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11、東京怖い2




「休講……」


 構内の掲示板を見つめ、日花は呟く。

 午後の授業を受けに大学まで来たが、見ての通りの有様だ。


「この教授、いっつもギリギリに掲示板で休講の連絡出すんだよ。せめてホームページで知らせてくれればいいのに」


 知らない誰かが後ろで愚痴をいうのに内心で同意する。

 この炎天下の中、汗だくになりながらこの講義のためだけに来たというのに全くの無駄足だ。

 何となくデジャヴを感じながら別の講義を受ける友達に休講だから帰るとメッセージを送り、日花はまた七月半ばの暴力的な太陽の下に出た。

 いつもは駅に近い裏門から出るが、今日は寝坊して慌てて家を出たせいで日傘を忘れてしまった。少しでも日陰の多い正門から帰ることにする。

 木陰を渡り歩くように進んでいると、ふと視線を感じたような気がして顔を上げた。きょろきょろと辺りを見渡して、正門の向こうにひとりの男を見つける。

 視線は合わないが、なかなかのイケメンだ。幽霊だろうか、それとも。

 顔を俯ける。

 蛍明と別れ日常に戻り、日花は幽霊助けをする時のルールをひとつ追加した。

 それは幽霊に情を移すような行動は取らない、というルールだ。

 何日か行動を共にしたり、必要最低限以上の会話はしないほうがいい。

 幽霊が見えるという命をかけても隠し通さなければならない秘密を、彼らは共有してくれる存在だ。そんな彼らと長い間過ごして、情を移すなという方が難しい。蛍明と過ごしてそう痛感した。

 彼のような人懐っこい人はそうそういないだろうが、それでも一度情を移してしまえば別れは辛くなる。

 もう、あんな思いは。


「お待たせ!」


 日花のすぐ隣を明るい声を上げながら学生が通り過ぎた。つられて顔を上げる。

 門から出た彼女はイケメンに駆け寄って、ふたりは手を繋いで歩き出した。幽霊ではなかったようだ。

 ホッとした、その時。


「残念やったなぁ、生きとるイケメンで」


 すぐ近くから声が聞こえた。随分と懐かしい声だ。

 日花は目を丸くして視線を巡らせる。

 そしてすぐそばの正門の影、壁にもたれかかっているスーツの男にようやく気付いた。

 狼狽えて、視線をイケメンに戻す。

 あっちは生きている。

 もう一度視線を戻す。

 じゃあ、こっちは。

 髪は随分短くなっているが、どこからどう見ても蛍明に見える、これは。


「あはは! めっちゃビビっとる!」


 腹を抱えて笑う彼に思わず駆け寄って、その両腕にしがみついた。スーツのサラサラとした生地も、その下の腕も、しっかりとここに存在していて触ることができる。


「うわっ……生きてる……」

「うわって何やねん、抱きつきに来いや」

「いや、また死にかけて私のところに来たのかと思ったから……」


 本気でそう思った。

 どうしてわざわざスーツで来るのか。ややこしいことこの上ない。


「何回死にかけとんねん、どんなアホや」

「事故にあったこと忘れて体放り出して記憶喪失のまま兵庫から東京までフラフラ来ちゃって本当に死にかけた人以上のアホなんてこの世にいるの?」

「いーまーせーんー」


 バツが悪そうな顔をしながら、蛍明が歩き出す。追いかけて、その隣に並んだ。


「感動の再会になる思たのになぁ」

「私の顔見て大笑いしてたのはそっちでしょ。ずっと待ってたの?」

「いや、三十分くらい前に来たとこ。何回か来たらいつか会えるかな思っとったけど、まさかこんなはよ会えるとは思わんかったわ」


 にこりと笑う。それはそれは、運がいいことだ。


「私のこと覚えてたの?」

「まあな。体に戻った時は頭こんがらがっとったし、お前のマンションの場所とか思い出されへんこともあるけど、結構すぐに思い出したで。お前の名前とか、病院の面会簿に書いとった大学名とか……ピンクのパンツとか」

「殴るぞ」

「あん時は勝手に見てもた罪悪感で言われへんかったけど、お前クールぶっとるくせに意外と可愛らしい下着つけとるよな。レースとリボンでふりふりの」

「殴る」

「Cカッ」


 持っていた鞄を蛍明の尻に叩きつける。わざとらしく「いたーい」と叫ぶ声に殺意が湧く。


「このコッコ野郎……」

「やめえやお前。そのあだ名やっぱり嫌いなあだ名やったわ。からかわれてキレて相手泣かして、先生にえらい叱られた」


 蛍明はそのまま近くの公園に入る。日陰のベンチに腰を下ろし、日花を手招きした。

 隣には座らずに目の前で立ったまま尋ねる。


「何しに来たの?」


 その問いに不服そうに顔を上げて、蛍明は日花の手を取った。

 唇を引き結んで、珍しく真面目な顔がじっと見つめてくる。


「……お前のこと、忘れられへんかったんや。会いたかった」

「ふーん。で、何活しに来たの?」


 目を細めて見下ろすと、蛍明はくわっと目を剥いた。掴んでいた日花の手をぺっと離す。


「お前ほんま腹立つわ! 分かっとんねやったら聞くなや! 就活や就活!」


 叫ぶ蛍明に、ふんと笑ってみせる。そうだろうと思った。

 彼が今着ているのはリクルートスーツだ。この暑いのにきっちりとネクタイを締めて上着まで着込んでいる。面接か何かの帰りなんだろう。

 日花はようやくその隣に腰を下ろした。


「仕事辞めちゃったの?」

「まーな。入社一ヶ月もせんうちに仕事場で事故って死にかけて一ヶ月近く入院、同期は研修も全部終わらせて仕事にも慣れ始めとるとこで、さらに俺が事故ったせいで現場の管理やら面倒くさなったらしくて、帰ったって居場所なんかないわ」


 ゲッソリとした顔でそう言って、蛍明はベンチの背もたれに上半身を投げ出した。


「新卒カードももうないし、むしろ前の会社即辞めた奴ってレッテル貼られとるし、今必死に就活しとんの」

「東京まで足伸ばして?」

「そう」

「じゃあもしここで就職が決まったら、いつでも会えるね」


 背もたれの向こうにだらりとたれ下げていた腕と頭を起き上がらせて、蛍明が日花を見る。


「嬉しいな」


 その顔に微笑みかけると、彼はそれはそれは分かりやすく狼狽えてくれた。

 みるみる朱に染まった頬を見られないようにか彼は前を向く。


「嘘つけ。何しに来たの、とか言っとったくせに」


 嘘なんかついていない。本心だ。


「……まあ、ちょっとまこっちで就活頑張る気やけど、もしあっちで決まったって、別に会ったらいいやん……俺、会いに来るし」

「うん。私も会いに行く」

「……あと、お前に会いたかったっていうのも、別に嘘やないから。半分就活のためで、半分お前に会うためやから」

「うん」

「……嘘ついた。九割お前に会うために来た」

「うん。会いに来てくれて嬉しい」


 私も会いたかったと言えば、蛍明はどんな反応をするだろうか。何度も会いに行こうか迷って、しかし彼が体から離れていた間の記憶をすっかりなくして日常生活に戻っていたらと考えると、会いに行く勇気が出なかったと。

 じっと見つめると、その視線から逃れるように彼は地面に目をやった。


「お前、蝶子に俺の彼女やって言うたんやろ?」

「……言ったっけ?」

「はぐらかすなや。こっちに研修で来とる時に出会って付き合ったって嘘付いたんやろ。あいつそれ信じとって、愛の力で俺が目ぇ覚ましたってマジで思っとるで」

「妹さん可愛いね。純粋で」

「……実際どうなん」

「何が?」


 わざと問うと、彼は唇を尖らせてもごもごと言う。


「愛の力。あそこまでしてくれたんは、その、そう言うんがちょっとはあったんかなぁーって……」


 前を向いて考える。あの時、蛍明を助けるためだけに知らない土地を奔走していた時、頭を占めていた感情はどんなものだったか。


「そうだね……幽霊に対する同情九割かな」

「……まあそうやと思ったわ」


 深いため息をついて蛍明が立ち上がる。


「くそ、真面目に聞かんとやっぱりからかったったらよかったわ」


 ぶつぶつと悔しがる蛍明のあとに続いて立ち上がった。


「残りの一割は何だと思う?」


 尋ねると、彼はぴたりと立ち止まって、肩越しに日花を振り返る。


「……お前のことや。どうせ持ち上げてから落とすんやろ」


 蛍明は不貞腐れた顔をまた前方へ向ける。その彼の手を掴んで、日花はぐっと後ろへ引いた。

 不意をつかれてよろめいた蛍明が目の前に立つ。触れそうなくらいの距離に驚いたらしい彼が一歩後ろへ下がったが、さらにスーツのジャケットを掴んで引き寄せた。


「触れるっていいね」


 じっと見上げると、その瞳が左右に揺れる。


「う……ん」

「言葉にする前に止められるから。……そこでひっくり返ってるセミまだ生きてるから、そば通ったら暴れだすよって」

「うわっ」


 蛍明が飛び退いて日花にしがみつき、その背中に回り込む。


「もう、夏嫌やわぁ……俺、昔森ん中で大量のセミにいっぺんにおしっこかけられたことあって、それからトラウマやねん」

「セミのおしっこって樹液の残りカスだから無害だよ」

「そういう問題やない。あと女がおしっことか言うなよ、興奮するやろ」


 思わず胸ぐらを掴み上げてセミに向かって突き飛ばしてやろうかと思ったが、セミが可哀想なのでやめた。

 聞かなかったことにして公園の入り口に目をやる。日陰とはいえ、汗が流れるほど暑い。蛍明のワイシャツの袖を掴んで引いた。


「どこか入ろ。かき氷奢って」

「無職にたかんなや。……ああいや、日花には世話んなったからな、うん。よし、かき氷の十個や二十個奢ったるわ」


 その言葉に、満面の笑みで喜んで見せる。


「嬉しい。近くの有名な喫茶店の、フルーツとソースがいっぱいかかってるかき氷が食べたいの」

「ええよ。何や、そういうん好きとか日花も女の子やな。可愛いやん」


 かわいこぶって小首を傾げてみせる。


「ひとつ千二百円」

「全然可愛くない」

「二十個で二万四千円」

「東京怖い……」

「さ、行こっか」


 日花は笑ってそう言って、蛍明の手を握り締めたまま歩き出した。











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