったことに驚いたのか少しの間沈黙が落ちて、それから申し訳なさそうな声が聞こえた。


「ごめんな。あのさ、聞きたいんやけど……俺って何歳くらいに見える?」


 その質問の意味を考えながら、日花は上半身を起き上がらせた。


「入ってきて」

「いや……さすがに女の子の寝室入るんは……絶対に入らんって言ったし……」

「私がいいって言ってるの。さっさと来て」


 少しの間を置いて、蛍明は扉をすり抜けて部屋に入ってくる。彼は視線を合わせないように遠慮がちに日花に近付いて、ベッドの足元に座った。ベッドのわきの明かりをつけて、その顔をまじまじと見つめる。


「うーん……二十代前半」

「二十代前半……」

「そのスーツ、リクルートっぽいよね。高卒新社会人には見えないから、就活中か四大出てすぐかで二十から二十二歳。まあそれくらいかな。私とそう変わらないと思うよ」

「マジか、めっちゃ若いやん」


 へらっと笑った蛍明の口元が、少しずつ形を歪める。黙ってそれを見ていた。


「俺、ほんまに死んだんかな?」


 震えた声で言って、彼は深く俯く。


「この一週間、とにかく自分の状況確認すんので精一杯であんま考えられへんかったけど、日花に会ってちょっとだけ心に余裕できたんか……やっと自分が死んだことの実感が湧いてきて」


 縋るようにベッドに手を起き、シーツを握りしめようとした彼の手は何も掴めない。


「覚えてへんけど、絶対まだやりたいことあった。絶対まだ楽しいこともあった。だって、まだ二十代前半やで……」


 立てた膝に顔をうずめて、蛍明はポツリと言った。


「死にたくなかった」


 押し殺した息づかいと、時々嗚咽が聞こえてくる。

 かける言葉なんてない。どれだけ後悔したって、死んだ人は生き返らない。

 その柔らかそうな猫っ毛にそっと手を伸ばす。撫でようとしたが、指は宙を切る。代わりにシーツの上で握り締められた手に、そっと手を重ねた。

 蛍明が赤く腫れたまぶたを上げる。その目が日花の手を見る。


「ホンマに……温かいとか、そんなんも感じられへんねんな」

「そうだね」

「俺だけ別の世界におるみたいや」


 呟かれた言葉に、心臓がぎゅっと痛んだ。


「怖い……怖い」


 こんな風に彼らは永遠にも続くような時間、孤独な世界をひとりきりでさまようのだろうか。誰にも気づいてもらえず、何も触れられず、どれだけ声を上げたって誰にも聞こえない。

 蛍明も、日花がいなければそうなったのだろう。こうやって小さく丸まって、怖いと泣いて。

 彼は何度か深呼吸をして嗚咽を引っ込めて、スーツの袖口で目元を擦ってにかっと笑った。


「あー、ごめん。めっちゃ情けないとこ見せてもた」


 その顔は、腫れたまぶた以外いつもと同じように見える。


「日花、ちょっとだけここ座っとっていい?」

「いいよ」


 何の躊躇もない返事を聞いて、蛍明はまた笑顔が崩れる前にシーツに顔をうずめた。


「どんなけお人好しやねん……断れや……」

「じゃあ部屋から出て行って、って言っていいの?」

「……あかん」

「じゃあ素直に甘えなよ」


 長い逡巡のあと、蛍明がぎこちなく手を伸ばす。その手にもう一度自分の手を重ねる。

 泣き顔をシーツにうずめたまま、彼は消え入りそうな声で呟いた。


「日花、ひとりになりたくない……」

「うん、ここにいていいよ」

「迷惑かけてごめん……」

「いいんだよ」

「ごめん、日花……」


 それきり動かなくなった彼を見下ろして、布団の中へ体を潜り込ませる。


「いていいから、明日の朝起こしてね。私目覚ましじゃ起きないから」

「……今までどうやって起きとってん」

「アラーム五回セットしてる」


 ふっと、笑ったように彼の頭が揺れた。


「分かった」


 それから何度か聞こえた鼻をすする音がやがて聞こえなくなる。

 穏やかに上下し始めた彼の背中を見てから、日花は明かりを消し、そしてゆっくり目を閉じた。




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