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2、ブサイクとは言ってない




 日花は絶望した顔の男と見つめ合う。

 これもイケメンの範疇なんだろうか。ただの好みの問題なんだろうか。贔屓目で見ればイケメンの域に入るかもしれないが、いや、やっぱりこれと言って何の特徴もないごくごく普通の青年だ。


「大丈夫?」


 立ちすくむ日花にそう声をかけてきたのはバスの運転手だ。運転席から身を乗り出して日花を見る彼に「すみません、大丈夫です」と謝りながら出口に向かう。


「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って!」


 それを関西弁の男が慌てたように追ってくる。

 男を振り返らずに「ありがとうございました」と運賃入れに硬貨を入れた。


「はい、ありがとう」


 バスを降りてちらりと後ろを見ると、関西弁の男は運賃を入れずに日花の後ろについてバスから飛び降りて、運転手がそれを咎めることはない。見えていないようだ。

 やはり彼は幽霊らしい。


「なあ姉ちゃん、見えとんのやろ!? ちょっと話聞いて!」


 日花の前に回り込んで、男が通せんぼをするように両手を広げる。

 辺りを見渡す。彼と話すには周りの目が多すぎる。

 チラリとその顔を見上げて顎で進行方向をしゃくり、「来て」と口だけ動かした。返事を聞かずにそのまま男の体の中を通り抜ける。

 もちろん日花にだってあまり気持ちのいいものではないが、彼はそれ以上だったらしい。背後から悶えるような悲鳴が聞こえた。


「信じられへん! 見えへんねやったら分かるけど、見えとんのによう中通り過ぎるわ! ゾワッてしたでな!」


 そんなこと言われたって、この人混みで何もない場所をあからさまに避けるなんておかしなことをしたくない。

 すぐそばのマンションに住んでいる。近所付き合いはほぼないが、それでも変な噂はたてられたくない。自分の姿を俯瞰して見ることはできないから、自意識過剰なくらい用心するに越したことはない。

 振り返らずにそのまま裏道に入って少し進んで、あまり整備されていない公園というには殺風景な広場にたどり着く。

ベンチのひとつに座って、辺りを見渡して人がいないのを確認してから、おずおずと近付いてくる幽霊を見上げた。


「それで、どんな未練があるの?」

「……話聞いてくれるん?」

「人目がないところでならいくらでも」

「……俺みたいなブサイク相手したないんか思て、めっちゃショック受けとったわ」

「ブサイクとは言ってない」


 イケメンではないと言っただけだ。それでもまあ、暴言は暴言だ。もし自分なら、不細工ではないけど可愛くもないと言われたら殴りたくなるだろう。殴られなかったことに感謝して、罪滅ぼしにできるだけ話を聞こう。


「明日の授業に影響がない程度なら、成仏を手伝うけど」


 日花の言葉に男はぱっと表情を明るくして、しかしすぐにそれを曇らせる。


「ちゃうねん……未練とかそういうんの前に、記憶がいっこもないねん……」

「何が原因で死んだのかの記憶がないんじゃなくて?」


 そういう女の幽霊なら見たことがある。

 なぜ死んだのか、どうして家からこんなに離れた場所にいるのか分からずに途方に暮れていて、名前を聞いて調べると旅行中に車の事故に遭ったことがニュースサイトで分かった。酷い事故で、彼女は即死だったらしい。おそらく眠っていたのだろう、それなら何も覚えていなくても仕方がない。

 納得した彼女は、同乗していた夫に会いたいと成仏していった。

 しかし目の前の幽霊は首を横に振る。


「何で死んだんかの記憶もないし、自分が誰でどこに住んどってどんな顔しとるのかも思い出されへん」


 日花は眉間を寄せる。


「……初めてのパターンだな」


 そして一番難しいパターンだ。この世に魂を縛り付けている未練が分からなければ、成仏のしようがない。


「持ち物は?」

「ハンカチ一枚持ってへん」

「パンツに名前書いてたりしない?」

「え、脱いでいい?」

「脱いだら?」

「脱ぐかアホ」


 そう言いながらも幽霊は日花に背中を向け、ゴソゴソと前も後ろも確認しているようだ。


「書いてへんわ……」


 そう言って彼は振り返って、今度はスラックスのポケットを探ったりジャケットを捲ったりする。

 さすがにスーツを着るような歳になって持ち物に名前を書いたりはしないだろうかと思ったが、捲ったスーツのジャケットの内側に白いものが見えて思わず声を上げた。


「待って!」


 あれはおそらく。日花は立ち上がり、触れられない彼の胸に手を添わせる。


「ジャケットそのまま」

「ちょ、近いな……」

「ここ、名前が刺繍してある」


 内ポケットの辺り、白い糸で小さく名前が刺繍されていた。幽霊が目を丸くする。


「ほんまや、気い付かんかった……」


 ローマ字で刺繍されているそれを言葉にする。


「K・キリハラ」

「キリハラ……」


 呆然と呟いて、幽霊は地面に視線を落として考え込む。


「きりはら……桐原……K……ケイ……」


 それほど長い時間ではなかったがじっと押し黙っていた彼が、突然顔を跳ね上げた。


蛍明(けいめい)や」

「けいめい?」

「蛍の明かり、けいめい」


 頭の中で鶏が鳴いたことは黙っておこう。


「思い出したのは名前だけ?」

「……名前だけ」


 彼は眉を下げたが、名前が分かったのは大きな前進だ。

 日花はスマホを取り出して、検索画面を開く。


「植物の桐に原っぱの原?」

「そう」


 ベンチに座って、検索窓を開いてその名前で検索する。事件事故のニュースだけでなく、SNSを本名でしていたり、仕事関係で名前が載っていたり、学生時代に賞をとったりしているとヒットしたりする。

 しかし今回は目ぼしい情報は見つからない。平仮名やローマ字で検索してもだ。


「名前関係で何か思い出せない? 例えば父親の漢字を一文字もらってるとか、兄弟姉妹で同じ漢字を使ってるとか」


 蛍明は長い間考え込んでいたが、結局首を横に振った。


「全く……」


 大きく前進できたと思った先で、穴に落ちて身動きが取れなくなったような気分だ。

 お互いの声が小さくなってくるのが分かる。


「初めて幽霊として目が覚めたのはいつ?」

「ちょうど一週間前や」

「どこで?」

「それが、覚えてへんねん……。初めは意識がぼんやりしとって、そんままバスに乗ったり電車に乗ったりして、気い付いたら東京におった。で、ここらへんの地名に覚えがある気して、何や思い出されへんかってうろちょろしとって……」


 曖昧な情報ばかりだった。

 考える。

 どこに住んでいたのかも、幽霊になったときにどこにいたのかも分からない。ろくな証拠もない。分かるのは名前と、この辺りに覚えがあるような気がするという頼りない情報のみ。

 考えて、思った。

 これは、無理かもしれない。


「なあ、姉ちゃんの名前教えてよ」


 不安を掻き消すためか、蛍明がわざと明るく尋ねる。一瞬迷ったが、彼に隠す意味はない。


花岡(はなおか)日花」


 素直に教えると、彼は自分から聞いたくせに眉をひそめた。


「……聞いた俺が言うのも何やけど、初対面のどこの馬の骨ともわからん男にそんなホイホイフルネーム教えてええんか」

「だってあなたは幽霊でしょう? 知られたからって悪用されることはない」


 たとえ彼にクレジットカードの暗証番号を知られたって、痛くも痒くもない。だって彼は成仏をしてこの世からきれいさっぱり消え去るか、誰にも見つけてもらえずひとりぼっちでこの世をさまようか、どちらかしかできない。

 蛍明が唇をへの字に曲げる。


「……何なん、えらいクールやな。慣れとんの、こういうの」

「慣れてるよ」


 ベンチから立ち上がって、尻を払う。


「ずっと小さい頃から幽霊が見えていて、今まで何人もこうやって話を聞いて、可能なら成仏を手伝ってきた」

「何それ、めっちゃカッコいいやん……ゴーストバスターズやん……」

「バスターズしたら駄目でしょ。それに話を聞いても、その中で成仏させてあげられるのなんて……ほんの一握りだけなんだよ」


 蛍明が顔を強張らせたのが分かった。それを見ていられずに少し視線を落とす。


「残念だけど、私の手に負える話じゃない」

「……待って」

「私はちょっと幽霊が見えるだけのただの女子大生で、何か特別な能力を持ってたり、物語の中の探偵みたいに小さな証拠から手掛かりを掴んだり、警察のコネを持っていたり……そんなのじゃないの」


 何か言おうとした口を閉じて、蛍明は深く俯く。


「名前は思い出せたんだから、何かきっかけがあれば他のことも思い出せるはず。すごく時間はかかると思うけど、まずは関西圏の地図を見たり駅名を見たりして」

「何にも触られへんねん、この体。ネットも見られへん。地図すら開かれへん」


 分かっている。だからこそ、すごく時間がかかると言った。想像もできないほどの労力と長い長い時間が。

 それでも頑張るしかない、なんて言えない。

 俯いた日花の腕に蛍明は手を伸ばす。もちろん手は宙を切って、彼はその手を泣きそうな顔で見てから縋るように言った。


「日花、頼む……時間が空いとるときだけでいい、協力して欲しい。俺にはお前しかおらへんねん」


 よく見る顔だ。手に負えないから協力できないと言った時に、よくこの目を向けられる。できる限り協力し、できる限りの助言をして、そしてごめんなさいと謝り踵を返すのだ。

 右足をじりりと後ろへ動かす。どうしてかそれ以上足が動かない。

 絶対に無理だ。手に負えない。それなのに。

 日花は唇を噛み締めて、それから蛍明を睨んだ。


「私、親しくない男にお前って呼ばれるの嫌いなんだけど」

「……すみませんでした日花さん」

「呼び捨ては別にいいけど」

「ええんかい」

「蛍明」


 名前を呼ばれて、蛍明がびくりと体を震わせる。


「私、決めてるの。幽霊助けは私の生活に支障のない範囲でしかしないって」


 彼は眉を垂らして俯く。


「……だから毎日は協力できないし、できても短い時間だけかもしれない。それでもいいなら、協力する」


 断られると思っていたのだろう。蛍明はまるで幽霊でも見ているかのような目で日花を見る。そしてその目をじわりと赤くして、震えた唇をぐっと曲げた。


「ありがとう……日花」


 いつもの幽霊はテレビ画面やスクリーンの中の俳優のように姿かたちが整っていて、どことなく現実から切り離したような存在だった。

 しかし蛍明はどこかこう、親しみやすさというか愛嬌というか、生きているような人間らしさがあって、どうにもこうにも放っておけない。


「何回も言うけど、覚えていて。私は生活に支障のない範囲でしか手伝えない。無理はしないし、これ以上は私にはどうにもできないって分かったら、その時は私の協力は諦めて欲しい」

「分かった。覚えとく」


 返事をしながらも、蛍明の目には微かに希望が灯ったようだった。

 馬鹿なことをした自覚はある。イケメンじゃないなんて暴言を吐いたお詫びだ、と自分に言い聞かせる。当分の間忙しくなりそうだと、蛍明に気付かれないように細く息をついた。


「じゃあ、どうしようか。連絡を取る手段はないし、どこか決まった場所にいてもらわないといけないかもしれない。私のマンションがすぐ近くだから、この公園にいてくれたら時間がある時に会いにくるけど」

「……公園で寝泊まりもう嫌や……」


 蛍明は両手で顔を覆ってみせる。


「ベンチで寝っ転がってウトウトしとったら、気付いたらカップルが俺の上に座ってイチャついとんねんで……」


 それはさすがに、そういうものを覗き見る特殊な趣味が蛍明にないのなら、心底同情する。

 他に近所で寝泊まりできる場所はなかったかと考えていると、蛍明が少し遠慮がちに日花の顔を覗き込んできた。


「日花って実家暮らし?」

「ううん、ひとり暮らし」

「マンションの部屋余ってない?」


 彼が言いたいことを悟り、盛大に眉を寄せてみせる。


「日花の家寄らせて」

「やだ」


 即答したが、そんなことは予想済みだったらしい。かぶせるように言われる。


「大丈夫。俺はお前に指一本触れられへん」

「お前って言うな」

「押入れん中でええから!」

「嫌」

「玄関の隅でいい!」


 日花はわざとらしく腕時計に目をやる。


「あ、ドラマが始まるまでにご飯食べておきたいから、もう帰るね」

「俺とドラマどっちが大事やねん!」

「ドラマに決まってるでしょ」

「絶対そう言うと思っとった!」


 無視をして歩き始める。後ろからピタリと幽霊のうめき声のような声がついてくる。


「死ぬ前くらい人間らしい生活がしたい……」

「もう死んでるよ」

「知っとるわ! この世の最後の寝床が公園のベンチとかダンボールとか嫌や……美人女子大生の部屋で最後を迎えたい……」

「……煽てたって駄目」

「ちょっと揺れた癖に」


 公園を出てもマンションの自動ドアをくぐっても、彼は後ろをついてくる。

 これはもしや今までで一番面倒くさい幽霊に同情して協力してしまったのではないかと、日花は薄っすらと勘付き始めていた。




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